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このブログのカテゴリーは、【韓流推しブログ】なんですが…日記のようなつもりで色々と書き留めて今日までなんとか続いてきました。…気づくと、何と11年目。今年の夏を過ぎると12年目に突入します😳😳😄。メインのRAIN推しは、ブログを始めるずっと前からですので、かれこれ約18年くらいになりますから、なんともファン歴もしつこく長く続いているというわけです😂。話が逸れますが、ヒョンビンさんのドラマ「シークレットガーデン」をご覧になった方ならご存知でしょう。主人公のキル・ライム(ハ・ジウォン)が
アメブロを始める前から伊勢志摩へ行ったり山形へ行ったり金沢へ行ったり九州へ行ったり道後へ行ったりと随分あちこち旅行していたのに、残念ながらアメブロには記録が残っていません。今回、一体5年前の何月何日に私は高野山へ上ったのだろうと思いフォトで検索しましたら見つかりました❗私は5年前の2018年10月12日の金曜日に、一人で蓮華定院さんに宿泊していた事がわかりました。有り難い❤https://www.rengejoin.jp/【公式】高野山真田坊蓮
2023年1月31日、高野山の女人堂から一心院谷へ行きました一心院谷とは、高野山駅からバスに乗って山内に向かうと、まず女人堂がありますが、その女人堂を過ぎて坂を下ると右手に「金輪塔」が見えてきます。その付近が一心院谷です前々日まで大雪でしたが、この日は晴れて交通機関も正常でした高野山駅。青空が見えました雪がいっぱい残っていましたここからバスにのり「女人堂」で降車【女人堂】高野山の入口にあった七つの女人堂のうち唯一残る女人堂です雪は降って無くて風も無いので全
今日は2023年1月7日(土)です。昨夜はNHK-BSで芸術家の千住博さんが和歌山の高野山の襖絵を描く番組を見ました。興味深く見ました。僕は何度か高野山に行った事が有ります。その中の一部を振り返って見ました。過去記事です。↓============2010年5月22日の出来事です。高野山(こうやさん)今から1200年前に空海(弘法大師・こうぼうだいし)が開きました。場所は、和歌山県伊都郡高野町です。全国の真言宗3000寺の総本山が・・こ
金剛峯寺壇上伽藍2つ宿泊した蓮華定院奥之院
伊勢の占い師☆月美結貴です。涙の朝ごはんの後(笑)真田家のお墓にもう一度行ってみようと思い、その話を、隣の二人組の男性にしたら、お墓のことは知らなかったようで、見てみたいという事だったので案内しました。蓮華定院(真田坊)に泊めていただいたお礼を伝え般若心経を唱えさせていただきました。風が吹いて木々の草が大きく揺れていました二人組の男性とお別れのご挨拶をして「お気をつけて!」「また縁があったらどこかで~!」など言葉を交わして部屋に戻りました。電車の時間まで、2時間
伊勢の占い師☆月美結貴です。高野山最後の朝です。朝の勤行に参加させていただきました。読経が終わるとご住職だけ残って宿泊者に話をしてくださいました。弘法大師様のお話でしたがとても感動する内容で途中から涙がポロポロ出て止まらなくなりました(ハンカチ持参必須です!)本堂内が暗かったので良く見えませんでしたが私だけでなく男性の方たちも泣いていたようですそのまま朝食会場に移動したのですが朝ごはんを食べていても涙が全然止まりません自分でも分かるのですが涙
伊勢の占い師☆月美結貴です。高野山3日目は大雨と移動に疲れてグッタリこの日の宿坊は蓮華定院(れんげじょういん)。真田家(真田幸村)の菩提寺です。大河ドラマの「真田丸」が大好きで何度もリピートしてみていたのでとても楽しみにしていましたちなみに真田昌幸(お父さん)と信繁(=幸村)が高野山に蟄居(ちっきょ)させられた時、九度山に住居を構えて家族と住んでいたそうです。幸村は14年もの間、九度山と蓮華定院を往復しながら「得度(出家する儀式)」して、「好白」という僧名を得た
ブログ更新5081回目高野山宿坊の蓮華定院は、真田昌幸・幸村が逗留した高野山真言宗を宗旨とする真田家ゆかりの寺院です。所長散策ぶらり~休日お散歩旅です。【真田幸村ゆかりの寺院】真田家家紋の六文銭が随所に見られ、古来変わらぬ庭園など鎌倉初期創建の歴史ある寺院関ヶ原の戦いに敗れ、蟄居を命じられた真田昌幸・幸村父子が滞在した真田家の菩提寺。随所に真田家の家紋・六文銭が見られ、手入れの行き届いた庭園や梵字の描かれた石庭、父子が滞在した「上段の間」や遺品など見どころが多い。裏には、幸村の兄
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続きまして。徳川家霊台から歩いて数分。こちらに訪れました。蓮華定院。歴史好きならご存じの方も多いと思いますが。上の写真の石標の紋にもありますように、真田家と縁がある寺院です。関ヶ原合戦後、西軍側だった真田昌幸・信繁(幸村)父子は、長男の信之と舅の本多忠勝の嘆願により死罪をを免れ、高野山へ配流になります。その際に一時滞在していた寺院ですね。後に九度山へ移るのですが、九度山へも訪れましたので、その様子はま
5月、8月と延び延びになっていた高野山へやっと行けました今回は今まで行けなかったところへ向かいます‼️女人堂そして、そのまま坂を下ると、真田昌幸、信繁が謹慎していた蓮華定院歴女にはたまらない浪切不動堂も初めてです!中の橋から奥の院へ向かいます奥の院で、空海さんに書いた葉書をポストに入れてきました大門の隣にある、嶽弁財天社へ向かいます30分位登った風景ですそして、高野を守護する女神の社と言われる丹生都比売神社⛩淀君が寄進した太鼓橋を渡ります重要文化財の楼門や水鉢に薔薇
去年の今頃は高野山に10泊!卓空展を開催しました!今年は茨城の名刹雨引観音さんで開催予定でしたが…来年の紫陽花祭り頃の開催予定!風祭とコラボです。蒼空も来ました!娘のプレスリリース大成功!良かった〜〜真田坊蓮華定院素晴らしい宿坊でした。みんなの回答を見る
この投稿をInstagramで見る康徳院/Kotoku-intemple康徳院は宝永三年(一七〇六)に描かれた「高野山絵図」によると、現在の南院(その頃は大徳院(現在の蓮花院)があった)の東側に存在した行人方の寺院である。現在は蓮華定院の敷地内に康徳院の篇額が掛かる建物があるばかりである。#康徳院#高野山絵図#蓮華定院#南院#行人方#蓮花院#大徳院#kotokuin#koyasan#rengejoin#nanintemple#renginTomohiroT
ワシ、この家康は腹黒狸と云われていたようじゃがの。なぁに、真田安房守に比べればカワイイものよ。なにせ安房守は、腹黒どころかドス黒いからのう。表裏比興(ひょうりひきょう)の者と名付けた~は、この秀吉だがや。油断も隙もにゃー(無い)て、アブナイやっちゃ(奴)よ~。はい、お二方、貴重な証言をありがとうございました。江戸と大坂から二元中継でお送りしました。スタジオにお返しいたします。はい、こちらスタジオです。ゆかり地まとめ画像で、真田安房守昌幸という人物を辿ってみましょ
今年も大晦日は、高野山(・∀・)毎回車だが、初のケーブルカー。お元気そうです。同じく。奥の院へ参拝m(__)m今回お世話になる宿坊、蓮華定院(^O^)/女人堂のすぐ近く。やった〜初の瞑想〜\(^o^)/寒い。数息観m(__)m
令和元年11月17日(日)高野山女人堂の次は奥の院(おくのいん)に向かいます。不動坂口から金剛峯寺の方に戻って行く形になります。たくさんのお寺や石碑を見ながら歩きます手入れができているお寺やできていない「入れるのか?」と思うようなお寺もたくさんありました。宿坊になっている所も多いようです。巴陵院(はりょういん)随心院(ずいしんいん)本当はキャンセルしたツアーではここで『令和元年を記念して、秘仏の薬師如来坐像の拝観』があったのでこの機会にって楽しみにしてきたのですが、門が閉
2.9度と記憶したが、2.6度でした。。。直前の天気予報ではチラッと雪のマークもあったんで三脚望遠でチラ雪を圧縮させるつもりが雪降らずそれはそれで思った通り。12月になると紅葉はほとんどなくなっているつもりがほんの少しだけ残っていた。これより高野山に入る手前の女人堂よりここを歩いたのは小学校の林間学校以来、少し歩いた蓮華定院に泊まったのか??いや、もう少しお寺が並んでいたような?、、、まったく記憶にない(苦笑)11月の紅葉シーズンが過ぎた12月の
今日は2019年11月5日(火)です。僕のブログはヤフーブログから引っ越しをしてきました。ヤフーの時はハッシュタグの機能が有りませんでした。それと・・・お友達限定だったのでヤフー時代は数人のお友達しか公開していませんでした。アメバに引越しをしたのを機会にハッシュタグを入れる作業しています。同時に・・・過去記事として改めて記事を総ての方々に公開する事にしました。過去記事です。↓==============2010年5月22日の出来事です。
ここで前回、といっても20年近く前のことにはなりますが、高野山参拝をした時の写真を掘り出してみました。1999年2月13日。前夜に降った雪が残った高野山でした。大門。今回は代行バスの車窓からチラッとだけ観て終わりました。金剛峯寺の六時の鐘。金剛峯寺本坊。職員の方が境内の雪かきに追われていました。長靴の用意もなかったので雪の参道は見て終わり。雪景色の壇上伽藍。東塔方面からの風景ですね。根本大塔。内陣拝観がで
いろいろ忙しすぎて、なかなかPCの前に座ることができずにいました( ̄▽ ̄)高野山から帰って野暮用が多すぎて…今日は台風なので、少しゆっくりできます。時間があれば連投しますね。ということで、高野山の宿坊は、真田昌幸・信繫親子ゆかりのお寺、蓮華定院でした。かの大河ドラマではおなじみのお寺ですね。信繫は妻子がいたので、のちに九度山に下山したのは御承知の通りです。高野山はこういった武将にちなんだ宿坊がほとんどなので、もし高野山に行かれることがあって宿坊に迷うことがあれば、好きな
蓮華定院最後の朝餉は…真田家所縁部屋でした。真田丸の撮影が始まる前に堺雅・菅野美穂夫妻も投宿、この部屋で食事をしたそうな。
高野山のお坊さんの食の故郷かもね😁長さん(お坊さん)に誘われて今ちゃんに行きました。長さん、歩きながら「卵焼き」「唐揚げ」の注文!着いてからでいいんじゃないの〜〜と思ったけど…(笑)出てきたら迫力の美味しさ❤️真っ暗な蓮華定院を後に…波切観音さんのまえをみだした。迫力ある唐揚げ〜〜卵焼き美味しい✨今日もおつかれさまでした。
阿字観を体験しました。ぐーたらな私はやっと夕方の阿字観を体験しました。今日はイタリアから見えた方々が沢山いして蓮華定院の添田御住職様は流暢な英語で御説明なさっていました。御住職が入られる前から皆さん緊張の面持ちです阿字観とは「あじかん」と読み、これは真言密教における修法の1つであり、詳しくは真言密教における「座禅」の方法です。真言密教は禅宗とは異なり本来、座禅と言うものはありませんが独自の座禅法である「真言禅」と呼称される瞑想法があります。
真田坊蓮華定院さんどのお部屋も素晴らしい!ここから見た部屋が一番美しい!幸村も見たかも!
夜の宿坊は幻想的✨✨✨
美しい宿坊の朝
宿坊は、真田坊蓮華定院さんです。真田六文銭がお出迎え!おつかれさま〜〜かんぱーい!胡麻豆腐がうま〜い!