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前回までに記した旧荒川の流路についての追加事項です。(荒川の瀬替え以前の時期に当たるので、ここでは当時の荒川本流を旧荒川と称します。)改めて国土地理院の治水地形分類図を観て、自然堤防の形状と蛇行跡から、前回③の流路の時期はあったものの、それ以降に今回記載のルートとなったと思われるので追記します。その流路と考えられる旧荒川の河路は、以下画像に記した赤線のルートとなります。基本的には従前から記している通り、現在の赤堀川が旧荒川の河路であった考え方には変わりなく、備前堤築造の理由となった直前の旧
前回の続編になります。『【荒川】久下の瀬替え前の旧流路〜その①』最近、荒川の瀬替えに興味を持ち、色々サイトを観ている際に、表題の「荒川の流路は、寛永6年の瀬替え以前に和田吉野川へ流れ込んでいた説」という記事を見掛けました。…ameblo.jpこの旧河川ルートがいつの時代にあったのかを現地確認も含めて記します。鴻巣市文化財マップを観ると、この旧河川ルートの両岸に遺跡が複数存在していました。現地の確認は上記画像🔵部分からスタートしました。北側部分は宅地化が進み、残念ですが古い空撮画像を
最近、荒川の瀬替えに興味を持ち、色々サイトを観ている際に、表題の「荒川の流路は、寛永6年の瀬替え以前に和田吉野川へ流れ込んでいた説」という記事を見掛けました。その数日前に空撮画像を観ていた際、旧荒川(現在の元荒川)が大きく流路変更した痕跡を見つけ、「これは凄い!」と思っていた場所が、正にその説の場所であると断定しました。(この内容が「凄い!」と思う時点で、完全にオタク化していますね!😆)その旧流路跡は、ナスカの地上絵の様に次の空撮画像に描かれています。その旧流路は、「鴻巣市袋」にあるロピア