ブログ記事89件
以下、『大鏡』(『新編日本古典文学全集34』、橘健二/加藤静子:校注・訳、小学館、1996年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー左大臣[さだいじん]時平[ときひら]p.73〜74〔43〕菅原道真と朝政を執る道真の左遷このおとどは基経のおとどの太郎なり。御母、四品弾正尹[しほんだんじやうのゐん]人康[さねやす]親王の御女なり。醍醐[だいご]の帝の御時、このおとど、左大臣の位[くらゐ]にて年いと若くておはします。菅原[すがはら]のおとど右大臣の位にてお
学問の神様といて今でも崇められる、菅原道真公。845(承和12)年、祖父・父ともに学者だった中流貴族の家に生まれた彼は幼少の頃より詩歌に才能を見せ、18歳で文章生、23歳で早くも正六位下に叙せられ、その後もトントン拍子で出世を重ねました。更に宇多天皇・醍醐天皇に重用され、家の格を遥かに飛び越えた右大臣にまで上り詰めたのです。しかし急な出世をやっかむ人間は、いつの時代にもいます。左大臣・藤原時平も、その1人でした。彼はライバルの道真公を追い落とすべく、「あやつは政治を私物化し貴方様
ついに梅の花が咲きましたよ。寒い中、しっかと花びらを開いております。綺麗な中にも力強さがあります。二日前はつぼみだったのに・・・早いものです。「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」京都の藤原時平を恨んでいるのでしょうか。忘れぬうちに太宰府に行かねば。今年も良いことがきっとあるでしょう。現在、吉村整形外科クリニックでは看護師、医療事務、理学療法士を募集しています。こんなにも梅の花が好きな京都大学医学部出身の院長のもとで働いてみ
やっと九州神社巡りの再開です。この日は朝一番に太宰府天満宮さん!2回目の参拝です。朝8時、開いたばかりの太宰府駐車センターに車を停めて、なんと一番乗りでした〜!😳まだシャッターが降りている商店前の表参道を天満宮へ向かいます。お天気は薄曇り☁️太宰府天満宮には昔々、博多どんたくの時に九州大学の大学院にいた友人に連れられ初めて参拝したことがあるのですが、当時の私にとってほとんど太宰府天満宮の記憶がありません。お饅頭を食べたことくらいかな……。なので、ほと
【902年】延喜の荘園整理令って何?〜平安朝廷が挑んだ「土地バスター作戦」〜🏯権力の構図〜寛平の治と藤原氏〜9世紀末、宇多天皇は「摂関なしで自分で政治やる!」と寛平の治をスタート。これは藤原氏のパワーを抑え込む一時的な成功でした。しかし、醍醐天皇の時代になると藤原時平が中心へ。天皇と藤原氏のバランスゲームが始まります。📜延喜の荘園整理令とは?902年、醍醐天皇と藤原時平が出した命令が延喜の荘園整理令。目的①:勝手に作った荘園を取り締まり、国の土地に戻す。目的②:地方役人
巳2025🐍108⛩️🎏‼️2025年04月27日(日)⛩️🎏‼️この日は⛩️🚘‼️船橋市の御朱印巡り⛩️🚘‼️まずは⛩️🚘‼️全国でも数少ない⛩️🎏‼️藤原時平公を祭る⛩️🎏‼️歴史ある神社⛩️🎏‼️二宮神社を参拝⛩️🎏‼️限定を含む⛩️🎏‼️御朱印二種を拝受しました⛩️🎏‼️⛩️🎏二宮神社🎏⛩️公式ホームページはコチラです‼️千葉三山に鎮座する延喜式内社御朱印・安産祈願|【公式】二宮神社千葉県船橋市三山に鎮座する「二宮神社」公式サイトです。平安時代初期の創建と伝え
ゴロゴロ、ビカビカ・・・これが好きな人は殆どいないと思いますが、今日・6月26日は〝雷〟記念日なのだそうです。由来は、今から1095年前の今日・930(延長8)年6月26日、宮中に大きな落雷があり7名の死者を出したこと。その年平安京は干ばつに見舞われていたため、この日は雨乞いの祈祷を実施するか否かを詮議するべく、醍醐天皇列席のもと太政官の会議が予定されていました。ところが昼過ぎ、一転にわかに黒雲が空を覆ったかと思うと、猛烈な雷雨に。そして豪雨が1時間半ほど続いたとこ
今月も二宮神社へ月参りに行きました。最近、ふと思うのが”月替り御朱印を頂きたい<参拝したい”こんな感じになっていることを。あまり意識したことはなかったけど私にとって、いわゆる「崇敬神社」という存在なのでしょうね。前日は雨模様で、この日は曇り空。参拝客もひっきりなしで、御朱印も順番待ちの状態でした。先に御朱印の受付を済ませてから、隣の醫王山神宮寺の薬師瑠璃光如来様へ月参りに行きます。参拝時に他の参拝者にお会いしたことがありませんが、ゆっくり落ち着いて参拝出来る
今月は普段より早いですが参拝してきました。今日はお宮参り?でしょうか、赤ちゃん連れの参拝者がたくさんいらっしゃいました。今日はいつもと違うアングルで写してみました子供の日が近いからでしょうか?たくさんの大きな鯉のぼりが。。。※奥に見えるのが次の画像の薬師瑠璃光如来堂です。まずは、向かいの神宮寺の薬師瑠璃光如来様へこれまでのご加護のお礼と引き続きご加護を頂ける様、祈願しました。二宮神社へ戻り、手水舎を経て拝殿にてご挨拶。御朱印のお願いをしてから、毎月おなじみのおみくじを
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。奇異ワード72と884は惹かれ合う-43"白帯"の続きです。「一本釣り」のゴールの「八千代市」の歴史を辿ってみることにする。72と884は惹かれ合う-42"K間"「八千代市」は、「チーバくん」の口角の辺りに位置している。ちなみにイメージキャラクターは「やっち」です。八千代市-ほどよし。やちよし。八千代市Wikipedia旧石器時代の遺跡が残されており、約3万年前からこの地に人が住んでいたとされる。菅原道真の
ヨーロッパをはじめとして世界のなかには死刑制度を廃止する国もちらほらでてくるようになりました。日本や中国、アメリカといった国では依然として死刑という刑罰は存在していますね。みなさんは、死刑についてどのようにお考えでしょうか。死刑というのは残酷な刑罰でもあり、また、冤罪の場合には取り返しがつかないことになる、といった理由から死刑制度に反対する人もそれなりにいます。いっぽうでは、死刑を廃止してしまうと凶悪な犯罪が増えるかもしれない、また、それだけ
福岡・太宰府天満宮の「梅の使節」から紅白2種類の梅の盆栽を贈られた石破首相(中央)=14日午後、首相官邸©共同通信👆5人1&4&5=10(55)(11×5)👆5枚の花びら先端が丸い花柄(かへい)が短い香りがある太宰府天満宮の飛梅が開花石破総理の元にも届く2025/02/14福岡県太宰府市の太宰府天満宮で14日、ご神木の「飛梅(とびうめ)」が開花しました。ことしに入って寒波が続き、去年の1月12日より1か月以上遅い開花です。
菊田神社(習志野市)の御朱印です。2回目狛犬の御朱印(見開き)御祭神・大己貴大神、藤原時平命創建・弘仁年間(810ー824)旧村社
しかし、925年(延長三年)、慶頼王は、即位する事なく、死去した。更に、藤原保忠の父の藤原時平は、既に早逝していたため、藤原氏の嫡流は、叔父の藤原忠平に移っていた。930年(延長八年)、藤原保忠が、正三位、大納言に昇進した際、既に41歳になっており、大納言昇進時の年齢は、従兄弟の実頼の40歳、師輔の35歳に比べて、遅れている。藤原保忠は、生涯の大半を、父の藤原時平に讒言されて、大宰帥に左遷された、菅原道真の怨霊に怯えながら、過ごしたとされる。藤原保忠は、936年(承平六年)の7
藤原基経の次男、藤原仲平は、875年(貞観十七年)、兄の時平と同じく、人康親王女を母に生まれた。時平と同様に殿上童を勤め、正五位下に叙された後、890年(寛平二年)に、宇多天皇の加冠により、殿上で元服し、右衛門佐に任ぜられた。近衛少将・中将を務めると同時に、中宮大夫を兼ねて、皇太夫人・藤原温子にも仕えた。藤原仲平は、894年(寛平六年)、従四位下に昇叙されている。900年(昌泰三年)には、従四位下に昇進したばかりの5歳下の弟、藤原忠平が、21歳で、参議に抜擢されて、公卿昇進に際
醍醐天皇は、摂関を置かず、また、延喜格式が編纂されるなど、後世の人々は、天皇親政の理想の政治が行われた治世と評価され、「延喜の治」と呼ばれた。しかし、実際に政治を主導したのは、太政官筆頭の左大臣、藤原時平であった。藤原時平は、菅原道真の追放後、意欲的に政治改革に着手したが、909年(延喜九年)、39歳の若さで、死去する。藤原時平は、若くして、死去し、天皇との外戚関係が無かったために、摂関の地位には、付かなかったが、前述の通り、妹の藤原穏子を醍醐天皇の中宮としている。醍醐天皇には
宇多上皇の側近集団対して、藤原時平、大納言の源光等の上級貴族のみならず、藤原清貫、藤原菅根、三善清行等の中下級貴族を含めた、激しい反発があったされる。大納言の源光は、仁明天皇の皇子で、臣籍降下した、第三源氏である。藤原清貫及び、藤原菅根は、藤原南家の出身であり、三善清行は、前述の通り、菅原道真に引退を勧めた、文章博士である。宇多上皇は、醍醐天皇の即位当時、仁明天皇の嫡流の子孫、陽成天皇の皇子、元良親王を皇位継承者に擁立する動きに強い警戒感を抱いていたため、自分の同母妹の為子内親王を
893年(寛平五年)2月16日、菅原道真は、参議兼式部大輔に任ぜられ、公卿に列し、2月22日には左大弁を兼務した。4月2日、敦仁親王が、皇太子となったが、宇多天皇が、敦仁親王を立太子しようとした際、相談した相手は、道真一人であったされる。敦仁親王の立太子に伴い、菅原道真は、春宮亮を兼ねることになった。894年(寛平六年)に、菅原道真は、遣唐大使に任ぜられる。しかし、菅原道真は、唐の混乱を踏まえて、遣使の再検討を求める、建議を提出したが、最終的に検討されず、道真は、遣唐大使の職の
藤原時平は、871年(貞観十三年)、藤原基経の長男として、生まれた。父の藤原基経は、光孝天皇を擁立し、太政大臣として、絶大な権力を有していた。光孝天皇は、常に基経の意を汲んでいた。藤原時平は、886年(仁和二年)、16歳で元服する。時平の元服式は、内裏の仁寿殿で行われ、正五位下が授けられた。その際の告文は、文章博士の参議・橘広相が起草し、光孝天皇が、自身、清書した。更に、光孝天皇は、自身、時平の加冠の役を果たした上に、時平が、儀式の際に用いた、冠巾は、天皇の衣服であった
橘広相は、橘氏長者で、藤原基経の養父、藤原良房と近い関係にあった。貞明親王、即ち、陽成天皇の東宮学士で、陽成天皇の即位と共に、正五位上に叙せられる。更に、同年中には、従四位下・蔵人頭と急速に昇進を果たす。しかし、橘広相は、879年(元慶三年)、蔵人頭を2年半程度で、辞任する。当時は、藤原基経と親しい関係にあった。橘広相は、884年(元慶八年)2月の光孝天皇即位後、従四位上に叙せられる。橘広相は、879年(元慶三年)以来、唯一、文章博士を務めていた、菅原道真の欠員補充の要
源氏物語の主人公は「光源氏」として知られていますが、周知のとおり、これは「光り輝く源氏の君」という意味であり、そこでいう「光」は形容詞であって、実名ではありません。つまり、源氏物語の主人公のフルネームは「源光(みなもとのひかる)」ではありません。これに対し、平安時代に「源光」という名の人物が実在しました。この人物は仁明天皇の皇子として承和12年(845年)に生を受けますが、母の身分が低かった(尊卑分脈、公卿補任、本朝皇胤紹運録のいずれにも生母の記載がない)ため、源姓を与えられて臣籍に
「62第六十代醍醐天皇」今日は、源頼朝みなさん、おはようございます8月17日は源頼朝が挙兵しますが平氏の圧倒的な戦力にボロ負けしました第六十代醍醐天皇宇多天皇(五十九代)の第一皇子です左大臣、藤原時平右大臣、菅原道真ライバルです宇多上皇は藤原北家を無視できず時平を左大臣しましたしかし藤原時平は醍醐天皇に道真は自分の婿を天皇にしようと企んでいると、ありもしないことを言いふらします醍醐天皇は道真を太宰府へ左遷しました道真は都に戻
こんばんは京都のkojiroです今日は2024年6月30日日曜日2024年の6月も残すところあと1時間10分くらい?…今月もあっという間に終わってしまいそうです。今朝の京都市内の最低気温は24.0℃、日中の最高気温は29.5。朝から雨が降り湿度は95%を超える『鬱陶しい一日』でした。今回の「kojiroの京散歩」は、予定を変更して京都にゆかりのある方が祀られている大阪の神社の5月の様子をお届けします。ご覧いただいているのは大阪市北区天神橋
立夏May明菜さんの「サザン・ウインド」。来生えつこの詞、玉置浩二の曲、明菜さんの歌、三位一体【StageMix】中森明菜(나카모리아키나)-サザン・ウインド(서던윈드)【1984】8번째싱글Release:1984.04.11작사:키스기에츠코(来生えつこ)작곡:타마키코지(玉置浩二)편곡:세오이치조(瀬尾一三)#나카모리아키나#SouthernWind#AkinaNakamoriyoutu.be大島本気チャンネル-Yo
大和田・時平神社(おおわだ・ときひらじんじゃ)(同名神社と区別するため地域名を付加しています)社号:時平神社所在地:千葉県八千代市大和田793東葉高速線「八千代中央」駅より東北東へ直線約1.0Km先に鎮座されています。京成大和田駅(京成電鉄)徒歩14分八千代中央駅(東葉高速鉄道)徒歩16分村上(千葉県)駅(東葉高速鉄道)徒歩25分御祭神:藤原時平命創建:慶長15年(1610)御由諸:「時平神社」は、八千代市内に4社あります。
〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたもので〇す。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。〇現代口語文に近い形になおしました。〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。●公爵徳大寺家は、藤原時平の直系であるので、その昔より代々決して菅公日廟へ参詣せぬという確執を相伝えていた。居士はある時この由を聞き実則氏に向かい、大政維新の今日であるから、ぜひ菅公と和解せられるべしと勧告され、実則はなるほどと首肯し、早速筑前大
平安時代中期へと近づいたところで、再び藤原氏摂関家の系譜へ視点を戻してみたい。藤原時平(トキヒラ)は摂政関白太政大臣・基経の嫡男で、母は光孝天皇の同母弟・人康親王の娘、若くして栄達し、第60代醍醐天皇が即位すると、左大臣に任ぜられて太政官の首班となり、同時に右大臣に就いたのが、菅原道真である。道真は宇多上皇の側近を引き続き占め、醍醐天皇と時平、近臣たちとの間に対立が生まれる遠因となった。まもなく道真は"宇多上皇を欺き惑わした""醍醐天皇を廃立して娘婿・斉世親王を皇位に就け
房総三国神社御朱印めぐりで下総國の二の宮「二宮神社」を参拝しました。神社は、千葉県船橋市にあり、最寄り駅からはちょっと遠いのでバスの利用が必須です。一の鳥居をくぐって谷を下って登ると、社殿が見えてきました。この神社は、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、櫛稻田比賣命(くしなだひめのみこと)、大國主命(おおくにぬしのみこと)、そして藤原時平(ふじわらときひら)公をお祀りしています。この神社に祀られている藤原時平(ふじわらときひら)公は、平安時代、醍醐
最近ホットケーキ食べた?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう•••••cut•••••・901年(昌泰4年)1月25日、菅原道真が大宰府に流される→醍醐天皇の元で右大臣となった菅原道真は、左大臣の藤原時平のたくらみで謀反の疑いをかけられ、九州の大宰府に流されてしまいました•••••cut•••••
一旦目3時半に覚め、今朝起きたの7時ちょっち過ぎやったが鼻詰まりしとった。ウェザーリポートの「ヘヴィー・ウェザー」をレコードで聴いた。朝食は山形産つや姫でご飯炊き、卵2つの目玉焼きでご飯一膳半。デザートは熊本産トマト。伊藤志宏→若井優也→中島徹→松本全芸→武本和大と、これ迄ライブ聴いとるピアニストをユーチューブで聴いた。筋トレ20分し体温めてから外出。昼食に西浅草「フルールドサラザン」に行った。頼んだんは黒ランチで、福井サーモン玉子・チーズ・生クリーム・わさびのガレット1780円