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こんな温泉を見つけました。皆さんはご存知でしたか?食事は良さそうだけど、和風旅館は苦手です~。支配人の方もがんサバイバーだそうです。
今日から花巻に来ています。今回も2泊3日の滞在。あー、短い…。いつも訪問いただきありがとうございます。また、『いいね!』や『ぺた』も付けていただき本当にありがとうございます。4月19日から毎日UPしていたこのブログですが、少しの間、お休みさせていただきます。またその後は、毎日UPすることはできませんが、病気と闘っている人の一つの選択肢として、何か参考になるように、と今まで通り様々な『例』を発信していきたいと思います
十数年来の通風に加え、糖尿病も見つかったIさん。身体がだるいし、立ち眩みもしょっちゅうだし、何かおかしいと思っていても病院には行きませんでした。自力で何とかしよう、と思いまずは食生活の改善を始めました。大麦若葉やもろみ酢も飲んだりしたそうです。そしてトロンにも通いはじめました。痛風での膝の痛みがひどくなってきたので集中してトロンに入ることにしました。最初Iさんは、こんな体験談を話してくれませ
風が吹いただけでも痛いと言われている痛風。前回の糖尿病で登場したIさんは、十数年来、痛風で悩まされてきました。時には痛みで歩くことができず、這って家の中を移動していたそうです。仕事が終われば、毎日好物のもつ煮込みを肴にビールをグビグビ飲んでいたそうです。そのせいもあるのだろうか?でもそう気づいたときには遅かった!ちょっと触っただけでも飛び上がる程の痛み、痛風の発作は、毎年繰り返し出るので本当に困った
大腸がんから肝臓への転移があり、病院の待合室で、偶然花巻トロンのうわさ話を聞き来館されたUさん。この2年間、僕はUさんに会うたびに「もう少しトロンに通って下さい。もし通えない理由があるのなら、何かしらの治療を受けた方が良いと思います。そして大腸がんは肝臓に転移すると肺とか脳に飛びやすいからそのこともちゃんと考えてください」と言い続けました。だけどUさん本人は、意に介さずの生活を続けていました。
2年前から花巻トロンに通っているUさん(63歳)という方がいます。Uさんは大腸がんです。大腸がんからすでに肝臓への転移がありました。Uさんは病院の待合室で偶然花巻トロンのうわさ話を聞いて来た方です。Uさんは、抗がん剤はやりたくないし、他に何か良い物がないだろうか、とその『何か良い物』の選択の一つとしてうわさ話で効いたトロンを選択して来たようでした。僕が初めてUさんと話をしたとき、Uさんは、「ま
生活習慣病の一つと言われる糖尿病。糖尿病の方も、糖尿病予備軍の方も年々増えています。最初は自覚症状がない糖尿病。健康診断で血糖値が高いと言われても、なかなか生活習慣を改めることはできず、進行してしまいます。そして何より怖いのは合併症です。3大合併症といわれる神経障害、腎症、網膜症の他にも、動脈硬化、脳梗塞、心筋梗塞、さらにはがんのリスクが高まると言われています。花巻トロンにも糖尿病の方が多く来
花巻トロンに来ているお客様の話を聞いていると、がんが発病した、あるいは発見されたのは60歳前後からという方が圧倒的に多いです。それまでなんともなく、至って普通の生活を送っていた方々が、ある日突然がんになりショックを受ける・・・。60歳(還暦)は、人生の節目なのかもしれません。還暦とは60年で干支が一回りして、再び生まれた年の干支にかえることから、元の暦に戻る、という意味でこのように呼ばれているそうです。
花巻トロンの施設、受付の隣にはガラス張りのボイラー室があり、そこにはトロン生成装置のタンクがずらりと並んでいます。初めて来るお客様は、トロンのタンクの大きさにきっと驚かれるでしょう。見たこともないような大きいタンクが並んでいる様は、まるで何かの化学工場のようです。このタンクの中でトロンは発生します。このタンクで1日に4回トロンを抽出しています。そして1回ごとに抽出したトロン原液を浴槽に抽入します。
友人にあげた形見分けの品を『貸してくれ』と頼んで趣味のゴルフや釣りを楽しむようになった膵臓がんのSさん。僕はアクティブに動くSさんに、「元気になったから(体調が良くなったから)釣りやゴルフに行くということはとても良いことだと思います。だけど、Sさんは基本的に膵臓がんのステージ4Bなんですよ。その事を忘れないでください。決して無理はしないでくださいね。僕の苦い経験なのですが、やはり膵臓がんの方がトロンで
「俺は8月に死ぬと思うから、その後のことは頼むな。」家族や周りの友人知人にそう伝えていた膵臓がんのSさん。Sさんは『その日』に備えて息子に会社を譲り、大好きだったゴルフや釣りの道具を形見分けとして友人たちに渡していました。・・・だけど、です。日に日に元気になっていくSさん。元々アクティブな人なので会社を退き、病院通いと10日~2週間の花巻トロンでの療養では退屈するようになります。趣味の
余命6ヶ月と医師に宣告された膵臓がんのSさん。「俺は8月に死ぬと思うから、その後のことは頼むな。」家族や周りの友人知人にそう伝えていたのですが、日に日に元気になっていくSさんを見て友人たちからは『死ぬ死ぬ詐欺だ』と言われるようになりました。Sさんは初めの頃、新幹線で花巻へ行っていました。東海道新幹線と東北新幹線を乗り継ぎますので時間はかかります。体力的にも大変です。しかし・・・
「自分の命日は8月3日。それまではやれることはやる。」そう言ってトロンでの療養を開始した膵臓がんのSさん。6月7日付の僕のFacebookにSさんのことを載せていました。↓↓↓(2017.6.7のFBより)今日、3ヵ月前から毎月10日~2週間ほどトロンに療養に来ている方に会ってきました。ものすごく元気になり、血液検査結果も3ヵ月前よりずいぶんと良くなっていました。本人曰く、「最
初めて僕と会った3月にはすでに主治医から余命6ヶ月と宣告されていた膵臓がんのSさん。「自分の命日は8月3日。でもそれまでにやれることは全てやろう。」そう決意され、今はまだ臨床試験でしかできない抗がん剤やトロンでの療養、そして食事の改善も取り組みました。Sさんは会社経営者です。また地元の経済人が集まる会の会長もやっていたような方です。その『社長』やその他の役職を全て退きました。
今年の3月上旬に友人の紹介でSさん(59歳)という方と会いました。Sさんは膵臓がんで、すでに主治医から余命6ヶ月と宣告されていました。初めて僕と会ったときにはすでに肝臓にも転移がありました。Sさんはその受け入れがたい運命の下、一縷の望みをかけ抗がん剤治療薬FOLFIRINOX(※注)(5-FU/ロイコボリン®+イリノテカン+オキサリプラチン)とトロンに賭けてみる、という覚悟で挑みたいとのことでした。
Tさん(61歳)は会社の定期検診で肝機能の数値が悪いと指摘されました。まぁお酒のせいだろうと軽く考えていたのですが、その1年後の健診で膠原病の可能性がある、精密検査が必要との指導を受けてしまいます。紹介状を持参し、大学病院で受診したところ「入院して治療しましょう。」と言われてしまいました。そのころには高熱、咳、ひどい関節痛などの症状も出ていたそうです。入院して病院での治療が効果を発揮し
僕のところに相談に来る末期がんになった人たちに、「がんにならなければ生きられるであろう寿命まで『生』を全うする」そのような事を目標にするようにアドバイスをしています。目標を持って生きるには、余命3ヶ月、あるいは半年という時間はあまりにも短すぎます。だけど、10年生きると考えればその10年のうちの1~2年をがんを克服することに専念しても決して長い時間ではないはずなのです。そうした真剣な努力を続けて、
がんの『終末期』と『末期』は似たような意味で使われることも多いですが、本当は違います。『終末期』には食べられなくなったり、眠ってばかりいるなど『死』が間近に迫ったような状態になりますが、『末期』には3ヶ月とか半年とかある程度元気な期間(時間)があります。がんサバイバーになるためには、この末期の元気な期間(時間)をどう過ごすか(使うか)が極めて重要になってくると思います。トロンに通ってがんサバイバー
「無事、全部参加出来ました。もう思い残すことはありません。本当にありがとうございました。」そう言って何度も何度も繰り返し僕にお礼の言葉を言ってくれた膵臓がんのHさん。電話をもらった翌日に僕はHさんの入院している病院へお見舞いに行きました。Hさんは笑みを浮かべ結婚式のことをたくさん僕に話してくれ撮った写真もたくさん見せてくれました。この嬉しそうな顔を僕は忘れることはないでしょう。「Hさん
初めて僕のところに相談に来た時、胸膜播種、腹膜播種になっていて複数の医師から『もって1ヶ月』という見立てだった膵臓がんのHさん。娘さんの結婚式まであと約20日というところでホスピスへ入院することになりました。入院しているHさんと何度か連絡を取りましたが、声も気持ちもしっかりしていて、大丈夫そうだ、と思いました。そして結婚式当日を迎えることが出来ました。その日、9時34分にHさんから電話がありま
入院している主治医の話からもうこの病院ではやれることがないからホスピスへ転院して欲しいと言われた膵臓がんのHさん。僕がここが良い、と思ったY病院の緩和病棟はとても人気があり、いつも病室は一杯だそうです。紹介状を書いてもらいましたが『いつ入れるかわかりませんよ。』と言われていました。だけど、頼んだタイミングが良かったみたいでその話し合いから約10日後に無事転院できることになりました。
腸閉塞を起こし、入院をしてしまったすい臓がんのHさん。僕はお見舞いに伺ったとき、Hさんの主治医と話をさせてもらうことができました。主治医と話をしましたが、結局、「もううちの病院ではできることがありません。だからホスピスに転院して欲しい。」と言われました。ホスピス、そうですね。病院では何もできることがないというのなら今後のHさんのケアはホスピスの方が良いのかもしれません。それならば、と
トロンに通い始めて腹水が減り、2ヶ月半後には胸水が消え、さらに3ヶ月半経つころには腫瘍マーカー値CA‐19‐9が50,000から7,000までに下がってきたすい臓がんのHさん。ここまできて僕はやっと『これなら何とかなるかもしれない。』と初めて期待を持つことができました。だけど、残念なことに、トロンでの入浴を始めてから120日ほど経過したくらいからだんだん食事が摂れなくなりこのことによりHさんは
僕と初めて会った時にはすでに胸水と腹水が溜まっていてさらには胸膜播種と腹膜播種も起きていた膵臓がんのHさん。トロンに通い始めて腹水が減り、、2か月半後には胸水が消えるまでになりました。しかし8月に入ると、抗がん剤の副作用が強く出てきて、身体が重くなり、動くのもつらい状態になってきました。そこで僕はHさんに思い切って抗がん剤治療を休むことを勧めてみました。僕の会社に、某がん専門病院で
「抗がん剤治療をすれば1年はもつ。」主治医のその言葉により抗がん剤治療を開始し、そしてそれと併用しトロンに通うようになった膵臓がんのHさん。7月29日の僕のFacebookにHさんのことを載せていました。↓↓↓↓↓(7.29FBより)2日前に2ヶ月半前からほぼ毎日トロンに通っている膵臓がんの方と話をしました。抗がん剤治療を併用しています。初めて来たときにはすでに腹水と胸水が溜まって
初めて僕とあったとき、すでに胸水と腹水が溜まっていてさらには胸膜播種と腹膜播種も起こしていた膵臓がんのHさん。5ヶ月後の結婚式に参加したい、その願いをなんとか叶えるためにはどうしたらいいのだろうか。僕が信頼している医師にHさんの状態を説明しました。そして「この状態だと、あとどのくらい生きられると思いますか?」そう聞いてみました。その問いに医師は「その状態ならもって1ヶ月くらいじ
Hさんの症状を聞く限り、5ヶ月後の結婚式に参加というのはとても無理なことだと思いました。楽観的なこと、軽はずみなことは言えません。どうしようか、どうしたらいいのだろうか、何を言ったら良いのだろうか・・・とても悩みました。HさんとHさんご家族全員に来てもらい話をしました。すでにとても厳しい状態であること、その中で何が良いのか、僕も一生懸命考えてフォローするので皆さんも、家族全員でHさんを支えて欲しいという
最近、僕のところに健康相談に来る人は膵臓がんがとても多いです。今回の話はその中の一人の話です。今から5ヵ月前にHさん(52歳)という方が健康相談に来ました。Hさんは膵臓がん患者でした。初めて僕と会った時に持参された検査データからはもうかなり深刻な状態であることがわかりました。そしてすでに胸水と腹水が溜まっていてさらには胸膜播種と腹膜播種も起こしていました。末期、本当に末期の状態です。ここまでになる
余命半年と医師に宣告された子宮体部漿液性腺がん、ステージ4BのYさん。毎月2週間ほどトロンで療養を始め、医師に宣告された余命をはるかに超えました。元気な姿を見て家族は『がんは治った』と言うそうです。もちろん、がんは無くなってはいません。入院することも寝たきりになることもなく、がんと共存しながら『普通の生活』を送っています。初めて僕と会ったあの健康相談の日からもう2年が過ぎました。20