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まだ降ってますね・・こんな日は先日のドッグタグ・・こんな仕上げに^^裏面は写真と文字は黒処理するのですが処理中匂いますのでいつも庭でこの雪で、今日はここまでです今読んでいる本この命、義に捧ぐ台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡(角川文庫)Amazon(アマゾン)新装版四万人の邦人を救った将軍軍司令官根本博の深謀(光人社NF文庫こ1288)Amazon(アマゾン)これを読んでいると私のこと作りたくなるの当たり前ですね
50年以上前に集めていた切手の一つ・・雨の日曜日ですが・・「根本博」ドッグタグを作った時から?いやそれ以前学生時代からの延長で作りたいと思うタグ試作「蒋介石」表には若き日?の蒋介石と台湾名「蔣中正」裏には「報怨以徳」「怨みに報ゆるに徳を以てす」「蒋介石」思うんだよね相手が日本人だったからこの言葉「報怨以徳」は通用したんじゃないか勝手な考えです^^;しかし今回の能登半島地震でも台湾からの援助をどう解釈するか我が先人達の心意
台湾出張最終日の天気予報は「雨→曇」、雨は降っていないようですがどんより。午前8時、前日と同じようなビュッフェ朝食を頂き、コーヒーで一息入れたら帰りの荷造・・・スーツケースは頂いたお土産やお酒でパンパン。午前9時半、今日も市内観光に案内してくれるとの事で迎えの車に乗り込みます。向かったのは10年ぶりの「中正紀念堂」、独裁者を目指した(台湾人がそう言っていました)中華民国初代総統・蒋介石の巨大ブロンズ像が目を引きます。ツアーでは見ることの無い「蒋公文物展視室」や絵画
ちょっと飲み過ぎたと感じた前夜の忘年会から目覚めたのは日本時間の午前5時、台湾時間の午前4時、恐ろしい程に正確に体内時計が作動しました。二日酔いにはなって無く、意外にすっきりとした目覚め、、、でも髪の毛は上や横、好き勝手な方向に向いていてもモジャモジャ。仕方なく起きてシャワーを浴びてカーテンを開けても真っ暗・・・しかも雨?そして朝食時刻まで二度寝。午前8時になってやっと起床、レストランフロアでバイキング朝食。魯肉飯(ルーローハン)を楽しみにして行きましたが、残念、
今や、日本史も選択科目になったとかなるかもとか言われている。逆説の日本史だけでなく、実は知らないことが多い。知っているというのはイ:なんとなく知っているロ:きちんと時間経過と出来事を語れるほど知っているの二つがあるが、孫文と梅屋庄吉についても、イであった。日本人に、孫文の資金援助をした男がいたーという程度の知識だった。友情無限を読んで、そんなもんじゃないことがよくわかった。半島の歴史も角田光代の「閔姫暗殺」で、日本軍に協力した兎将軍らのことは知っていたが、金玉均暗殺の命令
蒋介石の曾孫さんのイケメンっぷりが凄い。キムタクに筋肉と身長と頭脳とビジネス腕力と血統書を搭載した無敵バージョンという感じ。しかも台北市長ときたよ。無敵かな?調べてみると台湾のケネディ家と言われているらしいね。一方毛沢東のお孫さんは・・・毛沢東の孫VS蒋介石の曾孫一方ブタ少将さんはこう見えてもとても恵まれた命式なのですよね。先祖の恩徳がっつり入ってるよなあと。多分動画でも言われているように、彼の父親は毛沢東の次男ではなく、母親の元彼なのでしょうね。kayo-ruhe.com
先日「今村均陸軍大将ドッグタグ」SOLDに改めてこの人物も今一度知ってもらいたいと思い・・台湾と日本がいかに近しいかがわかるこの命、義に捧ぐ台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡(角川文庫)Kindle版・・こんなYouTubeも指導者たる者とは、斯くあらん!幼い頃の記憶の奥底にあった言葉「金門島の釣り人」親達の会話の中にポツンとあった記憶この本を読んで納得でしたこの命、義に捧ぐ台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡(角川文庫)A
岸田さん、ちょっとヤバいですね。こんなひとに権力を持たせるのは危なすぎかも。岸田さんって、周りに殆ど根回しせずに重要なことを決めてしまうみたい。河野太郎氏もそうよね。この二人は、一国の宰相として問題あると思うわ。強いものの言いなりになる独裁者って、物凄く危険だと思うわよ。国民に殆ど知らせないまま、重要なことの準備を進めている気がしてしょうがないわ。岸田さんって、自分の保身しか興味がないんじゃない?「焦って1人で“岸田の乱”?」総理が岸田派解散の方針固める岸田派も3000万円の収支不
台湾がいつ中国だったのだろう?祖国統一って台湾が中国の祖国だったことはない。中国共産党と中国国民党が戦争して、負けた蒋介石の国民党の人々が大挙して台湾に移住したのだ。自分達が追い出した人たちではないか。しかも、台湾には元々、10を超える少数民族がいた。元々が漢民族の地域ではなかったのだ。だから元々、台湾は習近平の言う[祖国]なんかではない。周庭さんに対する弾圧を見ても、中国政府というのは、人間の醜い面が凝固した、私の最も嫌いな集団である。
台湾総統選では、頼清徳民主進歩党の候補者が僅差で侯友宜国民党候補に勝ち、第三政党の民衆党の柯文哲は失速だと思う。侯友宜国民党候補を、柯文哲民衆党候補を応援をすれば大逆転も考えられる。台湾が、中国支配に。そんなことになれば、日本は、台湾と同様に中国に併呑されてしまう。日本は、米国のように、台湾関係法、台湾旅行法を制定をすべきである。台湾は、人口2300万人、科学技術大国である。それに民主主義社会である。今度の総統選の勝敗は、日本の民主主義にも大きな影響を齎すことになる。
13日は台湾総統選の投開票日です。主要3政党からそれぞれ候補者が出ています。民進党頼清徳氏国民党候友宜氏台湾民衆党柯文哲氏争点は中国との関係です。民進党が現与党で中国強硬路線国民党が対中融和路線台湾民衆党はその中間といったところ選挙は国民党と台湾民衆党の野党統一候補が実現しなかったので、民進党の頼氏が有利でしょうか。すごいと思うのは国民党の立ち位置です。国民党は蒋介石の流れを汲む政党です。中国本土で国共内戦という形で激しく戦ったのが
おはようございます!昨日は、入社時のOJTと飲んでました(●´ϖ`●)未だに気にかけてもらっていて感謝です✨本日は、台湾旅行の続きです!では、どうぞ♪近衛交代式を見に来ましたよ(´▽`)ノ中正紀念堂です!とっても立派ですね✨おもってたより、スケールが大きい👏中に郵便局なんかもありました(笑)なるほど~(*´艸`*)シランケド天井素敵ですわ(*^^*)こちらも凝っている✨蒋介石です(*^^*)1時間に一回交代式が見れます!交代式の兵隊の方は…イケメンしかなれない
人工地震能登半島地震|泉パウロ牧師のショートメッセージ集(ameblo.jp)アイザック・ニュートンイングランドの哲学者、自然哲学者、数学者。(1642〜1727)ニュートン力学を確立し、古典力学や近代物理学の祖となる。『いかなる世界の歴史におけるよりも聖書の中には、よりたしかな真理がある。』戦後の損害賠償請求問題で中国の蒋介石がクリスチャンとして賠償請求権を放棄ゆえに高度経済発展できたのです!日本人はこのことを忘れてはいけない。この事実を知らなければならない
中国習主席が新年の演説“祖国統一は歴史の必然”統一へ意欲|NHK【NHK】中国の習近平国家主席は、新年の演説で総統選挙の投票日まで2週間を切った台湾について「祖国統一は歴史の必然だ」と述べ、統一…www3.nhk.or.jp本気で習近平は、台湾を侵略しようと決めてようだ。実際には、清の領地だった時代でも、清は未開の地の台湾を放置した。それに敗戦後にしても、日本から台湾に返却は、蒋介石率いる国民党だった。決して今の中華人民共和国への返却ではないことを考えても、この言い分はお
中国共産党軍が無ければ大東亜戦争は日本が勝利してたと自分は思う。なぜなら中国戦線において蒋介石の国民党軍は数が多いだけの無能で日本軍が来ると逃げ回っていたが、中国共産党軍は小規模ながら神出鬼没なゲリラ戦で日本軍を占領地に釘付けにして進撃を抑え戦争を長期化させていたからで有る。中国共産党軍は主要都市と鉄道以外を除く広い地域の奪還に成功している。下の画像の地図の緑色の地域が中国共産党軍が日本軍から奪還した地域である。また日中開戦前は蒋介石は親日で、彼以外にも松井石根など日本軍と国民党双方に互い
こんばんは〜ご覧いただきありがとうございます本ブログはテーマ別となってますので、宜しかったら過去の投稿も読んでいただけたら嬉しいです。フォロー、コメントもお待ちしてます。12/62日目こちらの続きです『初めての台湾旅行⑨台北一のパワースポット』こんばんは〜ご覧いただきありがとうございます本ブログはテーマ別となってますので、宜しかったら過去の投稿も読んでいただけたら嬉しいです。フォロー、コメントもお待…ameblo.jp電車に乗って中正紀念堂へ移動しました毎時00分に衛兵の交代式
橋本琴絵@HashimotoKotoeねえ、なんで1946年に戦争放棄した日本が1949年に建国された中華人民共和国と戦争したことになっているの?教育受けてないの?中国共産党の八路軍も新四軍も蒋介石の指揮下だよ…午後8:37·2023年12月18日
この日は何やら式典が予定されているようで、民主大道にはたくさんの席が用意されておりましたが、相変わらずの気の良さは変わらず。こんな平和な民主主義の『台湾』を、今更ギトギトの社会主義国家の『中華人民共和国』に併合するなんてホントあり得ないですよね...『香港』がいい例ですが、とにかく日本とアメリカが力を合わせ、なんとかそんな不道徳な間違った侵攻を許さないよう努めてもらいたい気持ちでいっぱいであります。😌
先頭を行くリーダー的存在の衛兵さんが新しい2人の衛兵を引率し、ようやく動き出した今まで護衛に当たっていた2人と合流したら、4人を率いて驚くほど息の合った交代式のパフォーマンスを繰り広げますので、やはりこれだけは絶対に見ておかないとね〜。というかこの交代式のパフォーマンスって、完全に今は亡きマイケルジャクソンがパクったね...😅。だって何から何までマイケルそのものだもんなぁ〜。。。つまりどんだけ迫力があって凄いかおわかりでしょうか。。。
48×48cmのスクエアなヒノキを使用した天井の四角い飾りは、こちらも「中正」を意味しています。そして像の両サイドにはピクリとも動かない台湾の陸・空・海軍よりそれぞれ選抜された徴兵たちが、毎日9時~17時の間、厳重な警備を行なっておりまして、今は何軍なのかを見分ける方法とは制服の色と言うことで、陸軍は深緑、空軍は青、海軍のみ夏は白、冬は濃紺と2パターンあるみたいです。そんなイケメンが多いとされる衛兵たちですが、1時間毎の00分丁度から交代式が行われるものですから、
そしてその二日後...ホテルをチェックアウトし、荷物をフロントに預けてから(その後最後のマッサージもしましたが...苦笑。)再びやってきました〜『中正紀念堂』...実は記念堂の裏側には長い回廊があり、そこがまたヨーロッパのようでめちゃキレい!!思わず記念写真を撮ってしまいました。その近くには大きな池もあり、鯉をはじめとする多くの魚や水鳥が心地良さそうに戯れておりました。さぁ〜そしていよいよ扉を開放された本堂に鎮座する蒋介石のブロン
1975年4月5日に亡くなった中華民国初代総統であった蒋介石に対する哀悼の意を込めて建てられたこの『中正紀念堂』...「中正」とは「蒋介石」の本名(蒋中正)を指しております。この広大な土地は、清朝、日本統治時代ともに軍が使用していた軍用地跡地だそうで、敷地総面積は25万m²はなんと東京ディズニーランドの約半分の広さ...僕的には大昔に撮影で訪れた北京の『天安門広場』を思い出しましたが、実際のところは同じく北京にある『天壇』を意識して造られているとのこと。シンボリックな八角
台湾DAY1.21日目23時到着🛬個人旅行者対象のNT$5000プレゼント抽選をやっていて2人とも当たって日本円だと47,000円の悠遊カード貰っちゃいましたイェーイ。2日目は相方が住んでいたマンション(超お気に入りだった)に行き、馴染みのドアボーイさんに会いたかったけどもういなかった。5年ぶりということはそーゆーことなのだ。私達の旅行の目的はただただ自由気ままに歩いて面白いものを探したり興味深い人に出会う事美味しいものを食べていっぱい歩く事今日もいろいろあったけど自由広場に行った
なぜ台湾グルメは美味しいか?という素朴な疑問にお答えしますと、時は1949年...国民政府軍を率い『中華民国』総統となっていた蔣介石が、その後『中華人民共和国』を成立させた共産党首席の毛沢東に内戦で敗れ、中国本土から台湾に逃げて来たときに、中国各地から選りすぐりのシェフを一緒に連れて来たからだと言われてるのをみなさんはご存知でしょうか?つまり1949年前後の2〜3年の間に、中国大陸各地から約120万人(主に軍人)が台湾にやってきたわけですが、その中に中国各地の優秀なシェフが多
"鹅岭公園"に到着。入場券はどこで買うの?と思っていたのですが、どうやら無料開放中だったようです。もともとは清朝のお金持ちのお庭だったそうで、緑が深く、広々とした気持ちの良い公園でした。こういう公園がご近所にあるって羨ましい。そして必ずいる、麻雀を楽しむグループ。のどかで良いです。でも、写真には撮れなかったのですがカラオケを楽しむグループもいて、それがまた度を越した大音量でした。そして困ったことにその歌が度を越して音痴。のどかな雰囲気の公園なのに、残念すぎる。今回の第一
台湾ラストday今朝もこちらで朝食ハロウィンのディスプレーが所々に🎃まずはこちらのフードステーションで好きな野菜を入れた麺を作ってもらいます。シェラトンの野菜炒め好きで今回もおかわりしちゃったまたまた今朝も食べすぎやっぱりビュッフェは欲張ってダメだわそういえばこの時、斜め前の席に案内された南米系っぽい若い女子2人組がものすごい勢いで山盛りのお皿を運んできてあっという間におかわりしに行っていて戻ってくるたびに驚く程山盛りなお皿の繰り返しで痩せてるのに一体いつのまに
国立中正紀念堂すごい建物です入場無料台湾観光で1度は行くところです広くて歩くのが大変です入口が沢山あるので個人で行く時は、下調べをしてから行くと良い衛兵交代式1時間ごとに行われますビデオ撮影している人が沢山います蒋介石の車付近には南門市場台北植物園郵便博物館のなど見所あります
台湾旅行5日目は朝食の後すぐにホテルを出て、この駅にやってきました。駅名にもなっている「中正紀念堂」観光の為です。中正って聞き慣れない名前ですが、中正は蒋介石の本名で介石は字(あざな)字とは姓・名意外につけた別名・通称だそうです。シリマセンデシタゲートをくぐると広大な公園広場に圧倒されました。紀年堂内の建造物・施設はそれぞれの意味合いがあります。詳しい事はここでは省かせてください💦紀年本堂です。グーグル検索によります
台湾3日目最終日です。龍山寺を訪れたあとは、「中正記念堂」へ移動しました。日本統治後に台湾を統治し、1975年に亡くなった蒋介石総統を記念し、1980年に建てられた建築物です。中正というのは蒋介石の別称です。「自由広場」と記されたメインゲートを入ると、広場の左右に音楽庁と戯劇院、さらに民主大道を奥へと歩いていくと、青と白のメモリアルホールがあります。メモリアルホールの八角形の屋根は、「忠、孝、仁、愛、信、義、和、平」という孫文が唱えた八徳を表しているとのこと。