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noteで3回目の「宮沢賢治を語ろう」をアップさせていただきました今回のテーマは≪賢治と共感覚≫賢治の表現の独特さは、共感覚がもたらすところが大きいんじゃないかと思っていて。音がかたちや色で見えたり。オノマトペの独特さも、もしかするとその辺りと関係しているかも。なかなかユニークなエピソード満載です【宮沢賢治を語ろう】賢治と共感覚|夏川佳子|note賢治を語る配信、第3回目。賢治には独特の感覚、共感覚がありました。花巻農学校時代の生徒さんたちの証言で、共感覚者の
内田康夫のミステリー小説。事件は宮沢賢治作品ゆかりの地などを巡っている。岩手県民なら馴染みがある場所ばかりだという。銀河鉄道999がブームだった昭和53年頃に、宮沢賢治ブームが来てたらしい。銀河鉄道ブームが再来すれば、宮沢賢治ブームが再来するかもしれない。掲載画像は全てネット記事から転載しました①イギリス海岸花巻市を北上川が流れている。その西岸の一部を宮沢賢治が名付けて呼んでいた。今では、宮沢賢治の偉業を讃えてこの岸辺を正式にそう呼んでいる。
宮沢賢治は37年しか生きなかったけれど、なんと沢山の人生を過ごしたことか。★岩手の自然に抱かれ、岩手山や北上川、石や鳥、虫、花、星と会話する、自然人。★法華経に帰依し世界の幸せを願う仏教者。★音楽も演劇もやる、元気な高校教師。★科学の力で農業を変える、肥料の神様。★後世に残る詩や童話を書く、文学者。全てがフル回転、そして善意のフルパワー。磯田先生は、「賢治は本当に世界を救えると思っていて、それを気負わず訥々と本気でやるんですよ。気味が悪いほどに。」と言った。小さ
宮沢賢治の9歳下の弟、清六さんが兄との思い出や、秘話を語る。お二人は小さい頃からとても仲良しで清六さんは「とても変わり者」であった賢治兄さんが、大好きなのだ。文章を読むと、賢治の世界観や独特の表現にとても影響を受けたことが解る。。でも賢治自身は、清六さんの趣味に干渉せず宗教を強いることも全く無かったそうだ。清六さんも賢治のように、飽きもせず一日草花や虫と遊ぶ子供。従兄弟たちと蜘蛛の胴体をチョン切ったりするんだが、この手の残酷遊びに、賢治はいつも加わらなかったそうだ。弟
宮沢賢治が法華経信者であり子供たちに大乗仏教の良い芽を育てようと童話を書いたこと、、花巻の小さな農学校の教師であり貧しく暗い若者に希望を持たせようと知識だけでなく芸術、文化を教えたこと、土壌学を学んだ科学者であり科学の力で農村を変えようと、地域に働きかけ共に汗を流したこと、、徐々に私は理解してきたけれど、もうひとつ、宇宙的というか、神から受けた啓示の伝導者のような、、、、神秘的な能力が見えてきた。「童話」とは子供が読むもので、言い換えれば、大人がまともに受け取り難い
宮沢賢治=童話作家・・と思っていた私、ごめんなさい。ギャグ漫画家か~?なんて言ってこのばかちんがーっ!('ε'*)賢治は日本を代表する作家になったけれどむしろ科学者、農学者、教師、が本業で◆岩手の農村に理想社会を築くため◆花巻の若者に希望を持たせるため科学+労働+芸術+文化の力で農村を救う!!と本気で考え、一人孤軍奮闘した稀有な、真に稀有な、改革者であった。この本は、賢治が5年間勤務した花巻農学校時代に書かれた原稿を集めた物。ほぼ童話という感じはなく、等身
こんにちは今回は、花巻市のぎんどろ公園(花巻農学校の跡地)を紹介します。↑ぎんどろ公園の地図の看板です。ここは昔、花巻農学校が、あり、そこで、宮沢賢治は、ここで3年間、教師として、教えていました。宮沢賢治は、岩手の事を「イーハトーブ」と呼んでいたため、この公園は、岩手の大地をイメージして、作られているそうです。↑公園の中心部の近くです。緑が多く、散歩などには、いい公園です。↑少し歩くと、宮沢賢治の童話の「風の又三郎」の群像が、あります。↑群像の隣には、「