ブログ記事1,400件
皆さま、こんばんは。天河大弁財天に行ったお話の続きです。西側にある神宮寺と称される来迎院本堂で空海さんのお手植えの樹齢1200年超の大銀杏の木からエネルギーをたっぷりいただき、帰途につきました。前にも書きましたが本当は神社はハシゴしない方がいいとは言われますが・・・なかなか来れない所にきたら、つい欲張ってしまいます。天河大弁財天の帰り道、丹生川上神社(にゅうかわかみじんじゃ)の下社に行ってきました。ここは上社、中社、下社とあり
上の記事の続きです。4/1楽しみにしていたGTOリバイバルを観ました。見逃した方はどうぞ↓TVer-無料で動画見放題TVer(ティーバー)へ、ようこそ。TVerにあるテレビ番組はすべて無料!最新話から過去人気番組まで見放題!tver.jpまさかこのドラマからもミッションがくるなんて想像もしていなかったのですが、まんまと誘導されていたようです。(笑)GTOリバイバルを観た方にしかわからないと思いますが、長原さん(文部科学副大臣)という方が出てきます。今回ワタシは、『長原さん』に
ようこそ!!神様、スピリチュアル、料理に漫画好きなことを好きなように好きなだけ発信中。新地亜紀と同居人みっちゃんです。いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*神屋楯比売命ーかみやたてひめのみことーは、『古事記』にのみ登場する神で、親神や、神格などが、全く不明の神様です。大国主神の配偶神であり、事代主神ーことしろぬしのかみーの母神であることしか記載されていません。神名から、神が宿る屋+楯と解釈すると、社を守る為に植えられた
葛城襲津彦が繋がってきたのだけれど難しいので、気になる所だけ記録。つまっているので、長いです・・・鯨の櫛羅(くしら)くじらが繋がった話だけを、つらつらと書きます。場所は奈良県。「葛城王朝」というのがあったと聞いたことがあります。専門家が指摘した王朝というのは、代々、天皇家に女性を嫁がせていることで、なんとか八史とかいう時代の・・・蘇我氏、和珥氏(和邇氏)、葛城氏。最近、蛇行剣が発見された雄丸山古墳が気になるところ。葛城山の方に「櫛羅(くじら)」という地名があ
葛城一言主神社を出て、和歌山県の道の駅に向かった。その途中、道の分岐で「高鴨神社」の文字発見高鴨神社さんではない方の道が和歌山への道のため、車は反対の道を進んだが、急に高鴨神社さんへ行きたくなった。神社へ行きたいと言っていた夫は、さっき神社へ行けなかったことだし…。さっきの分岐まで戻らないと行けないが、夫に高鴨神社行ってみると聞くと行くと即答。Uターンをして高鴨神社さんへ向かった。以前来た時は、バス停から歩いて向かった。『2023.6.20高
【2024年2月5日(月)】小林ゆうさん、お誕生日おめでとうございます!『42歳』いつもお相手と一緒に幸せ。【基本情報】出身地:東京都身長:168cm事務所:ホーリーピーク愛称:ゆうちゃん※2017年結婚アニメキャラまとめ:
こんばんは!@Ricoです。さぁて、立春を経て今年は「どんな年」にしますか❓なにを、はじめますか?なにを、やめますか?ありのままでいようという気持ちが芽生えてきているかもしれないね^^今年はじまりにあたり、いままでの参拝・巡礼を振り返ってみたらひとつのポイントに辿り着き、、、さらにさらにといろいろとみていったら本日時点でこちら↓の動画に辿り着きました。(ヒントがたくさんあって、盛りだくさん!)KenjiKawai-CinemaSymphony-Gh
イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。長尾寺境内はすっきりした気が流れる次の寺は四国八十八札所結願の女体山にある大窪寺長尾寺別格本山なんだとはっきり書いている静御前の剃髪塚あじまさ島、さけつ島も見える難破津から淡路方面を望む鴨部川(和邇川、鰐川)ちかくの静御前、その子らの墓隣に静御前の母磯禅師の墓探検して
イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。能登半島地震でお亡くなりになられた方々に、謹んでお悔やみを申し上げます。また、被災された方々にお見舞いを申し上げます。1日も早い安全と日常への復興を心よりお祈りしております。ほぼ誰も気に留めないようなブログですが、日本の神秘的な歴史に触れることで誰かの心を一瞬でも、少しでも元気にできればと思います。月です。思い出すのは、志度浦は菅原道真が左遷され
本日は年内最後の活動日でした。倉庫から道具などを全て外に出して、砂を掃き出し、いらないものは処分、整理整頓して元に戻します。気づくと子供たちは、掃除もそこそこに走り回っています。たしかに掃除しているといろんなものが出てきて、気になっていじったり、試しに遊んだり、元の目的を忘れてしまいますよね。我がチームの取り柄の一つは、”自由“です。でもさすがにキリがないので、いい加減、誰か気づいて片付け終わらせてくださいね。ということで結局、片付けは大人が引き継いで、子供た
ファイナルQT3日目MyLeaderBoardは↓のとおりです。Today4アンダーで17位タイに急上昇❗来シーズンレギュラーになると、いろいろ困るんですけど…上位の結果は↓のとおりです。泣いても笑ってもあと1日目が離せません❗
「橘諸兄」新たなスタートを「11月17日」「橘諸兄」新たなスタートみなさん、おはようございますサッカー日本は強かったです若い選手がどんどん出てきます日頃の鍛錬の結果でしょう若い人にために若い人もご一緒にさあ、今日「11月17日」の國史を学びましょう「葛城王、橘諸兄下賜」天平8年(736年)奈良時代の皇族である葛城王が臣籍降下し橘の姓をもらいやがて正一位まで出世しました葛城王は美努王(みぬおう)と橘三千代の子です四姓、源平藤橘(=源、平、藤原
アズレンネタです♪(*´∀`)/復刻イベント「駆けよ碧海の吹き風」進行中です♪進捗ですが、海域は復刻イベントだから前回開放しているだろうと思いきや…イベント開始時は「B3海域」までは開放完了という状態。HARD海域となる「C」「D」海域は未開放でした…なので、自分は海域開放からになるのですが、中々時間が取れずに今「D1」海域まで開放したところです。イベント期間が16日までなので、「D3」海域まで開放行けるかな。ギリギリかもしれませんね(^_^;)限定建造は「海風」
まだ暑い秋晴れの10月23日、大阪〜奈良の聖徳太子にまつわる場所を巡る古墳ツアーを行いました最初はバスツアー?と思っていましたが、結局車一台でのツアーとなりました🚙総勢7名これが実は意味のあることでしたこの日、23日は星巡りの日だということが当日わかり、北斗七星の【星巡りツアー】でもあったのです❗️当初に予定のなかった、「観心寺」に行くことになり、ここは楠木正成の首塚もある有名なお寺。釈正輪老師の案内で北斗七星7つの星巡りと、空海上人もいらして四国八十八箇所巡りまでできました老師に
この間の奈良で葛城一言主神社にあった周辺の案内板でこの神様の名前が引っかかり寄った神社がこちらながらじんじゃと読みますで祭神は下照姫なぜか引っかかりまして何故かは???なんですけどね小さな神社でした下照姫も気になるのでそうなると葛城御歳神社にも行かねばなぁ博西神社もかなぁここにきてヒントが降りてきてるから嗅覚もそのうち戻るかな~
雨が降る音雷が鳴る音が遠くで聞こえそんな明け方のうつらうつらの中でなぜかあぁ、行かなきゃと思っていた葛城と座の文字が記憶に残りGoogleMapsで調べると出てきたのは葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)次はここ行ってみよぅそれまでに嗅覚もどってほしいなぁ
『吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神』といえば、古事記の下つ巻において雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行った時に現れた一言主が言った有名な言葉です。天皇は恐れ入り、弓や矢のほか官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げたといいます。このことから、一言主の立場は天皇よりも上であったというのはあきらかです。とはいえ、神が実際に現れるわけがないので、これは一言主を祖とする一族の権力の強さを表しているのだと思います。もしかしたら、その一族の長は代々一言主を世襲していたのかも知れません
倭の五王のひとり雄略天皇↓↓↓他の4人の王は御存知ですか?フフフ・・・。彼がおります神社葛城一言主神社能「葛城」に登場する神様が御鎮座されております奈良の春日大社、橿原神宮や大神神社とは違い誰もおらず心静かに落ち着かせて参拝です葛城という地域について古代より祈りの聖地であった葛城数多くの神話が残り、大和朝廷が開く以前から古代豪族の葛城氏や鴨氏が強大な勢力をふるい、巨大古墳や遺跡が遥かな栄華を今の世に知らしめております。修験の開祖、役行者は鴨氏の直系子孫であります神社については
葛城の制作中でも色々な模型を並作したり旧キットとの比較もあったりで完成が予想よりかなり遅くなりました。改めて雲龍と天城、葛城の終焉を見てみます。雲龍の特徴は(艦橋後部が小さくメインマスト基部露出艦橋上には21号電探)雲龍はレイテ沖海戦後、搭載機が無い状態でルソン島への緊急輸送任務を行うことになります。昭和19年12月19日駆逐艦3隻の護衛のもと補給物質を満載し中東シナ海を航行中に潜水艦レッドフィシュの雷撃を受け2本命中下格納庫の桜花が誘爆し沈没しました。
安心してください。飯豊はあの稚武王の妃にはなりません。ただ、飯豊の人生にとって忘れ得ぬ「男」となります。まだだいぶ先の話とはなりますが・・・。2-3軽王は未だ大王の印となる璽符(じふ=みしるし)の承継はなかったものの、何事もなかったように殯(もがり)の祭主を務め、まつりごとも積極的に執っている。群臣も表立って日嗣の王に逆らうことは出来ない。そのような日々がしばらくの間続き、世間は表向き平穏だった。何時しか忍海の田は瑞々しい緑に包まれ、至るところから立ち上る鍛冶の煙が
大王が崩御し、葬儀が終わるまでの期間は、まさに嵐の前の静けさでした。当時、新大王の即位には豪族たちの同意が必要でした。長子、軽王の人望のなさが、また新たな争いをまねくことになります。以下に出てくる殯(もがり)とは遺体をすぐに埋葬せず、長期間安置することをいいます。2-1微かに梅の香りが漂い始めた大王の宮では、慌ただしく殯(もがり)の準備が進められている。王族はことごとく喪に服し、大王の再生を願う魂振(たまふり)をはじめとする様々な儀式をこなさなければならない。その中心に
とにかく、当時、蟻の一族、葛城氏の力は絶大で、物部や大伴、平群といった豪族ばかりでなく、王家にとっても無視できない存在であったようです。第8話の舞台は引き続き、臨終間近の大王の宮殿内です。1-4大伴室屋のいう先例とは、円大臣の父、玉田宿禰(たまだのすくね)が前大王(反正天皇)の葬儀に際して与えられた職務を放棄し、葛城で酒宴を開いたことを責められ、大王の軍によって粛清されたことを指しているのだ。もっとも、これは多分に濡れ衣であり、葛城一族の繁栄を恨む者による計略であっ
先日、相方氏が「夏本番前に行きたい所ある?」と聞いてきたので「奈良の葛城の神社」とリクエストしてみました。決めたのは↓夢をみた後の話しです。基本、相方氏には夢の話しも、神社の神様の話しとかも詳しくはしません。『三女神』かな〜りのお久しぶりですバイトや、バイト、その他バイトが忙しく、、、なかなかブログが書けないでおりました。『天女・乙姫と真朱の姫神①』お久しぶりです去年の秋で…ameblo.jp『三女神その後、、、』『三女神』かな〜りのお久しぶりですバイトや、バイト、その
飯豊一行は大王の宮に向かいますが、祖父の蟻は風雲急を告げるなかで途中から先に飛鳥に向かいます。1-2「ひめみこ、準備は出来ましたかな」蟻の声に飯豊は「あい」と答え、一行は大勢の従者とともに忍海にある広大な館を出た。ここ忍海から大王の飛鳥の宮までは三里ほどの距離がある。急ぐと言っても、飯豊の乗る馬を曳く従者の歩みに合わせての移動であったから、ゆうに二時ほどかかるため、馬に乗る蟻は、「ひめ、事は急を要します故、奴(やつがれ)は一足先に宮に向かわせて頂きます」と告げ、従者に
いよいよ第一章です。仁徳天皇の御子、允恭天皇危篤の一報が飯豊のもとにもたらされます。1-1「ひめみこ、ひめみこ!」侍女の野須良(やすら)が裳の裾をたくし上げて右往左往するのを飯豊は葦の蔀戸の隙間からくすくす笑いながら見ている。「私はここよ。何をそんなに慌てているの?」野須良はようやく廂の前に現れた飯豊の姿を見出すと、息も絶え絶えに言うのだった。「ただいま父上様からのお使いで、『これより飛鳥の宮に参上するゆえ、ひめみこも蟻の臣ともに直ちにそちらに向うように』との
第4話(0-4)「でも、鉄は本来、大王(おおきみ)が分けお与えになるものではなかったの?」「その通り。しかし我が一族は襲津彦様のお力によって独自入手の道筋が作られたばかりか、吉備の国とも修好し、塩とともに同地で産出する砂鉄すらも大王家とは別の紀ノ川を経由してこの葛城の地にもたらすことが出来るようになったのです。鉄を制するものは天下を制す、鉄こそが我が葛城一族繁栄の礎、大王家が我々に一目置いているのもまさにこの鉄のおかげにほかなりません」これまで何不自由なく育ってきた飯豊にと
第3話です。飯豊はまつりごとの話は好きではない。しかし、蟻とともに馬上にある時には必ずといってもいいほどに彼の説教じみた話を聞かされるのであった。「ひめは何故、この地で多くの渡来人たちが鉄の生産を生業としているのかをご存じか」「じじさま、その話はこれまでに何度も伺っております。じじさまのまたじじさまの襲津彦(ソツヒコ)さまが新羅の国から連れてこられた人々の子孫であるとか」「ははは。じじはすでにお話ししておりましたか。ではなぜこの国にとって鉄が貴重なのかはご存じか」「それは
第2話です。飯豊青郎女が伊邪本和気(イザホワケ)大王(履中天皇)の御子、押磐(オシハ)王の娘であることから人々は親しみを込めて「ひめみこさま」と呼ぶのであるが、当の本人はいたって無邪気に人々の暮らしの中に飛び込み、蟻をはじめ、従者たちをひやひやさせるのであった。今年十四になったばかりの飯豊は、野の花を摘むことよりも、あちこちに点在する冶金や鍛冶の工房を訪ね歩くことの方をこよなく愛している。とりわけ彼女のお気に入りが脇田にある鍛冶の工房である。何が造られているのかよりも、真
もうずいぶん前のことですが、古墳時代に生きた一人の女性について小説を書いているとお伝えしました。単行本にするには短編すぎたこともあり、どうするか迷っていましたが、このブログにアップさせて頂くこととしました。時代は5世紀、まだ大和朝廷の力が盤石でなかった頃のお話です。主人公、飯豊青郎女(いいとよあおのいらつめ)とは市辺押磐王の御子で履中天皇の孫にあたります。日本書記には一時期、政務をとったと記されているものの、なぜか歴代には数えられていません。しかし、宮内庁は飯豊天皇として陵墓を