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月曜日、大阪北部地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。特に9歳の女の子が当番でちょっと早く登校したばかりに犠牲になってしまったこと、本当に胸が痛みましたし、悔やんでも悔やみきれない気持ちでいっぱいになりました…。余震は依然続いておりますが、とにかく大阪の地震が早く沈静化することを祈るばかりです。――――――――――――――――――――――――今回は駿河国・葛山城のご紹介、第7弾。ようやく今回が最終回となります前回は葛山城の範囲がどこまでということで、城の西側を
今回は駿河国葛山城のご紹介、第5弾となります。前回はこちらから。葛山城のもう一つの特徴として、一の郭と二の郭(帯曲輪)の南側と東側には、虎口付近を除いて土塁のあとが認められないというのがあります。これはおそらく後世の地形改変によるものではなく、当時から土塁が築かれていなかったものと思われます。ちょっと自分が撮ってきた何枚かの写真で、確認してみます。最初に、こちらの鳥瞰図で写真を撮った位置を示しておきますね。良かったら参考になさってくださいまず、こちらは
こんにちは。こんばんは。前回の続き、葛山城の第3弾ですそれでは早速。前回の終わりでも貼りましたが、ここが堀底道のスタートです。この奥を進んでいくと、二の郭の虎口(こぐち)があります。堀底道というのは、本来は空堀なんですが、空堀自体を道にしていたためにこのような呼び名をしています。堀底道を進んでいくと、このように土塁がとぎれている場所があります。案内板はないのですが、竪堀(たてぼり)の跡でしょうかそれとも後世の改変で土塁が破壊されてしまっただけなのでし
こんにちは。こんばんは今回は城レポ。葛山城(かづらやま-じょう)の第2弾になります前回は城の立地とか歴史をサラッとお話しましたので、今回からは実際に攻めたときの写真でお話ししていこうと思いますこちらは仙年寺(せんねん-じ)というお寺です。葛山城のある愛宕山のふもとにあり、お城へはこのお寺の裏手から登っていくことになります。他に大手口といわれる上り口がありますが、こちらの仙年寺前には駐車場があり、トイレなどもあるので、やはりこちらからの方をお勧めします。(お寺から
こんにちは、こんばんは今回はこれまた久しぶりの御城ご紹介。今回から数回にわたってご紹介するのは、静岡県裾野市(すその-し)にある葛山城(かづらやま-じょう)です🎵葛山城は駿河国(するが:今の静岡県東部・中部)の国人領主(こくじん-りょうしゅ)であった葛山氏(かずらやま-し)の本拠地にある山城です。小規模の城ながら遺構が比較的良好な状態で残されており、また近隣に葛山氏の館跡の遺構もあって、典型的な中世武士の本拠地の様子を今に伝えています。ところで、国人領主って何?
2018年城めぐり遠征の第1弾として駿東地域の5城を日帰りで攻城してきました。駿東地域は、今川、後北条、武田、徳川が奪い合った興味深い地域で、今回は深沢城、足柄城、葛山城、長久保城、興国寺城に行きましたが、その中で一番楽しめた葛山城を報告したいと思います。葛山城は、現在の静岡県裾野市にありますが、藤原北家の大森氏の一族の葛山氏の居城とされます。遺構として平時の葛山館跡と詰城の葛山城跡が残っています。さて、葛山氏は15世紀には、有力な駿河国人衆として今川家傘下に
裾野市にある、葛山城址に行きました。室町、戦国時代に東駿一帯に勢力があった今川氏国人衆の一人、葛山氏の本拠地。仙年寺の入り口葛山城全景山門本堂葛山氏墓所武田菱が刻まれています葛山氏略図を見ると、先祖は大化の改新で活躍した藤原鎌足。歴史ある名家です。ここで、撮影していると夫婦の一組に声をかけられました。葛山城址の行き方分かりますか?と聞かれたので、自分もいま来たところですと言いました。夕方だったので、何処かに行きましたかと再び聞かれたので、深沢城、足柄城と言いました。する