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さて今宵は蔡幸娟の歌唱で「知りたくないの」を聞いてみましょう。(画像は借り物です)(映像は借り物です)おまけはこちらにしてみました。蔡幸娟の歌唱で「恋におちて」(1985年小坂明子)。(映像は借り物です)
台灣漢語音楽鄧麗君テレサ・テン(鄧麗君:デン・リージュン、1953年1月29日-1995年5月8日)は、台灣を代表する歌手の第一人者で、1970年代から1990年代にかけて、母國中華民國(台灣)のみならず香港、マカオ、日本なども含めた東アジア文化圏を中心に國際的歌手として廣く人気を博し、生前から「アジアの歌姫」と呼ばれていました。日本ではレコード會社の販賣戦略に乗せられた爲、演歌歌手のイメージが強いのですが、實はフォークソングやポップス、バラードなど幅廣いジャンルの歌を歌
台灣漢語音楽蔡幸娟【難忘的初戀情人】は、1971年6月に台湾で発表された楽曲です。この曲は、作詞が狄珊、作曲が江明旺で、先に方晴、次いで鄧麗君がほぼ同時に演唱してヒットとなったものです。方晴版では題名が【難忘初戀的情人】となっており、「的」の位置が異なっています。また、同じ作詞者に依る詞ですが、歌い出しが方晴版では【是愛情,不夠深,還是沒緣份…】であるのに対し、鄧麗君版では【我是星,你是雲,總是兩離分…】であり、歌詞の各句の順番や詞語もやや異なっていますが、内容的
台灣漢語音楽蔡幸娟【幸福在這裡】は、日本で1956年当時18歳の新人歌手大津美子(おおつよしこ)が発表した楽曲【ここに幸あり】の台灣國語版です。作曲は飯田三郎のものをそのまま使用していますが、作詞は高橋掬太郎の原詞を踏まえて易鳴(詳細不明)という人が台灣國語に翻案したものです。台灣でも有名な曲で、鄧麗君を始め鳳飛飛や蔡幸娟の他費玉清など男女を問わず多くの歌手によってカバーされています。なお、この歌詞は殆ど全ての句の末語が、平水韻上聲「紙
台灣漢語音楽蔡幸娟「過去的春夢」は、アメリカのカントリーソング「IReallyDon'tWanttoKnow(私は本当に知りたくない)」に李瑞成(詳細不明)と言う人が漢語の訳詩を付けて、1956年に柔雲(詳細不明)の演唱により香港で発表された楽曲です。その後、この歌は香港や台湾で多くの歌手によってカバーされています。また、日本でも1965年に新人作詞家のなかにし礼によって「知りたくないの」と題する女言葉の訳詩が付けられて、菅原洋一が演唱したところ、そのむくつけきハン
台灣漢語音楽蔡幸娟「星星知我心」は、元々台湾で1983年8月15日から同年10月14日までの2箇月間放映された同名の連続テレビドラマの主題歌として蔡幸娟の演唱により発表されたものです。このドラマは、「情節、人の肺腑に感ぜしむ人をして熱涙を流さしむ」と絶賛されて大反響を引き起こし、蔡幸娟小姐の歌う主題歌も大ヒットとなりました。この楽曲の作詩は楊英明、作曲は李子恒で、歌詞の内容は遠くにいる恋人を思いつつ星に願いを託す乙女の寂しい心情を詠じたものです。なお、195
「明月千里寄相思」は、1948年上海で発表された楽曲です。作詞・作曲は、戲曲家の金流(本名:劉如曾)で、当時26歲の吳鶯音が原唱して大ヒットとなり、ほぼ70年後の今日でも歌い継がれています。詞題に見える「相思」という詞語は、「お互いに思いあう」と「相手を思う」との二つの意がありますが、ここでは後者の意で使用されており、音沙汰のない相手を思う乙女の心情を表現しています。この歌詞は、文語体
「我家在那裡」は、1972年の台湾映画、「晚秋」の主題歌として発表された楽曲です。作詞、作曲、演唱共に劉家昌(リュー・チアチャン、1940年4月13日-或いは1943年4月13日-)ですが、この人は非常に才能豊かな芸術家で、この映画
我是一片雲,天空是我家。(我れ是れ一片の雲、天空は是れ我が家なり)朝迎旭日昇,暮送夕陽下。(朝に旭日の昇るを迎え、暮に夕陽の下るを送る)我是一片雲,自在又瀟灑。(我れ是れ一片の雲、自在にして又瀟灑たり)身隨魂夢飛,它來去無牽掛。(身は魂夢の飛ぶに隨い、それ來去して牽掛することなし)(和訳)私はひとひらの雲、天空が私の住み家。早朝には旭日の昇るのを迎え、夕暮れには
台灣漢語音楽蔡幸娟「程英」と名乗る方からのコメントで、蔡幸娟小姐の最近の動画についてご紹介を頂きましたので、今回はそれに因んだ記事を掲載します。次の動画がご紹介を頂いたもので、2017年3月18日の蔡幸娟小姐51回目の誕生祝賀会の模様です。舞台設定などは簡素なものですので、余程親しい人だけの集うほんの内輪のパーティーであったようです。この中で、小姐が即興で「月亮代表我的心」を歌って、変わらぬ喉を披露しています。20170318首都飯店蔡幸娟即興演唱月亮代表我的心
漢語音楽蔡幸娟「何日君再来」(ホーリージュンザイライ、邦題「いつの日君帰る」)は、、「夜來香(イエライシャン)」と並び称されるチャイニーズ・メロディーを代表する1曲です。この曲は、1937年に上海で製作された映画『三星伴月』の挿入歌として、当時の人気歌手周璇(しゅう・せん、チョウ・シュアン、1918年8月1日‐1957年9月22日)の演唱により空前のヒットとなりました。作詞者は貝林、作曲者は晏如で、歌詞の内容は送別の宴席で別れを惜しみ再会を願う心情を詠じただけ
花漢語音楽蔡幸娟【夜來香(イェライシャン)】「夜來香(イェライシャン)」とは、キョウチクトウ科(旧ガガイモ科)の花の一つ、学名テロスマの漢語名です。ユリに似た上品な香りが夜になるとひと際強くなるので、この名が付けられています。日本名は「東京葛(トンキンカズラ)」、英名では「Tonkinjasmine(トンキンジャスミン、東京茉莉)」と言います。東京(トンキン)とは、この花の原産地を意味し、日本の東京ではなく、嘗ての仏領印度支那のトンキン、現在のベトナムのハノイのこと
台灣漢語音楽蔡幸娟「淚的小雨(涙の小雨)」は、1969年(昭和44年)2月1日に発売された内山田洋とクール・ファイブのデビュー曲「長崎は今日も雨だった」の替え歌で、彩木雅夫の作った曲に台湾に住んでいた北京出身の作詞家莊奴が独創的な詩を付けたものです。「雨」の一語以外は、「長崎は今日も雨だった」とは、似ても似つかぬ歌詞になっています。また、同じ曲に同じ莊奴が別の詩を付けて1970
台灣漢語音楽蔡幸娟1974年の森進一のヒット曲『襟裳岬』は、台湾でも多くの歌手によってカバーされています。曲は吉田拓郎のものですが、歌詞は岡本おさみの詩的表現が難解で翻訳が難しいため、殆どが意訳というよりも全く別物の歌詞が付けられています。このため、歌題も「襟裳岬(鄧麗君1976)」だけではなく、「依舊是一個人(鳳飛飛1978)」「沙灘上的歌聲(蔡幸娟)」「仍舊一個人(蔡幸娟)」「「照顧我吧!愛神」「迎接好春天」など歌手ごとに様々なものがあり、中にはイントロだけは全く同じで中身
音楽漢語音楽台灣蔡幸娟【襟裳の春】日本の歌手森進一の演唱で大ヒットとなった楽曲「襟裳岬」は、演歌系、フォーク系などジャンルを問わず実に多くの歌手がカバーしています。今回は、ポップス系がお好きな方のために、台灣の歌手蔡幸娟小姐の演唱をご紹介します。小姐のアルバムの中で、「三語一體」シリーズというものがあります。これは、日本の曲を、台灣國語・台湾閩南語・日本語の三言語で歌い分けるものです。以下、、「三語一體」シリーズの中の「襟裳岬」を添付します。第1節を
台灣漢語音楽蔡幸娟「補破網」は、1948年(昭和23年)に發表された台灣の代表的歌謡曲の一つです。作詞者は、1933年(昭和8年)に「望春風」で乙女心を切々と詠じて一世を風靡した詩人李臨秋(リリンシュウ)です。詩題の「補破網」とは、破れた網を修補するという意味です。当時、既に38歳で未だ独身であった李臨秋が、ある年の七夕の日に些細なことから恋人と喧嘩別れをしてしまいました。その彼女の心を呼び戻してやり直そうと考えて作ったのが、この「補破網」です。この
台灣漢語音楽蔡幸娟台湾の四大民謡と言われる「四月望雨」とは、38歳で夭逝した鄧雨賢の作曲になる『四季紅』、『月夜愁』、『望春風』及び『雨夜花』の4曲のことを言います。当ブログでは、これまでその内3曲をご紹介してきました。今回は、最後に『月夜愁』をご紹介します。この曲は、元々台湾原住民平埔族の歌謡が原典となっています。その歌謡を、20世紀初頭にカナダから台湾へ移住し「馬偕博士」と呼ばれて尊敬を集めたキリスト教の宣教師であり医者や教育者でもあったジョージ・L・マッケイ
台灣漢語音楽蔡幸娟台湾を代表する作曲家鄧雨賢の作品の中で最も有名な「四季紅」「月夜愁」「望春風」「雨夜花」の4曲は、その頭文字をとって、纏めて「四月望雨」と通称されています。また、この4曲を含めた「四月望雨」という名のミュージカルも製作されています。本ブログでは既に、「望春風」と「雨夜花」の2曲についてはご紹介していますので、今回は、「四季紅」をご紹介します。「四季紅」の作詩者は、「望春風」でコンビを組んだ李臨秋です。歌詞の内容は、年頃の少年少女の恋愛を、
花台灣漢語音楽幸娟「雨夜花」は「望春風」が発表された翌1934年(昭和9年)に発表された楽曲です。作詞は当時23歳の青年周添旺(しゅうてんおう1911年-1988年)、作曲は「望春風」と同じ鄧雨賢(とううけん1906年-1944年)、この曲は「望春風」と並び称される台湾を代表する名曲です。詞の内容は、薄幸な人々の運命を、夜の雨に散る花にたとえて詠じたものです。詞を書いた周添旺は、当時既に新進気鋭の作詞者として名を知られており、コロムビアレコードとの仕事の関
台灣漢語音楽漢詩蔡幸娟「望春風」は、1933年(昭和8年)に台灣の女歌手である純純(じゅんじゅん:スンスン、台灣人、本名劉清香、1914年-1943年1月8日)の演唱で発表された台灣語(台灣閩南語:台語)の歌謡曲で、「台灣歌謠之父」とも「台灣民謠之父」とも称されている作曲家の鄧雨賢(とううけん、1906年7月21日-1944年6月11日)が残した作品の中で、所謂『四月望雨』(「四季紅」、「月夜愁」、「望春風」及び「雨夜花」の4曲のこと)として並び称されている四大傑作の一つです
明日は早朝から都内で映画の追撮(撮影)です。早めに休まないとまずいなぁ~☆日日是好日☆「どんな日もかけがえのない一日ととらえれぱ、いい日も悪い日もないはず。」そんな感じだな…現在【いま】を生きる。それだけ…台南市出身蔡幸娟『真情』
蔡幸娟【台湾・台南市出身】『雨夜花』台湾の歴史ある名曲・台湾語テレサも最高なボ-カルだけど、やっぱり、蔡幸娟(ツァイ・シンチュアン)のボ-カルは本当に精神的に癒される。雨の降る夜に咲いてる花は風にふかれてほろほろ落ちる白い花びらしずくにぬれて風のまにまにほろほろ落ちる更けてさみしい小窓の灯り花を泣かせる鼓弓の調べ明日はこの雨やむやもしれぬ散るをいそぐな可愛い花よ雨の降る夜に咲いてる花は風にふかれてほろほろ落ちる『時の流れに身をまかせ』最高蔡幸娟
2020東京五輪『台湾正名』街宣・署名活動!勿論、台湾でも署名活動!(東京都他、各地で)関西でも、全国に拡がっています。『なぜ、いま台湾正名なのか』中国共産一党独裁政府のその暴力と圧力に金のなかでこのようなことは許すべきではない!台湾は台湾国である!中華人民共和国ではない!中華民国でもない!台湾は歴史上、一度も中華人民共和国の一部だったことは有りません!日本が当時清国、清国から日清戦争で台湾を割譲してもらったのが1895年台湾の人達が満州人に支配されていた清の皇帝の支配する清国から
雨が降り、いつの間にか通りすぎて…何だこの気候は…台湾・台南市出身蔡幸娟(ツァイ・シンチェアン)「心雨」好きな歌です。
テレサテンの夜来香も最高だけど、俺は蔡幸娟の夜来香がとても好きだ。♪最高♪