ブログ記事30件
本日衆院選ですね。朝出勤前に投票行ってきますけど、もちろん投票先はブレることはないですよ。それよりももっと意思は強くなりました。他党の批判しかしない政党よりも、批判よりも自身の政策をアピールする党首を担ぐ党に入れるしか選択肢ないですわ。これまですっと候補者と比例の投票する党が一致しなかった兵庫8区ですが、やっと投票したい候補者と比例で投票する党が一致することができました。巡礼といわれる霊場巡りの札所って皆さん全部覚えてはりますか?僕は西国はさすがに自然と覚えましたけど、他の写し霊場ま
ブログって言葉普通に使ってましたけど、略語みたいですよね。WebとLogを組み合わせた造語であるWeblogの略称なんだそうです。それだけです。さて、六十六花御朱印巡りは天王寺区ですが、ちょっと歩けば次のお寺なわけで、宗恵院です。近代建築の建物になってましたが、石板のような石が目を引きます。鳥居状の門をくくります。石が気になりますが、まだ我慢します。でもちらっと見たら矢穴ありましたわ。つうかいつからこうなった?大黒天と弘法大師を表す幟がありますけど、どれが何かのかはわからずです
前回の楽器の話と同日、飲んでて聞こえてきた他の客の寺社の話。背後にカップルがいてて、なんとなく、神社の話しそうな話題でしたので耳を澄ませてますと、男性が『神社よく行くよ』と。『歴史に興味が出てきたので、神社とか行くようになってきた』と。さらに聞き耳を立てましたが、相手の女性が全くその話に食いつかずに、『歴史だったらおすすめの本あるよ』で神社話は終了。これはネタにならなかった。それなら書くなってことですが、これリアルタイムで書いてたので、そのままにしました。四天王寺の東門から出たのは、
札所とか回る時、エリアでまとめて打ちたいですよね。そんな時、ひとつ寄り忘れてたりすると、遠方だとダメージでかいですよね。僕は、しっかり行程表組むのですが、たまたま今日あれ行けるやんって思いつきで、行程表を持たずに行った時にそういうことをやらかします。六十六花御朱印巡りは、大阪市北区から港区に移動します。この前、港区にある六十六花御朱印の寺社をすべて回ったつもりだったのですが、ひとつ寄り忘れてたとこがあったからです。近場ではあるので、ダメージは少なめですが、一つだけ離れた場所なので正
六十六花御朱印巡りの記事をとっとと終わらせたいのですが、なかなか進んでません。大したこと書くわけじゃないので、すぐ書けそうなもんですが、冒頭何書こうかって考えると、先延ばしになってしまうという、本末転倒状態です。余計なこと書かないと、僕のブログなんて、ほんとスカスカですからね。そんな言い訳を枕にしまして、内容がスカスカの蟠龍寺です。蟠龍寺は、慶長13年(1608年)に念誉順応上人によって創建された浄土宗のお寺で、大阪新四十八願所阿弥陀巡礼の第三番札所です。そういやこの阿弥陀巡礼やってな
友達との会話の中、ふと思ったこと。近年、書き置きが当たり前となり、派手な御朱印や切り絵とかが増えましたやん。出だした頃は、お!っと思いもしましたが、あくまでも個人の意見としては、御朱印の本筋外れてるやんって思うわけですよ。僕が御朱印というものを知った頃は、墨でさらっと添えてくれるワンポイントのイラストがとても魅力的で、貴重な物のように思えました。そんな経験もあり、今の人気の御朱印にはまったく惹かれなくなりました。もし今、御朱印集めを始めてたら、そんな御朱印を躍起になって漁ってただろうと
普段着物を着ていない人が着物を着ますと何がおかしいとこがあります。僕も着物は普段着ませんので、うまく着こなせるわけではないのですが、日常的に着物で過ごされてる方を見る環境にありますので、見る目だけは肥えてるわけです。花火とかで出かけてるカップルの浴衣なんて、柄もそうですが着方がおかしくて気になってた時期もありました。観光地のレンタルの着物の素材やデザインもアニメに出てきそうなやつやし、何よりもブーツってのが気に入らなかった。でも、それらはもうどうでもよくなりました。楽しみむためにやって
四天王寺ワッソの後、近くの六十六花御朱印のお寺に行きました。釣鐘町の日限地蔵院です。お寺というより大きな地蔵堂と言うへきか。日限地蔵院は、大阪最古の地蔵尊とされ、平清盛・重盛の守本尊であったそうです。入ったところのお地蔵さん本堂内六十六花御朱印派手な御朱印人気が相変わらず続いているようですが、書き込みのお遊びはこれくらいが、御朱印の邪魔にならず、気が利いててちょうどいいのです。右下のお地蔵さんのハンコは顔無いものに、たくさんの見本から好みの表情のものを書き込んでくれます。500
瓶ビールにやたらとこだわる人っていますよね。好みですからそれ自体がどうこうないんですが、普段生ビール飲む人が瓶ビールしか置いてない店入ったら、瓶ビール注文するわけですけど、瓶ビール派は生ビールしかないと知るやいなや、やめとくわって行って帰る人を何人も見てきました。瓶には瓶の良さもありますが、それだけで店を変える?って思ってしまいます。瓶のほうがコスパいいのかも知れませんが、そんなの知れてますよね。あと、中生のグラスやジョッキのサイズって決まりがないので、店によって量が全然ちがいますから
地下鉄で吊り革につかまっていたら、突然『パン!』とお尻に衝撃がありました。振り向くと、子供が立っており、親御さんが平謝り。子供は『虫ついてたから』と。その手に残る黒い残骸を見て、ありがとうと感謝を伝えました。前を向こうとした瞬間、対面に座っていたお父さんと目が合い、無言で会釈したので、家族ぐるみのお詫びかと解釈し、お辞儀を返しました。さらに次の駅で、小さい子連れのお母さんが乗車すると、会釈をくれたお父さんの横にいた子供が、即座に立ち上がり席を譲ろうとしました。周りを見ている素敵な家
喫茶店でコーヒー飲んでたら、目の前に若いカップルがいまして、それぞれ無言でスマホいじってたんですよ。近頃の若者はそんなもんなんかなって思いながら、何気に見てました。女性のほうは指の動きからゲームしているようでして、男性のほうはインスタのリールかなんか見てる感じ。冷めてしまったカップルか、はたまた冷戦中なのか、どちらにせよ冷えた関係に見えました。男性がスマホを置いて、皿に残っていたケーキかなんかを食べたが、女性は全く見もしない。少しして。女性がスマホのゲーム閉じてケーキの残りたべたけど、
2025/11/01OsakaMetroで〜OsakaMetro花御朱印巡り〜花手水大阪市住之江区北加賀屋加賀屋天満宮〈御祭神〉菅原道真手水舎花手水拝殿本殿フジバカマが咲いてる!!しか~しアサギマダラは居ない今年は、アサギマダラに出会えなかったな参拝・撮影させて頂きありがとうございました【花御朱印】ここまでご覧頂きありがとうございます良い良い良いときをーー
中国人観光客減りましたね。鶴の一声にここまで従う国民ってそうそうあるとは思いませんが、理由はともあれ、あきらかにオーバーツーリズムだったのでホッとしました。見た目だけでの判断でしかないのですが、これまでの観光地なんて、キャンパスに例えるならば真っ赤っ赤だったわけですよ。それが、赤いのが減ったため、これまで赤にしか見えなかったオレンジやピンクといった色がわかるようになり、赤で塗りつぶされていた他の色にも気づくようになりました。絵の具でも色鉛筆でも一番使うのも、一番先に無くなるのは赤ですよね
路上喫煙禁止が当たり前の世の中になりました。それそれで仕方ないのですが、ミナミはまだまだ無法地帯です。とはいえ、道端に落ちてる吸い殻は格段に減りましたので、一定の効果はあると言う人もいますが、ただ単に電子タバコに移行する人が増えたからじゃないかと思います。喫煙場所が少なくなった大阪市でも、まず灰皿があったのが神社でしたが、それすらも減ってきてるように思えます。坐摩神社から南下しまして難波神社へ向かうわけですが、途中の南御堂の石垣を久しぶりにチェックしました。猿という人もいれば、お地
正直あんまり思い入れも無くただ惰性でここまで来た感じですかな取り立ててこれといった収穫もなかったしねあとこの御朱印をどうするかです貼るのがいいんでしょうが…めんどくせわぁ〜相当分厚くなりますよ朱印帳後の祭りで愚痴になりますけどポケット式御朱印帳にしとくべきでしたね
大阪メトロ花御朱印巡りの六十六番目は太融寺ですかな久々ですなぁ本来ならJR大阪駅から徒歩で行くのが近そうですが…今回は天満から扇町公園を通り抜けて向かいました大昔学生さんにアルバイトの斡旋をしていた所学相(大阪学生相談所)なるものが扇町公園の向かいにあったんですよよく通ったその辺りが懐かしくて寄ってみたくてただもう跡形もなくなってましたな場所も分からないほど変わってましたね学生時代のちょっとした思い出の場所だったんですがね《太融寺花御朱印》
出勤前の大阪メトロ六十六花御朱印巡りです。花御朱印巡りなのに、コラボ企画の花手水に全く合わせる気がなくなってますけど、仕方ない。もうすでに行ったとこでやってたりしますからね。この日は駅から近いところを二カ所さらっと参拝してきましたよ。まずは坐摩神社です。何度も来ては書いてるので、詳しく書きません。手水舎備前焼の狛犬相殿社拝殿参集殿が建築中でした。火防陶器神社瀧丸稲荷神社六十六花御朱印600円でした。
冒頭ゴッキーの話しますので、苦手な方は飛ばしてくださいね。ガッキーちゃいますよ、ゴッキーですよ。文面だけで、ゴッキーの写真とかあるわけではありませんが、うちのブログ記事が上がるのは朝の7時ですので、朝食中の方もおられると思い念のためお知らせしておきます。先日仕事終わって帰宅中、地下鉄に下りる階段で、下りるのを躊躇してるおねえちゃんがいたんですよ。その先を見ますと、ゴッキーがウロチョロしてましたので、そのせいで進めなくなっているようでした。僕は平気なのでそのまま下りて行きましたら、タイミ
大阪メトロ花御朱印巡りで三件目の初参拝の神社ですかな存在はだいぶ前から知っていたものの中々足を運ぶ機会がなかったけど花御朱印巡りで縁が出来たという事になりますかな「ハクサン」って言ってしまいそうですけど「シラヤマ」ですねそして御祭神は勿論『結び』の神様菊理媛神ですかな《白山神社花御朱印》《白山神社御朱印》−境内風景−正面鳥居本殿光徳稲荷神社・歯神社・神明社
六十六花御朱印巡りは期間が決められていて、11月30日までなんですよ。大半が大阪市内であることもあって余裕かましてましたけど、そろそろ仕上げにかからないと間に合わなくなってしまいそうですので、いつでも行けるとこでも少しずつ行くようにしています。この日は東高津宮からです。としまいり石拝殿にある数え棒を歳の数取って、手順従って回るようです。百度石のようなものだと思います。詳しく読んでないかど説明板磐船稲荷神社磐船稲荷神社社殿磐船稲荷神社といえば、ハルカスやならファの屋上で祀られてい
−釈迦院の歴史−創建は明治43年(1910年)真言宗の開祖である弘法大師(空海)が遣唐使に渡ったのを顕彰する為遣唐使一行が出航したとされる跡地に弘川寺の末寺の寺号である🧐「釈迦院」の名前を継承して随心院門跡重松寛勝によって開基された開基当初の釈迦院は現在地より東の天保山運河の近くに位置し7800坪程の広大な敷地を有していた大正時代から昭和初期にかけて同寺は大師信仰の中心地として栄え東の四天王寺・西の築港高野山と呼ばれるほどであったが1945年6月1日の第2回大阪
−大日寺について−弘仁年間(810年〜824年)に弘法大師が創建されたと伝えられていますご本尊の大日如来は「摂陽群談」第12巻にも弘法大師手作りの像と記載されています本堂には大日如来のほか如意輪観音・不動明王や釈迦如来・阿弥陀如来などの優れた仏像が安置されています本堂前には小ぶりながらもその形から鎌倉時代のものではないかと言われる相当古い宝篋印塔があります《大日寺花御朱印》−境内風景−本堂
明和元年(1764年)石田新田開発に際し工事の安全と成功を祈願して勧請したことに始まるとされる当初は天照大神を祀るため石田皇大神宮とも称されたという🧐2018年(平成30年)鎮座130年記念行事の本殿外装工事がなされた《三津神社花御朱印》−境内風景−正面鳥居本殿石中稲荷神社・戎神社
−由緒−天保初年(1830年)葦屋勇助なる人物がこの土地の開発を試みますしかし度重なる水害に遭い志半ばにして池田屋大吉なる人にその開発を譲ります池田屋大吉は開発に先立ち天保6年(1835年)成功を祈願して大神様を勧請しお祀りします開発は無事成功し開発された土地は「池田新田」と称されるようになりましたこの成功を以て神域を整え(現在の港南公園北東隅付近)大神様を産土神とされました現在の三先・池島をお護りされる氏神様です明治45年・大正元年(1912年
−三社神社の歴史−1698年(元禄11年)11月伊勢国桑名の市岡與左兵衛宗勝が新田開発の工事の安全と開発の成功と開発された地域の守護神として天照皇大神・豊受大神・住吉大神の3柱を祭神とし勧請して社殿を建立したことを起源とする🧐創建当初は三社宮と称した後に相殿として熱田大神・斎主大神・秋葉大神を合祀し三社大神と称するようになった1945年(昭和20年)の大阪大空襲で社殿などを焼失現社殿は1960年(昭和35年)12月に完成した《三社神社花御朱印》花の種
−難波八阪神社の歴史−仁徳天皇の時代この付近一帯に疫病が流行り出したところ牛頭天王が現れたのでこれを祀ったのが始まりとされる🧐それ以来「難波下宮」と呼ばれており難波一帯の産土神となった延久年間(1069年−1073年)の頃には牛頭天王を祀った神社として有名であり神宮寺の他十二坊の塔頭が並んでいた明治維新後の神仏分離により寺は廃絶し1872年(明治5年)に郷社となった1945年(昭和20年)3月13日・14日の第一回大阪大空襲で社殿が焼失した現在の本殿は
大阪メトロ花御朱印巡りと大阪関西万博開催期間が被ってたので中央線は混雑していて面倒やろうなという思いから万博閉幕してからの参拝になりました催物の規模が違うから途中駅の朝潮橋や大阪港なんかで降りる人おらんやろし途中下車自体できんのちゃうかとすら思ってましたが実際にはどうだったんでしょうかね😅万博東ゲートの混雑ぶりは日々報道されてましたからな…という事で万博閉幕後でなくても静けさが漂う朝潮橋から先ずは福崎住吉神社です《福崎住吉神社花御朱印》最近気付いたんです
廣田神社の歴史…創建年代不明神功皇后が三韓征伐から戻ってくると忍熊王が反旗を翻していた皇后は王を避けて難波に上陸しようとしたが船が海中で回って進めなくなったそこに廣田の地に天照大神の荒魂を祀るようにとの神託が降りたので皇后は天照大神の荒魂・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀るや船が動き出したという約170m南方に今宮戎神社が鎮座する因みに兵庫県西宮市においても廣田神社の約2キロ南方に西宮神社が鎮座し距離は異なるものの同様の位置関係にある🧐約1km東方の上町台
日本書紀によりますと、道行という新羅の僧が草薙剣を盗み出し新羅へ逃げようとしたが、その途中に暴風雨に遭って帰ってきたとあります。道行が暴風雨を草薙剣の祟りと恐れて剣を川へ放り出し逃げたといいます。道行が草薙剣を『放り出した』ところを『放ち出』といい、後に訛って『はなてん』となったと伝えられています。先の阿遅速雄神社にも草薙剣の神霊を祀る八剱神社が相殿社にありましが、少し西にも八劔神社が鎮座します。その鳥居をくぐりますが、くぐってすぐ左に曲がります。と、お寺があります。元々は習合されて
此処は結構工夫した御朱印を期待してたんですけどねぇ意外な程普通でしたな花御朱印は…《古宮神社花御朱印》無数の判子で押された版画御朱印は無料でいただけました御朱印は数え切れん程ありました−境内風景−本殿・拝殿鳥居前境内の休憩所に飾ってある木版にアクリル絵の具で描かれた作品(戴ける事になりました)アマビエこれも木版にアクリル絵の具の作品今凝ってらしゃる『ジオラマ』結構繊細な作りですが…展示は雑です花御朱印巡りの企画を担当したところが宮司さんの作品