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■ナジャ猫カード白牡丹やまありのあからさまなりはくぼたんぶそん蕪村さんの句です。山蟻のあからさまなり白牡丹白いボタンの花の上を黒い山蟻が動いている。きれいな城に異形なものが、目立ってはいけないものがよく目立っている。夏の心地よさと暑さの対比のようにも感じます。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
村松友視著『猫ふんじゃった俳句』を読んでいる。読んでいるというより、何となく読み始めた。昨日、ノーベル賞作家のちょっと重い小説(アブドゥルザラク・グルナ著『楽園』)を読み終えたので軽いものをと思ってぱらぱらと捲ってみたのだ。その中に「猫に詠まされた句」「猫を詠んだ句」があると書いてあった。猫の子の尻から出づる炬燵哉百閒鼻先に飯粒つけて猫の恋一茶巡礼の宿とる軒や猫の恋蕪村この三句、詠まされたのか詠んだのか、私にはよく分からない。句会でも必ず猫の句は何句か出るので少し食傷ぎみだが、
突然東京の母からの届け物パーリーデューパーフェクトクレンジング&ウォッシュとろけるリキッドジェルでハードなメイクも瞬時にOFF。朝の洗顔も夜のクレンジングも1本でOKW洗顔不要でうるおいを残しながら素肌美人へアソートパックスMホームメイドの味わいを好きなだけ。ご家庭用に気軽にお求めいただけるよう、スペシャルクッキーズを袋詰にしました。また、ちょっとした手土産にもピッタリの商品です。お気に入りクッキーの味をお楽しみください。京・洛中吹季寄せ蕪村五・七・五四季の移
どこまでも穏やかな瀬戸内ブルーの空と海の~んびり眺めていると日常の雑事をも忘れさせてくれそうですふとず~っときっと何十年も記憶の底に眠っていた蕪村の句が浮かびあがって来ました・・・*春の海ひねもすのたりのたりかな*春の海もいいですね!
■ナジャ猫カード春の海はるのうみひねもすのたりのたりかなぶそん蕪村さんの句です。春の海ひねもすのたりのたりかな何処にいても、眺める海はいいですねぇ特に春の海はのほほんとしてて、いいです。ゆったりとした時間が過ごせます。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
■ナジャ猫カード春は来ぬねごころやいずちともなくはるききぬぶそん蕪村さんの句です。寝心やいずちともなくはるはきぬ朝起きるといつの間にか春がやってきている。春ってそんな来方しますよねぇ今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
ということで……先週末は土日とも高峰マウンテンパークの大会でしたが、宿泊は安さにひかれての佐久IC近くのホテル初めて泊まるホテルでしたので、とりあえずGooglemapで周辺調べて飯食えるところはチェック済ホテルに入ってストレッチしてまだ明るさ残る中でしたが、まあ早めに酔うのも一興ということで、目星をつけていたお店へと徒歩数分で到着ショッピングモールというか、屋外のフードコートといった感じのエリアの中建物新しくおしゃれな外観のラーメン屋さん麵屋蕪村佐
全国的にいよいよ桜の開花宣言。金沢でも18度ほどあって、暖かくなった。来週にも開花宣言があるだろう。道を歩いていても、いろいろな花が咲き出した。これはツルニチニチそうだろうか。これはヒメリュウキンか。図書館前にある花壇。西洋の花だろうか。これからは気をつけてみれば、毎日のように種々の花を見ることができて楽しみである。ところで毎年気をつけているのだが、つい見逃してしまうのが杏の花。図書館前にあるのだが、今日見ると終わってしまった感じ。去年は初めてし
■ナジャ猫カード春の海はるのうみひねもすのたりのたりかなぶそん蕪村さんの句です。春の海ひねもすのたりのたりかなこの句を聞くと、いよいよ春の真っただ中のような気がします。瀬戸の島でゆっくり昼寝をしたくなります。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
■ナジャ猫カード行く春やゆくはるやおもたきびわのだきごころぶそん蕪村さんの句です。行く春や重たき琵琶の抱き心ちもうすぐ終わる春との別れ、それを惜しみつつ琵琶を持ち出し酒宴を開いている。そんなも宴も終わり頃、酒に酔って琵琶を抱くのも重く感じてします。春は心地いい時間をくれます。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
瀬戸の島々元宇品の西海岸は遊歩道(海岸園路)になっています。この道を歩くのが好きです。灯台が美しい姿を見せている。そして海には沢山の島々が浮かんでいます南方には江田島。手前の小さな島は峠島南西には宮島。左手前の島は似島アース・ミュージアム地球の勉強もできます^^「海食崖」海の波による浸食でできた崖。約6000年前の縄文時代にできた。当時の海水面は現在より数m高かった。波が打寄せる海岸沿い波打ち際は気持ちがいい。時々船による大きめの波が打寄せる
■ナジャ猫カードつつじちかみちへでてうれしののつつじかなぶそん蕪村さんの句です。近道へ出てうれしののつつじかなもうそろそろ山つつじに出会う時期でしょうか、山歩きをしてて、ふと見つけた花に春を感じますねぇ今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
■ナジャ猫カードのたりはるのうみひねもすのたりのたりかなぶそん蕪村さんの句です。春の海ひねもすのたりのたりかな春といえばこの句を引っ張り出さなくてはいけませんね。のたりのたりは春ののんびり感を表すかのようです。春の海を見ながら、のたりのたりとのんびり時間を過ごしてみたいものです。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
■ナジャ猫カードこま船こまぶねのよらですぎゆくかすみかなぶそん蕪村さんの句です。高麗船の寄らで過行く霞かな春の瀬戸内を高麗船がこちらに来るでなく走り過ぎて行く。春の霞がその姿をすぐに隠して春の景色の中に溶け込ましていく。この感じが春ですねぇ今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
春の海ひねもすのたりのたりかな蕪村写真の海、13年前の大津波の押し寄せた海と比べると、なんと違うことでしょう。こんなにも穏やかできらきらと輝いている海を見ると、あのときのことが嘘のように思えます。無事であることが一番。3月11日が何事もなく暮れていきました。ありがたいことです。黙祷・・・。春の海ひねもすのたりのたりかな
■ナジャ猫カードなのはななのはなやつきはひがしにひはにしにぶそん蕪村さんの句でする菜の花や月は東に日は西に昨日の芭蕉さんの句と打って変わって平素な風景の中になにか無常観を感じてしまいます。ちょっと違いますね。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
■ナジャ猫カードのたりのたりはるのうみひねもすのたりのたりかなぶそん蕪村さんの句です。春の海ひねもすのたりのたりかなやっぱり春はこの句ですよねぇ、特に瀬戸内の海を見ながら、ぼおっとするのがいいんですよねぇ今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
■ナジャ猫カードのたりのたりはるのうみひねもすのたりのたりかなぶそん蕪村さんの句です。春の海ひねもすのたりのたりかな春の海でのぉんぴりするのもいいですよねぇそろそろそんな季節です。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
ふるさとの伊勢なほ恋し初日影膾にも響くまつりの太鼓かな三浦樗良,紀伊長島に生まれ、のち伊勢に住む。蕪村など諸国の俳人と交わり「伊勢・樗良(ちょら)」と号した。
連休初日さいたまは明け方に雪から雨になった。ゴミ捨てや開ける鉄扉の春の雪さて、これまでに蕪村が切字の重複には拘らないし、むしろそれを通してより複雑な世界を表現していると分かった。その上で、「に&哉」句が「終止形+かな」を用いるのはさらなる特殊な意図があると推察したのだった。つまり、画賛や短冊に固定され箱詰めされた言葉「遅速を愛す」が、風変わりな切字「に」と「かな」との間に割り込むように置かれているには蕪村の中に何かしら事情があったのだろうと。では、蕪村が「遅速を愛す」と掲
今朝は雨中に観梅す蕪村の重複する切字について。まずは遺110白梅やわすれ花にも似たる哉とあっては眩暈がする。「や」も「哉」も発散型の切字なので、一つの句中の併存は異形である。しかし前回の句431川狩や帰去来(きこらい)といふ声す也に倣って、「白梅やわすれ花にも似たる也」とすれば無理は軽減されるが「キコライ」の音が消えた分緩くなった。「白梅やわすれ花にも似たりけり」なら分かりやすいが、これだと思い出話のようで臨場感がなくなる。ということで、理解不能な「や&哉」であった。
■ナジャ猫カード梅の香りうめがかにのっとひのでるやまじかなばせふ芭蕉さんの句です。梅が香にのっと日の出る山路かなちょっと蕪村さんの句にも似た感じがするのは春だからなんでしょうねぇ。ちょっとほっとした感じはやっぱり春ですよねぇ今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
(3)愛すかなの愛すはサ変動詞で「愛+す」の複合動詞である。愛すの意味は現代語に馴染みのある「かわいがる」「気に入る」ではあるけれど、宗教的仏教的には肉体あるいは精神の「渇き、欲望、渇望、貪欲」あるいはそれへの「執着」を言い、渇愛とも訳されて苦しみの原因であるとされる。しかし、愛染(あいぜん)明王は愛欲そのものが悟りであると説く。ちなみに武智鉄二監督の映画に出演された愛染恭子さまは「あいぞめ」と読む。そんなワケで、仏教の根本はその貪りや執着の戒めである。似たような言葉を並べると、
二もとの梅に遅速を愛す哉蕪村愛す=気に入る、好むかって「梅」のお題が出た時、自宅の前と、四、五軒先の梅の開花に大きなずれがあるのを、門々の梅それぞれの時を咲く門々の梅それぞれの時を知ると作ったことがある。何か同じ発想がうれしい。それで、ものすごくおこがましいのですが、蕪村との作に稚拙を愛す哉この句をめぐる素晴らしい解説があるので、下記あき坊さんのブログご覧ください。『二もとの梅に遅速を愛す哉(2)』2)遅速の意味は『遅い速い』ではあるけれど、単に並
2)遅速の意味は『遅い速い』ではあるけれど、単に並列に置かれているワケではない。遅し(遅い)とは鶉食つて月の出遅き丸子宿斎藤夏風おそく来て若者一人さくら鍋深見けん二時間的な遅さ、のろさを言う。速し(速い)とは五月雨をあつめて早し最上川松尾芭蕉紅葉には少し早しと谷下る細見綾子迅し迅速の他に時間的な前を言う。両者を合成すると、遅速(おそはや)は『ちそく』と音読みされて、蓬萌えおほばこの葉も遅速なく中村汀女遅速ある紅葉の翳り嵐山小出秋光のように何かを
■ナジャ猫カード菜の花なのはなやつきはひがしにひはにしにぶそん蕪村さんの句です。菜の花や月は東に日は西に春の野にびりしたいい所取りの句のような気がします。まさにのんびり感満載です。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
梅にはメジロが遊びに来る。部屋に居ると画像に確保できないけど、ウォーキング途中なら咄嗟にキャッチできることもある。花散らす梅よメジロの餌場なり歩いている時に、目の前の梅の木に群れるメジロも蜜を吸う喜びからか賑やかでかわいらしい。うら若き目白集へる梅の花目白の来訪は梅にとってもまんざらではないようで、拒む風もない。花も蜜も吸われ散りけり梅の園ウォーキングの基準点である神社に着いたら、ここには梅が狛犬を見つめるように咲いていた。気忙しいメジロは居ないし、松を背景に
「片隅の幸福」彼が我儘気儘に寝転んだのはどこであったろう。居候していた家の別間か、道中の安宿かそれとも途上の樹蔭か彼はそこでしみじみ人間の幸不幸運不運を考えたのであろう。切っても切れない断とうとしても断てない執着の絆を思い孤独地獄の苦悩を痛感したのであろう。所詮、人は人の中である。孤立は許されない。怨み罵りつつも人と人とは離れがたいのである。人は人を恋う。愛しても愛さなくても家を持たずにはいられないのである。みだりに放浪とか孤独とかいうなかれ!一茶の作品は極めて無
2月16日金曜日おはようございます。06時24分の東の空。本日の大阪は、日中は日差しが出そうです。⛅️⇒🌤️⇒🌤️今日は、三寒四温の三寒の方。北風強いので、暖かくしてお過ごしください。〈寒月や門なき寺の天高し〉蕪村