ブログ記事38件
9月下席は、浅草演芸ホールの夜の部のトリをつとめております。昨日は、6日目の公演でした。後半戦がスタートしております!昨日は、久しぶりの「井戸の茶碗」口演。ご来場ありがとうございました!!楽屋で、出番前に、前座さんがネタ帳を持ってきて、「お後お願いします」と来る瞬間のドキドキたるや・・・。その持ってくる帳面を直前で見て、今日のネタ、何が出来るのか?それを考えます。なんせ、昼の部からですから、めちゃくちゃネタ、出まくってます・・・(笑)。日々、そこの合間を見つけて、高座に掛けます。
まだ引越しは終わってませんが…テレビが無い…冷蔵庫も無い…洗濯機も、ガスコンロも無い生活が1ヶ月経ち…今月の電気代の請求はかなり安かった日頃いかに無駄に電気を使う生活をしてるんだな…と実感するけど…まだ真夏じゃなくてよかった…(T_T)引越し疲れから…現実逃避してブログを更新…今日は古い邦楽でも…藤原義江は1920年代に多くの録音をのこしたテノール歌手。義江…という名前から女性かと思うが、男性で父親がスコットランド人のハーフ。ウィキペディアを読むとなかなか興
私の知る藤原あきは国会議員であった晩年の女性であり、藤原義江の妻であったことなど知らなかった。また、自分の金を全て政治に注ぎ込んで身代を潰した藤山愛一郎が藤原あきの従兄弟だとは、ここで初めて知った。藤原あき(wikiより)藤原あき(NHKより)まだ戦争前、家族そろって洋行から帰国した頃(下関市「藤原義江記念館」提供、新潮社Foresight)撮影年不詳だが、義江と結婚できた幸せの頂にいたころ(自著『雨だれのうた』(昭和22=1947=年刊より、新潮社Foresight)参考①灼熱
公演後、鯨づくしをいただきました!「呑」さんにて。小すみ師匠もテンション上がってました(笑)。美味しかったです!!そして、もってこ〜い寄席の好きなところは、楽屋のお昼。やはり、長崎といえば、吉宗さんの茶碗蒸し!!これが楽屋でふんだんにいただけるなんて、幸せです。毎日、楽屋に食べに行きたいくらいです。今年も美味しい長崎、堪能しました!!ごちそうさまでした。【たけ平今日の一曲】〜藤原義江「鉾をおさめて」〜長崎は、鯨文化が古くからあるそうです。縄文時代から捕鯨というものは、1
器楽合奏レッスン。先生が新しい曲を持って来られました。まだスコアで2ページです。曲名も曲そのものも聞いたことがありません。どうやら1935年(昭和10年)くらいの曲らしい。タイトルは【鉾をおさめて】。作曲は中山晋平さん、聞いたことがあるような気もします。作詞は時雨音羽となっています。鉾をおさめて日の丸上げて胸をドンと打ちゃ夜明けの風がそよろそよろと身にしみわたるこんな歌詞です。先生の話によると、捕鯨船が出航する様子を歌っているらしい。歌っているのは、藤原義江さ
1976年に77歳で死去した、オペラ歌手で声楽家の藤原義江さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。藤原さんには、災難、病難、家族縁に注意だが、大成功する。非難や苦労に注意。名誉、利益共に得るが、浮き沈みに注意。波乱に注意。といった暗示があります。引き続き藤原義江さんの出生名、水野義江さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。水野さんには、災難、病難、家族縁に注意だが、才能や知恵がある。友人、知人に恵まれる。発展する。晩年は、補佐役に向く。異性や急変に注意。といった暗示があります。常盤
参考『われらのテナー藤原義江』われらのテナー藤原義江藤原義江は、明治31年(一八九八)、下関市に生まれた。父は貿易商社瓜生商会」の支配人で、英国人のネイル·B·リード。母は琵琶芸者の坂田キ…ameblo.jp『しものせきなつかしの写真集下関市史別巻、藤原義江』われらのテナー藤原義江藤原義江は、明治31年(一八九八)、下関市に生まれた。父は貿易商社瓜生商会の支配人で、英国人のネイル·B·リード。母は琵琶芸者の坂田キク…ameblo.jp旧リンガー邸リードの別邸(水無荘、門司区)
知らない歌だけど状態が良い。きれいな音です。
上野界隈といえば、とんかつ屋さんが花盛りです。今回は、老舗「蓬萊屋」さんです。こちらのとんかつもまた独自のスタイルで、美味しいし、食べやすい!今回もごちそうさまでした~!【たけ平今日の一曲】~藤原義江「鉾をおさめて」~「蓬萊屋」さんは、昭和3年に店を構えたそうです。それまでは屋台営業でした。この年のヒット曲が、今日の一曲です。歌った藤原義江さんといえば、やはり、浅草オペラ!浅草オペラ全盛の大正半ば。田谷力三さんと藤原義江さんは、
リラックスして眠る方法は?からだを温めるミステリー小説の朗読を聴く▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「波浮の港」とらカラNo.564作詞:野口雨情、作曲:中山晋平、唄:佐藤千夜子、カバー:とらじろう昭和3(1928)年5月発売。レーベル:ビクター。佐藤千夜子盤発売2ヶ月後の7月には藤原義江盤を発売。このレコードは2種計で10万枚を売り上げ。日本ビクターではこれを「ビクター初のヒット曲」としている。恥ずかしながら懐かしい昭和の歌を歌っています。よろしかったらお聴きいただけるとうれしいです。↑
記録して置かないと忘れて仕舞うことばかり。5月27日土曜日のラジオ深夜便3時台《にっぽんの歌こころの歌》で佐藤惣之助作品集を聴いていたとき、「藤山一郎先生の《青い背広》って、藤原義江さんのタンゴに似てるな~」と感じたことを、今不図思い出しました。作曲の古賀政男先生は自作を他の楽曲に取り込んだり、古い自作をリサイクルして別の楽曲に仕立て直したりするので、もしや《青い背広》を仕立て直して藤原義江さんに提供したのかも知れない、と思ったのでした。確実に裏が取れた訳ではあり
あなたのお役に立つ発信がしたい❗そんな思いで発信しております。大阪南森町で、40代50代女性のお肌悩み改善のお手伝いをさせて頂いておりますサロンド礼美•エステティシャンの藤原良江です。(^-^)v🎵5月のトリートメントエステが満員になりました。お問い合わせやご予約、そして、ご来店下さり誠にありがとうございます。m(*-ω-)m6月のトリートメントエステはまだ少し空きがございます。空き状況はこちらです。↓『6月トリートメントエステ空き状況❗』あなたのお役に立つ発信が
〇吉屋信子著「私の見た人」昭和54年朝日新聞社刊〇吉屋信子1896-1973新潟市生まれ。父は内務省の役人で地方官吏を勤めていたようです。吉屋信子は小学校前に新潟市で過ごしたようです。先日NHKの番組で日米開戦時の海軍報道班の平出英夫大佐を取り上げた番組で本書の引用があり、ネットで取り寄せて読んでみました。〇三浦環1884-1946声楽家。蝶々夫人の役で欧米のオペラ界から評価された。上野音楽学校、滝廉太郎の門下。●歌劇「お蝶夫人」で世界のプリマドンナとなった三浦環が帰国し
こんばんはヽ(^0^)ノ卯の花の臭う垣根にホトトギス♪は知っていても、うの花がこれだったって知らなかった、、野生ランや山野草の趣味で山歩きしていても、夏は来ぬの歌詞は知っていても、これが卯の花とは、、(^_^;)『夏は来ぬ』(なつはきぬ)佐佐木信綱作詞この作詞家すごいね(≧∇≦)/この歌の時期、ホトトギス鳴くし、五月雨に、ホタル飛ぶし、早苗植えちゃうし、、季節感命中ですよ。ど真ん中に、、水面に浮いてる落下した卯の花が綺麗でした。
先日、寄席の帰りに「昭和レトロな世界展」に行ってきました。↓中に入ると、私の大好きなものばかり!「オール昭和」!!懐かしく、ミルクセーキを飲みました。せっかくなので、昭和の雰囲気で、モノクロにしてみました(笑)↓そして、浅草の洋食・小松亭さんの「洋食弁当」をゲット!ボリューム満点。懐かしくて美味しい!!↓東武池袋で5月24日までだそうです。昭和にタイムスリップしたい方は是非とも!【たけ平今日の一曲】~藤原義江「波浮の港」~
われらのテナー藤原義江藤原義江は、明治31年(一八九八)、下関市に生まれた。父は貿易商社瓜生商会の支配人で、英国人のネイル·B·リード。母は琵琶芸者の坂田キク。義江は、父や瓜生商会の支援でイタリアに音楽留学。のちロンドン公演での歌声が大好評で、デビュー数年で日本人初の「ビクター赤盤芸術家」としてアメリカでレコードを吹込み、世界的な音楽家の名声を得た。「われらのテナー」の愛称で呼ばれ、華々しい音楽家としてプリマドンナに取り囲まれ、華麗な生涯を送った。日本にオペラを根づかせ「藤原歌劇団」を創設
BOOKデータベースより「“歌に生き恋に生き”た世界的に名を馳せたオペラ歌手・藤原義江―。スコットランド人の貿易商を父に、下関の琵琶芸者を母に持った義江の波瀾万丈の生涯を感動的に描いた第104回直木賞受賞作。義江、父リード、母キクそれぞれの“漂泊”の人生、義江と女性たちの華麗な恋の曼陀羅を、同郷人の目で描く。」世界的に名をはせたオペラ歌手というと、○○音楽大学に進み、▲さんに師事して~とかあったり、特に戦前に海外留学したとなると。。。かなりの資金が必要だろうし、勝手に、い
昨日、無事に仕事納めとなりました。今年も各所、ご来場いただき、ありがとうございました来年は1月1日から高座に上がります。今年は、去年より、イベントも少しずつ戻ってきたように思います。テレビでの音楽番組、歌謡ショーの司会、それから、昭和歌謡講座。歌の分野のお仕事も沢山やらせていただきました。そして、落語もコロナ禍、新しいネタを下ろしたりなど、自分の中で充実した1年になったと思います。来年も地噺、人情噺、漫談等、自分が1番輝けるネタを
(その2はこちら)関門人道トンネル下関口の目の前にあるのは、サンデンバスの御裳川(みもすそがわ)バス停です。ただし、唐戸に行く場合は、横断歩道を渡って反対側のバス停に行く必要があります。この道をまっすぐ歩いていくと唐戸に行きます。こちらは、下関戦争で使用された長州砲の模型。こちらは、壇ノ浦の戦いの様子を模した銅像。こちらは源氏の源義経。こちらは、平家の平知盛。こちらは赤間神宮。壇ノ浦の戦いの後入水した安徳天皇が祀られています。
昨日は雨、今朝も真冬のようなグレーな雲行きです。それでもJR防府駅前の桜の木に小さな芽吹きを見つけました。この日は夫と同行の日帰りバス旅行でした。行き先は下関。まず最初は赤間神宮から。源平の壇ノ浦の合戦で二位尼と入水された安徳天皇をお祀りしている神社です。如庵、初めて行きました。その隣には日清講和条約の舞台になった春帆楼があります。清国全権大使李鴻章と日本代表伊藤博文と陸奥宗光の会談があった場所です。いまも春帆楼はふぐ料理などを供する割烹旅館として現存していますが、同じバスの人
♩あっという間の1週間前日記10月29日(金)に藤原歌劇団のオペラ【蝶々夫人】を鑑賞してきました♡藤原歌劇団の創設者藤原義江さんは下関市出身です。ですので。。。大学時代のピアノの師匠のダンナさまは声楽家でいらしたので、〝下関へ、藤原義江記念館に行きたいゎ♡〟と仰っていましたし…教育実習の見廻り教授も、何故かココへ行きたいが為に下関の見廻りにいらっしゃいました……藤原義江記念館構成文化財:藤原義江記念館(旧リンガー邸)|日本遺産関門ノスタルジック海峡北九州
2021.4.1やまぎん資料館の後も下関散策です。①=中国労働金庫下関支店(旧:不動貯金銀行下関支店)=竣工1934年(昭和9年)設計関根要太郎施工籠寅組様式トスカーナ式オーダー不動貯金銀行は1900年(明治33年)に設立された貯蓄銀行で、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)5月に9行の貯蓄銀行が合併して、日本貯蓄銀行となり、1948年(昭和23年)7月に普通銀行に転換し協和銀行となりました。協和銀行は1991年(平成3年)に埼玉銀行と合併してあさひ銀行、後に大
あなたの声は、愛のひびき♡自分の声を愛して歌うだけで人生が大きく好転していきます。繊細さんの歌う心理学、れいらです。(→プロフィール)ブログに来てくださりありがとうございます。童謡界の三大詩人といえば北原白秋、西条八十、そして野口雨情(1882-1945)雨情は、全国をまわりながら各地の民謡を多数創作していました。山田耕筰(1886-1965)の「雨情民謡集」より「捨てた葱」ネギを捨てたりゃしおれて枯れた捨てりゃネ
♪函館の女/北島三郎♪燃える秋/ハイファイセット♪サンタ・マリア/ニュートン・ファミリー♪勇気があれば/西城秀樹♪夜来香/山口淑子♪旅の夜風/霧島昇&ミス・コロンビア♪波浮の港/藤原義江♪月は我が心/テレサ・テン♪ライフ・アンサー/岡田美智子♪俺は待ってるぜ/石原裕次郎♪炎のたからもの'92/大野えり♪安奈/甲斐バンド♪太陽は傷だらけ/ロベール・モノ―楽団
浅草の洋食屋「佐藤」さんに行きましたこじんまりとしたお店ですが、知る人ぞ知る名店ですまずは、「鯨ベーコン」。鯨はくさみがあると敬遠する方もいますが、こちらの鯨ベーコンはこだわりの鯨を使用していて、くさみもなく、美味しくいただけます!!そして、オススメの「タンシチュー」タンの厚みに感激そして、やわらかく、本当においしいです。料亭などに出すタンを使用しているそうです。ごちそうさまでした【たけ平今日の一曲】~藤原義江「鉾をおさめて」~鯨を題材に
瓜生商会の支配人リードが、下関の山荘に住んでいるとき、下関の花街・稲荷町の琵琶芸者・坂田キクと親しくなって藤原義江は誕生する。ところが、キクは義江を連れて逃げるようにして九州、大阪に過ごした。それは、あまりにも不条理な離別問題であった。義江が11歳のとき、キクは手紙をしたためて、義江をリードと会わせるために下関行の汽車に乗せたのだが、リードは受け入れを拒否した。こうした事情は、義江の伝記、或いは古川薫氏の直木賞受賞作品『漂泊者のアリア』に譲るとして、瓜生商会の有山支配人などの周旋で、瓜生寅
1986年初回OAされた『はね駒』の帯放送も先週で終了。出演者名に表記はなかったけれど、最終回にはテーマ音楽の三枝成彰さんとナレーションの細川俊之さんがゲスト出演されてました。もしかして、脚本の寺内小春さんも〜?最終回のサプライズでした。〜〜〜1993年に、NHKホール開館20周年記念ということで、豪華なキャストの音楽劇が制作されました。原作:古川薫脚本:堀越真演出:栗山民也音楽:宮川彬良美術:妹尾河童『漂泊者のアリア』主演:沢田研二NHKホ