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前回の続きで、芝村藩陣屋の最終回です。今回は芝村藩主織田家の菩提寺慶田寺の2回目で慶田寺裏にある織田家墓地です。慶田寺の本堂裏に広い墓地があります。墓1区画当たりの管理料が、最低でも1年間で1万円かかるので、慶田寺の財政は豊と考えられます。境内裏に回った所です。広い墓地です。慶田寺本堂の裏に織田家墓所があります。歴代住職の墓です。お坊さんの墓は竿の上が丸くなっています。織田家の墓所です。織田家の墓所は低い塀で囲まれた一角にあります。塀の中には
写真を2枚追加したので更新しました。前回の続きです。今回は芝村藩主織田家の菩提寺慶田寺です。下図①の慶田寺入口です。国道169号線沿いにあります。慶田寺(けいでんじ)は禅宗の曹洞宗です。1470年の開基で、その後戒重藩織田家の菩提寺になりました。陣屋が芝村に移転しても、引き続き菩提寺でした。柳本織田家の菩提寺が浄土宗でしたが、ここは曹洞宗です。先の方に東門が見えます。グーグル地図です。周辺には地場産業の三輪素麺屋さんが多いです。慶田寺の東門です。
前回の続きです。今回は弁天池周辺です。芝村藩陣屋堀代わりの弁天池周辺です。下図A付近で咲いていた菜の花です。B地点に行くとB地点からC地点方向です。前方は堀跡です。カメラを左に回すと弁天池です。B地点からE地点方向です。水鏡の桜C付近から弁天池を見たところこの付近は下図から堀の始まりです。D地点から見た弁天池です。幕末の古絵図です。D付近からE方向の桜が満開でした。弁天池の北側には大和川の支流が流れていて、
今日午後10時頃に旅行から帰りました。前回の続きです。今回は芝村騒動です。1737年より芝村藩預りであった十市郡の葛本・新賀・膳夫・常盤・内膳・木原・石原田・下八釣・吉備九か村(幕府領)は、初めは問題なかったのです。1745年に藩陣屋を戒重から芝村に移転したので、陣屋造成の費用捻出のためもあって年貢取り立てにはげみ、取り立てた役人が幕府より賞されました。年貢の3%を口米(手数料)として受け取れました。年貢を多く取れば取るほど儲かる仕組みでした。なので、五公五民と言い
数日間更新出来ないので昨日の続きです。今回は藩主御殿の裏側から北門です。下図⑱北側から見た健勲神社です。⑱から⑲方向は⑱から⑲方向です。進むと右側は織田小のグランドです。⑲付近に行くと⑲の角には土俵があります。織田小のグランドです。現在のグーグル地図に、幕末嘉永年間の古絵図(下)を重ねた地図です。重ねた古絵図です。(奈良県立情報資料館より)道は幕末とほとんど変わらない位置にあります。⑲から⑰方向は道の右側は藩主御殿
前回のつづきです。今回は健勲神社です。奥の石碑をズームUPすると健勲神社の横には「しんちょこさん」とあります。織田信長公の音読みが「しんちょうこう」から地元では「しんちょこさん」と呼ばれています。7月に「しんちょこさん」祭りがあります。健勲神社は陣屋御殿西側にあります。織田信長を祀る健勲神社です。健勲(たけいさお)は「けんくん」とも読みます。右奥には織田信長公の石像があります。神社の右奥にある織田信長の石像です。衣服と顔・手で石の風合いを
前回の続きです。今回は西門付近と健勲神社です。下図から西門付近を拡大して復元CGを作りました。普段は門を使用しませんが、藩主や貴賓客のみが通れる門だったのでしょう。下図の大手門(南門)も同様の構造です。江戸時代の玄関でも藩主や貴賓客用の式台玄関と、普通の武士用の玄関、下人用の玄関があり使用できる人の区別がありました。幕末嘉永年間の古絵図です。(奈良県立図書情報館より引用)もっと精細な絵図があればいいのですが、この画質の粗いものしか公開されていません。
毎日の更新では、見れなくなる時もあるようなので、今後は2日での更新にします。桜写真1枚追加しました。昨日の続きです。今回は藩主御殿跡の桜と大手門東側の堀です。藩主御殿跡の織田小学校の桜が満開でした。この付近で桜の撮影をしました。瓦には織田家の家紋があります。桜に小鳥が飛んできました。ズームUPすると桜の花を食べに来ているようです。花の蜜が美味しいのでしょうか?下図⑩付近から健勲神社方向です。校舎の屋根も御殿風でいいですね。右
昨日の続きです。今回は大手門前から陣屋御殿門と石垣です。下図⑥の大手門跡を、江戸時代の姿に復元してみました。土塁は堀を掘った土で造成しています。⑥の左側に残る古い石垣です。土塁は消滅しています。幕末嘉永年間の芝村陣屋古絵図です。画質の粗い絵図しか公開されていません。①まで歩き振り返り⑥方向を見ると下図①から⑥方向です。道の両側に武家屋敷がありました。下図①から⑩の正門方向は桜が満開です。⑩から見た織田小学校正門です。
昨日の続きです。今回は大手道を大手門前までです。下図S付近から②方向です。奈良と桜井を結ぶ上街道です。この付近は古い商家があり、1万石の大名ですが、ミニの城下町になります。幕府からの預かりの領地があり、1745年に芝村に陣屋を移転した時には預かり地が9万石ほどで、管理料を幕府から貰って財政期に余裕が出て移転出来たのでしょう。しかし、幕府領なら普通5公5民の年貢を、なんと7公3民近くまで上げました、そのため一揆が頻発して、幕府に預かりの藩変更願いが出され
今回から大和芝村藩陣屋の紹介です。2022年3月30日訪問しました。今回は歴史です。前々回紹介の柳本藩とは兄弟藩ともいえる関係です。「芝村藩」の藩祖とも言える織田有楽斎(織田長益)は、織田信長の実の異母弟です。織田信秀の11男で、兄の信長とは13歳離れていました。織田有楽斎は利休十哲のひとりにも数えられ、自らも茶道「有楽流」を創始した文化人です。織田有楽斎肖像画です。1615年の大坂冬の陣のあと有楽斎は徳川方のスパイではないかと疑われたため大坂城から出ま