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ブログにお越しくださりありがとうございます。いいね、フォローをありがとうございます。朝起きたときは空がグレーの雲だらけ。1時間後に晴れてきました。迷わず、布団干し、、、が正解!ずっと青空でした。新年号仮名高校生~大人の方の課題です。初級課題「みよし野やもろこしかけて冬木立」=吉野山は冬木立が続きその果てにはもろこし(唐土)があるであろう=*唐土:中国の名称by蕪村【変体仮名】みよし野や毛ろこし可希て冬木立・
『名歌名句辞典』(佐々木幸綱・復本一郎/三省堂)より選句渡辺水巴Watanabe-Suiha雀よく干飯(ほしいい)を食べて旱(ひでり)かな夏、雨が降らず旱(ひでり)が続いている。庭先に、干飯(ほしいい)を撒いてやると、雀がやってきて、一心に食べているよ。It'ssummerandthere'sbeennorainandadrought.Ispreadsomedriedriceinthegardenandthesparrowscam
連句の座から句会へでは、句会はどのように始まったのか。『現代俳句大辞典』(三省堂)による句会の歴史の解説を写す。これの執筆者は片山由美子さんである。「数人が集まってその場で句をつくることは、江戸時代の連句(俳諧之連歌)に発する。連句は複数の参加者が共同して一つの作品を完成させてゆくものであるが、蕪村(一七一六~八三)の頃になると、個人の発句、つまり独立した五・七・五の作品を出句して競う句会(句合・発句合)が盛んになった。これは、和歌の歌合のように左右に
■ナジャ猫カード傘ばけそうなかさかすてらのしぐれかなぶそん蕪村さんの句です化けそうな傘貸す寺のしぐれかなまるで化けて出そうなくらいぼろぼろの傘を貸す寺にもしぐれがあるもんだなぁそう思わずには居られない冬景色です。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
イルミネーションで賑やか権堂アーケード12月だな〜LEDって綺麗だけど暖かさがないんだよなあれ❓元蕪村だった所が手揉み中華そばまるもも看板見た瞬間いかがわしいエステ❓風俗❓って思ってしまったあぁラーメン屋かぁ❗蕪村店長病気で休業中だったから気にしてたんだけど大丈夫なのかな❓長野市で手揉み中華そばって言ったら白水心に染みる味なんだよなぁ〜俺二郎系家系背脂チャッチャ系ニボニボ煮干し系ド豚骨デカ盛り苦手なんですつーかラーメンそんなに食べ
■ナジャ猫カード水仙すいせんやふるきみやこのここかとこぶそん蕪村さんの句です。水仙や古き都のそこかしこ水仙の季節です。歩けばいろんな所で咲いています。季節の花です。冬を感じさせてくれる花です。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
■ナジャ猫カード落ち葉にしふけばひがしにたまるおちばかなぶそん蕪村さんの句です。西吹けば東に溜まる落ち葉かな西風が吹けば、落ち葉は自然と東に溜まるそんな自然はやっぱり秋だからこそ、なんでしょうねぇ。風と落ち葉が季節をより深く感じさせてくれます。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
■ナジャ猫カード天高しかんげつやもんなきてらのてんたかしぶそん蕪村さんの句です。観月や門なき寺の天高し夜になって月を眺めてみたら、門がない分空が広く星空も大きく見えるんだろうなぁそんなことを思ってしまう景色はやっぱり秋だからなんでしょうねぇ今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
ナマステー今朝の洛北は晴れて、鳥達の声がしてます。4時に起きて、鼻うがい+TM瞑想+ヨーガ禅修習+空手型稽古+太極拳です。昨日11月20日(木)、本一冊読了。(今年180冊目)『日本人のこころの言葉・蕪村』藤田真一創元社2014蕪村は、「春風馬堤曲」などで有名ですが、その経歴を知らなかったので、若い頃江戸に居たり、舞鶴にも居たことを知って、新鮮でした。以前一乗寺に住んいたので、芭蕉庵の金福寺のことは、前から知っていて、馴染みの場
今日の行先は夫が決めて私はただ付いていきました阪急淡路駅からJR淡路駅に一駅先の「城北公園通」初めて降りた駅です。与謝野蕪村ゆかりの地という事です。住宅街をどんどん歩いて着いたのがここ。こんなところがあるなんて知りませんでした。観光地でもないので人が少なく心地良い風を感じながら淀川沿いをのんびり歩きました。もうこのまま梅田まで行ってしまおうという事で天神橋商店街を通り、扇町公園を抜け
『名歌名句辞典』(佐々木幸綱・復本一郎/三省堂)より選句大須賀乙字Ǒsuka-Othuji雁鳴いて大粒な雨落としけり解説によれば、作者自解に、『雁そのものよりも雁来る頃の気象に包まれた気分を詠んだ』とある。なお、『雁来る頃の気象に包まれた気分』は、次の和歌にも詠まれている。Accordingtothecommentary,theauthor'sowncommentarystatesthat"Ratherthanthewildgeesethem
島原大門通称島原…しかしながら正式地名は西新屋敷という。(九州で島原の乱があった時期に移転してきた)東の大門と西門の間を散策しました島原は江戸時代以来…公許の花街/歌舞音曲の遊宴の町…として発展してきた単に遊宴を事とするにとどまらず文芸も盛んで…江戸中期には島原俳壇が形成されるほどの活況を呈したしかしながら…明治以降は次第にさびれてゆき往時を語るものは少なくなった「嶋原のでぐちのやなぎをみてなつかしきやなぎのまゆの春風になびくほかげやさと
■ナジャ猫カードおどりしごにんにつきおちかかるおどりかなぶそん蕪村さんの句です。四五人に月落ちかかるおどりかな祭りの踊りもなかなか見られない時代けど、祭りを見ると、ついドキドキしてしまいますね。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
スランプという洒落た病気にかかり、どうしても続けられないのです。今日は一時しのぎで緊急避難、遊びのアソビ。お休みさせてください。【番外】エルエムエヌ狂想曲「l(エル)」「m(エム)」「n(エヌ)」。アルファベットでは「エ」が付くのに実際には「エ」が発音不要というヘンな文字団です。日本人にはこの「エ」の発音が苦手です。おとなりの中国でさえ「e」は、「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」のすべてと他に二重母音(「ウア」など仮名で表せない発音)を受け持っています。月天心貧しき街を通
「俳諧の聖地」、洛北の金福寺金澤成保暑さを凌ぎやすくなった10月に入って、比叡山麓の詩仙堂を少し南に下った金福寺(こんぷくじ)を訪れた。金福寺は、京に旅した折滞在した松尾芭蕉を偲んで、茶室・芭蕉庵が残る。「俳諧の聖地」とされ、与謝蕪村をはじめとする俳人の墓や句碑が祀られている。芭蕉や蕪村らが風流を語りあったであろう、往時の風情が思い浮かばれる。また舟橋聖一著の『花の生涯』のヒロインである村山たか(村山たか女)ゆかりの寺としても知られる。金福寺にあわせて、以前訪れた
■ナジャ猫カード水底の草あきさめやみなそこのくさをふみわたるぶそん蕪村さんの句です。秋雨や水底の靴を踏み渡る秋の雨が川面の降って、まるで水底の草を踏んで回っているようだ。水底のバイカモの花も咲き、雨の水紋と合わさって、きれいに見えるんでしょうね今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
NHK俳句のテキストを買いました。今回の放送講座分を予め読んで放送をみたところ、かなり定着度が違いました😊盛りだくさんで楽しめます。綺麗なグラビアも。付録の俳句手帳。
白日西阿/素月東嶺/月は東に/日は西に…©2025年の仲秋名月は10月6日です。その日に限ったことではありませんが、満月と太陽はちょうど反対側に見えるので、古今東西たくさんの人が歌に文章に取り上げています。上の都々逸は前半が陶淵明、後半は蕪村です。空模様が気になりますが、どの店の団子にするかも楽しい悩みです。早寝早起き/腹八分ん目/生きて行くのも/大変だ…©庶民の生活はいつの世も、どこの国でも同じですね。おまけ。習ヒトラーも/高市さんも
近江の蕪村と呼ばれた絵師が江戸時代に活躍した。晩年滋賀県大津に住んだので、「近江蕪村」と呼ばれた。掛け軸は「九老」と書かれている。楳亭は与謝蕪村の高弟で、蕪村の画風を踏襲した人物。この掛け軸がなぜあるのかは詳細は不明だが、茶掛けなので高祖父主催のお茶会に飾られたと考えられる。高祖父はお茶会を頻繁に開催したようで、茶席にちょっとした自慢できる掛け軸を掛けていた。小田原の後北条の虎ノ印の古文書は文化財として指定されても可笑しくない。と現在は神奈川県公文書館に預けている。家の流
ブログにお越しくださりありがとうございます。いいね、フォローをありがとうございます。曇り時々晴れて、じっとりとまでは感じなくても少し蒸し暑かったです。10月号で、シニア男性の方の8月号のお清書が、優秀作品に選ばれました。初級課題「夕立ちや草葉をつかむ群雀(むらすずめ)」=草原に群れとぶ雀が烈しい夕立に飛び立てず慌てて草葉をつかむ様子=by蕪村【変体仮名】夕たちや久さはを徒可むむらすゝ免六級→五級に昇級
【語呂合わせストーリー】「名月を見て泣く子に、柿を食べさせてなぐさめる。すると遠くの山や枯野に日が差し、寺の鐘が鳴って秋の夜は更けてゆく。そして池のほとりをめぐりながら、ずっと秋の月を眺め続ける──。」秋の有名俳句五句一茶「名月を取ってくれろと泣く子かな」子規「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」虚子「遠山に日のあたりたる枯野かな」蕪村「秋の夜や釣鐘近く更けにけり」芭蕉「名月や池をめぐりて夜もすがら」覚えられましたか?
与謝蕪村の言葉に隠された深いメッセージ「俗を離れて、俗を用いる」この言葉は、江戸時代の俳人与謝蕪村(1716-1784)が遺した、芸術観・人生観を示す一節です。一見すると矛盾しているように聞こえますよね。「俗を離れる」とは、日常や世俗的なものから距離を取ること。「俗を用いる」とは、逆にその日常を積極的に作品に取り込むこと。一体どういう意味なのでしょうか?蕪村は「芸術とは俗を超えた精神性を持ちながらも、俗なる日常を題材にすることで生き生きと輝く」と考
■ナジャ猫カードとうがらしうつくしやのわけのあとのとうがらしぶそん蕪村さんの句です。うつくしや野分の後のとうがらし野分は台風の古称、台風が過ぎてとうがらしがきれいに見えています、的な感じでしょうかとうがらしや彼岸花やら、赤いものがきれいに見える季節となりました。今日もがんばっていきまっしょいナジャ猫拝
須弥を出る「十五の吾に」けしの花…©蕪村の俳句に、中七(なかしち)が読み取れない句、「須弥を出るーーーーーーーけしの花が」あります。そこでワタクシが謎解きに挑戦しました。須弥(しゅみ)は須弥山つまり宇宙、けし(罌粟)の花の後にはケシの種つまり非常に小さな物質ができます。大宇宙はケシ粒のことなど知りもしないでしょう、でもケシ粒は自分より大きな須弥山があることを知っているのです。パスカルの「人間は考える葦である」と同じ関係です。季語は、罌粟の花は初夏、罌粟坊主は晩夏、種は秋と考
■ナジャ猫カードあさがおあさがおやいちりんふかきふちのいろぶそん蕪村さんの句です朝顔や一輪深き淵の色朝顔にも、赤や青や紺など、いろいろな色があって、なかなか見ごたえがあります。花の形、大きさにも変化がありますそれを見比べているだけで、涼しさを感じるような気がします。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
丸亀駅から丸亀城方面へ。「富屋町商店街」の南。駅と城との中間エリアに「妙法寺(天台宗)」があります。丸亀藩京極家の祈願所だった寺です。与謝蕪村が、明和3年(1766)秋から同5年(1768)夏にかけて讃岐国を訪問し、当寺に滞在。多くの絵を残したことから、別名「蕪村寺」とも呼ばれています。なかでも、「蘇鉄図(下の写真の絵、国の重文に指定。)」、「寿老人図」、「竹図」などが残されています。また、小堀遠州作庭の見事な庭園もあります。山門は、総ケヤキの見事
されどこは杜撰(ずさん)なる評なり。碧梧桐の「ホトトギス」第5巻第10号における句評への批判である。碧梧桐は「茂山の雫や凝りてる鮎となり」(耕村)を評して「茂山をシゲヤマと読ますこと如何にも窮せずや」と述べた。「窮せずや」は無理ではないか。この後で子規は、蕪村に「茂山やさては家ある柿若葉」があることなどを挙げている。子規のような厳しい批評が句評にはあっていいかも。極端な言い方をすれば「どのように読むか」が死命を制するのが俳句だ。読み方をめぐるさまざまな議論の中で秀句が立ち上る。読みをめぐ
今回は横14.5センチ縦21センチの加工紙に蕪村の句を書いてみました夕立ちやくさ葉をつかむむらすずめです我が家の日々草はこの暑さに負けずに元気に咲いています日々の暑さに夕立ちが降って少し涼しくなればと思いますね9月の教室は1日8日29日ですご興味のある方は是非体験教室にいらして下さい
■ナジャ猫カード平安京ほととぎすへいあんきょうをすじかいにぶそん蕪村さんの句です。ほととぎす平安京を筋交いに特許許可局が平安京の街のあちらこちらで聞こえて来るってことですね。けど、蕪村さんの時代に特許許可局はないから、なんて聞こえてたんだろうヘッペンカケタカ、かなぁ今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
これは随分大胆な評で、殊(こと)に碧梧桐の短所ではあるまいか。随分杜撰なやつもある。雑誌「ホトトギス」には、この年4月に出た子規の句集『獺祭書屋俳句帖抄上巻』の書評(句評)が掲載されている。評者は碧梧桐。子規は碧梧桐の評に応じて作者の思いを述べているが、20句ばかりの自作を乙二調とか蕪村調とか言われたことに激しく反発した。碧梧桐は、たとえば「短夜や一寸のびる桐の苗」を「乙二調か」と言ったが、どこが乙二調かの根拠を示していないので確かに杜撰、子規ならずとも腹が立つかも。でも、立腹をあからさまに