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久しぶりに書きます。私も小学5年までよく通ってて、一昨年に云十年ぶりに再訪させて頂いた、相生町のモン・リーブル。先月閉店したそうです。。https://www.newskitaq.com/2024/02/572.html創業57年2代続く老舗パン店「モンリーヴル」閉店計画!理由は福岡県北九州市の開店(オープン)・閉店・リニューアル・出店計画情報www.newskitaq.com業者さん向けのパン作りは続けられるようですが、、、残念です。。親子二代、創業57年。1967年あたりです
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。※この記事は2022.1に作成したものです。コメントなどを受けて適宜追記・訂正させて頂いてます
この記事の続きです。▼1980八幡西区相生町①-南エリア/鉄王側https://ameblo.jp/sugieda1971/entry-12793886061.html北九州市八幡西区にある相生町は、1950年代に八幡製鉄穴生社宅建設に伴う一帯の開発によって生まれた、商店が集まる街です。▼現在の相生町周辺南北に隣接する鉄竜/鉄王には、かつて穴生社宅が広がっており、私は小学五年まで鉄竜の68棟で暮らしてました。当時相生町は社宅や近隣の方々で大変賑わっていたのを覚えてます。以下では1
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。ここで振り返る相生町は、鉄竜と鉄王を隔てる境界部にあります。1950年代に穴生社宅建設に伴う一
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。※この記事は2021.10に書いたオリジナルに、追記・修正を繰り返して作成したものです。何故
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。佐藤商店は今も鉄竜二丁目と鷹ノ巣二丁目を隔てる通り沿い、鷹ノ巣側にあって、当時を振り返る他の方
今も穴生・引野を流れる宮川。昭和三十年代に新日鉄社宅群建設にあわせて行われた一帯の整備事業により、宮川はコンクリートで囲われた直線的・人工的な流れに姿を変えました。私はそんな宮川のそばで幼少期を過ごしており、ここで当時を振り返ったことがあります。それよりも更に昔、昭和二十年代以前の宮川は長閑な田舎を流れていたようです。航空写真ベースですが以下で昭和五十年頃の様子と一緒に、その頃の宮川の様子を振り返ってみます。▼最下流、割子川合流部。ここから上流に向かって南下していきます。田んぼの中を蛇
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。小学校んときの社会見学とか水道とかのお話です。社会見学って、殆ど遠足。というか遠足。バスで行
昨日深夜TBS関東ローカルで放送されたそうですが、半年くらい前にRKBでも放送があったそうです。RKB公式YouTubeにも番組がアップされます。穴生社宅も少し映ってるとの事。穴生・引野にお住まいだった方、君津製鉄所へ転居・単身赴任された方やそのご家族は必見!?▽ご参考【他記事での脱線メモより】1965/S40千葉県君津市の八幡製鉄君津製鐵所が操業を開始。ここから君津の操業が急激に右肩上がりとなります。このため人が必要で、最終的に北九州から2万人弱の製鉄マンたちが君津へ転勤となったそう
他の記事に輪をかけて、自分向け・ごく狭い関係者向けの内容ですので、当時の山の神池をご存知ない方にはスキップをオススメします。【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今
身内向け・ごく狭い関係者向けの内容ですのでスキップをオススメします。アリジゴクに興味ある方、よろしければどうぞ。ウスバカゲロウの幼虫アリジゴクの巣ここまでたくさん見られる場所は少ないのではなかろうか?pic.twitter.com/MBxxryzHM7—某むっしー㌠@切り紙の人(@RTBGz01mkTNLBo0)2022年4月16日北九州市八幡西区鉄竜にかつて存在した新日鉄社宅群。自宅68棟は山の神池という緑地帯のすぐそばでした。幼いころから危ないから行くなと、親に再三脅され
福岡ローカル番組、FBSのめんたいワイド。毎週月曜のひと駅ノスタルジーというコーナーで、北九州市八幡西区穴生周辺の過去を振り返ります。相生町などの懐かしい写真や映像を観れるかもしれません。(私は地元民に録画してもらって後日視聴させて頂く予定です)▼放送日時3/28月曜午後3:48〜めんたいワイド|FBS福岡放送FBS福岡放送「めんたいワイド」の公式サイトです。www.fbs.co.jp▼ひと駅ノスタルジー(毎週月曜)めんたいワイド|FBS福岡放送FBS福岡放送「めんたいワイド」の
ブログやYouTubeなんて見るの専門と思ってましたが、気付けばブログを始めて早2年。そして、2022.1.1に動画を撮影して2ヶ月半が経過した本日YouTubeデビューでございます。一人でカメラを持って。一人で喋りながら歩いて。初めての経験です。時々、その様子を外から見て思わずクスクスと笑ってしまう、もう一人の自分と戦いながらの撮影でした笑アップロードした動画は、北九州市八幡西区鉄竜にある山の神池をグルっと一周、複数のカットに分けて撮影したものの内、最初のカットです。なんの変哲
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。八幡西区鷹の巣にある大池公園は鉄竜に隣接し、市民センターや消防署、赤十字血液センターなど公共施
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。2021.12.31久しぶりに帰省して穴生を訪れる機会に恵まれました。その際、云十年ぶりに母
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。鉄竜/鉄王の新日鉄社宅の建屋や生活などの細部にフォーカスしたくなったので、以下に記録します。
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。この2021-2022年末年始、17年ぶり(2004年以来)に穴生を訪れる機会に恵まれましたの
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。今も続く北九州市八幡西区相生町のマルゼンストア。鉄竜と鉄王にかつて存在していた新日鉄の巨大社宅
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。鉄竜・鉄王の周辺に同時期に作られた公営/民間アパートがいくつか現存しており、どこか懐かしさや近
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。ラーメンと言えばとんこつ。物心ついたときには当たり前にそうでした。黒崎のホームラン、唐そばによ
到津遊園は1932/昭和7年、当時の九州電気鉄道が開園。その後、西鉄と統合。1950年代には一日に4万人を超える来場者があったそうです。2000年に閉園し、市民の要望を受ける形で北九州市が経営を引き継ぎ到津の森公園として現在に至っているそうです。(Wikipedia)▽当時の航空写真北九州市小倉北区上到津にあります。小倉と戸畑の境界。緑豊かな場所です。1970-1980年代、北九州市八幡西区鉄竜にかつて存在した新日鉄社宅で暮らしてた私にとって楽しみのテーマパーク。だいたい車で行ってましたが
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。複数のアパートなどで構成される社宅や団地では、必ず各棟個別に番号や記号などが付与されます。穴生
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。以下では取り壊し直前の様子などを書かれた素敵な記事をご紹介します。先日他の記事の関係で久しぶ
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。まだまだ一般家庭はデジタル黎明期。子供たちのおもちゃはゲームウォッチとか、LSIゲームとかが普
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。穴生公園は、かつて北九州第二の繁華街だった黒崎から、国道3号線を西へ2キロ弱進んだ萩原一丁目に
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。当時の自宅は鉄竜一丁目にあった68棟、山の神池という緑地帯のそばでした。当時の社宅そのものを撮
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。ここでは当時の自宅から道路と川を挟んだ西側、鉄竜二丁目にかつて存在した新日鉄社宅について記録し
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。昭和50年代半ばを過ぎた頃。近くでクーラーをつけているサラリーマン世帯はまだまだ少数派。社宅に
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町、鉄竜と鉄王が生まれました。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。※この記事は2021.5に書いたオリジナルを一部更新したものです。遊ぶとき、登園・登校する