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昨日(4月25日)は、ドクターイエロー下りの運行がありました。撮影は山科の東山トンネルの東で行うと決めて山科駅から歩きました。途中、「光る君へ」にも登場した元慶寺(花山天皇が出家された寺)に寄ることにしました。山科の名所と史跡。新幹線は右側の音羽トンネルを抜け、左の東山トンネルに入ります。山科盆地を横断することになります。元慶寺はJRの東山トンネルの東側。ドクターイエローの撮影場所は繰り返しになりますが新幹線の東山トンネルの東側です。山科駅前のハナミズキの白花がとても
大鏡は歴史物語で歴史書ではないので事実ではないことも書かれている。しかし!物語なので、面白いところがあるようです。道長の栄華までの王朝の歴史176年間を綴っています。私が思ったのは道長が主役なのかな?ならば道長優位に書いてるのかなと思いました。寛和❨かんな❩の変986(寛和2)年花山天皇が出家して花山法皇になった。ユーチューブのかしまし歴史によると、天皇は神様ってことになってるから宗教違いの仏教で天皇が出家は非常にまずいとのこと。せめて譲位して天皇からただの人になってから出家すべしと
さて、今回は有名な牛馬童子のいる場所からスタートです。その前に、今回もおいしいお弁当を!お弁当を食べ終えたら歩き始めます。ここから上に上がっていきます。と言ってもそれほど上ではないんですけどね。11月21日だったので、紅葉のとてもきれいな時でした。林道を上がっていきます。今回も、熊野道ガイドさんと一緒です。今回は、女性のガイドさんでした。箸折峠の名前の由来など、色々な説明を聞きながらゆっくり歩きます。これは弘法大師か
<あらすじ:NHKサイトでの概略紹介>兼家(段田安則)の計画により花山天皇(本郷奏多)が退位し、為時(岸谷五朗)は再び官職を失うこととなった。まひろ(吉高由里子)は左大臣家の娘・倫子(黒木華)に父が復職できるよう口添えを頼むが、摂政となった兼家の決定を覆すことはできないと断られる。諦めきれないまひろは兼家に直訴するが…。一方、東三条殿では道隆(井浦新)の嫡男・伊周(三浦翔平)らも招いて宴が催され、栄華を極めようとしていた。<光る君へ紀行紹介地>陰陽師・安倍晴明の関連地が紹介されました
今回もじっくり楽しめました♪やはり、この大河は何かがちゃう(笑)!!いつもの大河にとは違って...【武】が前面に出ない事に対する新鮮さ...それがあるんですよね。作り物のラブストーリー...分かっちゃいるんだけれども、引っ張られてしまう...。なんと不思議なドラマでしょうか!今回も...ブチュ〜〜〜ッと、行っちゃってくれましたね。嗚呼羨ましい...。長兄・道隆の次男...伊周が登場!イケメン俳優、三浦翔平氏が演じます。こりゃ〜道長にとって中々の好敵手だ。見る
240317NHK大河ドラマ「光る君へ」一条天皇の即位式に花山法皇が唱えたご真言は、「オンシチリキキャロラハウンケンソワカ」と、聞こえました。ネット検索すると、次がヒットしました。真幸架堂さんのブログ『大威徳明王』大威徳明王(だいいとくみょうおう)渾身の一撃を繰り出すのは今です【功徳】息災・調伏・除病・悪夢【ご真言】オンシュチリキャラロハウンケンソワカ…ameblo.jp大威徳明王のご真言でした。【功徳】息災・調伏・除病・悪夢【ご真言】オンシュチリキ
牛馬先日の熊野詣での神様遠足その二作目として「牛馬童子」編が完成しました。ようこそおいでくださいましはるか遠くから来ていただいたことにも感謝です。💦旧作〈上野寛永寺の辨財天堂編)の改修作業もあり、進行が遅れてしまいましたが、一気に完成にこぎつきました。熊野古道は歩いた距離はそう長くないのですが、慣れない山道ということで余裕がなくなり、撮影枚数もかなり少なめというなかでいろいろ違
BODYPITKYOTO院長藤崎進一です!昨日の大河ドラマ「光る君へ」を観てて、いたたまれなくなり花山天皇紙屋川上陵へ参拝に上がりました🙏花山天皇の御即位〜御譲位までが光る君へで放送されてましたが、お氣の毒でいたたまれなく😭西国観音巡礼もしていますので、花山天皇は大好きな天皇でした🇯🇵ただ、あの俳優さんがイメージに合わないのもありますが、光る君へではちょっと天皇をナメすぎですよね┐(´д`)┌ヤレヤレお天氣もよく最高の参拝日和☀花山天皇紙屋川上陵花山天皇紙屋川上陵·〒603
NHK大河ドラマ「光る君へ」第10回「月夜の陰謀」今回は、我々御朱印マニアにとっては非常に重要な回でした。御朱印マニアの恩人、第65代花山天皇が、986年、藤原道長の父藤原兼家の陰謀により元慶寺で退位出家させられる(寛和の変)という内容です。これによりこの後、花山上皇は、書写山圓教寺に入り、延暦寺で受戒し法皇となり、中山寺で西国三十三所の宝印を発見して西国霊場を再興することとなります。そしてその後花山院菩提寺に住みます。こうなると、藤原兼家も西国霊場、御朱印マニアの恩人と言えるかもしれま
アクセスありがとうございますいいね!ボタンはありませんのでご興味ない方トバシテ下さい!テーマがバラバラですみませんm。。m廃屋でまひろに物の怪が取り憑かなくて良かったですね源明子がとうとう登場ドラマでの読み方「あきらけいこ」じゃなく「あきこ」にするのですね道長の周りに「あきこ」が3人になるのかな?(詮子・明子・彰子)明子様、首を長くして待っておりましたなんとお美しいいっそう視聴が楽しみです今回は花山帝を「引き降ろしたてまつる」クーデター・寛和(かんな)の
我が公...嫁さんと子供を共に亡くして、自我崩壊...。おいたわしや...。その胸中...察するに余り有りまする...。彼等はこの時17才。現代で言えば、高校二年生同士のカップルだった訳です。そりゃもう...燃え上がった末に、この結末では...落ち込むなと言う方が無理。.........ここから藤原氏の天下取りが始まって行く訳ですが、それに巻き込まれる人間模様に関しても種が撒かれておりました。学者さんってのは、いつの時代でも脇が甘い。
本日もお読みいただきありがとうございます。昨日はお茶のお稽古の日でした。「小袋棚」(イメージ)画像はzuiunさんよりお借りしましたお軸は「梅花開五福」お花は紅梅白梅と水仙花入れは丹波焼主菓子はうぐいす餅でした。すみません夜なので。またまた年甲斐もないカッコで出掛けました。この名古屋帯が好きすぎて何十年も使ってます。梅鉢紋の帯、今の時期にぴったりです。パステルカラーの無地の着物にも合いますね。帯締め帯揚げはきねやさんです。草履は「伊と忠」さんです。昼間は4月並み1
花山法皇が隠棲した菩提寺の麓の地名は「尼寺」(にんじ)。法皇が菩提寺に隠棲すると・・・法皇付きの女官11名は、法皇が寵愛していた藤原忯子の位牌を持って訪ねてきたのだといいます。しかし、菩提寺は女人禁制のため、尼となって麓に住み着いたのだとか。「尼寺」には、忯子と女官11名の墓があります。花山院菩提寺花山法皇は、992年(正暦3年)頃、菩提寺を隠棲の地とし、晩年の十数年間を過ごしたのだといいます。
藤原兼家・道兼父子の謀略により元慶寺で出家した花山天皇は、播磨国の円教寺に入った後、比叡山に登り、戒壇院で受戒して法皇となります。花山法皇は、大和国長谷寺を開いた徳道が閻魔大王から授かった観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたとういう石棺を摂津国の中山寺で探し出し、三十三の観音霊場を巡礼。そのため、西国三十三所中興の祖といわれています。西国三十三所の御詠歌は、花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだとか。坂東三十三所は、源頼朝の発願によって開設されたといわれ、一説には頼朝の意思を受け
24.01/28.12:53-13:4214:25-15:15京阪三室戸駅から東にJR線路、府道7号線を渡って車道が右にカーブの二股分岐まっすぐ東に、駐車場から左折して三室戸寺山門石段を上って、本堂本尊千手観世音菩薩に納経右となりに、四十八願寺堂親鸞聖人の父「日野有範卿」墓、御廟右となりに奥、浮舟之古蹟碑石碑前に、鐘楼東奥に、三重塔戻って、狛蛇ともいえる「宇賀神」財運・金運の蛇神に見送られ石段を下って、山門を出る入山料払所の前に、新羅大明神明星山三室戸
先ずはお詫びです。記事作成の操作ミスにより、昨日投稿した【宇治の旅...三室戸寺・萬福寺へ〜幕末世界から平安世界へのワープ♪】の記事を間違って削除してしまいました。せっかく【いいね】を押して頂いた皆様...コメントを頂戴したブログ友の方には、この場を借りてお詫びいたします。消えちゃいました(笑)。たまたま別タブで表示中でしたので、丸ごとコピーして新規作成。再度、同じ内容のまま新規投稿致しましたので、ご容赦下され...。まあ...サルベージ出来て良かった...。歳ですな...私も
大河ドラマ「光る君へ」、初回から3話目まで見ました。「麻呂は...」的なみやびな世界観なのかと思いきや笑、いきなり紫式部の母親が藤原道兼(演:玉置玲央さん)に刺殺されるというバイオレンスな初回でした。◆◇#光る君へ2分ダイジェスト◇◆第一回「約束の月」を2分にギュッとまとめた動画を公開!▼#NHKプラスでは本編をフルでご視聴いただけますhttps://t.co/7QfKpUROad※配信期限:1/14(日)夜8:59まで※要ログインpic.twitter.com/At
六角堂(頂法寺)は、四天王寺を建立するための用材を求め、この地を訪れた聖徳太子が、唐崎明神のお告げで得た杉の霊木で六角の堂を建立し、如意輪観音を祀ったのが始まりなのだとか。藤原道長権勢下で政界ナンバー2といわれた藤原実資は60回を超える参詣をしていたのだと伝えられています。西国三十三所第十八番「わが思う心のうちは六の角ただ円かれと祈るなりけり」御詠歌は、西国三十三所中興の祖といわれる花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌。六角堂
中山寺の石棺中山寺(宝塚市)には、仲哀天皇の先后大仲姫が埋葬されたと伝えられる石棺「石の櫃(からと)」があります。伝説によると・・・718年(養老2年)、大和国長谷寺を開いた徳道が閻魔大王から授かった観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたとういう石棺なのだとか。それから270年後、宝印を探し出した花山法皇は三十三所を巡礼。そのため、花山法皇は西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれるようになったのだといいます。元慶寺986年(寛和2年)6月23日、花山天皇(花山法皇)は藤原兼家・道兼父子の
まったりした週末でございました。最近は、巡礼のペースは落としております。ゆっくり回らねば...ほんと、あっちゅう間に満願だらけになってしまいます。これではイカンなと...ちょっと俗世間の事を学べと...観音様も言っておられる(笑)。『リタイヤを前に【特任】になる』...ってのを、目標に掲げておりましたが...これではかなり前倒しになってしまう...。『Marlboroよ...他にも学ぶ事があろう...。』巡礼だけでは無く、仕事、実学を含めた他の【非行】の行も深めよと
24.01/04thu.12:07-15:30南海和歌山市駅からマリーナシティ行き紀三井寺バス停東にJR線を渡って、紀三井寺仁王門門前に、閻魔大王仁王門から石段を上る右に紀三井寺、三井水の「清浄水」石段を上りきって左に、本堂本尊十一面観世音菩薩に納経本堂を下り出て左に石段上り、開山堂多宝塔石段を下り、如意輪観世音菩薩大師堂南に、六角堂(西国三十三所観音堂)南側、本堂に向き合って「仏殿」大千手十一面観世音菩薩を祀る北に、本堂の左に下り坂松尾芭蕉像を過ぎ
三田市の山間部にある小野集落には、千年前から続く古い小野大日堂があり、由来は飛鳥時代まで遡る歴史ロマンの伝承があります。兵庫県三田市小野231にある大日堂の大イチョウが見頃に中大兄皇子がこの地を訪れ、ここの領主の娘に心を寄せ、妃とし、やがて皇子が生まれ「美宇和王」と名付けられました。ところが苅姫は産後すぐに、美宇和王も翌年亡くなったという話です。それから400年後、東光山の花山院菩提寺に隠棲していた花山法皇がこの伝承を聞き、妃と皇子の菩提を弔うために大日堂を建立したとか。
23.10/29sun.09:33-11:2611:35-12:3812:58-14:55岩間寺、石山寺を巡拝石山寺仁王門を出て瀬田川に並行する参道を北へ京阪石山寺駅から三井寺駅琵琶湖疏水沿いに南西に突き当たり左折して南に、長等神社楼門近江大津宮に遷都した際(667年)天智天皇がスサノオを祀り、創建北隣に、三井寺観音堂上り口急石段を中坂世継地蔵堂で左に石段を上って、観音堂左に、手水社子守地蔵菩薩観音堂外陣にて札所本尊如意輪観世音菩薩開経偈
23.10/29sun.09:33-11:2611:35-12:3812:58-14:55石山駅09:17発52番バスに乗車中千町バス停から西千町3丁目で南に振れ京滋バイパスを西に渡って岩間山、総じて南南西に舗装路を上る金剛力士阿形像、吽形像から緩やかに下り本堂本尊千手観世音菩薩に納経右となりに「ふる池や…」芭蕉句碑後方に、三十三観音堂から右につながる、不動堂本堂手前の大杉の前、稲妻龍王社開山の泰澄と宗祖の空海を祀る、大師堂金剛力士を後に鐘楼前、ぼけ封
23.10/22sun.09:17-11:2013:50-15:55ドーム前千代崎駅から槇尾山施福寺へ車両に乗り込むとパンフレット見る人に…五私鉄リレーウォーク南海担当に気付き天下茶屋駅から南海千代田駅千代田駅から南西、寺ヶ池公園受付公園南端を出て西に進み、右折左折荘園町住宅地から府道217号線を北西堺カントリークラブ沿いを過ぎて穴地像、子宝をさずかると信仰される…北へ「天野街道」陶器山丘陵を行く陶器山トンネルの上を過ぎて、休憩所左に階段を下って、車道を西晴美公
23.10/20fly.13:22-14:2915:05-16:00京阪三室戸駅から東にJR線路、府道7号線を渡って車道が右にカーブの二股分岐まっすぐ東に、駐車場から左折して三室戸寺山門石段を上って、本堂本尊千手観世音菩薩に納経右となりに、四十八願寺堂親鸞聖人の父「日野有範卿」墓、御廟右となりに奥に、浮舟之古蹟碑石碑前に、鐘楼東奥に、三重塔石段を下って、山門を出る入山料払所の前に、新羅大明神明星山三室戸寺創建770年-781年(宝亀年間)開山行表
さてさて………………【朱雀天皇陵】を出発した我々は、次の目的地を目指した………………おっ駐車場の案内が見えてきたが、噂に違わぬ道の狭さ2台分ある駐車場は、幸い空いていた駐車場に車を停めて、少〜〜し歩いて到着したのは……………【元慶寺(がんけいじ)】京都府京都市山科区北花山河原町13西国三十三所番外札所である【山門】は琉球造。貞観10年(868年)に貞明親王(陽成天皇)を産んだ藤原高子の発願により、【定額寺】として建立された。開山は六歌仙の一人である増正遍昭。元慶元年(87
23.10/05thu.09:40-10:4412:05-14:00姫路駅北口09:00発バスに阪神ドーム前駅から07:00頃発で…神姫バスワイドフリー切符1,300円一乗寺に40分拝観受付から一気上り上って、常行堂(阿弥陀堂)石段を上って、三重塔(国宝)右に、法輪堂さらに上って、本堂へ本堂、外陣に座して納経1174年(承安4年)完成、本尊は五智如来平安様式の古塔で和様建築の完成…金堂の北側に弁天堂、妙見堂左、東向きに行者堂妙見堂の右高みに、護
やっと、朝の気温も25度を下回るようになって来てほっとできるように成って来ましたね涼しくなると早速紅葉が思い浮かびますげんきんな事です紅葉はまだですが、思い浮かんだお寺を紹介いたしますガヤインと読みます本尊は毘沙門天様645年法道仙人開基の古寺花山法皇が大乗経を奉納されたと言う由緒ある寺後西上皇から伽耶院の勅号を賜っています今でも10月には近畿地区最大の大護摩が行われます印象に残っているのはこれです入山料は草10本の案内看板駐車場の裏から紅葉がきれいで