ブログ記事14件
小学生の頃、「先生にモノマネして歌ってはいけません。」と言われた歌謡曲があった。クラスの真面目な女子から、「エッチ、変態!」と言われても、何人かで連れ立って、イントロのところの「ハーン」という色っぽい吐息の真似をしていた。その歌とは、もちろん、青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」である。子供ながらに、大人の男たちはこういう女性が歌っているナイトクラブに通ってお酒を飲んでいるんだろうなと想像していた。だから、私には、銀巴里と青江三奈が容易に結びつかない。どうして、そうなったかという経緯(い
昨日十五時にときはるさんのお見舞いに行きました。少し話しているとテレビを観ていいかな?とときはるさんに言われたので病室のテレビをつけました。リブログ機能で貼らせて頂いた美川憲一さんがご出演の番組でした。その番組の終盤で放送されたシャンソンの歌い手さん珠木美甫さんご出演の場面を観たかったとのことでした。ときはるさんが見せてくださったクリアファイルに珠木美甫さんのディナーショーのチラシと銀座ボンボンさんにいらしたときの珠木美甫さん直筆らしき座席アサインメモが大切にファイルされていました。
1970年(昭和45年)6月新譜として日本コロムビアから発売された緑川アコさんのシングル「ふたたび夢は夜ひらく」のジャケット写真です。曲名は違いますが同年4月25日に発売された藤圭子さんの大ヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」と同じ歌詞です。どういう意図で発売されたのか気になりますが1966年10月に「夢は夜ひらく」でデビューしてヒットさせた緑川アコさんが藤圭子さんバージョンの「夢は夜ひらく」を歌うという話題性を狙って発売されたのかなと思います。
国際線待合室青江三奈昭和40年代セクシーため息歌手と云ったら、青江三奈ご当地ブルースが多い中、空港待合室を切なく歌います。作詞・千坊さかえ作曲・花礼二国際線待合室昭和44年(1969年)♪青いランプの誘導路なぜか今夜は身にしみる逢えばつらいと逢えばつらいと知りながらひとり来ました逢いたくてああ涙の空港待合室歌はこちらでyoutu.be/yW3FqSf31Q8?si=iRH3g7xVqjZrsttq問題ですこの国際空港は、どこの
故青江三奈さんが、眠られるお墓の横にこの歌碑がある。一昨年鬼籍に入られた青江三奈デビュー直後からのご主人であり作曲家の花礼二氏と青江三奈さんのお墓参りにご一緒させて頂いたときにこの歌碑の思いをお聞きした。ご存命だった花礼二氏のお名前が、白い文字で楽曲名だけが、赤い文字だった事に対してその意図をお聞きしたところ「僕の名前を(生きてるから)赤にしたらやたら目立つから僕の名前は三奈と並んで白でいいんだよ、けれど楽曲は生き続けるから赤い文字で頼んだんだよ、曲の選択は
まだ予断を許さないが、少しだけ回復した旧友が、病室の窓から飛行機を見つけた。海外での撮影仕事を旧友と駆け回ったので、飛行機の会話になり旧友が、言った「アンカレッジ経由ってノスタルジックですよね」にホッコリした。筆者は、旧友がアシスタントをしてくれていた時代(写真家時代)に日本航空も全日空も外資系航空会社にも搭乗していたのだが、現在、日系エアラインにてヨーロッパの主要都市に飛ぶ場合…スターアライアンスの全日空は、南回りで、途中イスタンブールに降りて給油をする。
伊勢佐木町での青江三奈遺品展をX(旧Twitter)にアップして大勢の青江三奈さんファンの方からXアカウントをフォローして頂きました。ありがとうございます。励みになります。(Xアカウントお持ちでない方ごめんなさい🙏)筆者の過去ブログをご存知ない方へご覧頂きたくてリブログと加筆を致しました。コロナ禍からの諸事情から筆者の単身看護と立ち遅れている青江三奈さんを寄稿した著書校閲前の打ち込みを待つ数百枚の原稿の中からワンちゃんの一部だけを抜粋しました。ご覧頂けたら幸いです。🙇
昨年、3月のブログ(リブログ)に寄稿した作曲家さんは、故花礼二氏(以下花氏)です。このワンちゃんの飼い主だった故青江三奈さんの旦那様でした。お二人の生涯最後のツーショット…いえ、スリーショットですね。昔の芸能界は、人気歌手の結婚(入籍)は、人気に響くからとご法度でしたからお二人は、極秘挙式後に入籍をせずに暮らしておられました。青江三奈さん(以下青江さん)は、犬好きで花氏と暮らしておられた時代に白いプードルを飼っておられました。その白いプードルが、虹の橋を渡り
昨日、看護の合間に庭に出てみるとヨーロッパブドウが、実り始めていた。7月1日は、父の命日だったのだが…本日7月2日は、青江三奈さんの御命日だ。幾度となくブログに寄稿してきた青江三奈さんとのご縁をくださったのが、作曲家であり青江さんのデビュー直後からのご主人であられた花礼二氏だ。「青江三奈の事を本にしてくれよ」と筆者に言ってくださった花礼二氏コロナ禍の出版社の傷跡とケアラー事情から足踏み状態の執筆の日々に落ち込みがち…筆者の父が他界した後に花氏のご自宅(熱海にあ
1月に某出版社のWEBサイトに寄稿していた記事のブログを8か月ぶりにリブログした。記事が、配信される前だから坂上忍さんの名前を伏せて寄稿していた。コロナ禍、8か月の月日の流れを自身のブログを読み返して感じている。WEB芸能記事を毎週1本書いてと依頼されその寄稿が、5月に50本で終結した。いや、実際は、53本寄稿し入稿し出版社事情から50本で停止しているのだ。出版社上層には「残り3本タイミングを見て配信させてください」と言われている。6月…紙媒体、女性自身さんの松田聖子
昨日寄稿した花礼二氏から「僕は、厳しすぎたから三奈の歌唱を褒めた事が、なかったけど…この紅白だけは、完璧だと褒め称えたんだよ」とお聞きした紅白での歌唱映像⤵️長年出演し続けた紅白を卒業した後に特別枠出演で、デビュー曲を歌唱した。日本のジャズ界を代表するテナー・サックス奏者松本英彦さんとの共演が、絶賛された。非の打ち所のない珠玉の映像だ。この日から10年後の2000年2月29日松本英彦さんは、鬼籍に入られた。同年
7月1日は、父の17回目の命日だ。父が、他界した年に私にあることを教えてくださった方がいる。その方は、森進一青江三奈他の楽曲を作曲された花礼二氏である。公私ともにお世話になった花氏の事は、これまで、お名前を伏せて幾度かブログに書かせて頂いた。花礼二氏(熱海のご自宅で2003年撮影)花礼二氏と初めてお会いした21年前、「松田聖子の撮影をしてました」と言った私に「相澤さんのとこだね」と仰った花氏は、森進一さん楽曲の作曲もなさっていらしたので、O
12月18日に『国際線待合室』のことを書きました。今日、ネットのニュースで、青江三奈さんの夫で、『国際線待合室』の作曲家である、花礼二さんがお亡くなりになっていたそうです。私がブログに書いたのも何かのご縁でしょうか。花さんは、天国で三奈さんと再会されて、仲良くされていると思います。若い頃の恋人と、晩年に一緒になるのって、とってもステキな関係だと思います。友達関係もそうだけれど、恋人も、若い頃の恋人がいいですね。どうしてだろう?純粋に好きになっているからかな?
ちょっと書きたいことが溜まっていて、皮膚科受診のこととか、セーターの事とか、雪が降ったこととか、仕事に対する思いとか、色々ごっちゃになっていて、それでも、頭が疲れていて、書けないので、それは追々少しずつ、書けたらいいなと思っています。そんな時に何故か、こんな曲が浮かびました。『国際線待合室』青江三奈さんはとても好きな歌手のひとりです。それは、歌が好きというより、人が好きという感じ。何故かと聞かれると上手く答えられないですが、人を好きになるって、理屈じゃないか
『国際線待合室』青江三奈1970年(昭和45年)4月27日付けオリコン・ランキング1位『女のブルース』藤圭子2位『あなたならどうする』いしだあゆみ3位『ヴィーナス』ザ・ショッキング・ブルー4位『恋ひとすじ』森進一5位『逢わずに愛して』内山田洋とクールファイブ6位『マルタ島の砂』ハーブ・アルパート&ティファナブラス7位『レット・イット・ビー』ビートルズ8位『国際線待合室』青江三奈9位『姿三四郎』姿憲子10位『白い蝶のサンバ』森山加代