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平清盛の落胤説は根強いですが、歴史としては、事実である可能性は、まず、ないです。しかし、文学の世界では、むしろ常識っていうか、デフォルトになってる。このギャップが、面白いところとゆうか、怖いところですね。要は、物語を作るときに、「清盛が普通に忠盛の息子なのと、天皇の落胤なのと、どっちが面白い?」って聞かれたら、そりゃ誰だって「落胤でいきましょう!」ってことになるでしょ。だから文学作品の世界では、どれ見ても清盛は落胤ってことになっちゃうんです、歴史書でなければ考証なんかする義務はないし。実
令宣が半月溿の自分の寝室に戻って見ると鳳卿はすやすやと眠っていた。令宣は寝台に腰掛けるとその頑是ない寝顔に見入った。掌だけは臨波が食事前に洗わせて綺麗にしたが顔は薄汚れて普段から構われていない様子が伺える。この子には何の罪もない。大人の身勝手な振る舞いの巻き添えになったのだ。「旦那様…」背後に十一娘の声がした。近寄ってくると寝台の上に眠る男の子を見て目を丸くしている。「この子は…?」「何も聞くな」今はこの子の素性を事細かに打ち明ける気にはなれなかった。ただ察して欲しい。
「一休宗純は、足利義満の御落胤である」と、誤記している人、いませんか?特に我々の年代に。ごく子供の頃、一休さんのアニメを見ていた人に、一部、そういう誤解が生まれているらしい。なにしろ、一休さんの「母上さま」は、若いのに何故か隠居所みたいなところで暮らしていて、息子の一休さんとは滅多に会わせてもらえません。どうやら「誰かすごく偉い人の子供を生んだのだけど、おっぴらにできないので、子供は寺にやられ(それが一休さん)、本人は押し込められた」っていう境遇らしい、というあたりまでは、子供でも分かり
まあ、落とし種の話はよくあるけれど権力を持たない落とし種は政治的には何の意味もないとは思うけど『秀頼公の落し胤・求厭』慶長20年(1615年)5月15日細川忠興が家臣に宛てた手紙には「急度申遺族、秀頼様御子様御一人ハ十、御一人ハ七ツに御成候、行方不知候ニ付、諸国御尋之事ニ候……ameblo.jp
昨日の朝、企画倒れのお見苦しいモノをお見せしちゃったのでリベンジマッチです今気になってる『小説家になろう』活字限定です、ごめんなさい百花宮のお掃除係~転生した新米宮女、後宮のお悩み解決します。…あ、でも、これWeb広告で流れて来たから知ってるわけで、もしかしてコミカライズされてる?百花宮のお掃除係転生した新米宮女、後宮のお悩み解決します。(1)(カドカワBOOKS)[黒辺あゆみ]楽天市場1,320円楽天市場で詳細を見るAmeb
小室佳代さん「私は高松宮殿下の落胤です!」皇籍復帰を模索か皇位継承問題「解決」へ|菊ノ紋ニュース[toc]文/二コラ・ライト「コール・ミー・プリンセス!」の真相先日からお伝えしている小室佳代さんの動向について、kikunomon.news流石にこの話は出来過ぎだろう小室母曰く自分は高松宮(昭和天皇の弟)の落胤であるとこの小室親子はコルサコフ症候群の作話ではないかと疑いたくなる作話-Wikipediaja.wikipedia.org
御落胤説が囁かれる人物には、たいてい、共通のパターンがあります。もともとの家柄に比べて、異例に出世してる、ってことです。土井利勝の場合も、余りに順調な出世ぶりを周囲がやっかんで流した「中傷」のたぐいである可能性が高いです。だって、もし本当にわが子なら、最高権力者である家康が、それを隠さなければならない理由があるんでしょうか。家康には十何人の男の子がいて、いまさら一人増えたって、どうってことはないでしょう。憚らなければならない格上の正室がいるってわけじゃないし。要は、土井家というのが、文句
「一休さんは実は足利義満の子だ、という説がある」という人がいたとすれば、それは、何か勘違いをしていますね。たぶん子供の頃、一休さんのアニメを見ていたんでしょう。一休さんの「母上さま」は、若いのに何故か隠居所みたいなところで暮らしていて、息子の一休さんとは滅多に会わせてもらえません。どうやら「誰かすごく偉い人の子供を生んだのだけど、おっぴらにできないので、子供は寺にやられ(それが一休さん)、本人は押し込められた」っていう境遇らしい、というあたりまでは、子供でも分かります。しかし、その「すごく
茶々(淀殿)は、浅井長政ではなく、織田信長の娘である。信長は妹のお市とデキていて、妊娠したまま浅井に押し付けたのだ。はい、この説って、昔からよく言われてる話なんですよね。もちろん、本当の可能はあるか?っていえば、ありません。要するにその話は、お市の輿入れ時期の誤解からきているので、最初の前提条件を正せば、なんらの疑惑もなくなります。信長は、美濃を征服したあとに、京都への道を確保することを目的として、すぐ隣の浅井との政略結婚がなされた、というのが従来の「通説」であり、小説もドラマもほと
王仁三郎は一歩間違うと破壊主でしかない。大日本帝国の崩壊。これが王仁三郎の課題だった。薩長連合による軍閥支配。これがある限り、真の日本の誕生はありえない。明治維新は、真の国家ではなかった。何しろ王仁三郎は、有栖川熾仁親王のご落胤とされている。母ヨネが京都の叔父宅にいた時、知り合ったのが熾仁親王である。深い関係になり、身籠ったのが王仁三郎である。急遽、郷里に帰り、祖母が急遽今の父と結婚させた。七か月で丸々太って生まれたのが、王仁三郎である。書家、芸術家として、有栖
明治天皇に写真がない訳明治天皇は肖像画ばかりで写真がない、明治44年南朝正統の勅裁、明治神宮の昭憲皇太后の石碑、そして大正天皇に子種がない、そして昭和10年12月8日昭和天皇の命令による大本弾圧で30余名の殉教者を出す、天皇としての自信をつけ、翌昭和11年2.26で<朕が先頭に立ち、鎮圧する>と豪語、北一輝は<若殿に兜とられて負けいくさ>の辞世を残す。司馬遼太郎は中国に勝てない戦力で米国に宣戦と批判、東条との親密さは異常だった事は良く知られる。霊界物語第67巻「浮
創作ではありません。斎藤道三の父親が油商人だったのも、斎藤義龍が土岐頼芸の落胤を自称していたのも、確かな史実です。ドラマの脚本家が思い付いたわけではありません。斎藤道三自身ではなく、その父親が京都の商人上がりです。「油売り」なんていうと、しがない行商人かなんかだ、と思われるかも知れませんが、とんでもない。京都の山崎屋は油の専売権を持っている大商人であり、そこらの地侍とは比べ物にならない大金持ちであり、その財力で美濃に食い込んだんです。「卑しい油売りの出」とか言われているのは、他国出身者
それねえ、どうやら秀吉が自分で言い出して、裏から広めようとしたんですよ。秀吉の母が若い頃、京都で宮廷の下女をしていて、尾張に帰って生んだのが日吉丸だっていう。多分、当時の世の中の誰一人、信じてやしなかったでしょうけど、そこは絶対権力者である秀吉様の「御意向」ですから。みんな忖度して、あ~なるほど、だから高貴な風貌をされておられるのですなぁ~(苦笑)、と信じたフリをしなきゃあいけないんです。藤原不比等、平清盛、豊臣秀吉が「日本三大御落胤」、つまり「実は天皇の子だ」とうわさが立った大物です。共
~1300年の時を超え今も多くの人が踏みしめる巡礼の道幸せを願い心に安らぎを求めるとき、人はなぜこの旅路を選ぶのでしょうか…西国三十三所観音巡礼祈りの旅~番組で杉本彩さんのナレーションを聞くたび自分にも問いかける。京都東山にあるお寺というと清水寺や建仁寺が有名ですが、この六波羅蜜寺は京阪祇園四条駅から徒歩15分ほど歩いた京都らしい風情のある街中にひっそりと佇んでいます。951年(天暦5年)平安時代、醍醐天皇の第二皇子光勝(同天皇の落胤という説もある)空也上
「歳の瀬を実感する贈り物/平成“天一坊”事件?」12月13日(木)年末の12月にもらえるアイテムがあるそうカレンダーです!子犬のカレンダージャックダニエルのタペストリーカレンダーんんんなかなかいい(^-^)~~~~平成“天一坊”事件?グッディで番組の冒頭から30分かけて報道?していたのが・・・故桑名正博氏に風貌が似てる人物が長男と名乗って全国各地を行脚しその言動行動がなにかと物議を醸し出しているとのこと雰囲気が似てるので本物(桑名の長男)と認識した人が多いそうです(>_<)
日本史上、「天皇家の落胤」であると噂された人物として有名なトップ3は、藤原不比等、平清盛、豊臣秀吉です。この3人の共通点は、「一代で成り上がって国の支配者に登りつめた人物だ」ということです。どうしてそんな大出世ができたのか、「本人が優秀だから」って理由では、昔の人は納得しないんです。そこで「実は天皇の隠し子だからなんだよ」と言われると、みんな「ああ、道理で」となります。となれば、本人もソレを利用して、自分が「ご落胤だ」という噂を、意図的に流したりします。そうすれば、血筋にしがみついて生きて