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日本政府がポツダム宣言受諾を連合国に通達し、戦争終結に向かっていた八月十四日の正午近く、満州国の平原では、凄まじい殺戮が行われた。葛根廟「かっこんびょう」と呼ばれる、ラマ教寺院に向け、八月十一日から逃避行を続けていた、約千二百人の人々が、満州国とソビエト連邦との国境近くの草原で、ソ連軍の戦車隊に襲われたのだ。翌年帰国できたのは、たったの百数十人。正確な犠牲者数は今もって分からない。これを「葛根廟事件」という。事件の経過葛根廟「一九四〇年頃」葛根廟は白阿線葛根廟駅の北方
本日付『産経新聞』本紙「正論」欄に、「『防共の戦争』だった大東亜戦争」を執筆しました。大東亜戦争は、いわゆる開戦の詔勅からも分かる通り「自存自衛」のための戦いでしたが、同時に展開された「アジア解放」についても、「防共」すなわちソ連をはじめとする共産主義勢力の拡大を防ぐことが本来大前提のはずでした。ところが日独伊三国防共協定が三国同盟に“強化”される過程で、日ソ中立条約を加えた日独伊ソ四国同盟構想にすり替えられ、「防共」国策が放棄されてしまいます。そうしてソ連と仲良く(?)なって油断した
今日のわたし今日もお仕事久しぶりの土砂降りでこういう日に限って仕事も忙しかったりしてブログ書く間もなく帰ってきたw今日はお風呂で更新中ww葛根廟事件と南京大虐殺まずは、戦後80年を迎え当時日本を守るために命を捧げた軍人さんまた巻き込まれて命を落としたたくさんの日本人の方々に哀悼の意を表しますそして、そうやって守られた日本という国を大切に守りたいと願っていますXにこんなポストがあった80年前の今日、日本人の小学生数百人が膣や肛門に手榴弾を入れられ殺され、妊婦の
貴方は旧ソ〇人(ロ〇ア人)及び共産党を信用できますか?日本の教育は何故「こういう事実」を学校で教えないのか?日本人女性を虐〇したのは旧ソビエトと共産党
…花巻東の試合が終わって、ぼんやりテレビを眺めていたら全国戦没者追悼式典に番組が変わっていた。数日前にネットで満州開拓団の悲劇、葛根廟事件を読んでとても現実とは思えないような凄惨な出来事に胸が締め付けられたのを思い出した。誰もが家族と一緒に穏やかな日々を過ごしたいと願っているのに多くの人々が戦いの渦に巻き込まれて命を落とした。たくさんの罪のない子ども達も。そして今なお世界中で同じことが繰り返されている。
80年の今日…。1945年(昭和20年)8月14日。《葛根廟事件》恥ずかしながら…自分が葛根廟事件を知ったのは30後半…。自分の無知、不勉強は恥じ入るばかりだが…。個人的にはヒロシマ・ナガサキだけじゃなくわずか80年前の日本史、戦争史はちゃんと学校で教えるべきだと思う。そう思う…。※写真は満州国に侵攻したソ連軍
今日(皇紀2685年8月14日)は朝からいろいろと忙しくて…とてもでないがブログに力を入れられません※お盆時期だからしょうがないんだけどね明日(8月15日)は「終戦の日」です。今年は「戦後80年」の節目の日なので、いろいろ考えさせられます。そうそう、Xのポストで葛根廟事件80年-満州の虐殺というものが取りあげられていました。大東亜戦争末期のソ連(現在のロシアをはじめとする社会主義国家の連合体)の参戦後の満洲で繰り広げられた凄惨な蛮行ですが…その事について、この記事で取りあげ
昨日に続いて、学校では絶対に教えない史実のご紹介です。それは、終戦前後に満州で起きた中では最悪の悲劇と言われるかっこんびょう葛根廟事件葛根廟とは、満州国興安総省に存在した地名。※現・中華人民共和国内モンゴル自治区興安(ヒンガン)盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮昨日ご紹介した『小山克事件』で書いた通り、1945(昭和20)年8月9日早朝からソ連軍が国境を越えて満州国に侵攻。8月10・11日に興安がソ連軍の空爆を受けほぼ破壊されると、東半分に居留していた日本人千数百人が近郊の
8月14日の出来事1183年(寿永2年7月25日)治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん):源義仲(みなもとのよしなか)の入京に伴い、平宗盛(たいらのむねもり)率いる平家一族が安徳天皇を連れて三種の神器と共に西国落ち。1204年(元久元年7月18日)伊豆修善寺に幽閉されていた鎌倉幕府2代将軍・源頼家が、北条氏の手兵によって、入浴中に謀殺される。享年23(満21歳没)。1385年アルジュバロータの戦い。ポルトガル王位を巡ってポル
はじめに19日〜20日は...どんな日でしたか私は...「あれ?」な日々でした。今日の出来事【2024年11月19日】買った犬服ドッグウェアロンパース春夏秋冬背面ジッパーフリースタイプロンパース・術後服ロンパース/つなぎ/カバーオール/パジャマ/術後服/抜け毛防止ペット服/秋服/冬服/犬の服楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}犬服ドッグウェアエリザベスカラー【イチゴ・カエル・鳥・アンカー模様のエリザベスカラー
支那人は歴史的に見ても残虐な民族です。漢民族ね。その点、浅田次郎氏は間違った見識を持っていると思います。
本日午前中に退院する。帰ったら4冊目の『境界BORDER』に取りかからなければならない。vol.4は今秋刊行予定である。『境界BORDER』vol.1に収録した大島満吉さんの「遥かなる平原からの叫び」はほとんどの日本人が知らない、旧満州の葛根廟付近で発生したソ連軍による民間日本人虐殺事件を綴ったものだ。ソ連軍は千数百名いた避難民を戦車と銃で蹂躙する。生き残った避難民は在郷軍人から自決を強要。さらに地元民の暴徒にも襲われて、生存者はのちに発見された残留孤児を含めても百数十人に過ぎなかった。当
ユニコ舎刊の『境界』シリーズの著者の一人、大島満吉氏先の取材時音声をYouTubeチャンネル「境界大東亜戦争の記憶」で順次公開。先の大戦で満州国において実際に起こったソ連軍による凄惨な日本人民間人殺害事件「葛根廟事件」の全容を大島氏が語る。[PART.10/最終回概要]1945年8月14日、満洲国興安総省の葛根廟付近において起こったソ連軍による日本人避難民襲撃事件。千数百人の避難民のうち千人以上の命が奪われた「葛根廟事件」は生存者が少なかったことや、自殺幇助を行った役所関係者の立場上、
ユニコ舎刊の『境界』シリーズの著者の一人、大島満吉氏先の取材時音声をYouTubeチャンネル「境界大東亜戦争の記憶」で順次公開。先の大戦で満州国において実際に起こったソ連軍による凄惨な日本人民間人殺害事件「葛根廟事件」の全容を大島氏が語る。[PART.9概要]葛根廟事件に遭いながらも奇跡的に生き残り、祖母が暮らす群馬県利根郡新治村(現・みなかみ町)に帰郷した大島家の新しい生活が始まった。満吉さんは、ソ連軍による民間人虐殺という辛い記憶を封印して、改めて日本の学校に通い始める。当時、小学4年生
ユニコ舎刊の『境界』シリーズの著者の一人、大島満吉氏先の取材時音声をYouTubeチャンネル「境界大東亜戦争の記憶」で順次公開。先の大戦で満州国において実際に起こったソ連軍による凄惨な日本人民間人殺害事件「葛根廟事件」の全容を大島氏が語る。[PART.8概要]満州の首都・新京で暮らし始めた大島家だったが、両親が病に倒れてしまう。兄(宏生)と満吉さんは、一家の飢えを凌ぐため、コークス拾いや元軍用犬協会で使わなくなった数珠などを拾ったり盗んだりしては売り捌いていた。ある日、物を貰うために立ち寄っ
ユニコ舎刊の『境界』シリーズの著者の一人、大島満吉氏先の取材時音声をYouTubeチャンネル「境界大東亜戦争の記憶」で順次公開。先の大戦で満州国において実際に起こったソ連軍による凄惨な日本人民間人殺害事件「葛根廟事件」の全容を大島氏が語る。[PART.7概要]民兵に誤った情報を伝えたというあらぬ疑いをかけられ、銃殺刑を言い渡された父(肇)だったが、地元民の助けによって九死に一生を得ることができた。再び首都・新京を目指し歩き始めた大島家。広大な平原をただひたすら先へと進む。行く先々で地元民から
ユニコ舎刊の『境界』シリーズの著者の一人、大島満吉氏先の取材時音声をYouTubeチャンネル「境界大東亜戦争の記憶」で順次公開。先の大戦で満州国において実際に起こったソ連軍による凄惨な日本人民間人殺害事件「葛根廟事件」の全容を大島氏が語る。[PART.6概要]葛根廟付近の壕で家族再会を果たした大島家の4人。ようやく首都・新京に向けて歩き始める。照りつける太陽の下、広い平原をひたすら歩き続けていくうちに、父(肇)が背負っていた弟(潔)の帽子をなくなっていることの母(久め)が気づく。蚊が群れをな
ユニコ舎刊の『境界』シリーズの著者の一人、大島満吉氏先の取材時音声をYouTubeチャンネル「境界大東亜戦争の記憶」で順次公開。先の大戦で満州国において実際に起こったソ連軍による凄惨な日本人民間人殺害事件「葛根廟事件」の全容を大島氏が語る。[PART.5概要]葛根廟付近にいた日本人避難民はソ連軍に虐殺された。壕の中で生き残った人々に在郷軍人から解散命令が発せられた。各自自由行動で避難すること、自決希望者は幇助するが、小さい子供は自分たちで処分することを迫られる。生きる術をなくし、茫然自失とな
ユニコ舎刊の『境界』シリーズの著者の一人、大島満吉氏先の取材時音声をYouTubeチャンネル「境界大東亜戦争の記憶」で順次公開。先の大戦で満州国において実際に起こったソ連軍による凄惨な日本人民間人殺害事件「葛根廟事件」の全容を大島氏が語る。[Part.4概要]ソ連軍の襲撃が終わったあとの悲劇を大島氏が語る。逃げ場を失った避難民たちは絶望から自決を選択する者も現れる。死の幇助をするという伝令も下り、憔悴した満吉少年の母は幼い娘の頸部に、拾った軍刀の刃をあてがうが…。境界BORD
ユニコ舎刊の『境界』シリーズの著者の一人、大島満吉氏先の取材時音声をYouTubeチャンネル「境界大東亜戦争の記憶」で順次公開。先の大戦で満州国において実際に起こったソ連軍による凄惨な日本人民間人殺害事件「葛根廟事件」の全容を大島氏が語る。[Part.3概要]1945年8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍は満州に侵攻を開始した。興安南省の省都・興安街で暮らしていた日本人民間人は10日から順次避難を開始する。めざすは30km先の葛根廟であった。大島家は愛犬のチビももちろん連れていくつ
ユニコ舎刊『境界』シリーズの著者の一人、大島万吉氏の取材時音声をYouTubeチャンネル「境界大東亜戦争の記憶」で順次公開。1945年8月14日、満州。ソ連軍が日本人民間人を襲撃した「葛根廟事件」が発生。千数百人の避難民のうち千人以上が命を落とし、生き延びたのは百数十名とされているが、ソ連(ロシア)はその事実を未だに認めてはいない。生存者の一人である大島満吉さんが事件の全容を伝える。その第2回です。日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が侵攻を開始する。満州国興安南省の省都・興安街の日本人