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敦実(アツミ)親王は宇多天皇の皇子、母は藤原胤子(タネコ)、醍醐天皇の同母弟。宇多天皇の皇子では唯一長命を保ち、和歌・管弦・蹴鞠など諸芸に通じた才人であった。その三男源雅信(マサノブ)は朱雀朝で臣籍降下した後、円融天皇が即位すると、信任を得て急速に昇進した。関白・藤原兼通が没すると、翌年左大臣を兼ねる関白・藤原頼忠は太政大臣に、雅信は左大臣に、故兼通に冷遇されていた同母弟・兼家は右大臣にそれぞれ昇進した。(大河ドラマ『光る君へ』初め頃の舞台設定、雅信(演)益岡徹さん、頼
文徳天皇の系譜が途絶え、仁明天皇の親王から高齢で即位した光孝天皇の系譜へ戻す。光孝天皇は仁明天皇の皇子、母は藤原総継の娘・沢子、陽成天皇が母方の伯父である藤原基経によって廃位されたのち、55歳で即位した。やがて病にて、子息の源定省を皇籍に復し立太子させ、58歳で崩御した。定省親王は第59代宇多天皇として即位する。宇多天皇の母は桓武天皇の皇子仲野親王の娘・班子(ナカコ)女王である。藤原基経の妹の尚侍・藤原淑子(ヨシコ)と親密な仲で、所生の定省王(後の宇多天皇)を淑子の猶子とす
藤原北家・冬嗣の子良門は、利基(トシモト)・高藤(タカフジ)の2子を儲けた直後に亡くなった。高藤は、娘・胤子(タネコ)の夫である第58代光孝天皇の子・源定省(サダミ)が皇族に復帰し即位(第59代宇多天皇)したことで急速に昇進し、源姓を賜い臣籍降下された皇子が皇位へ就くという異例な出来事で、家運が大きく上向くことになる。胤子との間の皇子・敦仁親王の即位(第60代醍醐天皇)で内大臣にまで至る。醍醐天皇の外叔父となった定国(サダクニ)・定方(サダカタ)兄弟も急速に昇進した。
36夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ清原深養父【出典】『古今和歌集』巻三・夏・166「月のおもしろかりける夜暁方によめる・ふかやぶ」++【口語訳】(『最新全訳古語辞典』・東京書籍より)++短い夏の夜は、まだ宵のうちだと思っている間に明けてしまったが、これでは西の空に沈む暇もあるまい、いったい月は雲のどのあたりに宿っているのであろうか。++++++++++++++++++++++++++++□□□□□□□【和
32山川(やまがは)に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉(もみぢ)なりけり春道列樹(はるみちのつらき)【出典】『古今和歌集』巻五・秋下・303「志賀の山越にてよめる」++【口語訳】(『最新全訳古語辞典』・東京書籍より)++山あいの谷川に風がかけたしがらみは、流れることができずにとどまっているもみじの落葉だったよ。++++++++++++++++++++++++++++□□□□□□□【和歌コードで読み解いた新訳】□□□□□□□
随心院、醍醐天皇陵と見てきましたが、その近くに「勧修寺」があります。醍醐寺の近くでもあるのですが、「勧修寺」と書いて寺社名では「かじゅうじ」と読みます。地名としては京都市山科区勧修寺(かんしゅうじ)と読むそうです。裏菊紋☝️は何かな?真言宗山科派の大本山の寺院山号は亀甲山、本尊は千手観音開基・醍醐天皇開山住職は承俊皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院昌泰(しょうたい)3年(900年)、醍醐天皇が死去した生母藤原胤子の追善のため、胤子の祖父にあたる宮道弥益の邸宅跡を寺に改め
《新古今和歌集・巻第三・夏歌》189題知らず延喜御歌夏草は茂りにけれど郭公(ほととぎす)などわが宿に一声(ひとこゑ)もせぬ☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず延喜御歌夏草は、もうこのように茂ってしまったけれど、ほととぎすよ。どうして、わたしの家で一声も鳴かないのか。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
早いもので❣️2021年6月も今日まで。6月のことを古い言い方で「みなづき」と言いますね☔️この歌☝️に詠まれている「つごもり」とは、「月末・月の最終日」のことです。…ということで詞書にある「みな月のつごもりの日」は、「6月30日の出来事です」と言っています💠この歌を「和歌コード」で読み解くヒントが詞書にちゃんと示されている🤗💕のデス。『古今和歌集』のこの前の歌ともテーマがつながっていますので、167番、168番と続けて
【藤原胤子(ふじわらのいんし・たねこ)】🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨古典和歌を「和歌コード」に翻訳する時、無視できない要素があります。それは…◉作者のプロフィールや人物背景◉その時代に起こった出来事◉その『和歌集』掲載の前後の歌とのつながりこれらを抜きにしては「和歌コード」に翻訳することができません。…ということで和歌に登場する人物の詳細を見ていこうと思います。🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨『古今和歌集』「夏
『古今和歌集』を「和歌コード」で詠むための資料。夏(4月から6月)に亡くなった人⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️『古今和歌集』の歌を「和歌コード」で読み解くと、亡くなった人に関する思いや、その背景を詠んだものが多く出てきます。『古今和歌集』のまとめかたとして、直訳で見たときに「春夏秋冬別」に分類されています。その「季節」と、「実際に起きた具体的な出来事」が重なるように歌が詠まれています。ですので、「どの時期」に「誰が」「亡くな
愛媛のシンデレラ~玉の輿の日いつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!思いだしたので書いておきます。玉の輿というと、徳川5代将軍である綱吉の母のお玉の方が有名ですが、愛媛県のお作さま(服部氏)もシンデレラストーリーを歩んだ人でした。最初は下級武士である服部幸左衛門の娘で、7歳の時に父と死別していますが、彼女をみそめた松平頼致(大
こんばんは、シミーノです。引き続き、3月25日(日)に京都市の随心院へ拝観した次の話です。「ブログタイトルにあるように勧修寺に行った訳ね」はい。勧修寺は地下鉄東西線小野駅から西に5分くらいの位置にあります。小野駅から東に5分の随心院から10分かけて移動したところですね。「何々…、重要文化財の書院が特別公開か。随心院の時といい、いいタイミングで行けて良かったな」それも、梅や桜の咲く時期に来れて良かったです。「こういう花咲シーズンの歴史的建造物に沿った道を歩くのも素敵なシチュエーションだ
志賀の山越えにてよめる春道列樹山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり〈古今和歌集巻第五秋歌下303〉◇◇◇◇◇【日本古典文学全集(小学館)の訳】◇◇◇◇◇志賀の山越えの道で詠んだ歌春道列樹山中の清流に人間ではなくて自然の「風」がしがらみをかけた。よくよく見たら、流れようにも流れられない紅葉だったのだ。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘【和歌コードで読み解いた新訳】⌘⌘⌘⌘⌘
月のおもしろかりける夜、暁がたによめるふかやぶ夏の夜はまだよひながら明けぬるを雲のいづくに月やどるらむ〈古今和歌集巻第三夏歌〉≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡【日本古典文学全集(小学館)の訳】≡≡≡≡≡≡≡≡≡きれいな月に興をそそられた夜の暁時に詠んだ歌清原深養父今夜はまだ宵の口だと思っていたら、このまま空が明るくなってしまったが、これでは月が西に沈む暇があるまい。進退窮まった月は、どの雲に宿を借りているのだろうか。≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
【平成28年6月3日(金)参拝】最寄駅は京都地下鉄東西線「小野」駅。そこからは西に約1.8km程行った名神高速道路沿い北側に位置しています。贈皇太后藤原胤子小野陵陵形:円丘所在地:京都府京都市山科区勧修寺北大日町100m近い真っ直ぐな参道の向こうには微かに鳥居が確認できる。藤原胤子(ふじわらのいんし/たねこ、生年不詳-寛平8年6月30日(896年8月12日))は、内大臣藤原高藤(藤原北家冬嗣の孫)女。母は宮道列子。第59代