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日本の種子、食の安全が危ない!種子法廃止と多収米「みつひかり」不正事件🌾ここにも民営化の罠とびついた農家は泣き寝入り😭既に200品種も政府は一般圃場での栽培を許可バイエル、BASF、コルデバ、シンジェンタ種苗メジャーは虎視眈々と日本での遺伝子組み換え作物の…pic.twitter.com/YD7mJTgIec—日本豊受自然農|オーガニック野菜作ってます(@ToyoukeOrganics)March1,2024話しの内容はダブってますがおさらいと言うことで【
神さんは風のように何処にもいるが、人間はおがむ対象がなければ困るので、こんな社をつくったが、神体は月日の心と書いて入れてあると笑っていた。「神の微笑」芹沢光治良より………………………………✨✨✨神さまといえば、雲の上で白い髭を生やして、杖を持っているお爺さんをイメージする人が多いと思います。信仰のある人は、イエスさんの姿や、天照大神さまを思い浮かべるかもしれませんね。でも、神さまは、風のようにどこにでもいる。偏在という言葉があります。あまねく、存在する……。……ということは、
芹沢光治良先生の作品を再読して、しばらく経ちますが今回は、戦後について。一冊の本があります。「祈願」昭和22年発行昭和22年といえば、日本は、まだ焼け野原です。昭和20年8月、敗戦。しかし、戦争が終わって、すでに、文化が復活していました。たくさんの本が出版されました。粗末な紙。再生紙。名もない出版社から、ゾクゾクと名作、新作が発売されました。原稿料も印税も払われなかったと、いいます。しかし、文化の復活。あえて、甘受したと芹沢先生は回顧しておられます。「戦争から
芹沢先生の「人間の運命」を再読しています。10年ぶりです。第一巻「父と子」これから、気が付いたことを書いていきます。●明治末期の日本の漁村では、男の子の生まれない家では、男の児を買っていたといいます。値段によって、10円の松ちゃん。20円の章ちゃん。なとど、四はせれたそうです。●日本国内では、生活のたちゆかない人は、移民しました。ハワイ。ペルー。ブラジル。ちなみに、アントニオ猪木さんは、ブラジル移民でした。
本を紹介したのが、きっかけで、読み返し、10年ぶりのマイ・ブーム、訪れる。やっぱ、面白い。深い。勉強になる。自伝は、明治、大正、昭和の歴史の勉強になる。ただ、年表を眺めるよりは、生きた勉強だね。ありがとう。
2024年1月20日(土曜日)KIN92黄色い人、黄色い人、音1黄色い人の13日間が始まりました〜黄色い人・こだわり・道・自由意志黄色い人の13日間・自由意志・感化する・知恵・人の気持ちを理解する全体のことを考えながら自分にできることを見出していきましょう音1○受容…現場を受け入れてみよう・事始め・出発にふさわしいタイミング・まずは決める・意思決定・スタート・神社⛩️日々の言葉こだわりが「味」を出す。希望的な発言に人望が集まる。希望とは自分自身
2024年1月19日(金曜日)KIN91青い猿、青い嵐、音13青い嵐の13日間の13日目です。青い猿・高い精神性・精神的生命を育む・トリックスター青い嵐の13日間・自己発生・嵐のような変容のエネルギー・火の力・かまどの神・エネルギーが高まってくる期間「前向き」「否定的にならない」嵐によって吹き飛ばされ、洗い流されて浄化される期間。純粋さを取り戻しましょう。音13○没頭…いま、ここを生きる・今の自分に"最適"なことが起きる・超越する・ギフトを受け取る・宇宙
2024年1月18日(木曜日)KIN90白い犬、青い嵐、音12青い嵐の13日間の12日目です。白い犬・誠実・忠実・家族愛青い嵐の13日間・自己発生・嵐のような変容のエネルギー・火の力・かまどの神・エネルギーが高まってくる期間「前向き」「否定的にならない」嵐によって吹き飛ばされ、洗い流されて浄化される期間。純粋さを取り戻しましょう。音12○共有…分かち合う・聞き耳をもつ人のところに、人と財が集まる・複合的安定・相談、カウンセラー・ミーティング日々の言葉
ブログにご訪問いただきありがとうございます気になっているYouTube保江邦夫先生と江島直子さんの対談こちらhttps://ameblo.jp/hikarinokakera-kyoko/entry-12832537806.html『#よく見るYOUTUBEチャンネル』ブログにご訪問いただきありがとうございます。すごくハマっているYouTubeがあって贔屓目無しで、この不思議で興味深いシリーズ見てみて「えしまなおこYouT…ameblo.jpこの中で出てくる書物作家、芹沢光治良さん
久しぶりの読書モードに入り、ここ最近にないペースで本を読んでいる。仕事の関係で毎月4冊のビジネス書を読まなければならなかった時に並行して小説やなんやらも読んでいた頃以来だから、かれこれ7~8年振りというところか。その時のような勢いでビジネス書を読むなんてことはなくなったが、小説を中心にさまざまな本を片っ端からっていうのは変わらない。そんな時に本棚の端っこにあった芹沢光治良作の「神の微笑」という文庫本の小説が目に留まり、かなり久しぶりに読むことにしたのはちょっとした気まぐれ。ほぼ私小説と言っ
12月も半分が過ぎました。皆さまはいかがお過ごしですか。軽井沢高原文庫は12月1日より冬季休館に入っていることは、すでに記した通りです。しかし、毎日、休んでいるわけではなく、何かしら、開館中にできないことをしていることも、本欄にその一端を記している通りです。3日前、軽井沢千ヶ滝のマンションに、もう20年以上も一人暮らしをされている101歳の梶川敦子さんのところへうかがってきました。作家・芹沢光治良氏から梶川さん宛の書簡数十通を軽井沢高原文庫に寄贈いただきました。数年前から私にお話はあっ
神と人間(全8冊)の中の2冊目、『神の慈愛』芹沢光治良著を読みました。こちら↓神と人間[芹沢光治良]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}楽天のリンクを貼ってあるものの、私は図書館で借りて読んだのですが…。二作目の『神の慈愛』は神に助けられたと感じた経験を主に綴ってある内容でした。それはただの「体験談」というのではなく深くて愛に溢れたもので、不思議なことに私自身にも同じような経験があったりしたので驚きま
読書セラピー「賢者の一言」芹沢光治良神さんは風のように何処にもいるが、人間はおがむ対象がなければ困るので、こんな社をつくったが、神体は月日の心と書いて入れてあると笑っていた。「神の微笑」芹沢光治良より………………………………✨✨✨神さまといえば、雲の上で白い髭を生やして、杖を持っているお爺さんをイメージする人が多いと思います。信仰のある人は、イエスさんの姿や、天照大神さまを思い浮かべるかもしれませんね。でも、神さまは、風のようにどこにでもいる。偏在という言葉があります。あま
読書の秋だからというわけではないのですが…神と人間(全8冊)の中の『神の微笑』芹沢光治良著を読みました。こちら↓神と人間[芹沢光治良]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}楽天のリンクを貼ってあるものの、私は図書館で借りて読んだのですが…。この本、もっと若い時に読みたかったなと思ったのですが、若い時ではこの本を今のように感じなかったと思います。自分があまりに未熟すぎて。今の年齢だから静かに深く感動できまし
読書セラピー「賢者の一言」芹沢光治良毎朝、目が覚めたら、あー生まれた、一歳だと思って、新鮮な心で何事も学ぶよう、そうして、夜寝るときは、死ぬのだと……そんなわけで、私には、もう年齢はなく、毎朝誕生して、一歳だと思って、毎日を暮らしている。そのために平安な毎日である。「神の計画」より………………………………✨✨✨芹沢光治良先生が、92歳の時の文章です。若くして、留学していたフランスの地で、当時不治の病だった肺結核を患い、死の淵から生還されたのち、「文学は物言わぬ神の意思
読書セラピー「賢者の一言」芹沢光治良毎朝、目が覚めたら、あー生まれた、一歳だと思って、新鮮な心で何事も学ぶよう、そうして、夜寝るときは、死ぬのだと……そんなわけで、私には、もう年齢はなく、毎朝誕生して、一歳だと思って、毎日を暮らしている。そのために平安な毎日である。「神の計画」より………………………………✨✨✨芹沢光治良先生が、92歳の時の文章です。若くして、留学していたフランスの地で、当時不治の病だった肺結核を患い、死の淵から生還されたのち、「文学は物言わぬ神の意
木村将人さんが紹介していた青木秀夫氏の本を読んで、あらためて考えさせられました。青木氏は芹沢光治良の『人間の運命』に啓発されて「社会に裨益する人間になりたい」と医者を志し、遠回りをして32歳で呼吸器内科の医師になりました。しかし、『…五年ほど経って臨床にも慣れ、一人前になったと思っていたある日のことです。「自分は本当に患者さんを治しているのだろうか?」という疑問がふと湧きました。…目の前にある医療現場は「治らない現代医療」の集合体のように見えま
2泊目は沼津、漁港へ行って、静岡在住の息子待ち合わせ、沼津ってこういうキャラクターが有名らしい、今は無いけど御用邸があったところ、港の入り口の巨大な水門も見学出来ます。水門からも富士山は雲に隠れて見えませんでした昔です、若い頃、一度沼津に来たことありました、芹沢光治良記念館(文学館かな)を見に来たのです、その頃、芹沢光治良を読んでたの、三島には井上靖文学館があって、どっちにするか悩んだ記憶がある、文学館の中身の記憶は無いけど、近くの松林の中のお茶屋さんでばあちゃんの土産
螺旋階段が美しい芹沢光治良記念会館今回、お問い合わせしてみたところ快く撮影を許可してくださりましたほんとーうに素敵な会館でとっても可愛らしい姉妹の成人式前撮りでした20歳になるお姉さんお母さんの振袖に新調した帯にヘアメイクで仕上がった姿にお父様が母親にそっくりだな〜と素敵な会話だなと思いました妹さんも一緒に振袖をレンタルいただき美しい姉妹ショットが仕上がりました!成人式前撮りお気軽にお問い合わせください三嶋大社挙式三嶋大社結婚式神社挙式|Wasou_e
患者さまから、芹沢光治良(せりざわこうじろう、1896-1993)の晩年の傑作の本をいただきました。小説ーー精神的自伝というか、限りなく回想録ーーです。『神の微笑』(芹沢光治良著、新潮社、1986)芹沢光治良は、天理教と深い関わりがありました。当人は入信しませんでしたが、お父さんやおじさんは天理教の信者でした。『懺悔紀』『教祖様』など、天理教をテーマにした作品もあります。『神の微笑』には「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」という文学的信念というか
樹木と楽しく会話してみませんか!「キノコは仲間と会話していた」衝撃論文を日本の菌類博士が読み解く2022/5/18https://news.yahoo.co.jp/articles/ebccb7c286764173c3a77be4c269d44fce0ab54e樹木やサボテンのような植物にも意識があって、人間が想像も付かないようなレベルで自分を表現する手段をもっているらしいという情報は、何十年も以前から書物から得ていた。そうした情報を最初に目にしたのは
■5月5日産経電子版のスクラップ20220505【産経抄】軍事作戦の誤算の上に.pdfdrive.google.com20220505【朝晴れエッセー】今どきの若者.pdfdrive.google.com20220505【宮家邦彦のWorldWatch】米国の圧勝か対露情報戦.pdfdrive.google.com20220505【正論】平時から為すべきサイバー戦略・安西祐一郎.pdfdrive.google.com20220505【直球&曲球】ウクライナはメデ
今日はR1や!今年はサツマカワとかYESアキトとか、知ってる芸人が多いから、リアルタイムで見るぞー皆さんもご覧になってはいかが!?私の優勝予想は…そんなもんはありまへん!人生どうなるかわからん、だからこそおもろいやんけ。去年の夏に食べたパフェ美味かった
谷文晁らの作品を展示白河で9月9日から企画展、17点初公開-福島民友福島民友江戸絵画の巨匠・谷文晁の没後180年記念企画展「谷文晁とその師友」展は9日、白河市の藤田記念博物館で開幕する。同館の所蔵品の中から厳選し、谷文晁と師友の...日本科学未来館のシンボル展示「ジオ・コスモス」歴代作品から32本を一挙上映長期休止...ロボスタ日本科学未来館は、シンボル展示「ジオ・コスモス」のメンテナンス工事に先立ち、2021年9月11日(土)~10月4日(月)に、現在は上映していない
&ドラマティック・ラブ史劇「双嬌伝(そうきょうでん)~運命の姉妹と2人の皇子~」-PRTIMESPRTIMES桃花シリーズ第3弾「夢幻の桃花~三生三世枕上書(ちんじょうしょ)~」&ドラマティック・ラブ史劇「双嬌伝(そうきょうでん)~運命の姉妹と2人の皇子~」を、10月...安倍さんと麻生さん裏であれだけやるなら自分たちがやればいいじゃん。菅総理かわいそうにYahoo!ニュース元首相の)菅直人のあれは大失敗だったね。あんな惨状を見ちゃうと。同じ駄目ならって感じが。そこをち
作家の芹沢光治良氏の四女、岡玲子さんがご逝去されました。一昨年12月に発足した(一財)芹沢光治良記念文化財団の代表理事。きのう、当館会員で、芹沢財団のお手伝いもなさっている清水美穂さんからご連絡いただきました。きのう、私は深い悲しみに沈み、これを記すことが出来ませんでした。1996年春、当館で芹沢光治良展を開催させていただいた際、三女の文子さん、四女の玲子さんからは、言葉に言い表せないくらいお世話になりました。こちらを全面的に信頼され、膨大な資料を惜しげもなくお貸しくださいました
個人的にもいろいろお世話になった三村道夫(三村技術事務所代表)さんの父征雄は数学者で、戦前にはドイツ留学の経験がある。軽井沢の縁で言えば堀辰雄は一高で同級生だった。堀は意外にも中学時代、数学が好きで未来の数学者を夢見ていた。道夫がドイツ通なのはそのDNAをより受け継いでいるからであろう。道夫より三村一家の軽井沢への疎開について話を伺うことができた。それは先に筆者が紹介した『芹沢光治郎と軽井沢の鉄道』の中の鉄道の話をよく補完してくれる。道夫の父は戦前大阪大学で数学を教えていた。住まいは兵庫県武庫
東京から軽井沢を経由して長野方面に向かう信越線は、終戦前後も走っていたことは『心の糧』の中で書いた。(153ページ)東海道線に比べて、沿線には重要な軍事施設なども少なかったので、空襲も少なかったのではと筆者は考えている。先日紹介した芹沢光治良の『戦中戦後日記』でも上野と軽井沢の間を行き来する様子がしばしば登場する。写真の軽井沢旧駅舎は1910年に建てられたものを再整備。「戦争を体験した駅舎」と言えよう(筆者撮影)<1943年>7月28日記25日の午後には思い切って出発する。(沓掛へ
序小説家芹沢光治良の次女野沢朝子は「父、芹沢光治良、その愛」の中で軽井沢での食料調達について書いている。「1945年頃の日本は、土地の人と疎開者と呼ばれた都会の人とははっきり区別されて、土地に根付いた人に頼らなければ生きていかれなかった。野菜やコメと引き換えに、着物や雑貨を渡す『物々交換』でしか食べるものを得られなかった。私たちの家族6人分の食料調達は、愛嬌のいい長女万里子が引き受けていた。ふくよかでがっしりしていた丈夫な姉は、大きなリュックサックを背負ってこの役割をニコニコと果たした