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御菓子を買いたくてここにきました。どれも買いたく成りますね。この芭蕉を買いにきました。売り切れでこちらもなかを買いました。中の粒あんが特徴有る味です。予約が無いと芭蕉は買えない見たいです。近い内にまた行きたいと思いますよ。京都釣鐘屋本舗〒604-8412京都市中京区西ノ京永本町2-10電話番号:075-811-0323営業時間:10:00~18:00営業日:木曜日・金曜日・土曜日定休日:日曜日~水曜日
古くから大垣は、美味しくて豊かな地下水に恵まれていました。此の清らかな名水によって生まれたのが、「水まんじゅう」です。今では、「水まんじゅう」は、大垣の夏の風物詩(販売期間:5月~8月頃)となっており、大垣の至る所のお店で販売されています。通学帰りの学生や生徒も、店頭で、美味しそうに食べているのも、微笑ましい大垣ならではの風景です。写真は、大垣駅前の「金蝶園総本家本店」の「水まんじゅう」ですが、他にも、色とりどりの「芭蕉のしずく」やフルーツ入りの「フルーツ水まんじゅう」な
[やっぱり、来たか・・・・。」それまで小康状態だった天気がいよいよの雪模様。そろそろ本気で降りますよ。という勢い。あっという間に線路にはうっすらと雪が積もり始める。そんな中、テールランプを点灯させ出番を待つキハ110。雪国の列車は何故にこんなに頼もしく映るのだろう。それは違うと言われるかもしれないが、どこやらの特撮の一場面のようにそれは颯爽と格好良く見えた。やがて雪に閉ざされるその時。キハ110は動き始める。この日は全国ニュースのトップで報じられるような荒天の予報。大陸
◇遊行柳は残雪の田の中何気なく昔の写真データを見ていたら、9年前(2017年)の2月に西行や芭蕉ゆかりの栃木県那須町芦野の「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」に私が行っていたことが判明したので、今回はその時の写真をアップします。◇遊行柳への案内碑那須には日光取材の帰りに那須在住の友人画家に会うために途中下車。そして、遊行柳を訪ねたのは俳句を初めていた私への友人の心遣いからでした。◇遊行柳は参道の途中芭蕉が、西行法師の歌「道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつ
2025年6月22日(日)前週は買い物ついでの散歩しかできなかったこともあって、真夏並みの暑さですが散歩に出かけます。目的地をどうするか地図を眺めると目に入ってきたのが清澄庭園。そういえば芭蕉の詠んだ古池があるようなことを耳にしていたし、これまで行ったこともなかったのでここに決定。地図によれば最寄り駅は半蔵門線と大江戸線の清澄白河駅なのですが、散歩中毒患者の私は東西線の門前仲町駅をスタート地点とします。門前仲町で降りるなら最初にご挨拶するのは富岡八幡宮。赤い明神鳥居がかっこいいですね。
この時期限定パフェ色んなお味で最後まで楽しく食べましたごちそうさまでした美味しかった
RoughnightseaToSadoislandacrosstheseaTheMilkywaylies!(Bashow)Midnight,moonishighintheskyIlluminatingatownofpoorpeopleThemoonispassingby!(Buson
「一番印象に残っている記事は?」と聞かれたら、「全部です(キリッ)」と答えたいところですが、正直に言うと忘却のソナター。人はこうして歴史を失うのだな、と最近よく思う。さて荒川区郷土館その3。郷土館のすぐ近くのLIFEで弁当を購入し、郷土館2階で食べる。この弁当、本当に“嬉しいサイズ”。若い頃なら「え?試供品?」と思った量ですが、今は「吾唯知足」と思える。年を取るって、こういうことなんだな。寂しいな。腹も満ちたのでプラプラ歩いていたら、「小塚原刑場跡」と、急に物騒な看板が出てくる。小
有料トイレ復活かも日本三景松島湾にある宮城県松島公園。形がいいトイレがあります。「サザエ堂トイレ」かな。ちょっと変わったつくりです。まるでサザエ堂トイレの感じです。木材の芸術です。かつては有料でした。盗難にあい!?やめました。でも風情のあるトイレです。バージョンアップして、人気のトイレにしてほしいです。でも、もっともっと「きれいに」、洋式トイレに、化粧台も、冷暖も整備してね・・・。支持されたら、有料トイレ復活かも🦆。
フェデリコフェリーニ監督の作品「道化師」のラストシーンを見ると「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」(松尾芭蕉)を連想するがフェリーニの『道化師(IClowns)』のラストで感じる「おもしろうてやがて悲しき」という情感は、まさに芭蕉の句と同じ構造を持っている。これは偶然ではなく、道化師という存在が本質的に“笑いと悲しみの同居”を体現するからなんだ。◆フェリーニの『道化師』のラストが芭蕉を連想させる理由①「笑いの裏にある無常」を描いている芭蕉の句おもしろうて
私の記憶という名の庭にはたくさんの花や植物が今も咲いている一昨日、近所で見かけたサザンカ今咲いたとこだね花びらが傷んでなくて綺麗ね今朝は未明から雪が散らついていた不安(´・_・`)それでもまだ咲いてくれてるかなでも花は跡形もなく散ってしまっていたたぶん明け方の雪風が連れて行った?かたちあるものはいつかなくなるそれは仕方ないよねでも私の記憶の庭にはサザンカの花が雪風にもって行かれる前の姿で今も咲いているこれ思い出しました道の辺の木槿は馬に食われけり
青森県は恐山おそれざんイタコの口寄せなる番組がしてました島根県にはたくさんの聖なる芭蕉がありますそのひとつがこれまた職場のテレビにて放映されていましたこの芭蕉にワタクシ数年前訪れたことがあります訪れてから数日後体調をくずしました
碗に浮かべしらうをの影しろかりき曙に白魚はげしく身をよじり磯とほく白魚粥に舌を焼きしらうをを吞んで泣きだす十五歳白魚火ぐらりと陸の傾ぎたる【笑い仮面】久しぶりに白魚のすまし汁をすする。れいによって知人からのいただきものだけれど、あまりの珍しさとその姿の美しさに幻惑されて、さっそくいただいてしまった。ふしぎなことに、ほうれん草とかまぼこだけのすまし汁が、いきなりとてつもなく豪華なごちそうになったような気がする。湯がかれた白魚は、その名のと
今日は2026年2月5日(木)です。僕は旅番組歴史番組が好きです。昨日(4日)は読売テレビの情報番組「ニュースTEN」を観ました。その中の「若一調査隊」を観ました。今回は滋賀県の大津を訪れました。瀬田の唐橋石山寺などが有ります。義仲寺(ぎちゅうじ)も有ります。若一さんと男子アナウンサーが義仲寺を訪ねて調査しました。ここは源頼朝源義経の従兄である源義仲の墓が有ります。俳人の松尾芭蕉が最も愛した所だそうです。芭蕉のお墓も有
「猫の恋」は春の季語、発情期の恋に身をやつす猫の様子を表している。あの奇妙な鳴き声に悩まされる季節だが、我が家周辺にはあまり猫がいないようで「猫の恋」の様子は伺えない。最近は住宅の床下に入り込めないという住宅状況があるから、どことも知れぬ猫の子を身ごもって、知らぬうちに二三匹の子猫の鳴き声を聞くということも少なくなったろう。さて吉田美和子氏のこの「うらやまし猫の恋」は俳人・越人とその師匠である芭蕉を主題にしている。熊本では「肥後先哲偉蹟」などでは、「佐分利越人、名は氏恒、七兵衛と称し、
芭蕉が愛した「大津」の深淵に触れて――義仲寺から幻住庵への旅今日の『若一調査隊』は、まさに日本文学と歴史の聖域を巡る、濃密な時間でした。舞台は滋賀県大津市にある**「義仲寺」**。源義仲と松尾芭蕉、時代を超えた二人の英雄が眠るこの場所には、私たちが想像する以上に深い物語が積み重なっていました。特に印象的だったのは、芭蕉が人生の師と仰いだ西行の存在です。西行の500回忌に合わせて「奥の細道」へ旅立った芭蕉の情熱、そして彼が愛用した**「椿の杖」や「檜の杖」**。道具一つにも、旅の過酷さと風
元禄2年(1689)3月、芭蕉は「奥の細道の旅」に出、奥州から新潟路、北陸路を経て、8月に敦賀から美濃入り。8月21日に大垣入りしました。大垣では、北村季吟の同門だった船問屋の谷木因を始め、多くの俳人と交流。9月6日に、大勢の人々の見送りを受け、「伊勢の遷宮おがまんと、また舟に乗りて」此処から出発しました。「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」と詠み、此処、水門川から揖斐川を経て、長島へと下っていきました。此の地は、大垣城の外堀にあたり、舟運の要衝でも
芭蕉が初めて大垣を訪ねたのは、貞享元年(1684)に「野ざらし紀行」の旅のときでした。この時以降、芭蕉は大垣を何度も訪問し、俳友とも旧交を温めています。芭蕉にとって、大垣は、安息の地だったのでしょう。芭蕉は、「奥の細道」の旅でも、「むすびの地」に大垣を選びました。大垣は、舟運と陸運が交差する東西交通の要衝で、新しい文化が花開く「水の都」で、芭蕉が伊賀から江戸へ出て間もない頃から、芭蕉に心を寄せる俳人たちの出身地でもありました。国名勝「奥の細道の風景地」に選定
佐倉の国立歴史民俗博物館の敷地にある、くらしの植物苑に行ってきました。歴博は佐倉城址公園にあり、毎年お花見に行ってます。今は梅がきれいかな、と出かけてみたら梅はまったくなくてしかたなく初めて植物苑に入ってみました。門をくぐり、入苑料100円を払います屋内にはサザンカの鉢植えがありますが、サザンカの展示は12月から、2/1までなので、もう終わりですね…(この日は1/31)敷地には色々な種類の植物が植わってるみたいですが、今はこんな状態で名前のプレートが刺さってるのしか見えませ
みぞれのようなものが降る一日だった。一日、家に籠っていた。「冬籠」という季語があるが、そんな感じ。冬籠りまたよりそはん此の柱芭蕉薪をわる妹一人冬籠正岡子規いまは亡き人とふたりや冬籠久保田万太郎夢に舞ふ能美しや冬籠松本たかし近々と山のまなざし冬ごもり手塚美佐どれも静かな雰囲気の句ばかりである。4日が立春だというのに、雪もよいの日は当分続きそうである。
三鷹市には吉村昭書斎の他に太宰治文学サロンがあり、作家にちなんだグッズ販売などでも認知度を高めているようです。去年、いわき市の草野心平記念文学館を訪れた際、山の中にあることもあって集客に腐心されていると聞き、草野心平賞を設けてスター詩人を世に出すなどの提案をしました。複合施設にあればまだしも、単館の文学館の中には小淵沢にあった加藤楸邨記念館のように閉館したところもあります。短詩系で地域振興に成功しているのが、子規らを輩出した愛媛県の松山市でしょう。市内あちこちに俳句ポストがあり、国の重要文化
..マフラーカスタム後の試乗ツーリング🏍️💨ええ音ブルンブルン🏍️東海道伝馬館土山宿建物は江戸後期に造られた土山の民家を改装。建物自体が貴重な展示品見応えあって楽しかった👀🏍️手打ちうどん芭蕉でランチ🍽️蕎麦で暖をとる🍲美味しかった😋2026’2.1☆GSR250/VTR250#ペアツー#モリワキマフラー#GSR250#VTR250#夫婦ライダー
いちかさん名刺がわりのヾ(·ࡇ·)ノペタッ⬜︎pic.twitter.com/0tR8DsBZjH—令和の芭蕉(@ReiwaBasho)2026年1月31日
延宝4年(1680)、芭蕉は、深川の自らの庵に「芭蕉」を1株植え、その芭蕉が茂るように成長したことから、「芭蕉庵」と名付けました。しかし、2年後の「天和の大火」で庵は焼失。これを機に、芭蕉は、「一所不在(定住しない)」と決心したと言われています。亡くなるまで旅を続け、「野ざらし紀行」、「笈の小文」、「更科紀行」などを著した芭蕉ですが、元禄2年(1689)、弟子の曽良を伴い「奥の細道」の旅に出ます。ときに、芭蕉46歳。芭蕉は、平泉→立石寺→月山・湯殿山→村上→出
【バーゲン本】旅の誕生平安ー江戸時代の紀行文学を読む(河出ブックス)[倉本一宏]楽天市場「旅」の誕生:平安―江戸時代の紀行文学を読む(河出ブックス83)Amazon(アマゾン)こちらも図書館で借りてきました。東海道を舞台にした平安〜江戸時代の紀行文学について書かれています。だから、東海道を歩いているとよく出会うヤマトタケルのお話(古事記、日本書紀)や万葉集の歌については触れられていません。わたしは、奈良時代が好きなのでその辺にも触れてほしかったけど、それらは紀行文
【歴史人物の旅】松尾芭蕉と旅の心旅をしていると、ふとした場所で芭蕉の足跡に出会うことがある。新白河駅の案内板、山道の途中の句碑、静かな寺の片隅に置かれた小さな石碑。どれも、「この人は本当に旅を生きたんだ」と感じさせてくれる。芭蕉は“名所を巡る”ために旅をしたのではなく、“心が動く瞬間”を探し続けた人。だからこそ、彼の足跡は今も旅人の心にそっと寄り添う。旅の途中で芭蕉の句碑に出会うと、自分の旅も少しだけ深くなる気がする。
昼食は、「芭蕉水御膳」を戴ける、「駅前にしき」へ。季節は5月です。「芭蕉水御膳」は、大垣の新名物を創ろうと、市と協力して誕生させたメニューです。大垣の地下水をふんだんに使用し、大垣近郊で採れたヨモギを加えた、大変口当たりが良いお豆腐。「冷や奴仕立て割土佐醤油添え」と「磯部絹衣揚げみぞれ天つゆ添え」の2品に、大垣の地下水を使用したお蕎麦。地元の新鮮な素材を使用したお寿司。……です。季節は初夏。街歩きに疲れた身に、新鮮な味覚です。
水仙や白き障子のとも映り芭蕉水仙に狐遊ぶや宵月夜蕪村水仙や束ねし花のそむきあひ中村汀女八重咲き水仙がミカン山で25本、並んで咲きました♡
芭蕉の心、海を越える=白河の関俳句賞表彰式25日=海外ブラジル勢が存在感ブラジル日報WEB版より2026年1月28日白河市のフェイスブックゆかりの俳聖・松尾芭蕉の足跡を顕彰して福島県白河市が主催する「第7回芭蕉白河の関俳句賞」の入賞作品表彰式が1月25日、白河文化交流館で開催された。今回は国内外から計5千句余りという過去最多規模の応募が寄せられ、俳句文化の広がりと裾野の広さをあらためて印象づけた。海外の部「自由題」では116句が寄せられ、今年もブラジル在住者の活躍が目立っ
紅梅を見上げる。そして、月。AI画像静かな春の兆しがそこにある。冬の名残と春の気配が重なる。松の常緑と白梅、永遠と一瞬が出会う。梅と月、そして松。心に、静かな春が訪れる。