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本日は御歴代の天皇の中でも、転換期となられた天皇の祭日が重なっている日です。お二方とも、平安時代の貴族文化が華やかな時代ですが、同じ平安時代でもそれぞれ雰囲気がずいぶん違っているのも興味深く、それも時代を表しているといえるかと思います。★第六六代一条天皇は平安時代中期の天皇です。御父は円融天皇、御母藤原詮子。円融天皇の第一皇子でした。天元三年(980年)生。御名は懐仁(やすひと)。在位は寛和二年(986年)~寛弘八年(1011年)。従兄弟にあたる先帝の花山帝がひそかに内裏を抜けだして
源氏物語の時代一条天皇と后たちものがたり山本淳子あらすじ「源氏物語の時代」とは一条天皇の時代のこと。定子や彰子など后たちとのエピソードや、その日々を『紫式部日記』や『小右記』など日記や、『栄花物語』など文学作品から見つめなおしていった1冊。グッときたポイント実在の人物たちのストーリーのほうが、物語よりもずっとドラマティックだったところ。こんな人におすすめ平安時代が好きな人、また『源氏物語』が好きな人源氏物語ミュージアムで山本淳子さんの講座を受講する!と決まったときに購入し
《新古今和歌集・巻第十六・雑歌上》1499早くより童(わらは)友だちに侍りける人の、年ごろ経(へ)てゆき逢(あ)ひたる、ほのかにて、七月十日(ふづきとをか)のころ、月にきほひて帰り侍りければ紫式部めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間(ま)に雲隠れにし夜半(よは)の月影☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆早くから幼友達でありました人に、幾年か過ぎて行き違いました人が、ちょっと逢っただ
《新古今和歌集・巻第十六・雑歌上》1484御返し上東門院唐衣(からころも)たちかはりぬる春の夜(よ)にいかでか花の色を見るべき☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆御返し上東門院この一夜で夏に変わってしまいますし、また、父君のお召し物が墨染の衣に変わってしまっていますこの春の夜に、どうしてわたしだけが、春の花の色の美しい着物を着ることができましょうか。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
《新古今和歌集・巻第十六・雑歌上》1483世をのがれて後(のち)、四月一日(うづきついたち)、上東門院(じやうとうもんゐん)、太皇太后宮と申しける時、更衣(ころもが)への御装束(おんさうぞく)奉るとて法成寺入道前摂政太政大臣唐衣(からころも)花の袂(たもと)に脱ぎ替へよわれこそ春の色は断ちつれ☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆出家してのち、四月一日、上東門院を太皇太后宮と申し
《新古今和歌集・巻第十六・雑歌上》1446上東門院、世をそむき給ひにける春、庭の紅梅を見侍りて大弐三位(だいにのさんみ)梅の花なににほふらん見る人の色をも香(か)をも忘れぬる世に☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆上東門院が出家してしまっていられました春、庭の紅梅を見まして大弐三位梅の花は、どうして、あのように美しく咲いているのであろうか。見るお方が美しい色をも香をも忘れてし
著者:朧谷寿発行:ミネルヴァ書房2018年藤原彰子は藤原道長の長女として一条天皇に入内し、2人の男児を生み何れも天皇として即位(後一条天皇、御朱雀天皇)することにより、藤原氏の黄金時代を築いた女性である。本書の副題である「天下第一の母」は、大鏡の第五巻道長上の中の『ふたところの御母后、「太皇大后宮」とまうして、天下第一の母にておはします。』(日本古典文学大系(岩波書店)より)からとったとのことである。本書は彰子の生涯を種々の文献を引用しながら記述していくスタイルをとっており、読み物と
よかったらこちらを確認してから読んでください。『1一条天皇と妃たち』はじめましての投稿です!よろしくお願いします。STEP.1まず、一条天皇ってどんな人か確認してみましょう。一条天皇-Wikipediaja.wikiped…ameblo.jp藤原彰子。藤原彰子は藤原道長の長女として結果的に太皇太后となり、2人の帝を産みました。次女の研子も皇太后に、三女の威子も中宮に、四女の嬉子は后になれなかったものの後冷泉天皇を産みました。そんな栄華を極めるまでどうしていたのか、どんな女性か書いていき
大阪市立美術館リニューアルと大阪・関西万博開催記念の特別展です!(^^)!入場して思ったけれど全国から約130点の国宝が集結しているなんて私はもう行ってしまったけれど(5月7日でした)開催日は6月15日まで続きますよ✨フォロワさんで国宝にとてもお詳しい方がおられますのでマジレポ希望の方はこのルキア爆誕さんの記事をぜひご覧下さい!(^^)!私も拝見してから行けば良かったぁ~と思ったのでぜひ✨『【日本国宝展】①これ見とけ!「SELECT1〜5」』大阪
孫の孫が語る藤原道長百年後から見た王朝時代/繁田信一【1000円以上送料無料】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}副題は「百年後から見た王朝時代」です。孫の孫が100年後に存在する。それは4代前のご先祖の話。藤原の栄華を極めたとされる道長は、本来なら藤原本流ではありませんでした。一族には母方の血筋が素晴らしい公任などもいましたが、昇殿する頃に後ろ盾となる人物がいないと出世はままなりません。なぜか道長は姉詮子に好かれ、その後ろ盾によって外祖父としての権
2024年10月のお詣り(お参り)記録ダイジェスト①(10月5日抜けていました吉田神社さんと宝山寺の間のお詣りです)《10月5日上小阪八幡宮》はすの広場フェスタのあと訪れた神社さん。この日丸一日、地域のみなさんにお世話になったお礼をこちらの地元の神さまにご挨拶しようと神社を探して出逢った神社さん。いつもお世話になっている八幡さまだったからとってもほっとした上小阪八幡宮ご祭神足仲彦命(仲哀天皇)息長足姫命(神功皇后)誉田和気命(応神天
藤原頼通には、六人の息子、通房、橘俊綱、覚円、定綱、忠綱、師実がいたが、頼通は、正室の隆姫女王を憚り、橘俊綱、覚円、定綱、忠綱を養子に出した。長男の藤原通房の母は、源憲定の娘であったが、子女に恵まれない、隆姫女王は、通房を自身の養子とした。しかし。藤原通房は、1044年(長久五年)、急病のために死去。享年。20歳。その結果、藤原頼通の後継者は、六年の藤原師実となった。藤原頼通の同母弟、藤原教通の三男の藤原信長は、頼通の養子となっていた。当時、藤原教通は、内大臣に過ぎないため
後朱雀天皇の即位後、1039年(長暦三年)8月に、藤原頼通の養女、後朱雀天皇の中宮の藤原嫄子が死去し、後宮は、皇后の禎子内親王(三条天皇皇女)、唯一の状況となった。藤原教通は、既に26歳になっていた、生子の入内の最後の機会と捉え、頼通の強い反対と妨害[9押し切って、12月に生子の入内を強行した。生子の入内に際し、藤原頼通が、最後まで反対して、輦車を貸与せず、教通は、自前で、輦車を新しく作って、準備せざるを得なかった。更に頼通への遠慮から、入内に随行した、殿上人は、僅かに5名(藤原経
1061年(康平四年)、70歳の藤原頼通は、太政大臣に任ぜられ、位人臣を極めた。翌年の1062年(康平五年)、頼通は、父の道長の例に倣い、太政大臣をわずか、1年で辞した。同年に、10年以上に及んだ、前九年の役が終結する。1067年(治暦三年)、藤原頼通は、関白を辞して、准三宮を宣下された。後任の関白には、同母弟の藤原教通が、就任した。1068年(治暦四年)3月、後冷泉天皇が、危篤になると、長年、冷遇していた、皇太子の尊仁親王の即位は、避けられなくなった。藤原頼通は、同月
中宮彰子の御幸地を巡って〜四天王寺〜中宮彰子、こと藤原道長の長女、藤原彰子が御幸された神社仏閣の1つを訪れました。忠実によると、1031年(長元4年)9月25日〜10月3または4日にかけて石清水八幡宮、住吉社、四天王寺を華やかな行列を組んで行啓(9月25日の夜から明け方にかけて石清水八幡宮、27日には摂津国には入り、翌日住吉大社、四天王寺を参詣)。これが最初で最後の長い遠出だったそう。その後、閏10月27日横川の如法堂に仮名願文を奉納。横川の如法堂に奉納された仮名願文を巡ったお話はこ
先日訪れた四天王寺。どうしても欲しかったものをゲットしてきました!四天王寺に関する記事はこちらもあるのでぜひ読んでみてくださいね💁🏻♀️『【大阪】中宮彰子の御幸地を巡って〜四天王寺〜』中宮彰子の御幸地を巡って〜四天王寺〜中宮彰子、こと藤原道長の長女、藤原彰子が御幸された神社仏閣の1つを訪れました。忠実によると、1031年(長元4年)9月2…ameblo.jp大河ドラマ「光る君へ」で紫式部が源氏物語が書き終え、娘も独り立ちし、人生ひと段落した際に、源氏物語で描いた土地を実際に見に行く
オンラインハイタッチ会の楽しい雰囲気が伝わってきますね🤗🌟。いつかまた開催されたら参加したです❤️。久しぶりに集結!?。『光る君へ』の豪華メンバー✨。藤原道綱様、赤染衛門様、藤原彰子様、藤原斉信様😆❗。飲み会したのかな😁?。✦画像は後日削除してます(;∀;)ノ。
大河ドラマ『大河ドラマ「光る君へ」-NHK』の主役・紫式部を扱った『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)』の『第67回紫式部・『源氏物語』誕生と宮中での苦悩』について紫式部・藤原賢子2代で極めた女房生活と、そこで生み出された『源氏物語』と『紫式部日記』((『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)』より)恋愛経験の少ない紫式部の妄想!?大河ドラマ『大河ドラマ「光る君へ」-NHK』の主人公・紫式部についてです。伊東潤先生によると、長
その後、藤原道長は、重病に伏して、一時は、飲食物を受け付けないほど状態が、悪化し、致仕の上表を行う。道長の病について、前述の通り、比叡山に騎馬で登ったため、日吉大社の祟りを受けたためと噂された。藤原道長は、病のために焦ったのか、自身の息子達の昇進を強引に進めた。藤原道長は、兄の藤原道隆の中関白家と同じことを始めたのである。1013年(長和二年)、倫子の長男、藤原頼通を、四納言の藤原斉信・公任と肩を並べる、権大納言に任じ、倫子の次男の藤原教通を権中納言、明子の次男、藤原頼宗を
筆者が、長々と『光る君へ』の解説をしたのは、藤原道長の時代の登場人物達について、イメージして欲しかったためである。前述の通り、『光る君へ』は、フィクションの要素が、多分に含まれているが、藤原道長の周囲の人物、事件等は、史実を許に独自に解釈している。平安の貴族社会を扱った、ドラマは、少ないため、筆者は、本作をオススメする。話を史実の藤原道長に戻すが、中宮の藤原彰子は、入内後10年近くを経て、一条天皇との関係は、良好であったが、一向に懐妊の兆しは、無かった。藤原道長は、一条天皇の長
999年(長保元年)11月7日に藤原彰子は、入内した。同日、偶然、中宮の藤原定子が、一条天皇の第一皇子・敦康親王を産んだ。皇子の誕生と同日に彰子の入内が行われたため、藤原道長は、敦康親王の誕生に対して、前述の通り、複雑な心境を抱いていたと思われる。翌年、1,000年(長保二年)2月に藤原道長は、彰子を中宮とした。一条天皇には、先だって、中宮の定子がいたが、定子は、一度、出家してしまったため、中宮職は行えないため、一帝二后が、成立した。先例は、なかったが、定子立后時の四后を先
藤原道長が、太政官の頂点に立った、当時、一条天皇の後宮には、中宮の藤原定子の他、藤原公季の娘、藤原義子、藤原顕光の娘の藤原元子が、女御として、入内していた。しかし、中宮の定子が、出家していたため、自身の近親による、皇子の誕生を望んだ道長は、998年(長徳四年)2月、兄の道兼の娘、尊子を御匣殿別当として入内させている。その後、藤原道長は、重い腰病を患い、3月に一条天皇に対し、再三に亘り、辞官を請い、その中で出家の志に触れるが、許されなかった。道長の病状は、回復しつつあり、出家には、至
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c6d316fb00c91b6355bfb1cf018561089478b18?page=1大河の次は朝ドラ主演に大抜てき「見上愛」業界関係者の間で話題になった「大物女優とのCM共演」とは(デイリー新潮)-Yahoo!ニュース昭和36年の放送開始以来、多くのスターが輩出したNHK朝の連続テレビ小説のヒロインに、新たな名前が加わった。エキゾチックな美貌と強い目力が特徴的な、女優の見上(みかみ)愛(24)だ。***
おはようございます今日は朝から洗濯機を回しております午前中は簡単に掃除を済ませて、午後から鎌倉に移動する予定です✨さて、今回のテーマは注目の俳優、見上愛さん画像はお借りしました朝ドラ「風、薫る」ヒロインの一人に決まりました👏愛さん演じる主人公は、栃木県大田原市出身で看護師の大関和さん役、名前の読みは「やまと」でも「のどか」でもない「ちか」さん栃木県民やゆかりの方、和(ちか)さんという名の方、盛り上がっていることと思います✨役どころとしては、名前の第一印象(やわらぐ、なごやか等)と
大河ドラマ「光る君へ〈45〉はばたき」2024.11.24放送NHK総合NHKBSこんばんは~12月になったというのに、ちっとも進まない大河記事ですが。最新話放送の日曜に2週前の回を、めげずに書いていきますよ「はばたき」のタイトルどおり、まひろは須磨の浜を駆けて羽ばたいていきました。『短くひと言☆浜を走る!まひろ』こんばんは~今日は少し時間があったので久しぶりに当日のうちに大河ドラマの最新話を視ましたまだひとつ前の第44回の記事を書いていないのでフライングいちばん印象に…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜目は見えず耳が遠くなる三条天皇さん、辞めろって責められて、どうなったかなぁってことで第44話の感想ぉ!病を抱えて公卿から譲位を迫られる三条天皇。いろいろと手は尽くしたが…子の敦明親王を東宮にすることを条件に、ついに譲位しました。道長さんとの攻め合い、駆け引きで疲れちゃったよなぁついに道長の孫、敦成親王が即位。数え8歳で帝になったんだよなこれが後一条天皇。道長は摂政、母の彰子は国母になりましたね。ただ幼い帝だから、道長の言う通りにし
大河ドラマ「光る君へ〈43〉輝きののちに」2024.11.10放送NHK総合NHKBSこんばんは~今日も時間はないのですが土曜なのでまひろちゃんについて書いておこうと思います。ひとつ前の回のタイトルは「輝きののちに」なんの“輝きののち“なのかよくわからなかった左大臣に登り詰めて、長らく権力を独占したのち、ということでしょうか。いつの間に、すっかり病から癒えた道長は(またいっさいの説明なしでしたね)目と耳を病んだ三条天皇に、譲位を露骨に迫っていました。天皇は実資
三笠宮妃百合子様が亡くなられました。品のある方って、こういう方のことを言うのね、と思わせるたたずまいの方でしたよね。大往生としか言いようがないのですが、思い出したのが、大河ドラマ光る君にも登場する藤原彰子。彼女も祖母の代からの大変な長寿だったけど、息子2人を亡くしているんだよね。自分が産んで、育てた子供が何人も先に亡くなるのは辛いな。長寿は良い事なんだけどね。