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正観さんによると…。(旅じょうず入門…昭和57年)●旅行ノートをつくる楽しみところで、人に見せないことを前提とすれば、スクラップブックを使ってのアルバムと、この旅行ノートを一緒にしてしまうことができる。つまり、スクラップブックには文字が書きこめるから、これに旅程や下調べなどを書いてしまう。家に帰ってから簡単な旅日記をつけ加え、その証明として自分で撮ってきた写真を貼る。「自分だけの旅の写真集」をつくるわけだ。人に見せてもいい場合は、読まれてもいい範囲内で自分の心を書き綴ればい
花田虎上のブログを偶然見つけました。花田虎上『庭でサムギョプサル』いつもは家でサムギョプサルをしてますが臭いと油で片付けが毎回大変なので庭でサムギョプサルをしてみました😄家が汚れることを気にしないで優雅に焼けるのが最高です😄…ameblo.jpなんか、豪邸に住んでるみたいでイヤミな奴です。
古雑誌の読売大相撲35年6月号の座談会。彦山光三、天竜、玉の海、東富士に司会は江馬氏。この場所は栃錦が引退、大鵬柏戸らの台頭と時代の転換を強く意識しなければならない時。大正世代の退場も迫っていた。この場所優勝したのは若三杉。当時188センチ、122キロで大鵬柏戸と三羽ガラスと言われるほどの大型新進力士だった。のち大豪と改名し関脇まで昇進するが、わきの甘さや淡白さが欠点となり大関とはならず引退する。若三杉時代の方が全盛ともいえる。冒頭江馬氏は「22歳の若三杉が平幕優勝を遂げ、いよいよ時
くさせんり師匠の後輩が出演しているこちらの番組、先日最新回が放映されました!今回の舞台は、国際観光地、日光を擁する栃木県です。三代目JSBのご主人何代目?老舗名店探し対決旅春の栃木決戦!(2024年4月17日放送)|水バラ:テレビ東京「水バラ」三代目JSBのご主人何代目?老舗名店探し対決旅春の栃木決戦!(2024年4月17日放送)バックナンバーページです。「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」「ローカル鉄道寄り道旅」などの予測不能の“乗り継ぎ旅”が更にパワーアップ!乗
私は中学時代、相撲を観ながらご飯を食べたりしていました。中学女子だったのに相撲が、好きだったんです♡他にも時代劇や、深夜の海外の通販番組とかね、ちょっと変わり者だったかな?ちょうど若貴ブームの頃で、貴乃花の強さは凄かったです。同時にあの頃は、ちょっと記憶が、曖昧かもしれないけど、曙、武蔵丸、小錦、魁皇、舞の海、水戸泉などなど、ハワイ出身と日本人で盛り上がっていました。オーラがすごい曙、日本人より日本人らしい武蔵丸、出てくるだけで巨体のインパクトの小錦、イケメン魁皇
お疲れ様です。好きな相棒・名コンビといえば?超獣コンビ不沈艦「スタン・ハンセン」インテリジェントモンスター「ブルーザー・ブロディ」ってか最強コンビでしたよねぇ〜でもプロディに問題だらけ…(汗)ザ・ファンクスグレート・テキサン「ドリー・ファンクJr」テキサス・ブロンコ「テリー・ファンク」そんさんがプロレ
曙さん(本名チャド・ローウェン)が心不全で死亡!!享年54歳若貴ブーム語るには曙なくしては語れない!!長きに渡って若貴のライバルでした!!外国出身力士として初めての横綱に。1993年の夏場所優勝決定戦では若乃花、本割で敗れた貴乃花に連勝横綱3度目で初の優勝を果たした。◆花田光司さん=貴乃花の追悼コメントより◆ハワイ巡業の際には地元ご家族も来ており、穏和な挨拶を交わしたことは新しい記憶のように思い出しています。百折不撓の人生観だったと思いますが、これからは身を楽にして
相撲のモンゴル勢が不逞を誇示していたとき「むかしハワイの子達がいましたけど皆いい子でした!(モンゴル勢みたいな)こんなこと一度もなかった!」と花田憲子さんがおっしゃっていました彼はヒール「役」だった元若乃花と、元貴乃花のコメントがじんと心に沁みました元横綱の曙さん他界御霊の平安をお祈りします。
元横綱曙太郎さんがお亡くなりになったとのことです。7年前に倒れて以来、闘病生活を過ごしておりましたが。11日心不全だったようです。54歳でした。今は朝青龍や白鵬の時代を通してのモンゴル人が相撲界の中心となって久しい時代となってしまいましたが、その前の時代をささけたのが、日本人の兄弟横綱である若貴兄弟であり、そしてそのライバルとも言える相手であった、武蔵丸であり、曙でありました。日本での外国人力士となると、モンゴル人の前は小錦に代表されるようなハワイ系力士というのが一時期非常に力をつけていた時
大相撲で初の外国人横綱になり、相撲協会退職後はプロレス等でも活躍した曙さんがお亡くなりになった。54歳。オレより若いから、逝くの早いよなぁ。プロレスでも全日本で、三冠ヘビー級チャンピオンになったから成功の部類であろうが、世間の実績評価では圧倒的に大相撲。うまくはまった感じではあったが、稀代の人気大関だった貴ノ花の息子たちで、幼少期からメディアに出ていた若乃花、貴乃花兄弟が角界入りした当初から人気沸騰。同じ場所で角界入りした曙が悪役になって、3人で平成初期の大相撲の時代を担った。長い手足を利
1がつはいく。2がつはにげる。3がつはさる。そして、4がつ。もと・よこづなのあけぼのさんがなくなられたとのこと。しばらくまえに、とりやまあきらさんもなくなられた。おふたりとも、よそのくにでもよくしられていたのだなといまさらながらにおもう。つよくてもすごくてもひとはかならずなくなるのだ。もちろんわかりきったことだが。いままでありがとう。そして、おつかれさまです。曙が心不全で…信じたくない。まだ54歳…闘病生活
2024年4月11日木曜日、大きな訃報が2つ入りました。大相撲の元横綱、曙太郎さんが心不全で亡くなられました。54歳でした。1990年代を中心に活躍。1993年から8年間の長期間、横綱を務めていました。若貴ブームと同じ時期に活躍していました。相撲界の引退後はプロレス・キックボクシング・総合格闘技などで活動していました。他にも大きな訃報がありました。競馬の騎手・藤岡康太さんが2024年4月6日の落馬事故によるケガで亡くなられ
今日の福岡福津市は晴れで23℃今日は良い天気でした今日の格言です幸せは追いかけるものではなく、気が付くもの。若貴全盛期のライバルでしたね。大きくて強かった。54歳とは早すぎます。ご冥福をお祈りします。
世間の皆さんこんばんは、春はあけぼの(曙)やうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて紫だちたる雲のほそくたなびきたる『枕草子』の一節やが、春は、明け方が良い。だんだん、白くなっていく山ぎわの空が、少し明るくなって、紫がかった雲が、細くたなびいているのがよい。って意味やな。散る桜残る桜も散る桜これは、良寛和尚の辞世の句。今まさに命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、それもまた散りゆく命に変わりはないと言い切る良寛の心。桜は咲いた瞬間から、やがて散りゆく運
今朝、テレビでショッキングな訃報を知った。第64代横綱の曙太郎さんが今月、心不全で亡くなられていたとの報道に驚いた。まだ54歳の若さ。心よりご冥福をお祈り申し上げます。横綱・曙の時代は若貴フィーバーに沸いていた。大相撲中継が瞬間最高視聴率67%まで行ったことがあるというから、今では考えられない。曙は外国人初の横綱で、11回も幕内最高優勝をしている。2001年に引退した曙は、闘技者に転身し、2003年大晦日に「K-1Dynamite!!」に参戦。ボブ
また角界に暗いニュース。元横綱の曙が亡くなった。54歳。7年前に倒れ以来、療養していた。師匠高見山は後継となった潮丸に曙と先立たれた。ハワイからはるばる来日し昭和63春に若乃花・貴乃花らと初土俵。ここから若貴時代が始まった。貴ノ花に高見山と師匠同士の因縁もあってか初土俵時より期待され、実際大成した。1年後には稽古中に幕内の若瀬川を突き倒し、病院送りとするなど規格外ぶりを発揮。初土俵以来負け越しなく関脇まで昇進。その驚異さは小錦の登場以上だったかもしれない。平成4夏後大関昇進、大
若乃花がいて貴乃花がいたそして身長2メートルを超え長い手足の曙がいたからこそ相撲場所は盛り上がりを超えた熱狂だったと思いますありがとうございました
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ec9bb4d8be34dcd3b7bb9232c169caa22b2bed2元横綱・曙太郎さん、病室で「若貴がいたから横綱・曙が生まれた」と語っていた思い出は優勝決定巴戦(スポーツ報知)-Yahoo!ニュース史上初の外国出身横綱として大相撲の歴史を変えた第64代横綱・曙太郎さんが54歳で亡くなった。平成の初頭、若花田(のちの横綱・3代目若乃花)、貴花田(同横綱・貴乃花)の若貴兄弟フィーバーで大相撲は空news.yah
かつて若貴という一時代の同期で一時代を築いた元横綱曙太郎氏が心不全のため亡くなりました。54歳という早すぎる死でした。私はてっきり引退後は3代目若乃花が当時の二子山部屋を継承し、2代目貴乃花が一代年寄貴乃花として独立して貴乃花部屋を創設、そして曙が東関部屋を継承すると誰もがそう思ってたと思います。その中で一番早く引退したのが若乃花、次に曙と相次ぎましたが、のちに若乃花は退職、そして貴乃花引退後曙は退職と一瞬東関部屋はどうなるのかと思いましたが今となっては東関部屋も貴乃花部屋も消滅、その貴乃花部
https://www.jiji.com/sp/article?k=2024041100453&g=spo曙太郎さん死去、54歳の若さで史上初の外国出身横綱:時事ドットコム大相撲で史上初の外国出身横綱となった曙太郎(あけぼの・たろう)さんが心不全のため、4月上旬に死去したことが11日、分かった。54歳だった。2017年春に体調を崩し、東京都内の病院で療養していた。www.jiji.com横綱曙横綱貴乃花横綱若乃花相撲ブーム思い出します✨三人とも角界離れてそれぞれの道へ曙さ
バリバリ若貴ブームです上手い若乃花がいて強い貴乃花がいて武蔵丸がいて、貴闘力がいて、武双山、魁皇、智ノ花、舞の海がいて今でも相撲はみてるけどあの時のキラキラした感じが今の相撲にはないような…曙がいたからあのブームは盛り上がってたんじゃないかなヒールが役がいて正義役が引き立つしねとても、稽古熱心で横綱に相応しい横綱だったと思いますご冥福をお祈りします
元横綱曙こと曙太朗さんが亡くなった。初の外国人横綱。平成初期の若乃花と貴乃花との熱戦が忘れられない。まだ54歳だった。ご冥福をお祈りいたします。
もし、大相撲の第64代横綱・曙太郎さんが角界に残っていれば、どんな名力士を育てていただろうか(デイリースポーツ)のコメント一覧-Yahoo!ニュースもし、大相撲の第64代横綱・曙太郎さんが角界に残っていればどんな名力士を育てていただろうか。史上初の外国人横綱だった曙さんが54歳で死去していたという。米ハワイ出身の曙さんは角界を離れプロレnews.yahoo.co.jp
『訃報』曙太郎“若貴”はそれぞれ、曙さんの急逝を追悼した。貴乃花光司氏は所属事務所を通じてコメントを発表。「哀悼の意を表します。数々の闘いの思い出がありますが、相撲教習所に半年間通った頃の稽古の思い出が出てきます。土俵は3つあり130名ほどでA土俵B、Cと分かれます私たちは、A土俵において猛々しく取組に励みました」と思い出を明かした。さらに「ハワイ諸島から来日し今日に至るまで日本の文化を感じて幾多の苦労があったかと思います。ハワイ巡業の際には地元ご家族も来ており、穏和な挨拶
元大相撲の横綱でプロレスラーの曙太郎さんが亡くなられました。曙さんと言えば、現役時代は若花田(後の若乃花)、貴花田(後の貴乃花)兄弟としのぎを削り、競い合った間柄。3人共横綱に昇進。初の外国出身横綱として、一時代を創り上げました。引退後、突如協会を退職し、K-1に参戦。その後総合格闘技に身を転じるも、目立った成績を残せず、プロレスに転向。全日、新日、ZERO-1、ハッスルなど、幅広く活躍。新日ではG1参戦、全日では三冠ヘビー、世界タッグなどのタイトルを獲得。後に全日に正式入団し、自ら会
ただいま、帰りました。今日は、訃報が2本ありました。元横綱曙関と、藤岡康太騎手です。まさかと思いました。嘘だろと思いました。びっくりしました。信じられなかったです。曙関は、現役時代よく取り組みを見ていました。父親が、相撲好きの人だったんで元横綱貴乃花関、若乃花関との取り組みを見ていました。藤岡康太騎手は、自分と全く同じ年であちらに行ってしまいました。落馬後に意識不明になったと聞いたので、「これは、厳しいかもな。」と思いました。お二人のお悔やみを申し上げます。
曙...亡くなってしまったか。
この日の一等賞「なんだべな」風呂上りパンツいっちょでアトムだよパジャマ忘れた若乃花だべ
久しぶりに式守所蔵の雑誌『相撲』から昔懐かしいナンバーを引っ張り出す企画今回は1999年1月号表紙は関脇土佐ノ海関(左)琴錦関(右)98年11月場所で琴錦関が平幕優勝し土佐ノ海関が敢闘賞でした横綱は若乃花関(3代)と貴乃花関現在は花田虎上氏と花田光司氏…巡業休場で映っていないですが曙関もいました今はみんな「親方」ではないのが相撲協会を小粒にしている気もします大関は武蔵丸関と貴ノ浪関この年1999年に武蔵丸関は横綱に昇進千代大海関が大関に昇進若手ホープで雅山関。
細見恭司㈱第一建設ホテルアカデミー学長さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me青森県は過去に鏡里、初代若乃花、栃ノ海、2代目若乃花、隆の里、旭富士と6人の横綱を生んだ。これは北海道の8人に次いで多い。まさに相撲どころだ。「青森の人は大関にならないと認めてくれないともいうが?」と質問が飛んだ。伊勢ケ浜親方が「横綱でしょ?横綱にならないと認めてくれない」と答えると、尊富士は「やるしかないですね…」と意気込んだ。会見当時は大きな夢を語っているなと思ったが