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(秋田・青森2026_①から続く)『【秋田・青森2026】①_窮屈過ぎる旅立ち』【2026年3月13日】午後11時の埼玉・大宮駅付近。今回は、こちらから夜行バスに乗り、秋田県まで遠征です。180センチ台の身長、3ケタの体重、そして…ameblo.jp【2026年3月14日】夜行バスに乗って訪れた、13年ぶりの秋田県。朝の6:30ごろに秋田駅に到着して、一休みする暇もなく、6:43分発のJR奥羽本線に乗車して、この日最初の目的地へと向かいました。私ともう一人し
横手市は秋田県県南で最も栄えているところでほぼ毎日通っている。イオンが2店舗あり、ドンキホーテ、DCMもあり今月末にはコメリのパワー横手店が開店する。食べるのも全国チェーン店の出店が秋田市の次に多く、𠮷野家、丸亀製麺、マクドナルドの路面店、びっくりドンキー、Cocos、コメダ珈琲があり2月末には松屋と松の屋が開店する。地形としても珍しくて、南側から西側にかけて溜池が数多くある。横手市の辺りになると秋田県の最大の川である雄物川が相当西側に流れている。雄物川の支流である横手川も北東から北に流れてい
中(ちゅう)尊(そん)寺(じ)建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)願(がん)文(もん)⑩中尊寺建立供養願文(顯家本奥書)部分「顕家本奥書」件(くだん)の願文(がんもん)は、右(う)京(きょう)大(のだ)夫(いぶ)敦(あつ)光(みつ)朝臣(あそん)之(これ)を草(そう)し、中(ちゅう)納(な)言(ごん)朝(とも)隆(たか)卿(きょう)之(これ)を書(しょ)す而(しか)るに不(ふ)慮(りょ)の事(こと)有(あ)り紛失(ふんしつ)の儀(ぎ)に及(およ)ぶ正(しょう)文(もん
中(ちゅう)尊(そん)寺(じ)建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)願(がん)文(もん)⑨中尊寺建立供養願文(顯家本)部分寶(ほう)暦(れき)三(さん)年(ねん)青(せい)陽(よう)三(さん)月(げつ)曜(よう)宿(しゅく)相(そう)應(おう)し支(し)干(かん)皆(みな)吉(きち)たり一(いっ)千(せん)五(ご)百(ひゃく)餘(よ)口(こう)の僧(そう)を延(えん)屈(くつ)し八(はち)萬(まん)十(じゅう)二(に)の一(いっ)切(さい)経(きょう)を讚(さん)揚(
中(ちゅう)尊(そん)寺(じ)建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)願(がん)文(もん)⑧中尊寺建立供養願文(顯家本)部分其(そ)の全(ぜん)分(ぶん)を捧(ささ)げて禪(ぜん)定(じょう)法(ほう)皇(おう)を祈(いの)り奉(たてまつ)る蓬(ほう)莱(らい)殿(てん)上(じょう)日月(じつげつ)の影(かげ)は鎭(しず)かに遅(おそ)く功(く)徳(どく)林(りん)中(じゅう)霧(む)露(ろ)の氣(き)長(なが)く槁(か)る金(きん)輪(りん)聖(じょう)主(しゅ)の
中(ちゅう)尊(そん)寺(じ)建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)願(がん)文(もん)⑦中尊寺建立供養願文(顯家本)部分その報謝(ほうしゃ)を憶(おも)うに修(しゅ)善(ぜん)に如(しか)ず是(ここ)を以(もっ)て貢(こう)職(しき)の羨(せん)餘(よ)を調(ととの)え財(ざい)幣(へい)の涓(けん)露(ろ)を抛(なげう)ち吉(きっ)土(ど)を占(うらな)って堂塔(どうとう)を建(た)て眞(しん)金(きん)を冶(と)いて佛(ぶつ)経(きょう)を顯(あら)わす
中(ちゅう)尊(そん)寺(じ)建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)願(がん)文(もん)⑥中尊寺建立供養願文(顯家本)部分以(い)前(ぜん)の善(ぜん)根(こん)旨(しい)趣(しゅ)は偏(ひとえ)に鎮(ちん)護(ご)國(こっ)家(か)の奉(おん)為(ため)なり所以(ゆえん)は何(いか)ん弟(てい)子(し)は東(とう)夷(い)の遠(おん)酋(しゅう)なり生(う)まれて聖(せい)代(だい)の征(せい)戦(せん)無(な)きに逢(あ)い長(ちょう)じて明(めい)時(じ)の仁
中(ちゅう)尊(そん)寺(じ)建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)願(がん)文(もん)⑤中尊寺建立供養願文(顯家本)部分千(せん)部(ぶ)の法(ほ)華(け)經(きょう)千(せん)口(く)の持(じ)經(きょう)者(しゃ)右(みぎ)弟(てい)子(し)は志(こころざし)を運(はこ)び多(た)年(ねん)これを書(しょ)寫(しゃ)す僧侶(そうりょ)は同音(どうおん)に一日(いちじつ)これを転読(てんどく)す一(いっ)口(く)に一(いち)部(ぶ)を充(あ)て千(せん)口
中(ちゅう)尊(そん)寺(じ)建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)願(がん)文(もん)④中尊寺建立供養願文(顯家本)部分大(だい)門(もん)三(さん)宇(う)築(つい)垣(がき)三(さん)面(めん)反橋(そりばし)一(いち)道(どう)廿(にじゅう)一(いっ)間(けん)斜(ななめ)橋(ばし)一(いち)道(どう)十(じっ)間(けん)龍(りょう)頭(とう)鷁(げき)首(す)の畫(が)船(せん)二(に)隻(そう)左(さ)右(ゆう)楽(がっ)器(き)大(おお
中(ちゅう)尊(そん)寺(じ)建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)願(がん)文(もん)③中尊寺建立供養願文(顯家本)部分二(に)階(かい)の鐘(しょう)樓(ろう)一(いち)宇(う)廿(にじっ)鈞(きん)の洪(こう)鐘(しょう)一(いっ)口(こう)を懸(か)く右(みぎ)一(いっ)音(とん)の覃(およ)ぶ所(ところ)千(せん)界(がい)を限(かぎ)らず抜(ばっ)苦(く)与(よ)楽(らく)普(あま)ねく皆(みな)平(びょう)等(どう)なり官(かん)軍(ぐん)夷(い)
中(ちゅう)尊(そん)寺(じ)建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)願(がん)文(もん)②中尊寺建立供養願文(顯家本)部分二(に)階(かい)瓦(かわら)葺(ぶき)の經(きょう)蔵(ぞう)一(いち)宇(う)納(おさ)め奉(たてまつ)る金(きん)銀(ぎん)泥(でい)一(いっ)切(さい)經(きょう)一(いち)部(ぶ))安(あん)置(ち)し奉(たてまつ)る等(とう)身(しん)皆(かい)金(こん)色(じき)の文(もん)殊(じゅ)師(し)利(り)尊(そん)像(ぞう)一(いっ)躰
中(ちゅう)尊(そん)寺(じ)建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)願(がん)文(もん)①中尊寺建立供養願文(顯家本)部分敬(うやま)って白(もう)す建(こん)立(りゅう)供(く)養(よう)し奉(たてまつ)る鎮(ちん)護(ご)國(こっ)家(か)大(だい)伽(が)藍(らん)一(いっ)區(く)の事(こと)三(み)間(ま)四(し)面(めん)檜(ひ)皮(わだ)葺(ぶき)堂(どう)一(いち)宇(う)左(さ)右(ゆう)の廊(ろう)廿(にじゅう)二(に)間(けん)在(あ)り莊(しょう)
供養願文の伽藍跡に比定される「大池伽藍跡」天治3年(大治元・1126)3月24日、藤原(ふじわらの)清衡(きよひら)公はその生涯の全分(ぜんぶん)を捧げて中尊寺山内の南(みなみ)谷(だに)に一区を設け、鎮(ちん)護(ご)国(こっ)家(か)大(だい)伽(が)藍(らん)を造営しました。過去の冤(えん)霊(れい)を平等に供養し、迷いの現世に仏土を築き、未来世に限りない利益が及ぶことを祈りました。金(きん)銀(ぎん)和(わ)光(こう)の願いは恩讐を越え、みちのくに100年の平和を築きました。
令和7年6月半ば、鎌倉歴史文化交流での特別展、「平泉から鎌倉へ〜兵どもが夢の先〜」へ。(※『兵』と書いて『つわもの』と読む。)館内では、“撮影禁止マーク”の無い物ならば撮影OK!こちら、安倍氏の時代に建てられたという、長者ヶ原廃寺跡について。↓↓↓長者ヶ原廃寺跡からの出土品。土師器(はじき)?11世紀前半頃の物と言われている。↓↓↓ここからは、奥州藤原氏について。初代・藤原清衡。↓↓↓安倍氏と清原氏の関係図。安倍頼時の娘と、前九年の役で安倍氏側に付いて敗死した在
さて、「烈女と呼ばれた女性」山口不二の話が終わり、今度は何をお伝えしていこうかと考えたんですが、私が尊敬する方から勧められた本で勉強したので、たまには、こんな歴史的観点からの話なんてどうかと思いまして、今回は・・・・刀鍛冶に焦点をあててみたいと思います。刀鍛冶と言えば武士には欠かせない存在です。どれだけ良い刀工を持つかで戦などの結果を左右しかねなかった存在と言えるでしょう。各大名にしろ時の権力者は、必ずお抱えの刀工を持ったものです。我が信州にも刀工一門がいたようであります。その一門は「丸
「前九年の役、後三年の役」というとはるか昔の記憶を辿って・・・確か日本史の教科書で出てきたけどあんまりよくわからなく(そして先生もあんまり詳しく解説しなかった気がする)テスト用に名前だけ覚えていた記憶しかありません。この本を読んでやっと、そういうことだったのかと理解したのでした。これって、天皇を中心としたいわゆる中央の歴史からみたら賊の反乱で、めでたく鎮圧しましたーみたいな扱いですけど、現地の民族にとっては朝廷の横暴というか力による征服の歴史なのでは・・・平和に暮らしていたの
七月十六日、水曜日です。ちなみにこの記事は前日の昼に書いてあります。書き溜めが無いから焦ってる所存…。今日のお題。・藤原清衡。・本多重次。【藤原清衡。】大治三年(一一二八)の今日、藤原清衡が死去しました。平泉藤原氏の始祖ですね。天喜四年(一〇五六)に藤原経清の子として誕生。母は、安倍頼時の女子です。経清は前九年合戦によって処刑。安倍氏は滅亡。母が、清原武貞へ再婚したことによって、清原清衡と名乗りました。その後、家衡が誕生します。清衡から見れば、異父同母の弟です。清衡には、兄に
語り部アロマが紡ぐ「やまと語り十二」聞いていかれませんか。藤原氏が衰えると、武士の勢が盛んになってきました。武士は身分が低くても真面目で勇気もあり、よいと思ったことは必ず実行する力を持っていました。朝廷では地方に乱が起こると、武士にこれをお鎮めさせになり、その手柄が重なるにつれて重くお用いになりました。こうして名をあらわしたのは東国の源氏です。東国といえば防人などを出して、古くから武勇に優れた土地でした。広々とした野原や、良馬を産する牧場が多いため武士が武芸を練るのに都合の良い場
あなたの地元のご当地キャラは?▼本日限定!ブログスタンプ本日は一般社団法人日本御当地キャラクター協会様が設定された御当地キャラの日らしいのですがひこにゃんやふなっしーは協会に入ってたけどくまモンやせんとくんやねば~る君は入っていませんでした実は当県岩手県のご当地キャラがにわかには思い浮かばなかったので協会のホームページに探しに行って知った次第です興味津々で各県ごとの御当地キャラクターをいろいろ見てみたのですが95%は初めましての御当地キャラクターでした御当地キャラクター協会に
新しい奥州のリーダー「私は俘囚の上頭を務めるものだ」───藤原清衡藤原清衡は、東北を蝦夷の手に取り戻した武将だ。清衡の父は蝦夷に味方し、源氏と戦った。その際源氏は、わざと切れ味の悪い刀で父の首を切った。さらに二十年後、蝦夷同士の内紛には清衡も戦いに巻き込まれた。清衡は義家とともに蝦夷を支配するための兵を上げる混乱する東北を見て、源義家は戦乱に乱れた東北をわがものにするため、陸奥守に就任した。源氏が介入した東北で、清衡はなんと、義家の側について内紛で
3月15日から鎌倉歴史文化交流館の企画展「平泉から鎌倉へー兵どもが夢の先ー」が始まりました。奥州平泉は、奥州藤原氏三代(藤原清衡・基衡・秀衡)が築いた黄金の都。『吾妻鏡』によると・・・初代清衡は、継父・清原武貞(鎮守府将軍の清原武則の子)亡き後、奥六郡(伊澤、和賀、江刺、稗貫、志波、岩井)を伝領し、嘉保年中(1094-1095)頃に江刺郡豊田館を平泉に移して宿館としました。柳之御所跡柳之御所遺跡は、『吾妻鏡』に記された平泉館の跡と考えられています。☆☆☆☆☆中尊寺中尊寺は
金色堂について│中尊寺を知る│関山中尊寺[岩手県平泉天台宗東北大本山]金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。www.chusonji.or.jp⤴️中の金色堂の写真が見れます(canseetheinside,GoldenKonjikido’
(今日も長いですよ…😅)今日は一日、クルマを自由に使える日…😂オトナの自由研究の日です…❗🤣比較的早起きして、まず着いたのは…江刺にある、藤原経清が住んでて藤原清衡が生まれ育ったとこ…跡❗😆実は以前、仕事でよく通ってたとこ…😳ぜんっぜん…興味なかったので、知りませんでした…😅「とよたのたち」と言うのだそうですが、「とよたかん」って、読んでたし…😂白に白…なんて、斬新❗😂登ってみます…😳館なんて、どこにもないように見えるでしょ…😁推定復元された館が「えさし藤原の郷
貴女だけの美しさと輝きを引き出すイメージコンサルタントすきた美奈子です・貴女が美しく輝く色合い・貴女が美しく輝くファッション・貴女が美しく輝く立ち居振る舞いそして、最も大切なことは貴女のお心が幸せで美しく輝いていること『内面の美しさから外見の美しさへと輝きを増す』このブログが、貴女のお役に立ちますようにかねてより行きたいと思っていた岩手県の中尊寺・金色堂(国宝)に行ってきました世界遺産にも登録されていますね☆彡左の建物の中に金色堂が保存されています
岩手県漫遊2日目。水沢から向かったのは以前から気になっていた歴史テーマパーク。<旅の行程>1日目:平泉→前沢→水沢2日目:水沢→江刺→金ケ崎→台温泉3日目:遠野4日目:遠野→花巻水沢からバスで20分程の江刺バスセンターに向かい、そこからタクシーで5分。アクセスが難…開園間もない9:30に到着です。◆歴史公園えさし藤原の郷◆*入場料金¥1,000奥州藤原氏の祖先・藤原清経と奥州藤原氏初代・藤原清衡が館を構えた豊田館跡に、平成5年(1993)に開園
11/中旬、岩手県を旅してきました。5年振りの岩手。<旅の行程>1日目:平泉→前沢→水沢2日目:水沢→江刺→金ケ崎→台温泉3日目:遠野4日目:遠野→花巻最初に訪れたのは、私の漫遊の原点でもある平泉。(7年振り4度目)16年前、人生最高の紅葉に感動した平泉。今回はどんな風景に出会えるか…期待に胸を膨らませて。9時過ぎに平泉駅到着です。澄んだ晩秋の空気の中、街道をゆきます。◆中尊寺◆(国指定特別史跡・世界遺産)平日のこの時間、参拝客も
さてさて♪中尊寺といえば❗️『金色堂』ですよね✨もちろん拝観しましたです👀『中尊寺金色堂』奥州藤原氏の初代「藤原清衡」か天治元年(1124)に建立した仏堂で、平等院鳳凰堂とともに平安時代の浄土教建築の代表例であり、国宝に指定されています。約30年ぶりの金色堂は、やはり変わりなく素晴らしかったです✨須弥壇内には藤原清衡・基衡・秀衡の御神体化した遺体泰衡の首級が納められています。金色堂には中央壇・左壇・右壇の3つの須弥壇があり、各壇に一体ずつの遺体を安置します。定説では中央壇
突然ですが先週末に岩手へ行って来まして、今日からそちらをご紹介していきます✨埼玉や京都など、ブログ記事が行ったり来たりして、順番も前後していて申し訳ないです💦訪れたのは世界文化遺産『中尊寺』でございます✨今回の旅は占い師友の「福告」さんとご一緒しています💖新幹線で一ノ関まで移動し、東北本線で一ノ関から平泉へ。そこからはバスを利用しました。☆武蔵坊弁慶大墓碑文治5年(1189)、源義経の居城の高館が焼打ちされると、弁慶は最後まで主君を守り、遂に衣川で立往生しました。遺骸はこの地に葬
福島県いわき市にある国宝『白水阿弥陀堂』永暦元年(1160年)藤原清衡の娘「徳姫」が、夫・岩城則道公の供養のために建立したといわれている平安時代末期の阿弥陀堂本尊阿弥陀如来像をはじめ、国指定重要文化財の仏像五体が安置されていますいずれも建立当時のままの姿です浄土式庭園は四季折々の美しさがあり、特に秋の紅葉は格別🍁🍁🍁そろそろ色づき始め、日当たりの良い場所は赤色が濃くなってきてます11月にはライトアップされる予定日本夜景遺産にも指定されました