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2026年3月2日、葉室麟「刀伊入寇藤原隆家の闘い」を読了しました永井路子や新書などを読んだ後なので、首を傾げること多数。でも、解説まで読んで、そうかエンターテイメントか!と膝を打ちました。エンタメならば、正しさに拘る必要はないと納得しました。そう考えると、こんな貴族おらんやろ!という気持ちはひとまず置いて、藤原隆家カッコいいなぁと。そして、藤原隆家と通じている藤原実資も、ひねくれてなくて、なかなかカッコいいです。割り切って読める人にはおススメかも。
2026年2月15日、関幸彦「刀伊の入寇平安時代、最大の対外危機」を読了しました「この世をば」に刀伊の入寇が出てきたので、早速、読んでみました。買った時は、つい買ってしまったけれど、刀伊の入寇ってなんだっけ…??な私。藤原道長の時代、突如、刀伊が攻めてきて、対馬、壱岐で殺人、放火、強盗、そして拉致。その時、大宰府にいたのが藤原隆家でした。日本が異国に攻められたのは、刀伊の入寇、元寇、そして太平洋戦争。と考えると海に守られているようで、島嶼部含め海岸線全てを防御するのはどだい無理な話
2月15日(日)葉室麟著『刀伊入寇藤原隆家の闘い』実業之日本社文庫2014年4月15日初版第一刷発行2016年10月5日初版第八刷発行日本国、危機存亡の秋。真の英雄が立ち向かう!時は平安中期。京で心に荒ぶるものを抱いていた貴公子・藤原隆家は、陰陽師・安倍晴明から「あなた様が勝たねば、この国は亡びます」と告げられる。叔父・藤原道長との熾烈な政争を経て、九州太宰府へ赴いた隆家を待っていたのは、大陸の異民族「刀伊」の襲来だったー直木賞作家が実在した貴族の知られざる戦いを描く、絢
刀伊入寇藤原隆家の闘い(角川文庫)[葉室麟]楽天市場寛仁三年・1019年に、女真族が対馬・壱岐を経て九州を襲った「刀伊(とい)の入冦」という国家的大事件を題材にした小説である。カバー裏には「血湧き肉躍る戦記ロマン!」とビックリ・マーク付きで紹介されている。藤原隆家は、その際に総大将として刀伊を撃退した貴族で、歴史上の有名人との関係でいえば藤原道長や道綱の甥(道隆の四男)にあたる。ちなみに「光る君へ」では竜星涼が演じていた。いや~、いい味出してた
葉室麟氏の『実朝の首』は、承久の変の背景を基に描かれていました。歴史を扱った小説に目覚めたのも葉室麟氏のおかげでした。そして今読んでいるのが、「刀伊入寇」です。平安時代の後期は、僕自身が一番記憶が薄い時期で葉室麟氏の作品によって理解できるようになりました。藤原氏の系譜そもそも藤原氏の元祖は、645年に中大兄皇子と大化の改新を決行した中臣鎌足でした。以来、天皇家と深い関係を築いてきました。特に藤原北家が力を握り、藤原道長の時代に絶頂期を迎えています。父の弟にあたる道長に権力闘争を仕掛
🌊海から来た恐怖!「刀伊の入寇」ってどんな事件?🤔「刀伊」って誰?「刀伊(とい)」は民族名じゃなく、日本人が「正体不明の海賊」につけた呼び名。実際は女真族(じょしんぞく)と呼ばれる人々でした。📍生息地:今の中国東北部〜ロシア沿海州⚓生活:漁・狩猟・交易、そしてときどき略奪!💀特徴:船で移動、人をさらって奴隷にすることもつまり「刀伊」とは、当時の日本から見た“恐怖の海の民”だったのです。🚢どう攻めてきたの?1019年春、なんと50隻以上の大船団が日本に襲来!🏝
刀伊の入寇と言っても、それ何?という方が多かったと思いますが、NHKの大河ドラマ「光る君へ」にエピソードとして登場したので、かなり有名になりました。紫式部が九州で刀伊に遭遇するという筋立てには、いささか無理があったと思いますが、ちょうど今から約1000年前、藤原道長、紫式部が活躍した時代に異民族・刀伊が対馬、壱岐、北九州に侵入して大きな犠牲をもたらしました。とくに対馬、壱岐の被害が大きかったのです。しかし刀伊という言葉からはどこからきたどんな民族かというイメージが湧きません。刀伊は当て字で本来は
皆さん、いかがお過ごしですか。いつも、私のブログに寄って頂き、有り難うございます!もう6月になりましたね。今年も半分が、今月で終わってしまいます。年始に計画された予定は思い通り進んでおりますか。ここらで、振り返って確かめるのも良いのではないでしょうか?さて、今月はランダムにご紹介しようと思っています。その中でも近年出版した物を中心にしたいと思います。まず本日は、今も制作が続いております、「菊池一族風雲記」です。我ながら偉大なる題材をテーマにしたと思っております。一生かかっても、
数々の国宝を見せて頂きました。先日の丹心斎若宗匠の水無瀬のお献茶で、水無瀬神宮は、隠岐に流された後鳥羽天皇を弔われている神社です。水無瀬神宮の国宝、後鳥羽天皇肖像画と後鳥羽天皇御手印置文が展示されていました。60歳の文「我後生を返々とぶらふべし」藤原隆家の血脈後鳥羽天皇と五摂家[小林礼子]楽天市場歴代天皇総覧増補版皇位はどう継承されたか(中公新書1617)[笠原英彦]楽天市場
今日は、紫草ゆかりの地でもある太宰府政庁跡を再度ご紹介します。奈良・平安時代、中央政権の地方最大の行政機関「大宰府」がありました。九州を統括し、大陸との交渉窓口となり、西の防衛の拠点でもありました。大宰府と太宰府の違いはコチラ太宰府政庁は、九州の政治・文化の中心であり、日本の外交、対外防備の先端拠点であった大宰府の中枢だったのです。太宰府政庁は、平城宮などと同じ朝堂院形式の政庁、周辺官衙、外国使節を迎えるため設けられた客館などで構成されてい
作家の井沢元彦氏は、『逆説の日本史』において、朝廷が、刀伊の入寇の最大の功労者、藤原隆家に恩賞を与えなかったのは、朝廷の「危機管理能力の欠如」であり、その伝統が、戦後の日本の所謂、「平和ボケ」による、危機管理能力の欠如に続いていると、断じている。朝廷の公卿達は、刀伊の入寇に対して、危機意識を有していなかったのである。前述の通り、太政官は、陣の定めにおいて、「どのような恩賞を与えるべきか」ではなく、「恩賞を与えるべきか、否か」を論じたのである。平安時代、桓武天皇の「徳政論争」以降、日
しかし、996年(長徳二年)正月、藤原隆家は、従者の武士を連れて、花山法皇の一行に矢を射かけて、法皇の衣の袖を弓で射抜く、事件を起こす。その事件を藤原道長に利用され、4月になると花山法皇奉射・東三条院呪詛・大元帥法実施の罪状、三ヶ条を以って、隆家は、出雲権守に、伊周は、大宰権帥に左遷され、中関白家は、凋落した。998年(長徳四年)5月に藤原詮子の病による、大赦を受けて、帰京する。同年10月に、兵部卿として、官界に復帰し、1002年(長保四年)、権中納言に復し、1007年(寛弘四年)
1019年(寛仁三年)3月末~4月、刀伊の入寇が、発生した。刀伊とは、朝鮮の高麗語の高麗以東の夷狄である、東夷を指し、日本語の刀伊を当てたとされる。刀伊は、戦前の満州の女真の一派とされる、集団を主体とした、海賊である。刀伊が、壱岐及び、対馬を襲い、更に、九州に侵攻したのが、刀伊の入寇である。1019年(寛仁三年)3月27日、刀伊は、海賊船約50隻(約3,000人)の船団を組んで、突如として、対馬に来襲し、島の各地で、殺人、放火、略奪を繰り返した。対馬の被害は、36人が殺され
こんにちは。今日も楽しいマキオカです。ジェットフォイルで博多港へ向かう。私の旅のスタイルは事前にあまり調べていかないスタイル。ざっくりとした情報だけで旅に行き、後から調べる。旅の前にしっかりリサーチして「あー、これこれ!」と言う人もいるが、わたしの場合「あそこで見たあれはこういうことだったのか」という感じが好き。いや、別に自分の横着を正当化しているわけではありませんよ。・・・ホントですってば。で、そんなわたしがこの旅で好きになった歴史的人物がいる。それは藤原隆家。藤原隆家といえ
JamesSetouchi2025.2.21読書会清少納言『枕草子』R7.4.19(土)予定その4内容(3)102「中納言まゐり給ひて」(日記的章段)(登場人物)中納言:藤原隆家(たかいえ)。中関白・藤原道隆(みちたか)の次男。長男が伊周(これちか)、次男が隆家。隆家は16歳の時995年4月に権中納言(ごんのちゅうなごごん)。6月に中納言になった。左遷(させん)され京に戻って1002年に23才で権中納言になった。このエピソードがいつのことかは不明だが、内容
藤原隆家は、996年(長徳二年)2月7日、従者の武士を連れて、花山法皇の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で、射抜いた。花山法皇は、出家の身で、女通いが露見する、体裁の悪さと恐怖の余り、閉じこもっていた。しかし、事件の噂が、広がり、隆家の政敵の藤原道長は、事件を利用して、2月に入ると、陣定が行われた。藤原伊周、藤原隆家の罪科を決めるため、明法博士に罪名を勘申させよとの勅命が、道長に伝えられた。その頃、皇太后の詮子が、病となり、3月末に大赦が行われるが、皇太后の病気は、呪詛が、原因との
今の日本は平和だが、歴史的、世界的にはたまさか幸せな時代に恵まれているにすぎない。先の大戦では、一般国民を含めて400万人以上の戦病死者を出した。戦争直後は、ほとんどの家庭の一員や親戚が戦病死した悲しみに暮れた。世界でも、ウクライナ、ガザでは多数の戦争犠牲者を出している。初の対外戦争「白村江の戦い」で敗北し、報復来襲を恐れて山城築く先の大戦は、日本の侵略行為によって引き起こされたが、日本が外の国と集団に侵略されたことが何度かある。幸いにも、国が荒廃することはなく、被害は一部地域で済ん
関幸彦さんの『刀伊の入寇』を読みました(中公新書)中世武士論が専門の関氏があえて平安時代の戦いを書き中世武士の発生に踏み込んだ書大河ドラマ『光る君へ』でも藤原隆家は登場しまひろ(紫式部)が松浦の浜で刀伊軍に襲われる場面もでましたそして最終回のエンディングでは知り合いの若者が武者となり東国へ走り去っていくのに出会い「嵐が来る(武士の時代になる)」とつぶやきましたそんな時代を読める本です刀伊とは高麗の「東夷toi」を「刀伊」とあてたもので女真族のこ
こんばんは、アナログです。映画の番宣でしょうか。バラエティ番組に竜星涼さんが出ておられました。言われなければ、「光る君へ」の藤原隆家役の人とはわからなかったです。笑顔いっぱい、素敵な好青年ですね😀「ショウタイムセブン」ですか。映画もちょっと観てみたいですね🖐️
大河ドラマ「光る君へ〈47〉哀しくとも」2024.12.8放送NHK総合NHKBSこんばんは~久しぶりになってしまった「光る君へ」記事です。最終回、視たことは視たのですが“短くひと言!“書くヒマもなくてとりあえず、書いていなかったひとつ前の回です。「哀しくとも」まひろの目の前で矢に倒れた周明は、ホントは助かった!というどんでん返しもなく、死んでしまってずっと立ち直れないまひろ。太宰権師・隆家はずっとここにおればよい、なんて言って、後任の者にまひろのことを託そうとする
周明の死そして刀伊の入寇の結末今回もあまり時間を置かずに見ることができました、「光る君へ」の第47回。今回は寛仁三~四年(1019~1020年)のお話でした。各回の用語集が番組公式サイトに出ていますので紹介します。用語集大河ドラマ「光る君へ」第47回より-大河ドラマ「光る君へ」-NHKこういう用語集などの解説をドラマと合わせて見ると、当時の時代の歴史勉強の効率が上がるのでおススメです。余談ですが、大河ドラマは、特に「光る君へ」は、字幕付きで見た方がわかりやす
ご訪問して下さりありがとうございますヒーリングアートであなたの内なる輝きを取り戻すお手伝いあらいりつこです自己紹介/体験会MENU/体験者様の声/お問い合わせ/アート一覧100チャレ(34/100枚)毎週日曜20時の楽しみが無くなってからはや1週間が経ちました胸になぁんとな〜くポコっと穴が空いたように感じる人も多いかも今日は異色の大河ドラマ『光る君へ』の感想を書きたいと思います私は本放送よ
大河ドラマ『光る君へ』でも描かれた刀伊の入寇とそのときの隆家の活躍を『大鏡』より見ていきます。大宰大弐(大宰権帥)として善政を敷き、九州の武人たちに慕われていた隆家、その任期末期に起った突然の異賊(刀伊)が来襲!刀伊の入寇で活躍する隆家大河ドラマ『光る君へ』で描かれている刀伊の入寇を『大鏡』より見ていきたいと思います。(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、刀伊の迎撃に向かう隆家たち)『光る君へ』で大宰府にて生き生きとしている隆家、九州の武人たちにも慕われている感じの隆家が描かれて
NHK大河ドラマ「光る君へ」が12月の46~47回で、1019年に九州を襲った刀伊の入寇を扱った。女真族が朝鮮半島を越えて日本へ襲ってきた事件が、対外危機意識の高まる中で武士枠として取り上げられた。ドラマでは何故か九州にやってきていた紫式部ことまひろが現・福島県糸島市の船越津で事件に出くわす展開に。越前の敦賀で出会った(この出来事はある程度根拠があるらしい)宋人の周明と再会するも、刀伊の軍勢に矢で射られて死ぬというあからさまなフィクションを辿る中、一度は失脚していた藤原隆家が大宰権帥として
今年のNHK大河「光る君へ」が終わっちゃうーーーというタイミングで図書館で目に留まったのが刀伊入寇藤原隆家の闘いAmazon(アマゾン)刀伊入寇藤原隆家の闘い角川文庫/葉室麟(著者)Amazon(アマゾン)(↑なんでこれこんな高いんだろ?)葉室麟先生の「刀伊入寇藤原隆家の闘い」登場人物はもちろん藤原隆家は竜星涼さん、他の面々も「光る君へ」のキャストの皆様で「光る君へ」キャスト大河ドラマ「光る君へ」最終回の相関図・キャスト-大河ドラマ「光る君へ」【大河ドラマ「
こんばんは、アナログです。一年間楽しませてもらった「光る君へ」の感想の続きです。最終回まで完走した道綱さん。大臣になる夢は叶わなかったけど(藤原顕光が結局死ぬまで辞めなかったんですね)憎めないキャラクターで、上地雄輔さんに最適な役だったと思いますよ。上地さんもそうだけど、実資役の秋山さんも、斉信役の金田さんも並の俳優さん以上の演技力だったと思います(お笑いで鍛えられて来たから?)秋山さんはほんとにあの時代の貴族がこうだっただろうと思うふくよかさで一番しっくりきました。後半になってから
◇ご訪問ありがとうございます◇girassolポルトガル語でひまわりとあるドラマに沼り溢れる愛への共感をアメブロに求めた2013年濃密で楽しい時間を廃人乙女達と共有するもいつか訪れる終わりに怯えリアルでもブログを開始した2014年更新には凹凸がありますが気付けば10年!!みなさま、ありがとうございます♡大河ドラマ『光る君へ』完はじめは。大河で平安時代とかどうなのよ?劇中劇で源氏物語があればいいな!
来週からまひろの放送が無いと思うと寂しいですねそんな光る君へで「刀伊の入寇」以来急に大宰府が脚光を浴びました!伊周が大宰府に飛ばされた時は島流しの場所って感じでしたよね💦大宰府など死んでも行くものかって😅しかし隆家が大宰府に赴任して刀伊の入寇事件で脚光を浴びました!凄くかっこよくなった隆家時代が少しバラバラなような気もしますがまひろも大宰府に来ていたことが分かりましたね!この放送前にまひろと隆家が大宰府でトークショーを行いましたその時の大宰府政庁跡での写真そんな訳で
6年ぶりに太宰府に行きました『6年ぶりに太宰府へ!』太宰府に行ってきました目的はこちら「光る君へ」企画展示inだざいふこちらについては明日、ブログテーマ「源氏物語」で詳しく書こうと思います企画展示を観終わっ…ameblo.jp目的はこちら現在、太宰府館で開催中の「光る君へ」企画展示inだざいふ太宰府館、今回初めて存在を知りました参道から一つ道を入ってすぐのところにありました。写真撮影OKだったので撮ってきました五節の舞のときの衣装が展示されていました中の着物と扇はNHK
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜刀伊の入寇でまひろも巻き込まれて周明に矢が…ってことで第47話の感想ぉ!まひろは目の前で周明が矢に倒れ…周明にすがるまひろ、しかし、周りは刀伊と日本の武士らの乱戦。まひろさん!逃げなきゃ!乙丸が泣き叫ぶまひろを起こし連れて行きました。これは、まひろとしては母・ちはやが目の前で殺された時以来の大ショックですよね。この刀伊の入寇が京に入った時、摂政の頼通は様子見することを選びましたが…こいつ大丈夫か?刀伊が京に来る可能性だってあるの