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どーも、castom98です。今回ご紹介いたしますのは、琵琶湖周辺をクルージング中に偶然発見した史跡?です。琵琶湖北にある余呉湖の西岸を走っていた際、偶然見かけた遺構。急遽見学することにしました。直径1mほどの岩が大切に祀られています。これは一体・・・?(´・ω・)現地の説明板には以下の記述があります。「仁明天皇の頃、この地の領主に菊石姫という娘がいた。干ばつの年、村人の苦しみを救うため菊石姫は余呉湖に身を投げ、蛇身となって雨を降らせた。人間に
所用で彦根まで出かけた帰りに、余呉湖に立ち寄りました。琵琶湖の北側にある、波の穏やかな湖です。上の画像は日暮れ前の写真です。天女の羽衣や、菊石姫の伝説が語り継がれています。鳥雲に水の近江を故郷とし大橋櫻披子(おおはしおうはし)わかさぎの湖あかときの茜差す大橋敦子大橋親子が詠んだ句が刻まれた石碑です。鳥雲(ちょううん)の季語は春。あかときは暁(あかつき)の意味。どちらも美しい余呉湖の情景を詠っています。余呉早春雪の下ゆく水の音森田かずをの句です。春の訪れを
☆菊石姫と蛇の目石近江国伊香郡滋賀県長浜市余呉町川並(余呉湖西岸、新羅先神社跡の道路向かい)(P無し、通行の邪魔にならないように車は少し北側に寄せて停め置きました)穏やかな湖面は鏡のようであるとも称される、美しい「余呉湖」の西岸に湖面に向いてその史跡はあります。「余呉湖」は琵琶湖の北に隣接し、離れ湖のよう。「天女の衣掛柳」やこの菊石姫の伝承など、あまりに穏やかで美しい湖面は、悲劇の姫伝承を生むには格好のものであったように思います。一方で天日矛神という元新羅王子であり、荒々しい製鉄氏
琵琶湖の北に小さな湖があります。余呉湖と言います。湖と呼ぶほど大きくは無く、周囲は、6.4キロほどです。大江(琵琶湖)に対して伊香小江と呼ばれたり、湖面が穏やかな事から、「鏡湖」とも呼ばれています。この湖は、高校時代に訪れた事がありました。とても、印象深かったので、もう一度訪れたいと思っていたので、確か、妻と初めてドライブした場所だったと記憶しています。この湖にも、ヘビと、人とのハイブリッドの菊石姫と呼ばれる伝説が残っています。****菊石姫伝説
本日は、あばら家様の寄稿コラムです!今回は滋賀県の余呉湖とそれにまつわる菊石姫の伝説をご紹介いただいております。下記掲載の画像も余呉湖のものでして、なんとも風情のある景観です。私は読んでいて「あぁ、旅行に行きたい!」とムズムズと・・・(汗)現在進撃の庶民では寄稿コラム執筆者を募集しております。執筆いただける方はアメーバメッセージでご連絡ください。※アメーバアカウントが必要です⇒ブログランキングクリックで進撃の庶民を応援!日本を楽しもう\(^o^)/~あばら家様毎年の恒例行事、余呉