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2023年12月17日清水区から葵区へ、静岡駅方面へさらに🚲で向かいました。静岡市葵区の華陽院さんへ参拝参拝記念のイラスト入り御朱印を拝受。こちら「どうする家康」ゆかりのお寺です。徳川家康の母方である源応尼(げんのうに)が、祀られています。家康は8歳から19歳まで駿河の今川義元の人質となり、駿府(今の静岡)に住まわされていてその当時、世話をしていたのが源応尼で、住居は華陽院前身である知源院の近所で、竹千代はよく寺に遊んだという。(浄土宗新聞より)こちらには家康公
【静岡】大河ドラマ『どうする家康』も次回12月17日でいよいよ最終回。徳川家康の祖母・源応尼の墓所がある『華陽院』松平家を離縁された於大は我が子・竹千代を育てられませんでしたが於大の実母で竹千代の祖母の源応尼が駿府に入り今川義元の許しを得て元服まで竹千代を養育しました。家康は今川家の人質だった少年期をこの寺の近くで
今朝、娘が無事に成田に到着、午後には戻ってきました。これでやっと明日帰れます。午前中の散歩で、市内の龍拈寺の前を通りました。豊橋市内は先の大戦でほとんどの建物が灰燼に帰したのですが龍拈寺の三門だけが奇跡的に焼け残りました。空襲でも焼け残った龍粘寺山門。三門の扁額には山号の「吉田山」。但し読みは「きちでんさん」。吉田藩の吉田ですから由緒正しき寺と言うのがよくわかります。三門を横から撮影。龍拈寺山門の説明板。左手龍拈寺観音堂。右手がモダンな本堂です。
"この頃、水野信元の父・緒川の水野忠政は海を渡り刈谷までその勢力を伸ばしつつあった。"当然、清康がそれを見逃すはずがない。戦に発展し、清康が忠政を捩じ伏せる。その講和条件に清康が求めたのは、忠政の側室・華陽院の譲渡だった。美しい華陽院に清康は一目惚れだったと云われている。忠政が華陽院を引き渡した事で刈谷を領地とする事を認められ、数年後に城を築いた。衣浦湾の実権を手にした水野家は、大きく発展していく。いや、凄い話だな😅この時、華陽院は忠政との間に5人の子を産んでいる。その内の1人
●徳川家康の家系図(祖母・華陽院。父方)③※参考文献歴史ディレクトリウィキワードウィキペディア三河大河内氏武家家伝・大河内氏〇三河・大河内宗家。諸説あり。源仲政(?~?)(参考文献ウィキペディア)源頼政源仲綱源宗綱養子・源政綱大河内行重養子・源兼綱大河内顯綱源頼行源政綱(正綱)源兼綱源兼隆源兼政
●徳川家康の家系図(祖母・華陽院と夫たち)②※参考文献戦国武将列伝Ω(オメガ)武将辞典・華陽院法名、華陽院殿玉桂慈仙大禅尼(お富。源応尼)(けよういんでんぎょくけいじせんだいぜんに?)。〇尾張・宮野善七郎秀成。養女・華陽院。宮野の妻が、華陽院の乳母かもしれない。または、華陽院の寺子屋の師匠かもしれない。〇父説。a説父・青木貞景(さだかげ)?妻・大河内満成の娘華陽院青木弌宗(かずむね)?養女・華陽院
●徳川家康の家系図(祖母・華陽院)秀吉と家康とを繋ぐ青木一族(天野氏)http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/aoki/aokiitizoku1.htm青木教方(のりかた。?~?)(諸説あり)①青木政久(武蔵守)青木政隆青木隆頼青木頼元(頼利)青木通国(備後守)青木政春②青木隆久青木隆道(吉道。筑後守)青木隆吉(六左衛門)
●德川家康の家系図(松平広忠)松平清康(次郎三郎。清孝)(偏諱者へんいしゃ、吉良持清)(1511年9月28日~1535年12月29日)正室・於波留(春姫)(父、大草・松平昌安)松平広忠(次郎三郎。岡崎三郎)(安城松平家)継室・華陽院(父・青木景貞。養父・大河内満成&大河内元綱)松平信康(源次郎)娘?松平広忠(1526年6月9日~1549年4月3日)側室・於久の方(妙林)(父、大給・松平乗正)松平忠政(勘六
うっちーこと宇都宮芳綱ですくじから出るとガッカリさせてくれるこの方ですが本影共にそこそこ持っていましたこの百武さんのスキルを部隊全員に付けると、攻防値が195まで上がるので、武神百鬼部隊を作ってみることにしましたまずはこの方から金合成をするまでもないので、銅銭合成でトライです果たして結果はグフッ!><確率通り付いてくれれば良いのに更に行きますグッジョブ♪('-^*)/
こんにちは!夏、夏、暑い💦といいながら、出かけています。1なんか、とんでいる感じがするこの雲、主人は蟹🦀といい、私は口を開けて、手を上げて、通行止めをしようとしているようにみえる。空が青いなぁさぁて、これからどこへ?最近は、階段をみても怯まない私がいる。あっ、栗のイガが❣️栗のイガが、沢山落ちています暑いけれど、やはり秋の予感🍁ちょっと登って「亀城公園」亀城公園は旧刈谷城の本丸と二の丸の一部にあたる。水野忠政の築城で、亀城とも呼ばれ、徳川家康の生母お大の方の育
●德川家康の家系図6①(松平信忠。大河内・水野・青木)徳川家康FC2(青木貞景)三河大河内氏https://ncode.syosetu.com/n3385df/14/三河寺津城(てらづじょう)三河の大河内氏とその同族・室賀寿男http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/ohkohchi.htm◎松平氏(ウィキペディ)松平信光(1404年?~1488年8月29日?)(岩津松平家)松平親忠松平長親
●青木重矩の家系図7(蓮華院・徳川家康)※参考文献武家家伝・青木氏武家家伝・杉原氏青木氏(ウィキペディア)青木紀伊守一矩と秀吉の母方一族青木重貞(武家家伝・丹党青木氏)青木重藤青木重直青木一重青木重任娘(夫・青木重矩。父・青木以豊もちとよ)青木重任(しげとう。勘七郎)(紀伊守)娘(夫・青木重矩)(しげのり。一董かずただ。勘兵衛)青木孫助養子・青木重矩青木重矩(右衛門佐うえもんのすけ
●青木貞景の家系図4(西郷氏・天野氏・大草松平氏)秀吉と家康とを繋ぐ青木一族(天野氏)天野氏(ウィキペディア)武家家伝・天野氏(伊豆国田方郡たがたぐん天野郷。静岡県伊豆の国市天野。ヤフー地図)青木氏・氏姓家系メモ●天野氏の家系図(出自不詳)(犬居城主?)(静岡県浜松市犬居?)天野資久(犬居城主?)娘(夫・松平信忠)?天野隆正娘(夫・青木貞景)天野隆正娘(夫・青木貞景)青木
●青木貞景の家系図3(西郷氏・天野氏・大草松平氏)●(愛知県岡崎市明大寺町西郷。ヤフー地図)西郷頼嗣(よりつぐ。岡崎城主)娘(夫・松平光重)松平親貞養子・西郷信貞?西郷信貞(松平昌安)●大草松平家(大草城主・岡崎城主)(三河国額田郡大草郷。愛知県額田郡幸田町大草。ヤフー地図)松平信光(岩津松平家)松平親忠(安城松平家)→松平清康・松平広忠・徳川家康松平光重(大草松平家)①松平光重(
●青木貞景の家系図2(天野氏・松平氏)秀吉と家康とを繋ぐ青木一族(天野氏)青木教方(のりかた)①青木政久(武蔵守)青木政隆青木隆頼青木頼元(頼利)青木通国(備後守)青木政春②青木隆久青木隆道(吉道。貞景。筑後守)青木隆吉(六左衛門)青木隆久(六郎)青木隆道(貞景)娘(夫・青木義勝)青木隆吉
●蓮華院の家系図(青木氏。家康の側室)武家家伝・丹党系青木氏青木氏(ウィキペディア)青木以藤(?~1411年)青木持通(もちみち)青木以重青木以常(もちつね)→青木以豊(もちとよ)娘(夫・青木重矩)青木持通(次郎。武蔵守)(主君・足利義持よしもち)青木以重(加賀守)(主君・足利義教よしのり)青木通久→華陽院?青木重貞青木重任青木重貞(新助景直?)(加賀守)
●青木氏・華陽院の家系図※参考文献武家家伝(青木氏・青木氏丹党系、混在)青木氏(ウィキペディア)ニッポン旅マガジン・青木さんのルーツを探せ!秀吉と家康とを繋ぐ青木一族(ヤフー地図)◎甲斐国巨摩郡青木(山梨県韮崎市清哲町青木)(青木樹海ヶ原)。武田青木氏。◎武蔵国入間郡青木郷(埼玉県飯能市青木)。武蔵7党青木氏。◎近江国坂田郡青木(滋賀県湖南市石部。青木大明神?)。近江青木氏。◎美濃国安八郡青木村(岐阜県大垣市青木町)。美濃青木氏。◎
●大河内元綱の家系図6(華陽院・徳川家康)◎大河内城(三重県松阪市大河内町。ヤフー地図)◎三河国額田軍大河内郷洞村(どうむら?愛知県岡崎市大平町字大河内?)◎武家家伝・大橋氏大河内光綱(但馬守)(寺津城主。三河国幡豆郡寺津)(本家)大河内満成?(分家)養女・華陽院?大河内元綱?養女・華陽院娘(夫・青木貞景?)華陽院大
●大河内元綱の家系図5(華陽院・徳川家康)※参考文献三河の大河内氏とその同族・室賀寿男大河内家・大橋家の関係大河内氏(ウィキペディア)武家家伝・大河内氏大河内顕綱(あきつな)大河内政綱大河内行重大河内・桃井宗綱(?~1340年)(父・吉良弥三郎有信?)大河内満綱(貞綱と同一人物?)大河内貞綱(綱満?)(1449年~1513年)大河内光将大河内国綱大河内光綱大河内満成(但馬守)大河内元綱(左衛門佐さえもんのすけ)大河内貞綱(
●大河内(大橋氏)4.7の家系図●大河内信政?大河内元綱(重元?)妻・大橋和泉守重信の娘大河内重一(養父・大橋定安)大河内秀綱?大河内久綱大河内正綱(松平正綱)●大橋定広大橋定安?養子・大河内重一?大橋重信?娘(夫・大河内元綱。重元)大橋重信娘(夫・大河内元綱。重元)大橋清兵衛
中根氏の家系図(平清盛・織田信長・本多忠勝・真田信繁)◎中根氏中根家の歴史中根城(中根城と織田信照)(名古屋市瑞穂区丸根町。ヤフー地図)中根正照(平左衛門)コトバンク平正盛(伊勢平氏)平忠盛平清盛平重盛平忠正中根忠持平忠正(右馬助)(?~1156年8月15日)平長盛服部長光→服部平左衛門(荒木又右衛門。名刀幻想辞典)⑦中根正持(七郎忠
●大河内元綱(大橋氏)4.6の家系図※参考文献三河の大河内氏とその同族南朝偽帝三浦系譜(後醍醐天皇・大橋・大河内)大橋津島系譜2大河内家・大橋家の関係武家家伝千秋氏(せんしゅうし)千秋家系図熱田大宮司千秋家譜熱田神宮・公式蜂須賀系図1(蜂須賀正利)日本通信百科事典・長田氏●大河内満成大河内元綱(妻・大橋信重の娘)養女・華陽院娘(夫・青木貞景?)華陽院(家康公ネットワーク)養女・華陽院(源応尼。於冨の方概要)
●大河内元綱(大橋氏)4.5の家系図後醍醐天皇宗良親王(1311年~1385年9月14日)妻・井伊重子(父・井伊道政)尹良親王(ただよししんのう)(?~1424年)興良親王(おきよししんのう)(1334年~1376年)正良親王(1364年~1417年)桜姫(夫・大橋定省さだよし)大橋信吉桜姫(夫・大橋定省さだよし)(三河守)(奴野ぬのや城主)大橋信吉
●大河内元綱(大橋氏)4の家系図※参考文献マイナー武将列伝、堀田道・空堀田道悦三河の大河内氏とその同族・室賀寿男武家家伝・尾張大橋氏大橋氏(大橋津島系譜2)大橋氏ユニオンペディア平貞能(たいらのさだよし)肥後国山本郡大橋(熊本市北区植木町田底。ヤフー地図)(大橋城)津島神社の神主家(氷室家)(愛知県津島市神明町。ヤフー地図)井伊道政コトバンク井伊氏コトバンク世良田政義コトバンク松平氏と世良田氏武家家伝新田氏(世良田氏)●後醍醐天皇(ごだいごてんのう
●松平大河内氏の家系図2※参考文献歴史ディレクトリウィキワードウィキペディア三河大河内氏武家家伝・大河内氏大河内光綱(久綱?)(但馬守)大河内満成?養女・華陽院?大河内元綱?養女・華陽院娘(夫・青木貞景)華陽院大河内真綱(貞綱)(備中守)(?~1517年9月4日)巨海道綱(こみみちつな。新左衛門)(?~1517
●大河内氏(華陽院)の家系図1※参考文献歴史ディレクトリウィキワードウィキペディア三河大河内氏武家家伝・大河内氏〇三河・大河内宗家●源仲政(?~?)(参考文献ウィキペディア)源頼政源仲綱源宗綱養子・源政綱大河内行重養子・源兼綱大河内顯綱源頼行源政綱(正綱)源兼綱源兼隆
●氷見貞愛(ひみさだちか)1の家系図◎知立神社(三河国池鯉鮒明神ちりゅうみょうじん)の神主。(愛知県知立市西町)三河国造知波夜命(みかわのくにのみやつこちはやのみこと?)(674年)数代13代・氷見貞春15代・氷見貞連(さだとも?)(知立神社祖)(主君、40代・天武天皇)数代20代・氷見貞俊(父・在原師喬ありわらもろたか。母・氷見氏)22代・氷見清貞(饗庭次郎あえばじろう。土岐饗庭氏?)妻・大河内貞重の娘
●華陽院の家系図8(夫・松平清康編。家康の双子編)※参考文献公卿類別譜・徳川氏〇松平清康(1511年9月28日~1535年12月29日)継室・華陽院松平源次郎信康娘(夫・氷見貞親さだちか。父・氷見貞英)娘(夫・氷見貞愛さだちか)碓井姫(うすいひめ)(前夫・長沢松平政忠。後夫・酒井忠次)俊継尼(夫・吉良義安)吉良義定〇松平清康(世良田次郎三郎清孝
●華陽院の家系図7(夫・水野忠政編)緒川城主。尾張国知多郡小河・愛知県知多郡東浦町緒川。刈谷城主。三河国碧海郡刈屋(へきかいぐんかりや)(愛知県刈谷市城町)。水野忠政(右衛門大夫)(1493年~1543年)継室・華陽院(父・青木貞景?)④水野忠守(1525年~1600年)(双子?)③水野信近(1525年~1560年)(双子?)於大の方(1528年~1602年)(養父・青木政信?)(夫・松平広忠
●華陽院の家系図6(菅沼定望さだもち編)※参考文献武家家伝・菅沼氏ウィキペディア世界帝王辞典・菅沼氏菅沼定忠(愛知県設楽町田峯したらぐちょうだみね)菅沼定成田峯城・菅沼定望(定広?)菅沼定継娘(夫・明智定明)鵬雲(ほううん)(僧侶)野田城・菅沼新八郎定則(さだのり)(愛知県新城市豊島)(1493年~1