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花山法皇が41歳で崩御されるまで晩年をこちらで過ごされたそうです女人禁制だったため、女官たちが尼となって麓から琴で慰めたという琴弾坂の先に山門がありますこの先には花山法皇の御廟もある、静かな境内「幸せの7地蔵」なぜ「6」ではなく「7」なのでしょうお地蔵さまと握手しながらお願い事をきいていただけるそうです握手しすぎて一皮むけちゃってますけれど黄金に光るお指が神々しいです
2011-12-21美祢市伊佐町の南西にあたる連山の一つ、桜山に南原寺があるがかつては「難波羅寺」といったという。寺伝によると、聖徳太子は仏教を広めるため、諸国の聖地を選んで四十六ヶ所に寺塔を建て、1300人の僧尼を派遣したとされ、ここ桜山の難波羅寺もその一つであった。花山法皇が難波羅寺中興の人といわれ、この地で無くなったと伝えられている。すなわち、花山法皇が西国遍歴の旅に出て、当寺に立ち寄ったのは御齢24歳の春であったという。当時の難波羅寺は堂塔荒廃し、昔日の面影はなかった
せっかく行ったのに、有馬富士のとんど祭りは強風のため中止でも頂いたぜんざいは旨かっちゃん福島大池はまだ水を抜かれたまま騙されて出家させられた花山天皇がこの地で詠んだ歌『有馬富士麓の霧は海に似て波かと聞けば小野の松風』ヤマガラコゲラジョウビタキ♀
またまた間が空いてしまいました11月10日〜2泊3日の山城国巡礼の続きです2日目は善峯寺→三鈷寺と巡り、途中に有った十輪寺を目指して三鈷寺から善峯寺経由で下山しますきずな観音行きは扉が閉まっていて気が付きませんでした途中に農家さんの直売所があり、柚子くらいなら持ち帰れると思い購入しました本柚子で、良い香りがします🍊暫し、農家のお母さんと立ち話バスの廃線で困ってる方々もいらっしゃると言ってました善峯寺から30分くらい下山した所に十輪寺が有ります十輪寺の寺号標山門横の木戸から
令和7年12月7日(日)播州清水寺から花山院菩提寺へ向かう。09:50播州清水寺駐車場を出発する。↓(登山道路を下山する。)県道311号線↓県道141号線↓県道570号線(新三田駅前を通過)↓県道37号線↓県道49号線↓10:30花山院菩提寺山上駐車場に到着する。〈花山院菩提寺〉山上の駐車場。参道護持費500円。山門。手水所。地蔵菩薩様?がお出迎え。境内。みくじ掛け。花山法皇殿。薬師堂。七地蔵尊。幸福の七地蔵尊の説明文。十三石仏。花山法皇
11月30日今年最後の紅葉狩り三田にある小野公園に着いたのが7時50分頃めちゃ寒い池に映るリフレ撮るにも曇ってるので先に徒歩5分の小野大日堂のイチョウを見に行った。ワンちゃんが記念撮影されてます小野の大日堂は平安時代、三田に隠居した花山法皇が建立したとされる。大日堂とイチョウいい感じですよね大きさわかります?寒くて霜がおりてましたよ
長谷寺の門前町の中にあります、法起院。ご本尊が西国開基者といわれる徳道上人。坂東を自分で廻りきるのは大変やでえ。わしら、バスで全部廻ってもろたからでけたけどなあ。確かに。でもうまくすれば年内に打ち終われるかというところまで来ました。こちらは山科。昨年の大河ドラマ、の中で花山天皇が道長の兄に騙され、出家して
令和7年10月1日(水)今回は、京都市山科区にある元慶寺と毘沙門堂に行くことにした。先ずは元慶寺から。元慶寺は交通の便があまり良くない場所にある。京阪電車清水五条駅で下車↓五条京阪前から京阪バスに乗車↓(五条バイパス峠越え)上花山花ノ岡町バス停で下車↓(徒歩20分程度)元慶寺〈渋谷街道沿い〉元慶寺参道入口。幅員狭し。特に左折の場合、電柱や標柱があるので、バン等ロングボディの車は少し膨らんで左折するのが望ましい。対向車に注意。道幅の狭い参道を少し入ったら駐車場は右側とい
松岳山の山頂近くにあるお寺です。お寺までの車道は狭く、この時は路肩が崩壊して通行止めだったので麓から歩きました。花山法皇開創。平安時代に創建され、多くの坊を擁した大寺院だったが、源平合戦で兵火にかかり衰退。その後は、厚東、大内、毛利氏の保護の下、隆興したお寺です。詳しくは↓立派な本堂が建っています。お寺に着くとワンコが出迎えてくれますよ。聖観音菩薩立像交通犠牲者の慰霊、交通安全祈願で建立されています。山道に入ると熊野権現があり、荒れた道を辿ると松岳山に登
今年も、8月9日宝塚中山寺へ仁王さま今年も、お参りに来させていただきました🙇♀️手水をして…線香3本、ローソク🕯️お米を御供して…西国三十三所の観音様が、年に一度中山寺に参集すると伝えられる『星下り』旧暦七月九日の深夜、花山法皇が中山寺へ参拝された時光明と共に西国三十三所全ての観音様が中山寺本堂に来迎されて、その様子が、星が降るようであったことから💫星下りと呼ばれていて、この日に参拝すると西国三十三所全てを参拝したのと同じで
御朱印蓮華王朱印は大きな千手観音で、中央に梵字御朱印大悲殿御朱印御詠歌参るより頼みをかくる葛井寺花のうてなに紫の雲藤葛の区別はよくわからないですが、合わせれば葛藤ですね。葛井寺の観音像参拝時のブログです。『西国三十三観音五番札所紫雲山葛井寺』久し振りに7月の話題に戻ります。7月31日で優待期限が切れる近鉄の株主優待券を利用して近鉄沿線にある西国5番札所の葛井寺にお詣りしました。葛井寺は近鉄南大…ameblo.jpご訪問ありが
御朱印番外札所法起院開山堂法起院の本堂は開山堂とも呼ばれ三十三観音観音霊場を開かれた徳道上人像が祀られてます。徳道上人は奈良時代に聖武天皇の勅により長谷寺を建立された。三十三観音と言うと花山法皇をお思い起こしますが、創始者は徳道上人で、花山法皇は中興の祖です。御朱印御詠歌法起院開山堂極楽はよそにはあらじわがこころおなじ蓮(はちす)のへだてやはある法起院でいただいたパンフレットに御詠歌のこと詳しくかかれていいたので添付します。パンフレットの
中山寺の続きです😁写メのベタ貼りになります🙏水掛け地蔵様閻魔堂流石、立派なお堂ですね〜🥰建立された年代など詳しくは分かりませんでした~🥺閻魔堂の案内板閻魔堂の扁額堂内には閻魔大王を始め、司命司録十王だつばあ、業の秤などが安置されています閻魔大王鏡がど真ん中に有るので、閻魔大王のお姿が良く分かりません😭閻魔大王は銅を飲み干すので真っ赤なのが普通ですが、中山寺の閻魔様は真っ黒だわぁ~😅それとも彩色が落ちたのかしらん🤔司録と司命見難いけど奥にだつばあかいます業の秤と人
西国巡礼の続きです京都亀岡市の穴太寺から大阪府を吹っ飛ばして兵庫県宝塚市に移動します当初はJR移動を考えてましたが、かなりの気温上昇になったので、大阪梅田駅から阪急経由で中山寺へ〜穴太寺から2時間の移動になります🚃中山寺の寺号標寺号標の隣に境内案内図かなり広いぞぉ~😱山門正保3年(1646年)徳川家光より再建平成21年(2009年)改修工事が行われました仁王様もう暑くて堪らない🥵私にしては珍しく中山寺内にあるお休み処に駆け込むお腹も空いちゃったから、梅とろろ昆布うどんを
2025年6月の西国巡礼の続きです2日目白毫寺→三室戸寺の次は番外札所の元慶寺へ〜最寄駅の御陵駅から徒歩20分🏃🏃🏃天智天皇山科陵の石標すぐ近くに天智天皇陵墓があるようです近道は工事中だった為に、ぐるっと遠回りして来たので20分じゃ着かなかった…なんか分かり難い場所に有りますやっと元慶寺の案内が出てきた元慶寺の鐘楼門龍宮門ですね…平安時代作の帝釈天と梵天さんは京都国立博物館に寄託してるそうです鐘楼門前の元慶寺の縁起案内板鐘楼門から境内を眺めて鐘楼門の天井には千社札がい
2025.06.22、雨の一日です。時間があったので、本日のメインのお山へ下関市吉田の「蓮台寺山」です!ここは、長門三山のひとつ西厚保の松嶽山正法寺を開山された花山法皇が開山されたそうです。自ら十一面観音を刻んで祀られたと伝えられてるようです。※花山天皇(法皇)について花山天皇は、日本の第65代天皇。諱は師貞。第63代冷泉天皇の第一皇子。母は、摂政太政大臣藤原伊尹の娘・懐子。花山源氏の祖。花山院や花山法皇とも呼ばれる。17歳で天皇となりますが、在位は2年ほど。花山天皇
令和7年2月14日参拝久しぶりの京都ゆき新幹線!前日に京都で雪が降って真っ白な景色が見れると思ってたのに滞在中どこにも雪なんかなかったです。京都駅から山陽本線で山科駅、山科北部線(中道町ゆき)京阪バスに乗り換え「中道町」バス停下車、徒歩3分です。朝イチは接続ばっちりだった👌(山科駅から歩いたら30分ぐらいかも?)しばらく中断していた西国三十三所。前回醍醐寺のあとは暑さバテバテでたどり着けなかった番外札所の元慶寺から再開です。なんで番外かっていうのは西国開創縁起みたいのを[
ちょっと間が空きましたが、3月23日からの大和路巡礼の続きです前回の記事はこちら↓三輪の恵比須神社の次は西国三十三所の長谷寺と法起院に向かいます近鉄の長谷寺に到着駅前に寺号標があり、確か駅から20分くらい歩く筈だから、もうここから長谷寺の参道って感じなのかしらん…長谷寺の案内板がちょこちょこ出てるからわざわざマップ🗾を開かなくても距離は有りますが、迷うことなく辿り着けそうです😅あっ法起院の看板が見えて来た!長谷寺の前に西国三十三所番外札所の法起院に立ち寄ります法起院の寺号標と西
昨年の大河ドラマ「光る君へ」で、花山天皇が出家した寺として出てきたので、先月の上洛で初めて行きました。地下鉄東西線御陵(みささぎ)駅から歩いて十数分、山科の静かな地に寺がありました。元慶寺(がんけいじ)、古くは「がんぎょうじ」は、京都市山科区北花山河原町にある天台宗の寺院。山号は華頂山。本尊は薬師瑠璃光如来。西国三十三所番外札所。花山天皇出家の旧跡です。貞観10年(868年)に貞明親王(陽成天皇)を産んだ藤原高子の発願により、定額寺として建立されました。開山は六歌仙の一人である僧正遍昭。近く
昨年9月末、某旅行社が、日航機往復で高野山金剛峯寺奥の院と熊野三山を巡る格安ツアーに参加してから、にわかに熊野古道を歩きたくなり、先週実現しました。熊野古道といっても、一本の道を指すわけでもなく、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に通じる参詣道の総称です。古道の中には、吉野山金峯山寺と熊野本宮大社を結ぶ、一般の人々には近づきがたい、大峯奥駈道という修験道行者の苛酷なコースも含まれています。今回、僕が歩いたのは、一番一般向けで、平安時代から法皇一行が熊野御幸でたどったコースであ
996年、23歳の若き藤原伊周は惚れた女性を横取りされたと勘違いして花山法皇に向かって矢を射掛ける事件を起こします。この事件をきっかけに、伊周は大宰府に流されます。伊周は夜中こっそりと一年前に亡くなった父道隆の墓参りをし、自分の身に起こったことに自分には過失が亡かったと訴えます。伊周は宇治の木幡に向かいます。ここには藤原家の墓がありました。現代のように先祖の全て入るのではなく、個人のものでした。また、当時の墓参りは父母のものだけで、祖父母の墓には参りませんでした。平安時代は后が葬られた
令和6年12月22日(日)播州清水寺から花山院菩提寺に向かう。11:00播州清水寺山上駐車場を出発↓県道311号線⇒県道141号線⇒県道570号線⇒県道37号線⇒県道49号線↓11:50花山院菩提寺山上駐車場に到着麓から山上駐車場まではかなりの急勾配となっている。降雪などでアイスバーン状態の時は上がるのも下るのも無理だろう。特に下りはシフトダウンしても急勾配過ぎて、エンジンブレーキはかからないに等しいので要注意の場所だ。50ccの原付バイクでは上がらない坂だろう。通行料は納
2024秋の特別公開巡り。山科にある2つのお寺へ。どちらも11月あたまの10日間、今年初公開されました。地下鉄で山科駅へ。徒歩で10分くらいのところにある阿弥陀寺へ。平安時代から続く由緒正しいお寺。山科では最も古い歴史をもつそうです。阿弥陀寺という名前のお寺。京都にいっぱいあるから気を付けないとなんですよね。地図で見つけたーと思っても、行きたい阿弥陀寺でないことも。住所で確認がいいですね。山門。もともと伏見城の遺構から調達した材で建立。
令和6年12月5日(木)本日は、母の医療センターの受診とかかり付け医への通院日。お休みをとり付き添いする。叔父からWiFiルーターの不具合があるとの申し出があり、午後から修復作業のため叔父宅に訪問することとなった。その途中、元慶寺に立ち寄る。元慶寺は花山法皇ゆかりの寺院の一つである。花山天皇出家の御旧跡となる。周囲は一部田畑が残るところはあるが、住宅地に囲まれたこじんまりとした寺院であるが格式高い寺院である。〈元慶寺〉鐘楼門。渋谷街道から入る参道。紅葉が美しい。映えている
今日は電子辞書のトレーニングでリスニングしました。旅先なので少しだけ。旅行から帰宅したら今日の分までシャドーイングしたいです。<健康体>西国三十三所の番外、花山院菩提寺へ行きました。ウォーキングアプリコークオンで4529歩、歩行。体調は大丈夫そう。少しだけ喉に違和感があったけれど、咳なし、熱なし、しんどさなしでした。
24.05.05、今年のGWの最後は、山陽小野田市の松岳山です!お寺の山号で、長門三山の一座に数えられています。※長門三山(華山、松岳山、桜山)この時点で、桜山は登頂してます。中腹にある松嶽山正法寺は1000年の歴史のある古刹です!厚狭の県道より奥に入って、ここまで来ました!お寺への表示があるので、右の道を進みます!進むと、ここまで来ました!小さな祠ここから林道です。コンパクトカーなら車でも行けます!道の向こうに、松岳山が見えます!
山科にある元慶寺です。華頂山元慶寺という天台宗の寺。貞観10年(868年)、清和天皇の女御・藤原高子が遍昭を開山として創建。元慶元年(869年)、清和天皇が勅願寺として元号寺となり、元慶寺と号したといいます。華頂山東側に当たるこの付近は、平安時代頃から華頂を簡略化した花山という地名があり、「大鏡」でもこの寺を花山寺と呼んでいます。元慶寺となる前の寺号が花山寺であったともいいます。寛和2年(986年)、寵妃藤原忯子の死を嘆いた19歳の花山天皇は、藤原道兼に連れ出されこの寺で突発的に出
花山院の麓には十二妃の墓がひっそりと立っています。花山院菩提寺に隠棲した花山法皇を慕い京の都からきた女官たちと弘徽殿女御(こきでんのにょうご)がこの里に移り住んだと伝えられています。十二妃の墓兵庫県三田市尼寺126‐7拝観料無料:駐車場はありません第65代花山天皇は、わずか19才で皇位を去られ、仏門に入られますと、花山法皇となられて、三十三か所の霊場を廻られた後、三田にある紫雲山(しうんざん)にこもられたので、この寺を花山院と呼ぶようになりました。法皇が、この山
おととい大峰の大天井ヶ岳に登ってきました♪遠くにコンカツ(金剛山と葛城山)が見えました(◠‿・)—☆オオセンチコガネ発見!ピカピカで綺麗だけど糞虫です(≧▽≦)男前(≧▽≦)標高の割には暑いうえに、山頂付近の急登がなかなかなの厳しさで心が折れそうになりました(^_^;)なんとか山頂に到着(ノ◕ヮ◕)ノ*.✧1439㍍すぐに逃げられちゃったので写真がありませんがバンビにも会いました♪ちょっとキツかったけど楽しい山行になりま
第65代、花山天皇。17歳で即位するものの、藤原道長の父である兼家と兄、道兼の共謀により、19歳で出家、退位することとなる。心穏やかではいられなかったであろう若き法皇は、新帝の御即位の日に都を出て姫路にある書写山圓教寺に向かう。書写山圓教寺(えんぎょうじ)は、性空上人(しょうくうしょうにん)が開いた天台宗の寺院。「西の比叡山」と呼ばれ、(都からみてのことかと思われる)播磨の閑静な山の中に立つ。当時の京都文化圏の最果てとされ