ブログ記事1,709件
カマル・ラマKamalLama画、仏陀の一生BuddhaLifeより樹下の瞑想Medetationunderatree男子誕生によって後継者をえた父シュッドーダナ(浄飯)王は歓喜したが、ルンビニー園で第一子を出産したマーヤー夫人は臨月がたたったのか、わずか七日で亡くなってしまう。生まれてすぐに母をうしなったシッダールタ太子を養育したのは、父シュッドーダナ王が後妻としてむかえた実母マーヤー夫人の妹、マハープラジャーパティーだった。裕福な環境のな
佛心宗大叢山福厳寺住職、大愚元勝(たいぐげんしょう)氏の心に響く言葉より…【ブッダの言葉】師は答えた、「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない」(スッタニパータ3)《執着から苦しみが生まれる》なぜ、この言葉に牛が登場するかというと、インド人にとって牛は財産だからです。つまり、子どもや財産を持つ者は、子どもと財産のことで悩み、何も持たない者は悩む
2500年前の4月8日。この尊いお方は、この世に生まれ、仏教が始まった。4月8日は、仏教の開祖。お釈迦さま、ご生誕の日である。全国の各寺院では、花祭り・灌仏会(かんぶつえ)・降誕会(ごうたんえ)・仏生会(ぶっしょうえ)などと呼ばれるお釈迦さまのご生誕を祝う行事が執り行われる。当院でも、昨日、皆様とご一緒に、一日早い灌仏会を執り行わせていただいた。お釈迦さまは、生まれてまもなく、7歩歩いて、右人差し指を天高く指し、左手は地を指さし、『天上天下唯我独尊』(てんじょうてんげゆ
生きている頭を空っぽに無に。なんて、到底、出来なくて。"無になって生まれました!"なんて、烏滸がましい。常に何か、ぐるぐると絶え間なく動いていて、其処から、ポトり…と、雫が滴り落ちるように。紙の奥からジワり…と、姿を見せる。私は、その道具に過ぎない。身体が止まっても、時という流れに由良由良と委ねて、一瞬たりとも留まらない。そうやって、生まれてくる。わたしの身体は、その、依代
まただ💦月末から入居を希望していた物件がある。先日行ったら2000バーツ分のデポジット(手付金?)を20日までにはいれて欲しいと大家。昨日、近くまできたので明日アパート(兼自宅)にいるようだったら午前中に支払いに行くけどとメイルをいれた。つまり18日にデポジットを入れると。午後に一回メイル。なしのつぶて。晩にもう一回メイル。なしのつぶて。回答はなし。悪い予感がちょっとしていたが、大家は10日前のこの直前になってバックれたのだ。たぶん、部屋にタイ人などから先約が
3月も週に2日のペース(月木)で20時にブログ公開をしていきます。『コトタマと意識と図解』シリーズ--------------------------------------------------------------------------苦は、苦にあらず。苦という字は、草冠(クサカンムリ)に古いと書く。草が生えるほど、長く古いものを持つと苦になってしまうぞ!と教えてくれているのかもしれない。古いものに草を生えさせるは、固定概念の固執なのかもしれませんね。
PC版はこちら二つの苦しみ(苦と苦悩):感覚[体]の苦と感情[心]としての苦悩どうも、「苦」という言葉には二つの異なった意味があるように思える。ひとつは、三相のなかにある「苦」であり、五蘊の感受としてのリアルな「苦」と
痛みって不快なモノ・・・『言わずもがな』な話ですが、痛みが原因で男性と疎遠になっておられる女性も多いようで。。。現代の世の中でとかく話題になっとるセックス・レスの話。心情的なモノが複雑に絡んどる場合は東洋医学では治療しにくいんですが、その手前に痛みがあってだんだんそうなってしもぅとる場合にはまだ希望があります。と言ぅんは、いわゆる性交痛の原因にはいくつか考えられるコトがあって、ひとつは女性が身体的な問題で濡れない場合。もうひとつは子宮内膜症がある
人には3つの毒があるそうです。それを『貪、瞋、癡とんじんち』と言います。私が御参りさせていただいてる大岩山日石寺さんのお堂内には、この貪瞋癡の文字が刻まれた丸太が置かれており、お参りの際にはこれらを木槌で叩きます。眼の前の不動明王様を拝みながら、この貪瞋癡を木槌で叩き、己の中の貪瞋癡を滅却するというわけです。三毒を詳しく調べてなくて何となくやっていたこの行為でしたが…やっと『毒』と言われる理由がわかりました。【貪とん】とは貪る心、つまりは欲。人には五欲と言われる欲があります。財欲
合い間におもうこと人間、生きる上で「苦しみ」は出来るだけ避けたいと思うのが本音だが、それは避けては通れないこと、必要なこと、となるといろいろと考え方を改めなければならない。若い頃の私は、ずっと避けよう、避けようとしていた。ほんと逃げてばかり。苦から逃げて楽しく生きること=人生、と思っていた。またそうなればいいなとずっと思っていた。一見よさそうだが、これは正しくない。なぜか。なぜなら、本当の「楽しさ」というのものは「苦」の向こ
生き方を見つけるために算命学を勉強中です「どうしていつもこうなっちゃうんだろう.....」を掘り下げて考えると、人間KAZUEが、霊魂KAZUEとどう折り合いをつけていくか?ではなく、天地自然の法則の中で生きていて、これからもその法則の中で生きていくなら、霊魂KAZUE側から考えないと、今までの人生苦ループからは抜け出せないというところに行きついた。この「どうしていつもこうなっちゃうんだろう」というセリフは、人間K
元結(もっとい)不動密蔵院住職、名取芳彦(ほうげん)氏の心に響く言葉より…私たちにネガティブやマイナスの感情が起きるのは、自分の都合通りになっていないときです。「苦=自分の都合通りにならないこと」は仏教以前のインド哲学で解明された定義ですが、いつの世にも通じる真理でしょう。言いかえれば、私たちは自分の都合通りになってさえいれば幸せで、不幸を感じるのは自分の都合通りになっていないから、ということになります。ですから、自分に都合(願い)がある限り、幸も不幸もあ
www.youtube.com0:27人生っていうのはどう頑張っでも結構苦しいもんですよ。1:41人生っていうのは結局頑張ったとしても水の泡なんですよ。みんな一生懸命頑張るんだけど結局最後に全部パーなんです。何にも結果がないんです。空しいんです。人生っていうのは究極的にすごく空しいものである、苦しいものであると、我々の努力は結局無駄な方向の努力であるということをまず確認してください。[感想]誰も本気にしてないが一切行苦です。苦と訳されてるdukkhaド
世間には道を求めている人は多いが、縁がなければなかなか仏法にあうことは稀(まれ)である。仏法との出会いがなければ真実の教えを聞くことはできません。しかし、そんなあなたに、仏陀のことば、釈尊のお言葉をご紹介いたします四苦八苦の苦とは「苦」とは、パーリ語の「ドゥッカ」という言葉を訳したもので「思うがままにならない」という意味です。苦のもとは、たったひとことで言えば、「嫌だ」と思うことです。「嫌だ」と思った瞬間に、さらなる苦が生まれてくる。「嫌
通常の解釈我汝が為に、略して説かん。名を聞き及び身を見、心に念じて空しく過ぎざればよく、諸有の苦を滅す。私はあなたのためにその概略を語ります。観世音菩薩の名を聞きその姿を見て心に念じて過ごすならばどんな苦しみでも菩薩が消滅させます。参考文献のリンクイジメられっこのあなたへさて今回はいじめの話を忘れ観音経(かんのんきょう)の話をしましょう。観音経は妙法蓮華経と言う大乗仏教のお経の一節です。25番目のエピソードとでも言うのでしょうか?妙法蓮華経は大変有名なお経で南無妙法
今年も読んで頂きありがとうございました人生でそれぞれの『苦』の体験はあると思うのですが『人は使命を決めて生まれてくる』という本に出会った時『当たり前が幸せ』『心の平安こそが本当の幸せ』を伝えること…と心の中で声がしたんです『苦』の体験があったからこそそう思えた‼️みなさんもそんな体験ありませんか?今世『目標』と掲げる事は過去世で出来無かったから…今世では必ずやり遂げるという想い…あなたのすべき事はこれですよと『苦』が教えてくれました『楽』と『苦』『太陽』と
私の今年の漢字はズバリ!「苦」今年はどんな1年だった?苦々しいー1自分は、好戦型では無い!あっちの国でも、こっちの国でも、その類がウヨウヨしている。いつの間にか、平和国を宣しながら=殺傷能力の高い=武器を製造し、貿易として販売している。言う事と、遣って居ることが真逆で在っても=齟齬=の弁さえない。少し道理を弁えた(ワキマエタ)人間がでてこないのかな?代理人として選んだのが我々国民だが~~~国民は目を覚まさないと!!{閣議決定}で、徴集制度が出来上がっているかも??
みなさま、こんにちは。ここ最近、私は自分の人生について、思索を巡らせていました。私の人生は、一言で言えば、集団ストーカーに人生を破壊された人生でした。辞めるべきではなかったのに集団ストーカーに遭って命の次に大事な会社を辞めてしまった。集団ストーカーのせいで人生が崩壊してしまった。何で自分だけこんなことになってしまったのか・・・そんなことばかり考えていました。そんな私が一つ気付いたことがあります。それは、人生は苦であるということです。苦であるというこ
世の中はコロナ禍以来、在宅時間が増えた。それなら読書の機会が増えるだろうと本の広告も増えた。その中に五木寛之氏著の「大河の一滴」が何度かあった。今は人生を考える良い機会がきていると。私は若い頃に同書を読んだ。今回再読しようと思ったがやめた。同書は人間として避けられない「生老病死」を4つの苦しみとしたマイナス思考の人生論だからだ。「人生は苦しみと絶望の連続だと、あきらめることからはじめよう」とある。4つを最初から「苦」とするのは如何なものか。「病死」はマイナスだが、私にとって「
私の今年の漢字はズバリ!「◯」今年はどんな1年だった?
前回のブログでは動画を用いて苦が私たちの生命に溶け込んでいることを説明しましたそして苦を取り除くことは不可能だということも知っていただけたと思いますそれでも楽になりたいと願って人々は自分に都合のいい言葉をかけてくれるある種の人たちに相談するのです消し去ることの出来ない苦しみをどのように解決するか、そこが重要なのです考え方や受け止め方、苦の原因を探るそんなことは一瞬の気休めに過ぎません私のこの「苦」を取り除くこともせず、消し去ることもせずにそのままで「苦」を「苦」としない方法
人生、楽ありゃ苦もあるさ♪ご存知でしょうか?もう最近の若者には通じない話題かもしれません・・・勧善懲悪の決定版ドラマとも言える水戸黄門の主題歌の一節。人生って楽しいコトばかりじゃないけどしっかり歩めよ!往けば分かるさ♪みたいな常に前向きみたいな安っぽい感じじゃない大人の心に沁みるえぇ歌じゃと思います♪日本再生医療学会は、『エクソソーム』と呼ばれる細胞が分泌する微粒子を用いた美容目的の自由診療が急速に拡大しているとし、国の規制の対象とするよう求めた。(共
今年1年を漢字で表すと?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようタイトル通りッス(・ω・)今年は何かと苦労したり、苦い思いをした年だったのでと、言う事でおはようございまス(^^)/エリザベスカラーを軽く変形させたので少しでもマシな状態にするために昨日はエリザベスカラーを外してからひめを抱いて寝たッス大人しくおれっちに抱かれてずっと寝ていたようでスそんなひめの横にちびすけが来たのでパシャリ・・・・・ブレてるチャレンジしてもう一回・・・・
一二三神示鎮守会2023(5)12/2第22巻8帖~10帖218号ひふみ神示第二十二巻ア火ハの巻(アホバの巻)(昭和22年4月26日-8月12日)(全23帖)第八帖時節には従って下されよ、逆らはず、後の立つ様致されよ、後のやり方、神示で知らしてあろがな。国々所々によって同じ集団(まどゐ)いくらでもつくりあるのぢゃ、何れも我(が)折って一つに集まる仕組ぢゃ、天狗禁物、いづれもそれぞれに尊い仕組ぞ、又とない集団(まどひ)ざぞ。神の心告げる手だても各
スマホ版はこちら四聖諦仏教とは、(個人が)幸せになるための科学的な(筋道だった)考え方の体系であり、(輪廻という)苦しみ(の循環ステージ)から解放される(解脱の)ための教え(幸せの科学)である。そして四聖諦ししょうたいとは、その仏教の教えを簡単にまとめた教えのエッセンスであり、
ブッダへの道のりお金に対しての執着がなくなってくると支払うタイミングが早くなる。何の支払いでもすぐに支払うようになる。先日もあるイベントの協賛広告の依頼が届いた。もう数年前から協賛すると決めている。その日のうちに支払った。家賃も2ヶ月ぐらい早くに入金している。税金なども支払い用紙が届くとすぐに支払う。昼によく食べる『つけ麺』の代金も食べる前に支払ってる。お金に執着のある人はギリギリまでお金を手放さない。そして期日を過ぎてしまう。どうせ支払うもの
今朝の東京も晴れて、青空が遠くまで広がっています。さっき、ニシーネスペースのベランダで、つがいの小鳥がアクロバットをしていました。何だか、とても癒やされますね。こうしてこの場所に来られたことを、感謝せずにはいられません。先日、ニシーネさんの友達のTさんとYさんからお話を聞いたのですが、ニシーネさんはこのベランダをすごく気に入っていて、毎朝、日光浴をしていたそうです。僕はそのニシーネさんの住まいだった場所を、ありがたくもそのまま使わせていただいているのですね。
終わりを…意識し始めてしまったら…なんかもう色々ダメんなった。ひとりはしんどいそんなこと思う日が来るとは思ってなかった。こんなふうに感じる日が来るとは思ってなかった子育てについてのぼっち感。年齢のせいなのか育休が長くなりすぎたせいなのか、、、夫婦で子育てなんて相手が誰であれ無理な話だと思ってたし思ってるし望むつもりもなかったけど、それでも笑顔で一緒に過ごす家族の図はずっとずっと夢見てたりしてまぁその時点で矛盾してるんだけど、、、母親はカラダをよじらせるほど
ドゥッカ:変化を受け入れ、真の自由を手に入れる私たちの人生には変化がつきものです。仕事、健康、人間関係...。日々の生活の中での様々な変動は避けられないもの。しかし、私たち「凡人」は、これらの変化をうまく受け入れることが難しいことが多いものです。これこそが、仏教でいう「ドゥッカ」、つまり、思い通りにならない「苦」です。なぜ凡人は苦しむのかそれは、心と事象の変化について行けないからです。期待と現実のギャップ、変わることへの恐れ、そして未知への不安。これらの感情は、私たちの行動や決断を