ブログ記事1,468件
それからと言うもの、成幸は何となく落ち着かなかった。途方もない幸運が、自分のすぐそばまで来ている様な気がする。しかしその幸運を、しっかりと自分の手でつかむまでは、まだ達していないのだった。もっともこの間に、成幸はCBCののど自慢に出場した時、審査員の一人だった森一也氏の推薦で、ある酒造会社のコマーシャルソングを吹き込んだ。デュエットで、相手はCBCの専属の、これも若い女性タレントだった。作曲は森一也氏で、成幸はこの謝礼として、CBCから三千円貰った。のど自慢の時は記念品で、賞金は出なか
「やれば必ずできる!」それは今や、上田成幸の信念となっている。彼は何としても東京に出たいと思っていた。地方で幾ら名前を上げた所で、所詮は犬の遠吠えのようなものでしかないのだ。東京と言う大都会で認められてこそ、はじめて真の意味の「一流」になれるのだと成幸は信じた。しかしその東京の、一体どこに行けば良いのか?その問題に行きつくと、彼ははたと困惑してしまうのだった。一流の作曲家や流行歌手の門を、見ず知らずの少年が叩いた所で結果は見え透いていた。「どういう方法で上京しようか?」成幸はそればかりを
「お前のど自慢に出て見ないか?」そのあくる年の、昭和三十七年一月。たまたま遊びに来た斎藤昇が、突然成幸に、こんな事を言い出した。中学卒業した年から、数えて、既に三年、今では斎藤も、家業のパン屋が板についていた。「シゲちゃん知ってるだろう?俺たちの二年先輩で、萩原銀座で下駄屋をやっている富田さん、あの人、先週CBCテレビの『歌のチャンピオン』に出たんだぜ。おれ、店番しながらテレビを見てて、偶然に判ったんだ」「それでどうした?」「アウト!残念でした」斎藤はおどけて言った。その富田という先輩は
萩原銀座の商店街が、もうすこし切れる辺りで、ようやく少女に追いついた。「あっ」成幸の姿を認めて、少女は自転車の速度を遅らせた。「君って随分早いんだな。俺も自転車じゃ相当に飛ばす方だけど、君にはとても追いつけないよ」成幸は笑った。そこは「正瑞寺」と言うバスの停留所辺りだった。停留場のすぐ前に、正瑞寺という寺がある。ささやかな鐘つき堂を持っているだけの、ほんの小さな寺だったが、幼い時、成幸は日光川にザリガニを取りに行った帰り、今西や斎藤と一緒に、良くこの境内で遊んだものである。「久し振り
秋が深まった。成幸の部屋も窓からは、一面の稲穂が見え、それが全て美しいい黄金色に揺らめいている。この一週間ばかりというもの、成幸は今西に会っていなかった。何となく懐かしくなって、彼は自転車を取り出した。今西の家は、萩原の駅を左に見て、更に百メートルほどまっすぐ行ったところにあった。成幸は自転車を降り、勝手を知った窓際で今西の名を呼んだ。「マコちゃん!マコちゃん!」窓が開いた。しかし中から顔を出したのは今西ではなく、彼の母親だった。母親の表情を見て、成幸は立ちすくんだ。彼女の目から
「どうだいうまく行ってるかい?」それは、萩原銀座の商店街の一角だった。レコード屋に行った帰り、偶然向こうからやってくる今西に出会った。彼は成幸の顔を見るなり、いきなりそんな事を言った。「まあまあだな、君は?」「何となくさ、毎日本を読んだり、思いつくと下手な小説や詩を書いたりしているよ」今西は笑った。彼の手に、文庫本の詩集を持っていた。「萩原朔太郎詩集」とそれは読めた。成幸はその本を何となくめくってみた。「貴女のさまようからだの影から貧しい漁村の裏通りで、腐った魚の臭ひがする…」
尾西線の電車の中から、成幸は飛ぶように萩原駅のホームに降り立った。改札口の時計は、一時十分をさしていた。土曜日なので、高校は昼までなのである。改札口に立っているのは、顔見知りの若い駅員だった。「やぁ!」と気軽に声を掛ければ、それだけで楽に出入りが出来る。しかし成幸は、ポケットから定期券を取り出して、おもむろに駅員に示した。定期券は、萩原、名古屋間で、その淡い青色の券には、赤い字で「学」と言う字が記されてあった。昭和三十五年四月、成幸が名古屋市内にある私立愛知学院に入学した時、初めて買っ
「同じ事なら、おれは一番自分の好きな道、音楽に進みたい」いつの間にか、それが一つの信念にすらなった。母親を口説き落とし、栄吉に無理やりピアノを買わせたのも、この頃である。当時、人口二万人,軒数四千五百数戸という萩原の町で、ピアノを自家用で備えたのは、成幸の家が二番目だった。また自分でアルバイトしたり、父親から貰った小遣いを貯めて、テープレコーダーを買った。正式に譜が読める訳でもなく、耳で覚えた流行歌を、ただピアノで音をたどるだけだったが、不思議にこうした事は器用だった。時たま口ずさむ、
長い間二人はそこに座っていた。成幸は自分の家の事や、仲良しの友達である、斎藤昇や今西誠の事を少女に話した。少女は、自分の家がP町にあり、父親が早く亡くなったため、一家で織物の内職をして、生活を支えている事を、少しずつ少年に語った。「偉いんだなぁ、君って」成幸は、少女に初めて会った日、自転車の荷台に角ばった荷物を一杯積んでいたのを思い出した。それは、内職用の機織りに違いなかった。「偉くなんかないわ。私、どうかすると、綺麗な着物とか、流行のスカートとか靴とかが、無性に欲しくなる事があるの。旅
「この前お祭りに来ていましたね」ぽつりと成幸は言った。なにか言わねばならぬと、そう思いながら、どうしてもこの場に最もふさわしい言葉が出て来ないのだった。「ええ・・・」少女がうなずいた。澄んだ声音であった。そして少女の次の一言は、いたく彼を喜ばせた。「あなたもいらっしゃいましたね。風車の所で・・・」成幸は、はにかみながら笑った。少女が自分の事を認めていてくれたのが、彼には新しい発見であり、歓びでもあった。「あの時、君は白っぽい浴衣を着ていた。僕は君を追って行こうとしていた、でも出来なか
その夏祭りがやって来た。神社の境内は朝早くから子供たちの歓声と太鼓の音でにぎわった。綿菓子屋が出る。植木屋が出る。金魚すくいが出る。夕方から、成幸は今西を誘って、人でごった返している萩原神社に出掛けた。「斎藤のやつ来てるかな」成幸が言った。斎藤も誘ったのだが、彼は出掛けていて留守だった。「お祭りは良いなぁ。僕はこういう、人間が心から楽しんでいる風景を見るのが好きなんだよ」今西はしみじみと言った。今西は、いつの間にか思索的な、静かな少年に成長していた。成幸はふと、風車を売っている露店に目を
「おい、いいことがあるんだけど」中学に入って間もないある日の朝、斎藤がさも重大そうな表情で、成幸と今西に言った。「今萩原の商店街で、景品付きの大売り出しをやっているだろう。俺の店でも景品出すんだけど、その中に一宮のR劇場の招待券があるんだよ」「それで」「だから今日、昼から学校さぼって、一緒に行かないか、って言うんだ」「一緒に行かないかって、お前、その招待券はどうして手に入れたんだ」成幸は聞いた。斎藤はよく太った顔に、一瞬いたずらそうな笑いを浮かべた。「今朝ね、俺が店に行ったら誰もいない
昭和32年四月。成幸は萩原中学校に進んだ。もちろん小学校の同級生だった斎藤昇や、今西誠と一緒だった。(とうとう中学生になった)新しい詰め襟に身を包んで、中学校の校門をくぐった時、成幸はふとそんな感慨が心をよぎるのを感じた。ことさら跳ね回って、筆箱やそろばんが大きな音をたてて鳴るのを楽しんだランドセルも、今はズックの下げカバンに変わっていた。進学を祝って、父の栄吉が買ってくれた、黒の編み上げ靴は、彼が大地を踏みしめるたびに、革特有の、あの小気味よい軋みを立てて少年を喜ばせた。成幸は意味もな
当てもなく、成幸はただ歩いていた。それは、果てしなく広がる、稲田と稲田の間に有る、小さな道だった。成幸の他には、誰も人影は無かった。歩き疲れて。成幸はふとしゃがみこんだ。この道を真っすぐ歩き続けたら、萩原の町にたどり着くことが出来るのであろうか。それすら、幼い成幸には良く判らなかった。ただ歩き続けていたい・・・それだけだった。しゃがんでいる成幸の側に、レンゲの花が一面に咲いていた。少年は手を伸ばして、その小さな花を摘んだ。花を摘もうとして手を伸ばした時、水をたたえた稲田のおもてに、成
昭和26年4月、成幸は小学校に入学した。小学校は、成幸の家から自転車で5分ほどの所にある萩原小学校である。真新しい制服の胸に「上田成幸」と書かれた名札を吊って、成幸は元気に通学した。初めて教わる文字も、黒板に掲げられた、大きな世界地図も、成幸には大きな驚きだった。「上田君、読んでごらん」学校の先生が、国語の教科書など読ませると、良く出来た。「ヨシ!たいへん上手だった!」少し大袈裟に褒めてやると、頬を赤らめてうつむいてしまう。「気の弱そうな、おとなしい子だな」と先生は思っていたのである。
さてさてさて、今日はブッチャーズテーブルの美味しい料理のお話です。昨日の続きです。『家族皆で行ったブッチャーズテーブルのお話』さーて、今日は家族で食べに行ったブッチャーズテーブルのお話です。お盆期間に毎年皆で食事に行くんですが、昨年に続き今年もブッチャーズテーブルへ…ameblo.jp自分が頼んだオニオンソースの薄切りサーロイン&デミ三ツ星ハンバーグオニオンソースの薄切りサーロン
さーて、今日は家族で食べに行ったブッチャーズテーブルのお話です。お盆期間に毎年皆で食事に行くんですが、昨年に続き今年もブッチャーズテーブルへ弟夫婦とともくんは別の席だったんで写真はなし🙅🏻♂️メニュー表昨年とはメニューも違うね自分はオニオンソースの薄切りサーロイン&デミ三ツ星ハンバーグ母上殿はBセット親父殿はいつもの?、デミグラス三ツ
「珍名」…読み方のお話しニッポン放送の「男性アナ」で、内田雄基アナ(1997年生まれ)という方がいましてね。読み方が、「うちた・ゆうき」アナという。つまり、「濁音」ではない。「うちだ」ではない、濁らない読み方なんですよ(^▽^;)で、ふと思い返してみると…結構こういう「標準ではない」、だけど「表記」はごくごく一般的であるがゆえ…絶対「正しく読まれたことない」んだろうなーと思うのもあるんですよ(;^ω^)たとえばこちら。萩原さん。荻原さん。一般的には「はぎわらさん」「おぎわらさん
ルネックスパークになり初の・・・3のつく日です名前は変われどここは変えない!!あの機種たちがオススメです♪フォアタッ!!準備完了!!気合十分!!ご来店お待ちしております!!
皆様、初めまして?ルネックスパーク萩原店です♪WOW➡ルネックスパークになりました!!↓↓↓↓↓↓↓↓ということで店長…相当気合入ってます!!多くは語りません!!皆様のご来店お待ちしております♪
こんにちはワウ萩原店です7/11(木)新台入替初日最新台たっぷり導入それでは11日のご来店心よりお待ちしてます
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。ーーー今回は手持ちの書籍にある昭和10年/明治43年当時の八幡市地図の西部(幸神/別所と穴生
【BLUEMANTIS公式通販】https://bluemantis.official.ec/categories/2310355https://www.instagram.com/p/C8UJfbbPylR/?igsh=MWp2cWx1MTB4NzJwNw==#bluemantis⭐️従兄弟だけど愛弟のブランド⭐️ストリートファッション⭐️ハイクォリティ⭐️
今日は久々に大分に帰ってきた友人とランチです。萩原のカルマ初めて行きます🍽️
こんにちはワウ萩原店です6/12(水)新台入替初日最新台たっぷり導入それでは12日のご来店心よりお待ちしてます
こんにちはワウ萩原店です5/23(木)新台入替初日最新台たっぷり導入それでは23日のご来店心よりお待ちしてます
ちょっと投稿期間があいてしまいました。桜は終わってますが、続きを・・・。下呂・萩原の夜桜ライトアップの桜が水辺に映えます。青く光る鐘に明るく輝く夜桜・・・夜の桜は、昼間とは違う妖艶さがあります。STOCKAllFUJIX-E3夜桜桜の特集はいかがでしたでしょうか。前回の投稿から期間があいてしまいましたが、ご覧頂き、ありがとうございました。次回からはまた、違う風景をお届けします!
こんにちはワウ萩原店です5/8(水)新台入替初日最新台たっぷり導入それでは8日のご来店心よりお待ちしてます
さて、今日は天風天ぷらのサクサク天麩羅のお話です。昨日お話した天風の天ぷら定食『萩原に出来た天ぷらの天風のお話』さーて、今日は萩原にできた天風のお話です。大分市のわったん(稙田ダウン)の中に以前からある天風、3月に大分市萩原に支店がオープンわったんの…ameblo.jp自分の天風天ぷら定食のアップをまずはいんげん豆、自分いんげん豆の天ぷらは大好きで、うちでもいん
さーて、今日は萩原にできた天風のお話です。大分市のわったん(稙田ダウン)の中に以前からある天風、3月に大分市萩原に支店がオープンわったんの天風には亡くなった祖母と両親と1度行ったことがあるんですが、揚げたて天ぷらが美味しかった記憶があったので、行きたいと思っていたんで。1日、畑作業をしたお礼に親父殿が連れて行ってくれました。メニュー、何にしようか迷ったけど、母上殿と自分は天風天ぷら定食、親父殿は大エビ天ぷら定食