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期間:2026/08/05〜08/20※夏!満喫20XXおみくじチケット2026が必要星5武将のみ掲載射)滝川一益:狩人の魔眼射)藤原秀郷:弓矢八幡の武射)卜部季武:万夫不同の勇射)田鶴姫:椿の英姿射)雑賀孫一:建角身の導光射)三条の方:西方の一美人射)山県昌景:初心銘記射)北条氏綱:定礎の英主射)山手殿:婉然たる風采射)内藤昌豊:不争之徳©コーエーテクモゲームス
ダブル台風で雨が続くねぇ今日は実家に帰ってたんですけどね古い木造であっちこっちに隙間があるのでこういう雨の夜にはアイツが侵入してくるのよ…↑『俵藤太秀郷繪巻』より三上山の大ムカデと戦う藤原秀郷の図さすがに実家のムカデはここまで大きくないけどぉでもこんな禍々しい形状の奴にいきなり登場されるとマジでビビるわ😰普段マンション暮らしでムカデに慣れてないモン太どうしていいか分からず右往左往ティッシュで捕まえようとしてもグニャグニャ動いて逃げられちゃうていうかテ
神社検定実施日まであと1か月ほどになりました。この前、私のYouTube動画チャンネルは削除したので、このブログで神社検定の記事を書きたいと思います。それではまず簡単な参級の過去問題を一つ。《問題》松尾芭蕉をはじめ文人や著名人も多く伊勢参宮に向かっています。次の歌は誰が詠んだものとされているでしょうか。何ごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる一遍(いっぺん)本居宣長(もとおりのりなが)折口信夫(おりぐちしのぶ)西行(さいぎょう)『神社のいろは』
今日は久しぶりに宇都宮二荒山神社とその裏手にある百目鬼(どうめき)通りに行って参りました。宇都宮二荒山神社の御祭神は、第10代・崇神天皇の長男である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)相殿:大物主命(大国さま)事代主命(恵比須さま)鯉のぼりもありました他にも境内の摂末社に多くの神様が祀られています。立札を撮ってきました。ブログに書く時、漢字変換に苦労する神様の名前も、ふりがな付きで表記されているから、ありがたい。今度十二社の神々の話を書く時に使わせて頂こう。まさに天の助
私が子供の頃、NHK大河ドラマで平将門が主人公の『風と雲と虹と』が放映されていて、まだ小学生だったので歴史的な事も何もわからず見ていると眠くなったりしながらも、何故かそれが好きでした。特に藤原純友が好きでした。最後の方で将門のさらし首がはるか遠くまで飛んで行ったのは衝撃的でした!それで今、ご先祖様と神様の事を詳しく知りたいと思って平安時代も学び直し『伝説の将軍藤原秀郷』を読んでいたら、平将門が伯父らを討ち、一族の私闘を繰り返したのみならず、国司と地方土豪との紛争の調停に乗り出
江東区亀戸にある香取神社の「勝矢祭」を見学に行きました香取神社は天智天皇4年(665)に藤原鎌足が千葉県の香取神宮の分霊を勧請して創建と伝えられていますご祭神は武功の神さまの経津主神です天慶年間(938~947)に藤原秀郷が平将門討伐の祈願をして戦に勝利し「勝矢」を奉納しています例年5月5日の「こどもの日」に武者行列が行われ武者行列が香取神社に宮入をします近年はスポーツ振興の神様としても人気です鯉のぼりがでています大鳥居勝守ご利益スポーツで勝つ・病気に勝つ・自分に勝つご
2026-04-04SNSアプリで東京で第一の神社がこちらの神社です。平安時代の940年(天慶3年)に藤原秀郷が平将門の乱を鎮圧する際、白狐の神託を受けて創建したと伝わります。都会の中のこじんまりとした神社です。おしゃれ?感じで若い女性の参拝者が多かったです。ひなまつりの御朱印をいただきました。
期間:2026/04/25〜05/08※GW20XXおみくじin2026が必要星5武将のみ掲載射)滝川一益:狩人の魔眼射)藤原秀郷:弓矢八幡の武射)卜部季武:万夫不同の勇射)田鶴姫:椿の英姿射)雑賀孫一:建角身の導光射)三条の方:西方の一美人射)山県昌景:初心銘記射)北条氏綱:定礎の英主射)山手殿:婉然たる風采射)内藤昌豊:不争之徳©コーエーテクモゲームス
夏の北海道から秋の北東北を旅してきた142日間の記録ですもう1年以上も前のことになってて驚きです104/142日目(その5)大阪を出発して104日め原付を積んだ軽バンで離島を含め北海道全域を走って74日目から本州北東北に入り青森秋田ときて今は岩手を徘徊中🚙えさし藤原の郷奥州藤原氏にスポットを当てたテーマパークです。さきほどのみちのく民族村は、移築とかで本物でしたが、こちらは観光色が強いです。入場料1000
須賀神社の境内を見ていきます。まずは、拝殿前から南門へ。南門。外へ出ます。狛犬さん。狛犬さんを過ぎ、右手に手水舎。ここも自動で水が出るシステム。それよりも、上に乗ってる「富士山」が気になってしかたありません。富士山……だと思いますが。地層で地下水が濾過されて清浄な水が出てくるイメージ……なのか?小山朝政の碑(右)・小山義政の碑(左)・七つ石。小山朝政は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。源頼朝に仕えた。小山氏二代当主。小山義政は南北朝時代の武将
篠塚稲荷神社を辞し、次に訪れたのは須賀神社。一の鳥居。参道、長ッ(通算三回目)。「両側に繁るけやき、いちょうの大木、百基の朱色の灯ろうが並ぶ美しい参道」街中を参道が貫通しています。参道とはいえ、ふつうに車道なので、自動車が通ります(最徐行で)。中央での撮影などは危険ですのでおやめください。歩行者はきちんと歩道を歩きましょう。神社とまったく関係ありませんが、きれいに撮れたのでカラスの写真を掲載しておきます。「南南東!南南東!」(幻聴)社頭。社号標。
睦神社は、歴史ある神社。伝説では、平将門が坂東で反乱を起こした際、朝廷側官軍として鎮圧に向かう途中で、陣を構えた場所と言われている。神社は、急峻な丘の上に鎮座していて、高い樹々に囲まれている。りっぱな石の鳥居がある。ここからが神域である。鳥居をくぐると、急な石段が待ち構えている。手摺りはあるがキツイ。階段上から下を見てみた。階段を登ると神輿庫がある。中に納められている神輿神輿庫の隣には拝殿が鎮座している。睦神社の御由緒書き平将門の乱の鎮圧のため、この地に陣を構えた時、藤原秀郷が
延喜八年(えんぎはちねん)秀郷(ひでさと)勢田(せた)の橋(はし)を過(すぐ)る尓(に)龍(りう)婦女(ふぢよ)と化(け)して三上山(みかみやま)の百足(むかで)を亡(ほろは)し給ハ連(れ)と願(ねが)ふよつて秀郷(ひでさと)かの蚣(むかで)を射(い)るすなハち其(その)恩(おん)として龍宮(りうぐう)へ伴(ともな)ひあまたの宝(たから)をおくる龍女田原藤太一勇齋國芳画Wikipediaにあった画像は小さくて詞書が読めませんでした。他のサイトで確認させていただきました。「蚣」は僕の使用し
期間:2025/12/30〜01/14※年末年始おみくじチケット2026が必要星5武将のみ掲載射)滝川一益:狩人の魔眼射)藤原秀郷:弓矢八幡の武射)卜部季武:万夫不同の勇射)田鶴姫:椿の英姿射)雑賀孫一:建角身の導光射)三条の方:西方の一美人射)山県昌景:初心銘記射)北条氏綱:定礎の英主射)山手殿:婉然たる風采射)内藤昌豊:不争之©コーエーテクモゲームス
城峯神社の参拝記その5です。今回は参拝記というより、考察編になります。狼信仰と北辰信仰はワンセットのはず、という確証バイアスに満ちた「こじつけ論法」を駆使しますので、噴飯しながら生温かい目でご覧ください。城峯山頂より下山した私の目にとまったのは、向拝柱に刻まれた文様でした。赤丸で囲ったところです。これ。秩父の神社めぐりの最初の方で見た記憶があるな……。秩父神社の手水舎の柱と同じ模様ですね。並べてみました。同じものです。秩父神社の案内板に名前が書いてありま
城峯神社の参拝記その3です。謎のおじいさんとの邂逅により、境内探索という〝不審な行動〟の出鼻をくじかれた私は、逃げるように神社横の山道を登り始めました。別に悪さをするつもりはなかったのですけどね。「山奥の神社をひとり占め!」とはしゃいでいた胸の内を見透かされた気になり、恥ずかしくなったのでした。クマ注意。目指すは「将門の隠れ岩」。登ります。途中にあった案内板。要点を書き出してみると――。・平将門は謀反をおこし「新皇」を名乗った。・藤原秀郷は将門とのいくさに勝った。
城峯神社の参拝記その2です。境内。社殿の向かって左側に登りの道があり、「将門の隠れ岩」や「天狗岩」「中宮」へ行くことができます。その前に参拝しましょう。鳥居。石灯籠、手水舎。石段の先に社殿。石段の両脇に狛犬さん。狛犬さん(阿形)。阿形。これは狼だよねえ。吽形。金目、牙。肋骨の浮き出ている造形――三峯神社の狼さんも肋骨が浮き出ていたような気がします。狛犬造形界隈には、狼を表現する際の共通の様式みたいなものが存在するのでしょうか?石段の
平将門は多摩地方まで逃げていた平将門は一般的には天慶3年(940)に常陸の国で討伐された、と学校の教科書などで説明されているが、ところがどっこい、多摩地方(東京都)では方々に平将門伝説がある。特に日の出町(東京都)に伝わる勝峰山(かつぼやま)合戦を調べてみると、教科書では教えていないが、確かに平将門は多摩地方に逃亡していたのは間違いないと感じさせるものがある。朝廷方の将軍、藤原秀郷が平将門を追って多摩地方に進軍していたのである。平将門は常陸の国から武蔵国まで逃亡していた藤原秀郷が
「中島与五郎重次の墓」。能済寺に。(静岡県浜松市中央区(旧南区)若林町1881-1)駐車場あり。トイレ・自販機なし。中嶋氏(中島氏)は藤原秀郷流士族でありもともと尾張・三河の出で徳川家康と共に浜松に来て家康に200石を与えられていました。時に武田氏の水軍は遠州灘海上から現れる様になり1576年家康の命で様子を見に舞阪の湊から海に出ました。しかし相良の浦で武田氏の水軍に敗れ白羽の湊から鎧橋まで遺体が運ばれ能済寺に葬られました。墓地の一
今から書くのは9月21、22日に夫と群馬に旅行した記録のうち、22日の記録のはじまりです🎵せっかく赤城山の麓に宿泊したのだから、今日は赤城山の山頂の大沼のほとりにあるという赤城神社まで行ってみよう❗️とチェックアウトの時に夫と私が話していると、お若いお宿の方(おそらく館主の息子さん)が、「三夜沢の赤城神社様にはもう行かれましたか」と私達にお尋ねになったのです。「三夜沢の赤城神社…いいえ、まだ行っていません。」と私達がお答えすると、「大沼にある赤城神社
令和4年(2022年)4月1日歩いた距離約20km前回終了した「高宮町大北」信号交差点から始めます。高宮駅からここまで道を間違えて30分も掛かってしまいました。先が思いやられます。中山道高宮宿は、中山道六十九次(東海道の草津、大津を含む)のうち江戸から六十四番目の宿場町になります。天保14年(1843)の記録によれば、町の南北の長さ七町十六間(約800m)総戸数835軒、人口3,560人、本庄宿に次ぐ中山道第二の大きさで、本陣1、脇本陣2、旅籠数23などの施設を持つ宿場でした。ま
ちょこちょこと国内旅行をして、そのことをアップしていますが・・・あっちこっちに書き散らして、系統だった書き方をしていませんでしたので、それを旅毎に纏めたのが「公紀行」です。でも、最近旅をしてなく・・・このブログ以前に行った場所の画像がありましたので、「公紀行」過去編としてご紹介しようと思います。今回は、2012年に数度訪れた栃木県佐野市です。実際に回った順番は忘れてしまいましたので、順不同のご紹介になります。惣宗寺・・・いわゆる佐野厄除け大師です。もともとは藤
俳優の露口茂さんが亡くなられたとのこと。引退されてるという噂もあったのでどうされたかと思ってました。昭和40年生まれのおっさんとしては、何と言っても「太陽にほえろ!」の山村刑事です。ですがあえて思い出すのは、大河ドラマ「風と雲と虹と(1976年)」の藤原秀郷役。私の大好きな大河ドラマベスト3に入る名作です。主役は平将門(加藤剛さん)なのですが、露口さん演じる藤原秀郷は、関東での独立王国を築こうとする将門を追討する役。最終回では秀郷自身の弓矢で、将門を討ち取ります。あっ!当時小学生
瀬田の唐橋。京からこれやこの行くも帰るも分かれつつ知るも知らぬも逢坂の関の逢坂を越えて、西へ向かうと瀬田川。唐橋(勢多の長橋)は、勢田川を渡る唯一の橋でした。壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、建武の乱等、この橋を舞台に多くの戦いが行われています。鎮座地:大津市瀬田2丁目1-9渡ってすぐ右に折れると、竜王宮秀郷社の参道です。右に手水舎。奉納年月不明の狛犬、平成期以降と思われます。ーーーーー
こんにちはココロカラダハッピーLABOまこです日光東照宮の翌日平将門さんの首塚に行かせて頂こうと思っていたのですが朝目覚めてふとお布団の中で浮かんできたことは首塚ではなく「神田明神」でした。まったく下調べもせずとりあえず行ってみることに。するとHome|江戸総鎮守神田明神神田神社(神田明神)は、東京都千代田区外神田二丁目に鎮座し、2年に一度神田祭を斎行しています。神田、日本橋(日本橋川以北)、秋葉原
読者のみなさま、おこんばんわm(__)m本日もご訪問ありがとうございます。たった一度で一生開運神仏融合アチューメント4,000名以上の実績逢うだけで運気爆上げ代表競泳選手専任ヒーラー神仏融合師坂田暢悠(skipper)ですこれまでのラジオ放送はプロフイール欄最下部より昔の盛り上がりは今はコチラリアルタイム更新facebookお友達申請待ってまーすおばんでやんす。言ってもしゃーねーけどさー今日もあちかったね夏至&冬至の代理祈願
読者のみなさま、おこんばんわm(__)m本日もご訪問ありがとうございます。たった一度で一生開運神仏融合アチューメント4,000名以上の実績逢うだけで運気爆上げ代表競泳選手専任ヒーラー神仏融合師坂田暢悠(skipper)ですこれまでのラジオ放送はプロフイール欄最下部より昔の盛り上がりは今はコチラリアルタイム更新facebookお友達申請待ってまーすおばんでやんす。毎日猛暑でやんす。エアコンから離いらいない・・・夏至&冬至の代理
さて、本堂から行きましょう。豊臣秀頼さん寄進。国宝金堂ですか。ご本尊は近江京を作ろうとされた天智天皇の御持仏ですか。これはすごい。弥勒さん。建物は1599年といいますから関ヶ原の前年ですね、に完成。日本史の生き証人のような寺院ですね。いかつい石垣相変わらず。こちら側がより中心なので高く堅固ですねえ下段へ下り切った所にありました。こんなん、城ですやん。仁
(前回からの続き)磯山弁財天・涌釜神社・出流原弁天池をあとにして、一瓶塚稲荷神社へ。一瓶塚稲荷神社は、名前だけは以前から知っていたものの、正直に告白すれば、所在地すら気にかけていないありさまでした。この度、佐野市に目を向けたのは、藤原秀郷公の本拠地であるからで、神社の由緒などに目を通すだけでも将門研究に資するところがあるのでは、という目論見があったからでした。今回の神社めぐりは、門田稲荷神社へのお礼参りが主目的でしたが、足利市へ行くためには佐野市を通過します。ならば、帰路、佐野市を探索す
(前回からの続き)樺崎八幡宮をあとにし、佐野市へ向かいました。目的地は、名水百選にえらばれている出流原弁天池と、すぐそばの磯山弁財天。参拝者用の駐車場に車をとめ、まずは磯山弁財天から見学します。門前。風鈴が涼やかな風情をかもしています(熱中症警戒アラート発令中)。山門。山門(別角度)。山門をくぐり見上げると、山腹に朱塗りのお堂が見えます。あそこが目的地です。大蛇が睥睨していました。左手に弁天様と風穴洞。風穴って、これかな?手をかざして