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李娜《青藏高原》『軍隊歌手?慈善活動家?中国の歌手「韓紅」とは』韓紅(ハン・ホン、HanHong)チベット語名央金卓瑪(དབྱངས་ཅན་སྒྲོལ་མ་)1971年9月26日生まれチベット自治区チャムド地区チャムド県(…ameblo.jp《天路》という映画に用いられた曲で、この曲を作る際チベット高原での軍人が修路工事に携わり民間との協力、そして民族団結を説いたストーリーとするためにそれに見合う偉大な曲が必要とされた。また作曲する際チベット族の音楽について詳しく理解し、同時にチ
さて、四川省成都を出発し、我々の目指すところは、広いチベット自治区の中でもアバ・チベット族チャン族自治州(阿坝藏族羌族自治州)の南部に位置する小金県という場所になる。クルマで山道を走ること4時間半。ところどころ舗装されていなかったり、荒れた道を抜け。無理矢理作ったような美しいワインディングロードを駆け抜け、雲の中に。そろそろ標高4,000mです。さすが4,000m、空気が薄いため息がすこし苦しい。看板には、「世界で初めてジャイアントパンダが発見された場所
いよいよ、9月10日から中華人民共和国四川省阿坝藏族羌族自治州(アバ・チベット族チャン族自治州)という長い地名の山岳地帯にあるマイニングファームを見学しに行きます。既に1,000台が発注されている最新のマイニングマシンAlphaX10のうち500台は順次納入されており、メカ担当のオタクであるジミー氏は9月はほぼマイニングファームに缶詰状態になる様子。時期的にも、10月になると寒そうなので、今年見に行くとすれば最後のチャンスのような気がする。まずは香港から成都まで飛び、成都で一
春節が終わっても、まあ、一ヶ月以上お休みなんでなかなか、在学生達は戻ってこないんだけど戻ってくると、お土産をもらったりします。青海省の子からもらったお茶。青海省のお茶なのになんで、湖南省かっていうとこれにはいろいろと歴史が有りまして、古くは唐代から清朝まで、延々と兵力の重要なアイテムとして馬が存在します。この馬の供給地はなんと北西地域、いわゆる藏族なわけです。藏族はビタミンを取るためお茶を欲し、漢族は兵器として馬が欲しかった。ので、ここに茶馬貿易と呼
さて、さてそろそろ日常に戻りましょう。明日が阪神大震災の日でしたが、大陸も地震が有ります。最近も有りましたが、私が大陸にいたときも四川で大地震が2回ありました。一回は、オリンピック前もう一回は、帰国する半年前です。赤十字を通じて、帰国直前の子達が大陸で着ていた服を寄付したりしましたが、校内でもこんな活動が行われました。コカコーラとタイアップして、寄付と連動したコーラの販売。勿論募金箱も置かれています。最初の四川大地震は広い地域で発生し、漢族居
もうすぐお正月ですが、台湾も大陸も公暦のお正月はあっさりと過ぎていきます。農暦はしっかりと組み込まれています。大陸では、少数民族のための大学に行っていたので、漢族以外のほぼ全ての民族がいて、農暦だけじゃなくいろんな民族のいろんなお正月を迎えました。勿論、専門の藏族のお正月もしましたが二年目の中国語はカザフ族のクラスに放り込まれたので彼等イスラムのお正月もしました。なので、イスラムのお正月、公暦、春節、ロサル(藏暦)と四回お正月をしたことが有ります。
帰りがけの列車は、2等の堅臥。トルコ人同学の知り合いの旅行者の人が真ん中の段をとってくれました。一緒になったのは、藏族の北京市内の学校いく高校生と彼等をまとめて連れて行くお父さんでした。彼等とは、中国語でずっと話していました。ちょっとでもお金があれば、親は子供達をラサから出し、中学から沿岸部や北京の藏族用の学校に入学させます。つまり、彼らはエリート。車内で、買ったお弁当を通路に取り付けられている補助シートで食べているといきなり日本語で話しかけられました。
ショトンはだいたい8月の半ばすぎにあります。その頃には夏が終わります。ポタラ宮から見える山々にうっすらと雪がつもりました。ラサではほtんど雪が降りません。つもっても、昼には溶けてしまうくらい。黄昏の中、恋人に会いにいく黎明の中、大雪が舞い飛ぶ隠そうとしても隠せない足跡は、既に雪の上に残っている。6世ダライラマの詩。雪の中についた足跡。かくせない恋心。
そうこうするうちにショトンがやってきました。漢字で書くと雪頓節チベット語ではショトン。ヨーグルト祭りといいます。夏、一斉に祭りが行われます。アモラチェ(女性が主人公の歌劇)や競馬、法要が挙行されます。何と言っても、各お寺で、公開されるタンカが見事です。預けられたお家はデプン寺の麓にあったので、歩いて見に行きました。泊めてもらっていたお家のおばあちゃんとお孫さん彼女は観光業に就きたくて、日本語を勉強している高校生。滞在中、ずーっと教えあいっこしていた。
吐蕃の最初の王様は、お隣の国が唐のお姫様をお嫁さんにもらったことを知ると、私にも頂戴ってします。でも、唐からお嫁さんは貰えませんでした。怒った吐蕃は先に貰った国を滅ぼしてしまいます。で、もう一回唐にお嫁さんを頂戴って言います。こうして文成公主はお嫁に来ます。唐は、さすがに皇帝の娘ではなく、李姓の女性を嫁に出したようです。なので、文成公主は、嫁に行くまでの履歴が全く漢文文書に出てきません。しかし、お嫁に行ったことで、吐蕃は大きく変わります。唐の
チベットの王様はピチピチである事が望まれます。チベットの伝説期の王様にはお墓が有りません。王様はある時期がくると天から降りてくる綱につかまって天に帰って行かれたそうです。ある時、一人の王様が誤って、綱を切っちゃいました。以後、王様の墓は地上に作られるようになりました。そのある時期とは、王の息子が十三歳を迎え、一人で馬に乗れるようになった時でした。伝説は王朝の正統性を誇示する為に、王様のお墓がなくても王様の数を水増しする為のモノだったようです。
王様がいれば、貴族がいます。吐蕃の階位では、なぜか金が一位では有りません。最上位の階位は悉悉といわれるトルコ石が使われます。なので今でも、藏族はトルコ石が大好きです。そしてもう一つ好きなのが、珊瑚です。しかも、山珊瑚と呼ばれる珊瑚です。紅い丸いのが山珊瑚です。なんで山珊瑚と呼ばれるかって言うと大昔の海底が露出した地層から出る太古の時代の珊瑚の化石のことを彼等は山珊瑚と言って珍重します。なので、今でも普通の珊瑚が大好きです。だた山
チベットの人は、持仏を持つのが好きです。ガウーと呼ばれる、身につける龕に自分の守護佛をいれて持ち歩きますが、お家にも佛間を設けて持佛をお祭りします。なので、博物館にもたくさん貴族の持佛が収蔵されています。チベットは実は造山運動があった所なので鉱物資源が豊富です。遊牧もおこなっていた民族のなかで、吐蕃は、馬以外のモノを、漢族の王朝に贈っています。皇帝の即位のお祝いに、金でできた置物をたくさん献上しています。あまりに変わった造形だった
以前、チベットの暦はメンツィーカンと呼ばれる医薬暦学研究所で算定されると書きましたが、今でも、チベットのお薬は普通にメンツィーカンで作られ、使われています。土台はアユルベーダですが、なにせ高山なので、高山植物を使用して発達します。植物画のようですが、人の生理と病理を描いたタンカ。医療のタンカは四部医療タンカが有名です。薬学が発達した藏医学ですが、もともとは、外科手術もおこなっていました。ある時、王族の一人が手術に失敗して死んでしまうと外科手術が禁止され
宗教には音楽がつきものです。捧げものとしては、形にはなりませんが、効果としては、音楽は絶大な影響力を持ちます。ダムニェン。3弦です。女の子が弾いていると可愛いんですが、男の子が弾くとなんでかチャラ男に見える不思議な楽器。平民から貴族まで普通に弾かれていたものです。でも、正式な宮廷音楽、佛教音楽では遣われません。こちらは、佛教の小太鼓。日本のデンデン太鼓と同じ使い方をしますが、現在ではもともと使われていた材料が使えないのでプラスチック製のものが主
最上級品のお経は、勿論手書ですが、木版印刷のモノもあります。いわゆるチベット大蔵経これは、経/律を納めたカンギュルと疏(論)をおさめたテンギュルがワンセットです。現在も、版木を持っているのが、デルゲ僧院とガンデン僧院。この一枚一枚が全て版木です。お金が差し込まれているのは、巡礼者によるお布施。今でもちゃんと使用されていて、紙を持ち込むと刷ってもらうことができます。刷ったお経が版木にひっかけられて、乾かされているところ。このチベ
日本の昔のお経は、平家納経とかは巻物で、もうちょっと時代が下ると折帖となります。チベットの場合は、今も昔も長方形の紙の裏表に手書だったり、印刷されています。小さいものだと縦10㎝×横30㎝くらい。大きいものだと縦20㎝前後×横100㎝くらい。当然1枚では収まりませんから、紙の束になります。で、この紙の束を彩色を施した木の板の表と裏をつけます。凝ったお経だと、手書でさらに絵まで描かれていたりする。二箇所穴があいているのは
乾隆帝が公爵に敍するための勅書絹本が染められた者は珍しいです。しかもオレンジの龍が可愛らしい。これらの勅書は、みなポタラ宮にきちんと保管されてきたものです。保存状態はかなり完璧です。五世ダライラマが遷化してしまったあとも、6世の存在を隠し続けてポタラを作ったもんで、6世がぐれちゃったとは前に書きました。北京に言い訳をしにつれさられた6世は、「リタンをまわって帰ってくるから」という言葉をのこして青海の本当にリタンの近くで遷化します
日本の江戸時代の識字率は世界でも異常に高いのはよく知られた事ですが、識字率ってどの国も100%かっていうと、そうではなくて、意外と低かったりする。そうすると、宗教を広めるときに、絵解きという方法がとられます。日本だと、安珍清姫の道成寺の絵解きが有名ですがビジュアルかして、教化するのは、視覚って重要なんだなって解ります。漢語、モンゴル語、藏語で詞書がかかれていて、形式はなんら源氏物語絵巻と違いがありません。ラサのお坊さんの
モンゴルが西でワールシュタットを築いている時、西藏は西藏でいろいろとやっています。実は、吐蕃王朝が滅んでも人々はそれほど困らなかったのです。吐蕃という王国はちょっと変わった成立をしています。それは、非常に原始的な政治体制でありながら、単一民族の人口増加等による国家の成立では内からです。英雄が出ると、国ができます。吐蕃もそれは同じです。でも、臣下は、実は吐蕃という集団に参加している王様であって自分の地元では王様なわけです。インドのマハラジャに近
モンゴルという国はパスパの持ってきた吐蕃の制度を吸収し、発展させます。パスパはお坊さんですが、政教どちらもがっちりと握りしめます。チベットには駅伝制度がありました。まあ、駅伝自体は、もちろん漢族の王朝が最初に作るのですがもっと発展させたのが、チベットで、さらにそれを発展させたのが、モンゴルです。モンゴルの一番のこの制度から生み出して効果があったのが為替制度と、紙幣です。それまでの貨幣経済は、結局は対価
で、地方政権でほそぼそやっていたんですが、モンゴルが北方で台頭してくる。そうすると、騎馬系民族が西へ西へと向かう最中に西藏と出会うわけで。で、どこにでもいるわけですよ。そういうのにのっかるのが、うまい人が。パスパさんです。モンゴルの国師となります。いわゆる、金印ですね。らくださん可愛い。
ユダヤ教の十分の一税って、システムとしてはよくできていると思うのです。だって、ぎりぎりではあっても自己の蓄財は可能。吐蕃の場合、佛教が隆盛すぎて、出家者が増えていきます。そうすると、佛教の教えって実は、教義としてはまあ平和なんだけど、平和すぎて、労働を伴わない宗教なわけで。土の中の虫を殺さぬよう、農作業できません。とかね。しません。じゃないところがみそだな。できません。だもん。つまり、俗世の生活からは逸脱してしまうため、一般人にそのしわ寄せがきてし
藏族の始祖神話は日本のイザナギイザナミによく似たところがあります。藏族の始祖は、白い雄猿と羅刹女が結婚して誕生します。白いお猿さんは悟り切っていない人間の象徴ですお寺の入り口によくある壁画のモチーフにもなっています。黒い象さん(煩悩の象徴)とお猿さんが上にいくほど白くなる(悟りを開く)で、そう言うお猿サンだからやがて羅刹女とはけんか別れしてしまいます。羅刹女が、「お前の子供を一日1,000人食べてやる。」お猿サンはこたえます。「一日2,000人生み育
650年以降爆発的に吐蕃は発展します。時代は唐時代にあたります。当時の吐蕃がどんな地位にあったかの記事はなんと、続日本紀に書かれています。遣唐使として遣わされた大伴古麻呂さんが唐で席次について文句を付けています。天平勝宝六年(七五四)正月丙寅【三十】》○丙寅。副使大伴宿禰古麻呂、自唐国至。古麻呂奏曰。大唐天宝十二載。歳在癸巳正月朔癸卯。百官・諸蕃朝賀。天子於蓬莱宮含元殿受朝。是日。以我、次西畔第二吐蕃下。以新羅使、次東畔第一大食国上。古麻呂論曰。自古至今。新羅之
老舗ホテルラサ飯店で飼われている観光撮影用のヤク。毛は、放牧の際のテント地に。お肉は食べます。しっぽが白かったらお坊さんの払子や連獅子のかぶり物になります。皮は勿論使われます。河口慧海の記録を読んでひええええ。となった事があるのですが、お経を持って帰る木箱は輸送中の梱包に、屠殺したばかりのヤクの皮を剥いだものをつかうんだとか。乾燥地帯なので、腐ることなく、乾くと、生皮が木箱に張り付いてパッキングされるんだそうです。勿論毛が付いた状態なので、多少の雨でも水
修復されたノルブリンカですが、どころどころにぽつんぽつんと昔のままのものがあります。ドリン(石碑)摩滅しまくっていてもう文字はなんにもわからなかった。基壇が亀ではないのが逆に珍しかったのに。キェーが単体でいるのも珍しい。謁見用の建物。夏の離宮はポタラとちがって、割と気軽に面会になられたんだとか。冬は宗教行事が多いからね。夏の劇を見る為の建物。ここも昔からのものです。御座所はこんな感じ。13世の時にはアチェ
先生も帰っちゃって、お檀家さんちに移動して。でも、まあ、夏休みなんで、同学達はラサに居るからってんで、ノルブリンカに連れて行ってもらいました。夏の離宮。毎年、ポタラ宮から一日がかりで行幸したんだとか。えと、タクシーで15分かかんないです。世界遺産マーク。正門。でも、これは、最近の修復。ポタラではいなかったキェーがちゃんといます。真ん中の動物にはくちばしが付いているのがわかりますか?バリに行くとガルーダさんと呼ばれます。ノルブは
二嫂の実家。かなり、お金持ちです。典型的な、中庭タイプのお家これは、わりとどこでも見かけるソーラー湯沸かし。沸点ひくいけど、ちゃんと沸騰します。藏獒一時期、一頭一億とかで取引されていましたが普通に番犬として飼われているのはこんな待遇。言う事をきかないと、二嫂は、ばんばんなぐって言う事をきかせます。私も生まれてこのかた、実家に犬がいなかった事はないし、昔は退役したシェパードとかいたから、大きな犬に慣れているけど、藏獒は苦手。放牧
ポタラ宮の中に新設された博物館に一般公開前に入れてもらいました。残念ながら中は撮影禁止。右一番目のお兄ちゃんの嫁。左に番目のお兄ちゃんの嫁。←先生が帰るまではトルコ人同学が帰っちゃったあと泊めてくれた。お昼休みに二人は抜け出して観覧に来ていたので、夕方の退勤後、みんなでご飯をする事になり、それまで師父と先生と三人で近くの薬王山へ。全部、ルンタ。山というには小さいですが、貴族の昔はお散歩コース。この築山みたいなお