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9月16日。『気温も湿度も、ちょっとだけ秋らしい感じ』・・・かなって事で、スーパーカブ90を引っ張り出して往復30分少々のユーザーさんまで、納品にひとっ走りひなびた神社⛩️に寄り道一応、この神社の名誉の為に言うとくけど、地元では割と由緒正しい歴史のある神社なんやで120年ぐらい昔の地図を見たら、この神社に繋がる参道が四方にあるってか、参道以外の道が無い本殿に祀られる本坪鈴はTV番組『なるほど・ザ・ワールド』から寄贈された物やったりする(40年以上前の話)。ま、それはさて置き、こ
山科にある花山神社です。社伝によれば、延喜3年(903年)、醍醐天皇が外曾祖父である山科の豪族・宮道弥彦の邸に行幸する際、一人の老人が現れて宇迦之御魂と名乗り自身を祀れと言ったことから、宇迦之御魂神(稲荷神)を祀ってこの社を創建したとしています。花山稲荷神社とも呼ばれ、伏見稲荷大社は稲荷山(山科側から見ると西野山)を隔てた反対側にあり、伏見稲荷の奥宮ともされたそうです。また、公家の花山院家はこの社を邸内に勧請して鎮守社としました。元禄14年(1701年)、浅野内匠頭長矩が吉良上野介
おいなりさんの顔が・・・というか、表情が怖い。2025.4.5撮影
花山稲荷神社のお塚には、お稲荷さんだけでなくいろんな神さまがいらっしゃいます。こちらは白光龍王。お稲荷さんの境内やお塚で、龍神さまや蛇神さまが一緒にお祀りされているのをよく見かけます。真ん中に配された諏訪大神は、国譲りの神話に登場するタケミナカタ。戦いに敗れ、信濃まで逃げ、諏訪大社に鎮座されました。松尾大神の名前もあります。松尾大社の神さまで、701年、秦都理によって勧請されました。鴨氏から婿入りした人物といわれ、711年、伏見稲荷大社を創建した秦伊侶具と兄弟とさ
花山稲荷神社の拝殿の北側。鎮守の森の木漏れ日とたくさんのお稲荷さん。まるで異界に迷い込んだようです。弥生時代後期の円墳といわれる稲荷塚。周囲にめぐらされた赤い玉垣を取り囲むようにお稲荷さんのお塚が配されています。こちらは熊福明神。お狐さんが子ぎつねっぽくて可愛い。可愛らしい小さな赤い鳥居。こちらは、熊春大神です。個々人が、ご神徳に因んだ神名、何某稲荷大神と石に刻んで稲荷神社内にお祀りすることを「お塚信仰」と呼ぶのだそうです。ところで、こちらには「熊」に
花山稲荷神社の境内を散策します。参道の脇や本殿北側の森の中に、たくさんのお稲荷さんやさまざまな神さまがお祀りされています。こちらは、薬丸大神。足腰、腰痛、肩こりの悩みにご利益があります。神馬舎は、京都神馬元祖という崇敬団体から寄贈されたもの。昭和9年秋の第一室戸台風の時に全壊したそうです。神馬そのものは無傷だったそうです。そして、こちらは御嶽山御塚。大国主大神と少彦名大神をお祀りしています。医療の神様として崇められ、病気平癒や健康を祈る人が絶えません。四
花山稲荷神社の末社のひとつ達光宮。御祭神は市杵島比売大神、金山比古大神、金山比売大神、天目一筒大神。その後方には、弥生時代後期とされる円墳があります。市杵島比売大神は絶世の美女とされ、商売繁盛、芸能、金運、勝負豊漁、交通安全、五穀豊穣、海の神として信仰されています。金山比古大神と金山比売大神は金属、鍛冶精錬など、鉱工業の守護神。天目一筒大神は鉄の鍛錬に必須の「ふいご」を神格化した神様です。山科には「たたら」の遺跡が多くあることから、稲荷神を勧請する前から鍛治(製鉄)の
花山稲荷神社で願い事をしたい人は、まず熊丸神社に参拝し禊祓いをうけるのが本来のあり方なのだそうです。熊丸神社の御祭神は、速秋津比売大神と佐田比古大神。速秋津比売大神は港や河口の神で、穢れをはらう水戸神です。佐田比古大神は、本社御祭神の大土之御祖大神と同神。猿田彦神の別名とする説もあります。速秋津比売は、速秋津比古と男女一対の神で神産みの段で伊邪那岐命と伊邪那美命の間に産まれました。
【京都】【花山稲荷神社特別御朱印】日本に避難しているウクライナ出身の芸術家ニナ・ブチェバさんがデザインしたステキな【御朱印】【拝殿】【御祭神】宇迦之御魂大神神大市比売大神大土之御祖大神社伝によると延喜3年(903年)醍醐天皇の勅命により創建されたと伝わります。通称、花山稲荷とも呼ばれ拝殿の右側には「稲荷塚」と呼ばれる古墳があります。この塚は、平
【4月20日】京都市山科区にある花山稲荷神社さんへ。
前回からの続き(3月31日のこと)ですこの日の目的でもあった毘沙門堂の開門時間にはまだ早かったので、近くある行ったことない所へ行ってみることにしました花山稲荷神社住所・京都市山科区西野山欠ノ上町65別名・花山神社、大石稲荷旧社格・村社御祭神・宇迦之御魂大神・神大市比大神・大土御祖大神HP・花山稲荷神社三条小鍛治宗近旧跡花山稲荷神社子狐丸ゆかり三条小鍛冶宗近旧跡・大石内蔵助必勝祈願の社kwazan-inari.jp駐車場・あり駒札三条小鍛治宗近旧跡大石内蔵助必勝祈願の社
前日のダイジェストって、昨日アップしたやん!?と思われる方もおられるかもしれませんが、日曜も再び行ってきました🤣次の日も朝5時に起きて行ったので、嫁さんは起こさず1人で行きました帰ったら「置いていかれた」と言ってましたが行けたんか〜いと僕も驚きました🤣さてこの日向かったのは、去年見逃して気になっていて、なおかつブロ友さんに勧められていたので行くことにしてたこちら大石神社7時頃早朝にも関わらず、やはり何人もの人がおられて、入れ替わり立ち代わり来られる状態でした😲駐車場は嬉しいことに
先日、山科本願寺関連の散策を紹介しましたが、今日は山科の新十条通周辺の寺社、史跡の散策です。山科義士まつり終了後に、日暮れまでの時間に散策しました。まず花山稲荷神社。名前に「花山」と付いているのは、花山天皇が篤く崇敬されたからだそうです。大石内蔵助が隠棲した岩屋寺の近くで、大石内蔵助が討入りの大願成就を祈願した神社です。本殿の前に大石内蔵助が同志から討入りの血判を取ったと言われる血判石があります。この石の上で血判状に血で捺させたということらしいです。大石内蔵助
伏見稲荷の背後の山って稲荷山って言うでしょ。稲荷神が降りた山なのでそう呼ばれるのだと思うのですが、それならそれまでなんて呼ばれてたの?って疑問がありますよね。それって、花山じゃないかと思うんです。花山の地名の由来は、天智天皇時代には華頂と呼んでいたのを、平安京遷都の際に花山と称したと言われているので、伏見稲荷の創建よりは古いです。ただ、仏教が伝来してからですので、華頂はカチョウ、花山はカザンだそうです。僕からしたら音読みの地名よりも訓読みの地名のほうが古いって思ってますので、花山は『は
寺社No.6097御朱印No.6468花山稲荷神社京都府京都市山科区忠臣蔵ゆかり2023年3月4日大石良雄腰掛けの石
今日は天気も良かったからご近所さんぽいつもここの枝垂れ桜🌸が早めに咲くからもしかして?と思って行ったらほらやっぱり🤗空が青かったから綺麗だったよ💓
こんにちは´ー`)ノご来店ありがとうございます<(__)>緑野原カフェのオーナー、ヴェルニー綾瀬です当店は、カフェ巡りやグルメ記事および個人的なつぶやきを癒しをモットーに、気まぐれに更新していく架空のお店ですさて、カフェ巡り&連続神社巡りも大詰め(笑)コジーハウスでランチした後、帰り際にもうひと神社巡って帰ろうと思い、移動しました『大石神社』こんにちは´ー`)ノご来店ありがとうございます緑野原カフェのオーナ
上の写真のところは、多分、御神木?だいぶん前になりますが、タクシーで、修験者さんのお宅へ行った時に、タクシーの運ちゃんが、花山神社の前を素通りする時に、「こないだ若い女性が、ここの花山神社まで乗せたことがあり、なんか有名らしいけど、知ってる?」と言われても、「わかりません」と答えた覚えがあります。調べると、鍛冶屋の神様らしく、ちょうどその頃に、「刀剣乱舞」の漫画で、刀を持ったかっこいいお兄さん達の漫画が描いた絵があちらこちらの神社にありました💕いつも読んで頂きありがとうございます💕
古事談花山院の事花山院は、貞保式部卿の家なり。貞信公伝領す。時の人、東の宮と号す。主人西町[小一条、今の宗形]に住み給ふ故なり。九条殿、件の家を伝領の後、東宮の御在所となる[ここに於いて立坊あり]。これを以て、世俗の詞、徴あるを知る。と云々。件の所、一名東一条と云々。花山院は、元々式部卿宮貞保親王(清和天皇皇子)の家であった。貞信公忠平が伝領し、当時の人々は、この邸宅を東の宮と呼んでいた。主人忠平がその西の町[小一条、今の宗形]にお住まいだったためである。忠平の子師輔公が
京都の花山稲荷神社へ続く参道で。外からは朽ちているように見えても内からは生命力が溢れている神様を感じます。(^^♪
川田道(花山稲荷神社)☆保志喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!川田道ってどんな道?☆六地蔵発ご近所さんぽ神社めぐりの前にはたとえ有名処でもグーグルマップで場所を確認するのが常なのですが、まして元伊勢めぐり神社紀行では聞いたことすら無い土地に鎮座していたりするので、場所確認の重要度はより高くなります。・我が家のパソコンでグーグルマップを開くとまず地元が表示されます。右に傾いた
2021年3月9日(水)お昼の12時に4月文楽公演第3部の『小鍛冶』が『刀剣乱舞-ONLINE-』×文楽コラボレーション決定!と発表されるやいなや、ネット上は歓喜の声が湧き上がりました。忠臣蔵ゆかりの土地として京都・花山稲荷神社に行った時に花山稲荷神社は、『刀剣乱舞』の小狐丸の聖地でもあることを知りました。その時のことは、ブログに書いてあります。「刀剣乱舞」「小鍛冶」の聖地。花山稲荷神社『天野光の文楽散歩3』そしてツイッターを見ていたら京都の粟田神社さんが、
みなさんこんばんは~(*^^*)今日はずっと曇り時々雨そして京都に戻ってからずっと料理してましたがアップはありません…豚汁とサラダとその他いろいろ…花山稲荷神社です…参道から感じる暖かい雰囲気…神社でもなかなかない、ましてやお稲荷さん花山稲荷神社…もしかしてここが伏見稲荷の降臨の地とでも言いたいのか折上稲荷よりも高台にあり伏見も見渡せますそして参道には狛犬さん、ここにあった扁額はもうどこかに行ったんでしょうか?京都型…私が命名していますが実際は何型かな?
おはようございます。昨日はお休みだったけど山科に下見に行ってきた。一か所だけお留守で様子が聞けなかったが他は概ね感じが分かったかな。色々失敗もあったけど楽しく下見してこれた。朝はそれなりに起きてハイキングの資料から関係個所を抜き出して足りんかった部分はちっこく印刷して10時半頃出発した。残念ながら10時45分のバスには乗り損ねたし文庫本を持って出るのを忘れてしまった。10枚入りのクリアファイルを2冊買って11時20分の直Qバスに乗って持って出た資料を中に挟んでた。
2019年12月8日のブログの続きです。「棟札」宮司さえも見ることができない神聖なるもの『天野光の文楽散歩3』花山稲荷神社は、「忠臣蔵」ゆかりの土地であるだけでなく、アニメ「刀剣乱舞」歌舞伎や文楽「小鍛冶」の聖地でもあります。文楽に関していうと上演回数は少なく直近で言うと2019年3月明治神宮で『にっぽん文楽』定期公演では平成25年(2013年)2月の東京・国立劇場小劇場になります。たまたま昭和56年4月道頓堀朝日座のプログラムを持っていましたので「小
2019年11月29日のブログの続きです。「血判石」「内蔵助寄進の鳥居」『天野光の文楽散歩3』大石内蔵助に関する遺物4つ目は「棟札」です。京都山科にある花山稲荷神社の宮司さんが話してくれました。「平成15年花山稲荷神社御鎮座1100年記念事業の際に元禄14年の文字と寄進した施主の名前・身分が書かれた棟札が見つかりました。そこには元禄14年2月11日の日付と施主浅野長矩家臣進藤源四郎俊弐、続いて工事関係者の名前が読み取れたのです。進藤源四郎とは大石内蔵
昨日のブログの続きです。「内蔵助の断食石」花山稲荷神社『天野光の文楽散歩3』大石内蔵助に関する遺物2つ目は「血判石」です。花山稲荷神社前で仇討ちの同志の心底を試すためこの石の上で血判をさせたと言われる石です。私が前回ひとりで行った時に見つけられなかった遺物です。今回は宮司さんに秘密の扉を開けていただいて見ることが出来ました。3つ目は「内蔵助寄進の鳥居」です。本殿の真後ろに立て掛けてありました。宮司さん「鳥居で一番劣化しやすいのが足元です。鳥居の足元に