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こんにちは、ジェシーです。今回は、【衝撃】戊辰戦争、3つの裏の意味…幕府が降参してたのになぜ勃発?…をシェアします。======================明らかにおかしな戦争があります―。1868年からおよそ1年半に渡って続いた日本の内戦です。いわゆる「戊辰戦争」と呼ばれる戦いのことです。この戦いでは薩長を中心とする新政府軍と、旧幕府勢力が戦いました。京都の鳥羽伏見の戦いにて勃発し、その後、北へ北へと戦線を移しながら最後は函館の五稜郭の戦いにて終結しました。(
皆さま外出の自粛お疲れ様です。毎日家にいる時間長いのはほんと苦痛ですね。「絵を描けばよいじゃないか」とも思いますが、外界の刺激あってこその内なる世界。ということで近くの公園まで散歩が日課です。ぷはー、と鬱屈を吐く息に込めてると、小学生の女の子が手毬歌で遊んでる。「♪あんたがたどこさ……」柳田国男がいうわらべ歌には昔の儀礼や慣習の名残りがある、というのを思い出し、はて?どこが発祥だと調べてみた。歌の歌詞だけ見てると肥後、熊本の歌かと思えばどうやら違う。うたは関東弁だからだ。時代
みなさんに遅れること一週間…。今日から私の三連休です。長野の家に行こうと思っていましたが、長野県北部の天気予報はここへ来て雪マーク。信越地方はけっこう降っているようで、国道や高速道路のライブカメラを見るとかなり積もっているようです。せっかく行っても毎日雪ではつまらないので今回はやめておきました。明日あたり水戸の偕楽園にでも行こうか、それとも北関東の渡良瀬渓谷、あるいは湯檜曽あたりに出かけてみようか思案中です。新選組のドラマ、見たことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプ
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/269349https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/269410https://lite-ra.com/2020/02/post-5268.html愛やおもいやりと同じ言葉を使っていても、人間の尊厳の理解もなく攻撃する傲慢な人たちがいる。愛とかおもいやりという言葉を使い、それが正しい
日本史上最高の英雄大久保利通1,350円Amazonこの本は、幕末維新の志士として、そして、近代日本の礎を築いた大政治家である大久保利通の生涯を描いています。大久保利通は、盟友だった西郷を政府内から追い出し、遂には、西南の役で死に追いやったということで、特にご当地鹿児島では、人気がありません。また、彼を主役にしたドラマも寡聞にして知りません。西郷隆盛と比べれば、実際に成し遂げた業績の凄さの割に世間の評価が低い人物だとは、私も思いました。この本を読んで余計にそう思えました
こんばんは。コミュニケーションデザイナーの吉田幸弘です。拙著がビジネス書グランプリ2020にノミネートされました。よろしければご覧いただき、1票いただけると嬉しく思います。↓↓↓https://bit.ly/2ZACrCnおススメの書籍のご紹介です。■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■==============================================■ビジネスマンのための歴史失敗学講義■瀧澤
日本の歴史教育は、たぶん方法を間違えていると思います。どんなものでもそうですが、いきなりディテールから入ったら、なかなか身につきません。そうではなく、最初に必要なのは「全体像」なんですよね。まず全体を把握して、それから、細部を見ていかないと、いったいなんのことを言っているのかがわからない。当たり前ですよね。私はこの国の歴史や社会科の教育は、こんなふうに変えるべきだと思っています。※まず、今の世の中の仕組みを理解できるようにするために、選挙の仕組みなどを
徳川家康は、江戸幕府を作ったとき、なぜ朝廷を潰しておかなかったのか?家康は歴史好きというけれど、承久の乱や鎌倉幕府の滅亡のときのことを研究していたなら、朝廷という勢力を消しておこうとは考えなかったのか?という設問です。危ないものは全部つぶしておけ、というようなことをやって、天下を保った者はひとりもいません。焼け野原でお山の大将になることには何の意味もない。そのくらいのことが分からない者が天下を取れるはずがないんです。将来、敵になりそうな奴がいたら、「敵にならないように手をを尽くして味方
自虐史観について、なんとなく興味が沸いたので、ツイッターでケント・ギルバートさんのツィートを見てみました。そうしたら、こんな内容のことが書いてありました。GHQが日本人に自虐史観を植え付けた占領政策「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」は歴史的事実です。デマや陰謀論だと思っている人は一次資料を読んで下さい。なぜ産経以外のメディアはWGIPを未だに報じないのかな?※自虐史観というのは、皆さん聞いたことがありますでしょうか。「あの
明治初期、薩長官賊どもによる横暴卑劣な野蛮行為に異を唱えて立ち上がった奥羽越の諸藩は、俗に奥羽越列藩同盟と呼ばれる。しかし、この呼び方は、意図してのものかどうかはともかくとして、あたかも単なる反乱藩の集まりのごとく名づけた、不当に矮小化された呼称である。実は、奥羽越列藩同盟は、きちんと正統な天皇をいただいていた、正統な大日本帝國だったのだ。大政奉還をした勤皇の心も篤い徳川慶喜を、江戸で乱暴狼藉を働いて挑発し、ニセ勅書を使ってまで追い落としを謀った、明治初期の、薩長官賊どもの悪逆無道ぶりは、
本、十一月三日は、明治天長節であり、実にめでたい祝日である。鬼畜米英をはじめとする連合国どもの陰謀で、文化の日、などという、わけのわからぬ名前の祝日になってしまっているが、文化の日などと言っても、何のことやらさっぱりわからぬ。文化と十一月三日に、どういう関係があるというのか。明治は実に偉大な時代であった。幕末から明治初期にかけては、徳川幕府に対して、また輪王寺宮朝廷(いわゆる奥羽越列藩同盟)に対して、卑劣かつ非道なことを明治政府は行ったものであるが、これは、まだ少年であらせられた明治天
こんにちは、まんきんたんです。高屋神社~天空の鳥居~(友人の杉浦くん撮影)↑ここも行ってみたいな。さて、奈良県天理市に行って天理教を見てきた話を書く前に。日本では、むやみに「政治と宗教の話はするな」と言われますよね。なぜかというと、政治や宗教による考え方の違いはケンカの原因になるからです。しかし、海外ではほとんどの国で信仰している宗教は生活の一部であり、決して隠すようなことはしません。キリスト教であろうが、イスラム教であろ
時は明治維新後、「国民をまもる」、「自由」という言葉が、法律の字面だけのもので、何ひとつ国民には実感がなかった時代だ。農民もまだまだ貧しく、武士は武士で「お家」から解き放たれたが、自立し生きていけるとは言い難く、薩長に偏った政府は、他の藩出身者の武士からは批判の目が向けられていた。不満はここそこに、充満していた。西洋化を急ぐ日本政府だが、全てににわか作りの薄っぺらな西洋化にどこもかしこも矛盾が現れていた。反乱の予感は充満していた。そして舞台は根津の遊郭。元
おはようございます。賃貸経営コンサルタント一級建築士の竹末です。昨日は「幕末の広島浅野家が日本の歴史を変えた」というテーマで、穂高健一先生の講演会を聞きに行ってきました。幕末維新に興味がある世代といえばやはり、60、70、80代のシニアでしょう。高齢者でいっぱいでした。講演会でお聞きした話ですが、幕末期に薩長芸同盟を結び、戊辰戦争において活躍したにもかかわらずその功績を認められず芸州(広島藩)は明治政府から歴史上、完璧に抹殺されたそうです。講
明治維新の真相江戸庶民は新政府軍を嫌い会津藩に期待した4/28(土)7:00配信NEWSポストセブン歴史は勝者によって作られる。我々はそれを知っているはずなのだが、「明治維新」と聞くと思考停止してしまうようだ。維新から今年で150年。著書に『明治維新という幻想』がある森田健司氏がこれまでタブーとされてきた歴史の真実を暴く。***戊辰戦争期の江戸庶民の胸中を知るには、当時発行された「諷刺錦絵」を調べるのが一番である。江戸時代、庶民が社会に対する批判を表立ってするのは大変危険だ
久しぶりの長崎の歴史福地桜痴編です大政奉還になり明治維新となった日本に対して福地桜痴は「政権が徳川から薩長に変わっただけ」と新聞で厳しく非難しましたこれは明治政府を怒らせるには十分過ぎる内容でした記事を載せた「江湖新聞」は発禁処分に福地桜痴は朝からされましたこれは明治政府初の言論弾圧事件とされていますやがて福地は無罪となり釈放されますが武士としての士籍は返上して平民となります東京は戻った福地は戯作や翻訳で生計を立てるようになりましたその関係で著名な記者
白虎隊に関する作品みたことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようありますよ。。もう、号泣でした。なんとも痛ましい史実だと思います。未だに会津の方々は。。薩長に屈託があるようで。。内戦であろうと。。戦争というものは。。やっぱり。。あってはならないものですね。
昨晩、司馬遼太郎の歴史小説で河井継之助が主人公の『峠』を読み終えました。全くハッピーエンドではない結末は知ってましたが、辛く悲しい結末に本当に色々と考えさせられました…たった俸禄100石の河井継之助が筆頭家老にまで成ったのは本当に凄い事だと思いますが、それだけ他の家臣がダメだったという事で、幕末混乱期に藩政を率いていくのは異才・河井継之助しか居なかったというごくごく当たり前の人事でもあります。幕末混乱期に、明治維新という革命を起こした薩長ですら気付いていない、武士の時代が終わる、士農工商と
同窓会、行きたいけどやってない!!!!!誘ってくれ!”!!!!佐伯まお@saekimao006#bs11#NHK#NEWS7#bs2018鎖国によりこの国だけ落とせなかった他国はすべて操り人形化させた幕府に反骨精神が強く、強力な薩長に目をつけて下級武士を手先にしました明治維新により暗黒に覆われましたhttps://t.co/36ivTA3WaK2019年08月11日13:26ぼたん@mcjj218『ならば!いっそ!もっと!更に暑く!!』チャンミン節~😆
明治維新という過ち~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~(原田伊織著:講談社)は通常の歴史観が引っくり返る衝撃的なタイトルです。私はこの内容を100%肯定するわけではありませんが、基本的には肯定します。何故なら、薩摩と長州だけで明治維新を成し遂げ、近代日本を築き上げたわけではないからです。260年の江戸時代に築き上げられた徳川幕府の遺産が明治時代に適切に引き渡されたからこそ、近代日本が成立したのです。江戸時代は治水・河川改修、灌漑事業が盛んに行われた時代であり、耕地面積、石高が飛躍的に増
今住んでいる…兵庫と神戸の歴史について少し詳しくなれました(°▽°)!神戸謎解き散歩(新人物文庫)4,593円Amazon幕末維新の兵庫・神戸1,890円Amazonオススメ度…★★★響いた内容…神戸謎解き散歩より…・上質な神戸ワインはなぜ生まれ、しかし、この数年はなぜ苦戦?・神戸スイーツ発展の原動力はロシア革命にあった?・戦後半世紀にして判明した、神戸に落とされていた原爆模擬爆弾とは?・東海道線の終点が神戸になったのはなぜ?・水戸黄門の銅像が湊川神社にあるのは
江戸幕府の使節としてヨーロッパへの派遣から桜痴が帰国したのは1866年でした帰国した桜痴は外国奉行支配調役格通詞御用頭取として旗本に取り立てられましたしかし時代は既に幕末です福地桜痴は海外渡航の経験などから開国派を主張してましたその主張はやはり他の攘夷派から敵視されるようになりそのストレスからか酒など遊蕩に耽るようになりました1867年の大政奉還の際福地桜痴は江戸幕府最後の将軍徳川慶喜こそ大統領となり新政府の主導権を握るべしとの意見書を幕府に提出します
「歳さん、俺は疲れた」近藤が、寂しげに笑った。「いまさら、どう足掻いても、薩長の奴うらには勝てねえよ」「だからといって、みすみす死にに行くのか」土方はなんとか近藤を止めようとしたが、近藤の決意は固く、歳三に言葉に微笑を浮かべて、静かに首を横に振るだけだった。「時流には勝てねえよ、歳さん。俺はな、これ以上、朝敵の汚名を被りたくはないんだよ」「なにを言っている。俺たちは、天子様に仕えていたわけじゃねえ。徳川家に仕えていたんだ。時流がどうなろうと、どこまでも徳川家に付くのが武士の意地っ
幕藩体制において諸藩の財政は常時と言っていいくらい逼迫しており、借金には常に悩まされていた。その為の財政改善の王道は藩政改革と産業の奨励であるが、一応の成功を挙げたのは上杉鷹山や田中玄宰など一部の例くらいなもので、大抵は上手くいかない事が多かったようだ。一方、王道と言うからには奇道も当然存在する。今回は薩長両藩の例を挙げてみたいと思う。まずは長州藩、長州藩の借金は天保8年(1837年)当時で銀九万貫(黄金だと二百万両)にのぼっていた。これに取り組んだのが村田清風である。清風は藩政改
『パール・ハーバーと広島、長崎。戦後六〇年を経過しても過去の戦争の記憶が両国で大きく隔たるのはなぜか。戦争観とは戦争のいかなる記憶によって形成されてきたのか。ナショナリズムの特質、戦後の幾多の戦争に対する反応の差にも着目し、記憶研究の最新の到達点も踏まえて省察したユニークな日米比較。『日本・戦争観の相剋』を大幅に改訂し、新稿を加えた決定版。』こと、現在に於いて《反知性主義》に陥っている団塊爺達におすすめしたい本。又、会津がどうのと、薩長がどうたらと拘っている矮小な歴史小説ファンが読んだと
鍋島閑叟から密命を受けた古川与一は、文久2年6月16日京都に到着、閑叟と遠戚の公家久世卿に面会し、文久2年5月中旬迄の京都の出来事の詳細をお聞かせ願いたいーという閑叟からの書翰(手紙)を渡します。6月29日付の久世卿から古川に託された閑叟への返信の書翰は『鍋島直正公伝』第5編142頁に記載されています。その内容はー「この度の勅使の件(大原三位が勅書を渡しに江戸へ下った件)や、長州藩の跡継ぎが京都に滞在している件、島津久光の上洛など、かれこれ京都も騒がしいですが、浮説粉々もあり、どういうこと
主治医の時間。臨時で診察。施設に行って、久々にマスターのお店。女将さんから頂いたレモン、って、ホントにレモンなのか?というほどに野生的で、凄みのあるレモンさん。朝に絞り出して強力なの作るしかないな。で、臨時の診察が必要なほどに、やはりおかしかったのであるが、どうも、音楽もあるが、その場の人たちというのが大きいのではないか?というのが、主治医との診察だった。音楽については、主治医は、「それは、音楽に対する愛がなかった演奏なんだろーねー」という事で、その通りではある。ただ、周りの人については、