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仏、釈尊は「法華経」をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第六章の授記品をご説明します菩薩がいる国は美しい◎大心(だいしん)を起こす迦葉(かしょう)の授記に続いて、目健連(もくけんれん)、須菩提(しゅぼだい)、摩訶加旋延(まかかせんねん)らが一生懸命に授記を願い出たため、仏は三人の決意を認め、まず、須菩提に「お前さんも仏になれる」とお許しになった須
他愛意識には3ステップあります。仏教でいう菩薩行、言霊学でいう道徳の実践(えの次元)アドラー式など。第一ステップは己のためにやる(意識は内側)自分が助かるために。自分がアセンションするために。そのために徳積みをしようとする。第二ステップは己以外の何かのために(意識は外側)自分が体験したことをもとに誰かを助けたい。何かに感銘を受けて何かを救いたいそのために慈善活動を行ったりする。第三ステップは無であり全(意識は全体)第一、第二と違い"何かのため"というものはない。本物の
【菩薩行】自分のことも満足に出来ないのになにが人さまのためだ、と考えがちですが、いつも自分のことだけを考えて生活していては、いつになっても「安心」は得られません。Myview✍️放っておいても自分のことはいつも考えているワタシ•••〈画〉猿も人間も自分のことを考える
〈御書の旭光を〉5地域に生命の“安全地帯”を〈御文〉一切衆生の異の苦を受くるは悉(ことごと)く是れ日蓮一人の苦なるべし(御義口伝、758ページ)〈通解〉一切衆生が受けているさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である。〈池田先生が贈る指針〉“あなたの苦しみは、私の苦しみです”。苦難と戦う民衆に寄り添われる御本仏の大慈大悲が胸に迫る。この同苦の心を継ぐのが創価の菩薩行だ。「話を聞いてくれた」「分かってもらえた」――信頼できる先輩や同志の存在が、悩める友を安心と希望
慈悲とは究極の見下し悟りとは最終的な諦め行き着くところへ辿りついた様な気がしてきました慈悲や悟りを手っ取り早く表現すると仕方ないを受け入れる‥で全て片付きそうhttps://youtu.be/vBEuQ3_o0os?si=gi-HMgvuO6TGZaSL菩薩の心「慈悲」とある吹雪の日のことでした。ほぼほぼ決まった時間に毎日新聞を届けてくれる配達員さん。しかし、視界も悪く路面も凍結していました。突如、風に煽られ自転車ごと転倒してしまいました。その自転車の荷台には、これから配達する新聞
https://ameblo.jp/kirana12072005/entry-12770136609.html『スミカオーダー専用記事です』このページでは、スミカのご注文を承っております。(スミカの商品説明はコチラの記事内もぜひお読みください)オーダーは、下記のスミカ商品説明をよくお読み頂きまして…ameblo.jpスミカについて、お問い合わせありがとうございます。こちらの記事から、ご連絡をお願いいたします☺メール作成画面はこちらを長押しorder00kirana@g
【菩薩行】人を喜ばせる道はいくらでもあるのです。人を喜ばせる力は無限にあるのです。Myview✍️人喜(じんき)反対から読むと「きんじ」(笑)〈画〉わたし!?
2024/3/2#法源寺坐禅会5名のご参加がありましたありがとうございました#灰頭土面頭は灰だらけ、顔は泥だらけになりながらも人のために尽くすという意味です能登半島の被災地で復旧作業に携わるボランティアさんの姿が重なります#千眞工藝様の墨跡カレンダーからお題をいただきました「答えをくれる人が欲しいんじゃない一緒に答えを探してくれる人が欲しい」あるブログで見つけた言葉です人に寄り添い努力することを#菩薩行といいます何事にも人のために一生懸命尽くす姿は美しい次回の坐禅
#創価学会員によくある(わざとさせてる?)誤解。無疑曰信❌疑わないことを信という️⭕️疑い無きを信という「冬は必ず春となる」❌今は我慢していつか幸せに(念仏)️⭕️今菩薩行をする中に仏の生命が現れ幸福であり、それが定着する。❌創価学会は未来永劫絶対正しい(日顕宗と同じ)—-もっとん-(@_motton_)February26,2024#創価学会員によくある(わざとさせてる?)誤解。無疑曰信❌疑わないことを信という️⭕️疑い無きを信という「冬は必ず春と
仏、釈尊は「法華経」をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第四章の信解品をご説明します菩薩の道の使命感とは◎心の転換人々と共に生き、人々を救おうという悲願を起こした仏弟子たちは、ここではじめて、真理の世界の大王である仏の教えがわかった人々の為に役立とうと決心したのであるから、迦葉たちは声聞でなく菩薩になったのである仏の大恩は、無限であることが迦葉
久しぶりの投稿です✒️✨近頃、小学生の息子の影響で久しぶりにアニメやマンガを見るようになりました👀💕大人になって改めて見ても、日本の誇る素晴らしい芸術文化だと思います。どの作家さんも本当に仕事が細かく素晴らしい作品ばかりです✨そんな流れで、森下suuさんの『ゆびさきと恋々』というマンガに辿り着き、最近のお気に入りです💓ろう者である主人公の女の子と、その子をとりまく人々の心の機微をとても丁寧に描いているマンガです。その中で主人公の恋人・波岐逸臣(なぎいつおみ)君という大学生の男の子が出
仏様になるための行いを菩薩行といいます。菩薩とは仏様になるために、修行をかさねている人のことです。仏様をめざす菩薩の行い「菩薩行」というものについて、一休さんが、こう答えています。「腹立てず、心はまるく、気は長く、おのれ小さく、人は大きく」これが菩薩の心構えです。SNSでの誹謗中傷や、学校、会社でのいじめやハラスメント。そのもとにあるのは「自分以外は全ては駄目なやつ」という傲慢な気持ちです。皆さんにも(私にも)そんな気持ち
仏、釈尊は「法華経」をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第四章の信解品をご説明します菩薩の行を積んで、すべての人を救うために役立ちたいという決心がついた4人たちとは◎無限の向上仏弟子のなかの※須菩提(しゅぼだい)※迦旃延(かせんねん)※迦葉(かしょう)※目犍連(もくけんれん)という有名な4人の弟子が歓喜のあまり思わず躍り上がり、座から立ち
日曜日、雨上がりに向かったのは大阪城公園にある太閤さまの豊国神社トヨクニと思ったらホウコクと読むんですね。ダンナ氏の、戦国歴史ウンチクを聞きながら向かいます。大阪城のある場所は、信長が攻めあぐねたなんちゃらでー城の色が黒いのは、白いのは、とか?ワタシは息子氏の就職祈願をお守りも買いました。あ、自分の金運アップも買っちゃった♡ダンナ氏、ひょうたんのコレ買ってました。帰りには、大阪城を通ります。パラっと☔️が、、、恒例の石垣積み大阪城はあまりに、立派な石垣すぎて、でも、
最近、老眼が激しい。眼鏡なしでは生活がままならない。裸眼で無理に視力を合わせようとすると、目の奥がギュルギュルと痛い。脳もしかり、難しい事や、ややこしい事を考えようとすると、頭頂部から少し下がった所がきしんで痛い。歳のせいもあるだろうけど、ようはアホであるので、キャパオーバーなのだ(笑)仏教の経典も、学ぶべき事柄は山ほどあって、若い僧侶ならこなしていけるのかな?頭でっかちにすらなれないおばちゃんは、ダルマは、菩薩行を最優先させている。そこで巡りあったのが、この梅干し理論。人の身
観音様は充分な徳がありながら如来に成る事を拒み、その人に応じた姿に形を変え、衆生救済の為この娑婆にとどまっていてくださると言われています。密教行者の中には観音菩薩の姿を模範に悟りや解脱(輪廻を断つ)を成就させる事無く、迷妄にある人を救う為、何度となく輪廻転生し菩薩行に励むべきと持論を展開する方もいたりする様です。でも、来世があるものとして、輪廻転生してこの娑婆に再び生まれ出でた時に(他の惑星へ転生する事も)果たして僧侶として生きる人生を選び取る事が可能なのでしょうか?
自分が変わっていくことを(自分は自分ではない)仏教では諸法無我(しょほうむが)といいますが、僕は過去を思い返すと、僕自身はほんとに、変わってしまったな、と追憶します。僕は変わってしまった。小学校のとき中学のとき高校、大学、10年前。5年前。僕は変わってしまった。おそらく、まだまだこれからも、僕という存在は変わり続けるのだろう。それから菩薩行(ぼさつぎょう)という言葉がありますが、きのうの日記に(無題)僕は菩薩行のような言葉を載せてしまいました。自分のことよりも
アテナが菩薩行の話をしてました。まー色々ありますね。菩薩は無私で他人のサポートをしますけどどこかでやっぱり褒められたいっていう気持ちがないかというとあるかもね。それさえもなくす方向になっていくんですけどなくさないとそれ以上上へいけないしなんなら上どころか下へまっしぐら、になりかねません。もちろん、僕も褒められたら嬉しいですよ。貶されたら気分は良くないです。それは基本的にみんなそうです。でもね、みんなからの評価がほしいから褒められたいからとなったら、それは外からの評価を欲し
定年退職してから、まったく仕事はしていない。けれどなんだかんだで忙しい。しかも、もう布団を被って1週間ほど寝込みたいと思うことが2度もあった。仏道を歩むといっても、一日1回の勤行以外何もしていないし仏事以外はお寺に行くこともない。瞑想は、始めたものの上のような度重なる出来事で度々、中断している。でもね、でもね、胸をはって、仏道を歩んでいると自分に言えるようになった。24時間ずっとね、菩薩行のアンテナは張っている。自分に出来ることはないか?それで精一杯やっているか?すべてに感謝す
私は「町一番の嫌われ者」で、その中で、生きています!派手な生活をしていた時期が、あったので、今さら、改めて、聖人君子の様に、~~<<『菩薩行』>>~~に励みだしても、だ~れも、見向きもしない!かえって、【偽善者】で【噓つき】だ!と、もっと、私の立場は、悪くなるのでした!そして、今があるのです!何をしても、『鳴かず飛ばず』『右に行っても、泣き!左に行っても、泣き!』~~八方塞がり、で、どん詰まり!~~最近では、
お釈迦さまのお声!それは法華経の教えです。別の名を最上王経とも呼ばれ諸経の王でもあります。どんな衆生も救わずにはおかないという仏陀の方便の力は「法華経」のすばらしさです。不透明な日常生活を生きる私たちに❝仏陀のことば❞を法華経から抜粋してお届けいたします。お釈迦さまから依頼された章です◎嘱累(ぞくるい)嘱とは、委託すること。まかせること。頼むことである。累とは、わずらいをかける。面倒をかけることである。嘱累とは、面倒をかけるが、教えを弘めてくれ、と
永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様..............久遠の仏陀釈尊.............の声、それが「法華経」です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。妙法蓮華経の第二章の方便品をご説明しますこの方便品は「法華経」28品の中でも重要な教えであるそれは、世尊の説法の目的が明らかにされているからです◎第二章方便品(ほうべんほん)から〇仏道を究めるには最高の教え(菩薩行を完成させる教え)「法華
永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様..............久遠の仏陀釈尊.............の声、それが「法華経」です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。妙法蓮華経の第二章の方便品をご説明します西方浄土の如来、阿弥陀様も法華経を学んで如来になられました当時の菩薩名は法蔵菩薩です◎第二章方便品(ほうべんほん)から〇法位に住する仏道を成じることができる衆生(人々)…布施、持戒、忍辱、精進、禅定
人付き合いの災難に見舞われる機会がほとんどなく次々と良縁に恵まれるような徳の高い人たちは見返りを求めません損得で人を見ないのです見返りを求めずに相手に善行を施すことを菩薩行といいます右肩上がりの幸運スパイラルにのって上昇している人たちは人に幸運を手渡すことに無上の喜びを感じています人から賞賛されようと打算的に行動したり人の手柄を横取りして甘い汁を吸おうとする邪心がありません受け取るよりも与えることに重心をおいているのです与えることが好きだからといって横取りを
お前たちは、わたしが、飢えていた時に食べさせ、喉が渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ。『マタイ25章35節~36節』神様、どうか、どうか、どうか、【菩薩行】を、仕事として、お金を稼ぐ事が出来ましたら、我が家を、青森県・南部地方・七戸町の~『我が家を、ローマ・カトリック教会の、(塩町教会に、無料で寄贈致します!!!!)』どうか、どうか、どうか、ロ
僕の人生は、はたから見たら、とても、つまらない、と思われるかもしれない。でも、42歳になるまで、自分なりにがんばってきた。それでも、何か足りないのかもしれない。そう思ってるのだから、確かに何か足りないのだろう。きょうはずっとそのことを考えていた。菩薩行(ぼさつぎょう)のようなことが、僕には必要なんじゃないか。つまり、誰かのために。でも、僕の方こそがお世話になる側になっている。苦しみは無い。かなり仏教について、考え抜いてきたから、苦しみはどう起きるのかなど、いまでは、
北海道、旭川の朝。お天気となり、とても有難いです。雨マーク、傘マークがたくさん付いていました。本当に、感謝いたします。京都、青森、横浜、旭川と飛んで参りましたが、無事に朝を迎えられて、ホッとしております。今日は11時から旭川寺の御会式、真里奥さまの一周忌のご回向も勤めさせていただきます。3時から起きて御法門の手直しをしておりました。長い命と短い命、生々世々の菩薩行について拝見できればと思っております。ありがとうございます。
皆様こんばんは!他にかまけてアメブロがすっかりお留守になっておりました「ええか、君は町の拝み屋になったらあかんぞ。」私が出家する前に足繁く通わせて頂いたお寺の伝燈大阿闍梨様から賜った言葉です。別に拝み屋や祓い屋をやる気なんてあの頃も今も全くないのですが、今にして思えば菩薩行に徹せよということだったのかなと。「己を疑いながら進みなさい。否定するくらいでちょうどええ。やり方はわかったな。そうやっておったら間違いはせん。」こうして月を見ていると、ある行法を教えて頂いたことをきっかけに
知らず知らずのうちに染み込んでる…ところどころ記憶がある幼少期父方は「般若心経」…「空」の思想母方は「法華経」…「菩薩行」思想で怖い夢を見た時は…「南無妙法蓮華経」と唱えるw笑無意識に…。意識的には「空」無意識には「菩薩行」ということになろうか。つまり、幼少期に無意識に経験しているモノは、無意識に入り易いw汗笑故にボクの場合…10歳の時に「自我」が芽生えたのでそれまでに経験したコトはその後の人生を大きく揺り動かすであろうことは容易に想像できるw汗笑無意識…
秋彼岸会6日目です。六波羅蜜の実践⑤禅定ぜんじょう常に心静かに落ち着いて!