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映画「ゆきてかへらぬ」は(中略)田中陽造さんが四十年以上前に書いた脚本の映画化です。同じ田中脚本の「ツィゴイネルワイゼン」を蓮實重彦さんは円型が崩れていく映画だと論じていましたが、今作は球形が壊れていく映画なのかもしれません。(楠瀬啓之「編輯後記」「波4月号」新潮社)-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com
blogのコメントより。>gd-fgさんお疲れ様です。…自分も、「差異と反復」の本文が余りにも難し過ぎて…、訳者である財津理さんの解説の方は”いくらかは…”読んでいたんですよ…。自分の理解出来る範囲ナンですが…、gd-fgさんが”今まで仰っていた内容”と重なりますね…。自分のやるべきなのは…、「ドゥルーズを(上手く)理解・解釈する」のではなくて、(恐らく…ですが)「ドゥルーズの言わんとする(ような?)こと」を、(ドゥルーズとは)全く別のやり方で提示していくことだと思っております…。それは
キネマ旬報の毎年の特集記事に、『決定!映画本大賞』があります。昨年は、6月号に掲載されていました。キネマ旬報ベストテンと共に、毎年楽しみな特集記事なんです。その、昨年のキネマ旬報6月号掲載にある特集記事の主旨を引用させていただきますね。【映画を「観る」楽しみだけでなく、「読む」楽しみも伝えたい。そんな思いから本誌が毎年発表している〈映画本大賞〉。芸術書を担当する書店員ら映画本を愛する24人が、心に残ったベストブックを選出します。・・・】と言うものなんです。私も昔から、映画を観るだけ
蓮實重彦のお見舞いの手紙に返事を書く。(中略)また往復書簡が本になればいいなあと思う。蓮實重彦から手紙が届く。入院の体験を「遠い座敷」のような小説として書けと言う。まだ俺のことを脂の乗り切ったベテラン作家とでも思っていらっしゃるのであろうか。(筒井康隆「九十歳、何がめでたい」「波1月号」新潮社)
https://youtube.com/watch?v=C7thOFBAPPE&si=NMmUXpgr1x5y4X0e前回に到るまで、僕は「ジル・ドゥルーズ=フェリックス・ガタリ」を理解するために障壁となっている岩として、「フロイト=ラカンの正しい理解の仕方」と「浅田彰と柄谷行人によるD=Gのいい加減な理解の仕方」を批判した。sakura-kasaga102さんには申し訳ないし、世の中に数多くいる「柄谷ファン」の反発を買ってしまった、と思う。「デリダにとってのパロールは、メルロ
12月3日新入荷情報につき、現在の状況についてはこちらをご参照ください。⇒https://t.co/0w2iJ5yYS1?amp=1または、お電話にて御確認いただければ確実です。お手数をおかけいたしますが、宜しくお願いいたします。映像のカリスマ黒沢清映画史黒沢清ヤケシミ曲がり少傷み見返し破れ有¥1,500トリュフォーある映画的人生山田宏一少汚れ少傷みヤケシミ¥600映画パンフレット我等の生涯の最良の年SUBARU№17監=ウィリアム・ワイラー
うちの書棚を見ると、古い本ばかりだ。よく学生の頃、毎月買っていた『現代思想』は、1984年のが、1月から12月まで揃って並んでいる。手にとってみると、懐かしい。まだまだ思想をやると言う時代だったなぁ〜と、想いに耽った。当時、蓮實重彦先生や、今村仁司先生、栗本慎一郎先生、山口昌男先生が、活躍していた時代だった。蓮實先生以外は、皆、鬼籍に入っている。栗本慎一郎先生は、『パンツをはいたサル』が人気があり、有名だったと思う。『現代思想』の1984年11月号を見ると、あの小松和彦先生のチャレンジチ
以前にも確か書いたが、専制政治と精神分析とカルト教団に共通する「超=コード化」は、主に4つの批判〈される概念〉で成り立っている。それは、1.アイデンティティ2.オイディプス3.ルサンチマン4.ファシズムである。しかし、資本主義社会からそれらが消えたかというと、そうではない。相変わらず、同一性のファシズムは蔓延っている。一方で、カルト教団のファシズムを非難・批判する共産党や共産主義者が、〈自らの対峙するイデオロギーを批判したところで〉正義の使徒なのかと言われたら、僕はそれは寧ろ「逆であ
「そもそも、若い人はもう本など読みませんからね。筒井さんのものだって、恐らくみんな携帯で読んでいるだけでしょう。紙の本という前世紀の遺物みたいなものをどのように若者に届けるかということは、講談社が社を挙げて全員で考えたってわからないわけでしょう。どうしますか」(蓮實重彦「対談」講談社)
〇異国トーキョー漂流記高野秀行集英社文庫〇ジャンヌ・ダルク暗殺藤本ひとみ講談社〇クリスティを読む大矢博子東京創元社〇残月記小田雅久仁双葉社〇100分で名著小泉八雲池田雅之NHK出版〇プロジェクト・ヘイル・メアリー(上)(下)アンディ・ウィアー早川書房〇ショットとは何か蓮實重彦講談社
いまではサイトでの購入がしごく容易になっているので、思わず買ってしまう書物も際限なく増え続けている。それが不愉快なら電子図書にせよという人もいないではないが、拙宅の書庫を空間的に占有することのないものなど、書籍とは呼ばぬこととしている。(蓮實重彦「些事にこだわり19」「ちくま5月号」筑摩書房)
今すぐ読むあてのない書物(中略)は納戸の棚に置いてあるはずだが、その納戸が処分できずにいる映画のDVDを収めた紙袋で溢れかえって足の踏み場もない。だから納戸にあることは分かっていながら、どこにあるか不明という他なく、もはや、書棚として機能していない。(蓮實重彦「些事にこだわり」「ちくま5月号」筑摩書房)
クナック・ド・ストラスブールという名前のソーセージがあってそれは娘の子ども時代の好物。「クナック❣️」と言いながらそれを食べるさまがありありと思い出されます。素晴らしく可愛く賢い子どもでした。"クナック"は擬音語らしく日本なら"パリッ"とでも言うところでしょうか。ストラスブールはご存知アルザス地方の主要都市。美しい街でクリスマスのイルミネーションも有名です。その美しい街は古くはローマ帝国の一部でのちにはフランスだったりドイツだったりと国境の街としてさまざまな歴史に
今日、4月29日はフランス🇫🇷文学者で元・東京大学学長の蓮實重彦先生の誕生日です。最早、トレードマーク?の髭を生やされていないようですが、柄谷行人さんや村上龍さん、故・坂本龍一さんとの対談、鼎談で名前と顔を知り、反・大江健三郎陣営の先頭を切っていることに共感しながらも、『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』は未だに読み切れない区切りの悪さを一方で感じつつ現在に至る次第であります。本人が凡庸ではないのに、『凡庸』や『表層』や『倒錯者の戦略』がキーワードになるのであるから、哲学者とは一筋縄では行か
残酷な視線を獲得するために『村上龍対談集存在の耐えがたきサルサ』よりこれは、龍さんと15人の方との対談集。📚龍さんと蓮實重彦さんとの対談メモ🍀蓮實さんについて批評家。フランス文学者。著書『夏目漱石論』『物語批評序説』『映画からの解放』など。📝北野たけしさんについて龍さん「僕は、たけしさんの映画を観ていつも思うのは、小説家とコメディアンというジャンルの違いで、例えば小説家はヘタすると、ある情報をものにするのに一年とか五
「中学三年生向けの学習誌に(中略)SFを書けという注文だったけど、学習誌だからドタバタは書けないわ、〆切は迫ってくるわで本当に困って、代々木公園をぐるぐる歩いて構想を考えたことをおぼえています。蓮實重彦さんはあの作品ばかり褒めてくれるから困っちゃうんだよね」(筒井康隆「対談」「波3月号」新潮社)
現在の韓国の若者(中略)が「パロディアス・ユニティ」を知っていることだけでも驚きだったが、現代日本の若い映画好きの果たして何人がその名前をしかと心得ているだろうか。いうまでもなく、黒沢清、万田邦敏が学生時代に捏造した製作集団の名前である。(蓮實重彦「些事にこだわり18」「ちくま3月号」筑摩書房)
ある時、都内の(中略)ホテルに吉田喜重、山根貞男、蓮實重彦が集まり、小津安二郎の生誕百周年に何かやらねばなるまいとなり、朝日新聞社の記者に協力してくれというと、やりましょうという彼の一語で全てが決まった。即断こそが事を簡単に運ぶ奥の手だと覚った。(蓮實重彦「些事にこだわり」「ちくま1月号」筑摩書房)
「神戸ニニンガ日誌」(第3,113号)○映画「ファースト・カウ」。ケリー・ライカート監督作品。開拓時代の米・オレゴン州。未開の地にやって来る二人の男性。豊かな自然の色が濃く美しい。絵画を観賞しているような心持ちになった。○米国開拓時代を描くと、一攫千金の「アメリカンドリーム」的なストーリーが想起される。二人の男もこの地で暮らす男たちも、ほぼ全員がそのような野望はかっきりと持っている。○重要なのは「牛」だ。未開の地なので唯一の牛だ。そしてこの牛もドリームだ。二人は牛のミルクを隠れて絞
AdieuRomantiqueNo.564『映画と映画音楽について語るときに僕が語ること』【懐かしの名画編④】僕自身の映画的記憶を呼び覚ますように。断続的に書いているシリーズ記事『映画と映画音楽について語るときに僕が語ること』。その【想い出の名画編】の4回目。📖まずは。(いつも都合よく)今、手元にある映画について書かれた一冊の本のことから。シリーズ1回目にPickUpしたの
『お遊さま』1951,溝口健二感動の余韻に浸っています。人間の口腔から発する溜息と称するものは溝口健二監督作品を鑑賞し終わった時のために存在しているかのようです。しかしよく考えてみるとこの作品の前に観たのがクルーゾーの『悪魔のような女』でした。とても偶然とは思えませんが、溜息は溝口健二だけの専売特許ではないのだと思います。ただし(大好きな作家ではありますが)クルーゾー程度の作品と溝口とでは溜息の「深さ」というのか格というものが違います。もっともシモーヌ・シニョレと田中絹代が作品に与える
『ニッポン国古屋敷村』映画批評家蓮實重彦氏が爆笑した名シーンさて、幸福実現党の大先輩、宮松宏至氏が、小川(紳介)プロダクションの映画『どっこい人間節~寿・自由労働者の街』でスチール担当をしておられた事を知って大いに驚いた事は以前記事にさせて頂いた。https://ameblo.jp/papadad/entry-12817493405.htmlさらに、幸福の科学国際編集局の田中司氏が大学時代師事した映画評論家でもある蓮實重彦氏(フランス文学者)が、小川紳介氏の映画を高く評価されていた事を知
蓮實重彦「午後の朝鮮薊」(『新潮』2023年10月号所収)を読みました。戦争中のある日、主人公の二朗は思いを寄せていたのに死んでしまった蓬子の姉の薊子から食事に誘われ、舞台となった近々建物疎開となる祖父の旧宅で起こった双方の行動や会話を中心にこの小説は進んでいくのですが、(濃淡はあるものの)官能的な雰囲気が小説全体に滲み出ていて、本当にウンザリしました。また、中盤以降は二人のために料理を作った(けれど、召集令状の到着が明らかになった)料理長のある意味驚きの過去が明かされたり(まさか、蹴
現在の渋谷では、そこへ行きさえすれば探している書物が必ず見つかる(中略)良質な大規模書店も姿を消してしまったし、本格的なエスプレッソが飲める広々と開かれたカフェもなくなってしまった。侯孝賢監督のお気に入りだった中華料理の麗郷も近く閉店するという。(蓮實重彦「些事にこだわり15」「波9月号」新潮社)
起きると信じ難いほどダルく。いい感じの焼きそばも美味しく感じず病院に行く。3年前と同じ薬を出される。下北のオシャレ中華で食事会。楽しかった。日々気色の悪い親父たちから同情を受けている。俺は楽しく生きているから俺を心配してる暇があったらその言葉を表現のひとつも出来ずに日々コンテンツを消費しては家賃を支払うので精一杯なお前の惨めで虚しい人生に折り返してみろ。蓮實一派じゃないと日本でアートハウス映画を撮るのは難しいとな。親殺し!とか天皇制!とか騒いでたやつらがいけしゃあしゃあと神輿
コーヒーブレイク小川プロの記録映画「どっこい人間節」について投稿したところ、田中司さんから、以下のようなコメントがございました。「蓮實重彦先生が1993年に『小川紳介の映画を語る』という小川の追悼講演をされており、それが著書に収められていて、その中で小川を非常に高く評価されています。たとえば冒頭のほうに『事実がこうあったということを分析するための脳、それが小川紳介はおそらく日本の映画作家の中では最も冴えていたという感じがします』とあります。」蓮實重彥氏は、日本の文芸評論家・映画評論家・
録画映画集から「ヘカテ」(1982年ダニエル・シュミット監督1時間48分)を見る。この映画見ていなかったかな?と思いつつ見始めたが、見ていなかった。ダニエル・シュミット(1941.12.26〜2006.8.5享年64)は、私の中ではどうもライナー・ヴェルナー・ファスベンダー(1945.5.31〜1982.6.10享年37)とゴッチャになっているが、シュミットはスイス人でもっとスケールが小さくて、繊細な映像を作る。この「ヘカテ」は、2021年にリマスター版が復活上映されたようだが、反響は
”伯爵夫人”蓮實重彦著新潮社三島由紀夫賞受賞作。舞台は太平洋戦争開戦直前の日本。帝大生・二郎と伯爵夫人と呼ばれている女性との会話を中心に物語は進行する。現実、妄想、白昼夢と回想が切り替わり惑わされる。また当時の雰囲気を醸し出す言葉遣いと文体で物語が展開される。自分はいったい何を読まされているのだろうと困惑感が強かった。
現在募集中の「あつまれぼくの短編映画2023」ですが、ゴールデンウィークに撮りたいのに...連休明けの締切なら応募できるのに...の声が多く寄せられました。その声にお応えして、5/15いっぱいまで締切を延長します!是非ご応募ください。「あつまれぼくの短編映画」とは、短編動画を国内外から募集し、全てつなげてYouTubeで公開するもの。撮影はスマホ等でもOK、お気軽にご参加ください。見知らぬ誰かと動画作りでつながりましょう!――――――――――――――――想像力は負けない、つな