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常陸国出雲大社《本殿内陣にカラクリあり》当社は、島根県の出雲大社から分霊して創建されました。しかし、ある事件を機に、出雲大社との包括関係を解消しました。要は、「ケンカ別れ」です。そうした問題はさておき、とても美しい神社です。また、内陣の祭神鎮座に特徴があります。◇鎮座地:茨城県笠間市福原2001◇最寄駅:JR水戸線・福原駅~900m→常磐線&水戸線で上野から2時間◇主祭神:大国主大神◇御客座:天之常立神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、神産巣日神、高御産巣日神、天之御中主
★関東地方茨城県のパワースポット★つづいては~古代から続く信仰の地水戸藩の祈願所だったところ御岩神社の奥宮かびれ神宮にいきましょう。(その2)その1はこちらご祭神国常立尊大国主命伊邪那岐尊伊邪那美尊他二十二柱住所茨城県日立市入四間町7520294-21-8445地図はこちら(13:02)さっ、拝殿へ向かい挨拶をしたら~ここからは山の中へ。案内板によりますと頂上までは、片道30~40分の登山。標高が高くないか
久しぶりに鹿島神宮へ行ってきましたヽ(・∀・)ノ神社で見かける「幣・ぬさ」地域によってはセルフ祓い用に置いてありますが…(少なくとも先日訪れた瀬戸内地方では殆どそうだった)全ての地域でセルフ用とは限りません。前回は見える場所に表記がなかったので手に取って使わせて頂きました…(^o^;)皆様ご注意を(v^ー°)関東はしばらくこの時期らしくぐずついた予報が続いています。この日も朝からどんより。天候の悪
2019年6月、茨城県の石岡市周辺の古社を巡ってきました。常陸国総社宮(ひたちのくにそうしゃぐう)平安時代、国司は着任後、国内の有力神社を一之宮から順に巡拝しました。これを効率化するため、国府近くに総社を設け、各神社の祭神を一括祭祀するようになりました。当社は、常陸国の総社で、かつて国府が置かれた石岡市内に鎮座しております。◇鎮座地:茨城県石岡市総社2-8-1◇最寄駅:JR常磐線・石岡駅~1.3km◇御祭神:①伊邪那岐命、②邇々藝命、③須佐之男命、④大國主命、⑤大宮
渓谷にある「花園神社」創始は桓武天皇の御代(平安時代)795年4月18日初代征夷大将軍坂上田村麻呂が勅定により奥州下向の折に、霊夢によって創建したと伝えられている。平城天皇の御代、807年4月花園山と号づけ勅額が掲げられた。津和天皇の御代824~834年、円仁(慈覚大師)が東国に頭陀の折当社で修行。慈覚大師が860年に天台宗満願寺を再興した。前九年の役(1051年)源頼義・義家(八幡太郎)が宣旨を受けて安部貞任・宗任を追討のため奥州に下向の際、参拝し誓願書を納めた。
2019年6月、茨城県石岡市に遠征。龍神が棲む山として、古くから畏敬されてきた龍神山の神社を訪ねました。国史見在社(げんざいしゃ)村上佐志能神社(むらかみさしの神社)《闇龗神に御挨拶に行く》龍神山は、北峰に「村上佐志能神社」、南峰に「染谷佐志能神社」が鎮座します。両社は、龗神(淤加美神)2座を祀り分けています。今日では、「2社で1対の神社」と認識されています。◇鎮座地:茨城県石岡市村上494◇最寄駅:JR常磐線・石岡駅→バス(関鉄バス8分→村上バス停~600m
2019年6月、茨城県石岡市に遠征。龍神が棲む山として、古くから畏敬されてきた龍神山の神社を訪ねました。染谷佐志能神社(そめやさしの神社)『延喜式』に記載された社号→佐志能神社(サシノノ)《高龗神に御挨拶に行く》龍神山は、北峰に「村上佐志能神社」、南峰に「染谷佐志能神社」が鎮座します。両社は、龗神(淤加美神)2座を祀り分けています。今日では、《2社で1対の神社》と認識されています。◇鎮座地:茨城県石岡市染谷1856◇最寄駅:JR常磐線・石岡駅→バス(関鉄バス
前使っていたスマホの調子が悪かったので、新しくスマホに買い換えた為に、慣れない手付きで記事更新です。潮来あやめ祭りと長崎屋に寄った後は、『素鵞熊野神社』へ直行。Wikipediaによれば、『素鵞熊野神社は辻の天王原に祭られていた小社を、文治4年(1188年)に潮来の天王河岸へ移し、牛頭天王と呼んだのが素鵞神社のはじまり』なんだそうです。祭神は須佐之男命▪奇稲田比命▪速王男命の三柱です。素鵞熊野神社の詳しい情報は↓のリンクでしてみて下さい。『
蛟蝄神社(こうもう)《関東最古の水神様》社伝によれば、創始は約2300年前。現在の「門(かど)の宮」の場所に水神を祀ったのが始まりです。のちに、東方の台地に遷座しました。その際、旧社をそのまま残し両社を一体として、祀ってきました。by『房総の古社』菱沼勇(有峰書店新社)「蛟」=「みつち」→龍の属もしくは、蛇類を表す言葉「蝄」=「すだま」→山や川の精◇鎮座地:門の宮=利根町立木2184◇鎮座地:奥の宮=利根町立木882◇最寄駅:JR成田線・布佐駅からバ
布川神社(ふかわ)鎌倉時代・1243~1247年頃、この地に鎮座したようです。江戸時代は布川大明神と呼ばれていましたが、明治元年(1868年)に布川神社と改称しました。◇鎮座地:茨城県北相馬郡利根町布川1779◇最寄駅:JR成田線・布佐駅~1.8km◇御祭神:久久能智之命(くくのちのみこと)◇配祀神:水波能女命、久那斗神、市杵島姫命◇御朱印:なし【表参道】◆鳥居~鳥居の前は小さな広場になっています。右手には当地区の集会所。布川神社の入り口に、こうした施設を