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昔、映画館には気持よく泣くために行くような感じがあった。今は泣けるような映画が少ない。もちろん、泣ける映画がいい映画だといっているつもりはない。本当に辛いことを観たとき涙なんか(中略)出てこないだろう。映画を観て流す涙はおおむね甘哀しい涙で泣くことを娯しむふうでもある。(色川武大「道」キネマ旬報社)
街のソバ屋さんは、手数を省くためなのか何人分かひとまとめに茹でてしまうから「中略)客足が遠のく時間に店に入ると、大分前に茹でてノビ切っているものを出される。こうなると、茹でおきが丁度切れて、自分の分から新規に茹でてもらう幸運を祈りながら店に入るしかない。(色川武大「ソバはウドン粉に限る」光文社文庫)
1月末から読み始めた伊集院さんの本『いねむり先生』仕事帰りの電車の中で毎日少しずつ読み進め今日読み終えた。。。最後の一行の文章がグッときた。。。最後の一行のためにこの本を書いたのだろう。。。小説の中で先生を慕って井上陽水も登場。。。陽水もこの小説を読んでいるに違いない。。。この小説は陽水が伊集院さんにリクエストしたのかもしれないな。。。陽水も最後の一行を読んでグッときただろうな。。。そんなふうに思った。。。最後の一行がグッときた良い小説だった。。。
大阪駅の構内に立食いの串カツ屋があって、揚げたての肉だの野菜だののフライを四角い箱に入ったソースにプシュッとつけて、食いだすと(中略)腹一杯になるまで食ってしまう。ところが最近はホルモンの土手焼きやタコ焼きの店に追われて、盛り馬でもあまり見かけなくなっている。(色川武大「氷を探して何百里」徳間書店)
2月5日読書の時間〜【伊集院静】いねむり先生〜※昨年11月24日伊集院静さんは亡くなられました※自伝的長編小説2011年刊行されその後、漫画化、ドラマ化もされた妻を亡くし、身体も心も壊れ東京を離れていたサブロー親しいK氏の紹介で"いねむり先生"と出会う所から物語が始まるサブローは伊集院静自身いねむり先生は色川武大=阿佐田哲也…とは一切書いてないけどね振り返れば私は、この年になるまでそれほど"深い悲しみ"というものに出会ったことがない鈍感なのか幸せなのか、その両方なの
新装版離婚(文春文庫)Amazon(アマゾン)Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る${EVENT_LABEL_02_TEXT}共同で生活することに破綻して離婚したのに、結局、一緒に住んでいる元夫婦が主人公の小説。奥さんのキャラが最高。付き合いたくはないが、文章で読んでいるくらいの距離感なら、こんな面白い人はいない。こういう題材が直木賞を取ったくらいなので、当時の日本は今よりもっと「のどか」だったんだなと思った一冊。
audibleで伊集院静のいねむり先生を聴いた。いねむり先生こと色川武大の人柄が目に浮かぶようである。とてもおだやかで、人に対する声掛けが、とてもやさしい。こうありたいものだ。色川も主人公のおそらく作者も幻覚に悩まされていたとのこと。幻覚がどういうものかよく分からないが、それは苦しいものなのだろう。幻覚に苦しんでる主人公に対して色川が、「連中はもう去りました。安心して下さい」と声を掛ける。いい場面だ。
鰻は、近頃、養殖の方法も進んで、蛹くさい感じもすくなくなり、量産ができる年ので、高価な喰べ物でなくなった。二、三千円で、ひととおりのものが喰えるご馳走というと、鰻以外にあるまい。ある鰻屋の主人が、こういったのをおぼえている。「畜生、養殖養殖ってねぇ、便利になったのはいいけれど、値段をあげられなくてねぇ。寿しや天ぷら屋がうらやましいよ。」鮨や天ぷらは、ネタのいいところだと一人前一万円ぐらいのところもある。鰻は、白焼きと蒲焼きを喰っても、三千円というところか。しかし、鰻そまものは、昔にく
チェット・ベイカーといえば(中略)昭和二十年代、まだ日本のレコード会社がジャズ盤を出していない頃、チェット・ベイカーの唄もののレコードは八千円ぐらいしていた。値段に対する私の記憶ちがいではないと思う。当時の八千円は大金で、給料一ヶ月分くらいに相当した。(色川武大「マイ・アイデアル」ちくま文庫)ルック・フォー・ザ・シルヴァー・ライニングProvidedtoYouTubebyTuneCoreJapanルック・フォー・ザ・シルヴァー・ライニング·CHETBAKERオール・ザ・ベスト
全国に名の売れた、大量生産をする大メーカーの酒は、もう駄目なのだそうである。きくところにゆると、煙草と同じく、東京で消費する酒は東京付近の酒造家が作ってレッテルだけはりつけるのだそうな。"越乃寒梅"という、幻の酒とひと頃珍重された新潟の地酒が、めっきり駄目になった由。直接に得た知識ではないが、息子の代にかわって、大量生産に切りかえたのだそうだ。私は、舌で酒を呑みわけるほど、酒の味にくらしくない。しかし、飛びきりおいしい酒は、やっばりおいしい。(中略)それはともかく、往時夢のごとく、約4
露店というものは今でもあるけれど、確かに昔の方が格段にレベルが高かったんだろうなと感じます。そういうところの抜き書きです。昔は露店の駄物が充実していたな。今、お祭りなどで夜店が並んでも、皆、一様のものばかり。組織の末端こたいな兄ちゃんが売り子になって居るだけだ。昔の夜店ってのは、あんなにしらけた感じじゃなかったね。特にすごかったのは靖国神社の春秋の大祭のときだった。見世物といい、香具師(やし)といい、あれは全国から選抜軍が集結していたのだろう。もう、神社なんかどうでもいい
年のせいか、どうも昔のことがなんでもなつかしくてしかたがない。(中略)懐古趣味とひとくちに片づけられないこともある。なぜといって、なつかしいという気持の中には、過ぎた日々をもう一度、いや何度でも生き直して、より充実したい、という気分も混ざっているから。(色川武大「暗い気分を振り捨てろ」ちくま文庫)
11月24日悲報〜伊集院静先生が亡くなられました〜そっちで色川先生と会えるといいですね(T_T)合掌tarezo…m(__)m
これはソバに関すること。椎名町の二股交番(新青梅街道)のすぐ近くに、"翁"という日本ソバ屋がある。ソバはウドン粉に限る、と記したが、ソバ粉のソバ屋で、たった一軒、例外として好きな店である。(中略)"翁"のせいろは350円である。いわゆる名店の値段よりずっと安く、平凡な街のソバ屋と同じである。安いのがえらい、などとといういいかたは客の手前勝手で、私にはこの倍でも至当のような気がするが、それが店主の姿勢なのであう。店構えは小さいが、妙に上品ぶらないところも、牛込のあの店ににている。私
これも色川武大の喰いたい放題からの一節。旧市内...昔の区分から区であつたところとそうでない所との比較。...郊外はいやだ。なぜなら、理由はたったひとつ、商店の感じが新市域と旧市内では今ひとつぢがうように思えるからである。商店といっても私が直接ふれ合うのは主に喰べ物屋だ。洋食屋とかソバ屋とか、ちょっと外出して喰べられる店は、ポツリポツリとだが、まアないこともない。郊外といてっても中央線沿線の各駅周辺はそれなりに繁華街である。いわゆる食品屋さんが、ない。いや、たくさんあるけれど、私に
昔の作家の作品の中から、私が昭和情緒を感ずる部分を抜き出して見ようと思います。もちろん著作権は犯さないように用心しながらやってみようかと思います。第一回は色川武大さんの「喰いたい放題」から。色川さんの喰いたい放題の中に、「おうい卵やあい」という作品があります。その一節です。今から十二、三年ばかり前になるけれども、国電目白駅の横手の石段をおりたあたりの路傍に、夕方になると、主婦たちの列ができる。しかしそのへんに店屋があるわけではない。定まった電信柱が彼女たちの目標で、やがて、
ソバはウドン粉に限ると色川先生は仰るので、僕もそうなのかなと思うのだがそもそも先生の仰るソバ粉ソバを食べつけてないもので前回食べたのはいつのことやったろう?高田馬場の"もり"が20年9月で『anan今週号と手打ちそば「もり」』「おい、帰りしなでええから、芳林堂でananの今週号を買うてきてくれ」僕が出掛けようとコーデュロイのズボンを穿いているとこう云われた「今週号はな美乳強化特集号…ameblo.jp荻窪の"もと村庵"が20年の12月『先生の愛したウドン』東京ラーメンオブザ
色川先生曰く、真実というものはすべて二律背反の濃い塊になっていると対してコナン探偵曰く、真実はいつもひとつだとどうなんでしょうなぁ今日、たまたま池袋のブックオフでサラリーマン金太郎という漫画を立ち読みしてたら金ちゃん曰く、真実は相対的なもので頭のいい奴が見えないものも頭の悪い奴が見えたりすることもあると今日は日曜日高田馬場はすっかり夜の帳がおりてどこの食べ物屋さんに行けばいいんだ?日曜日だから休みの店もあるし日曜日だから混んでもいるし過去の統計からすると地元の高田馬場
★『真夜中のマリア』(野坂昭如/新潮文庫)読了。フランスの詩人アポリネールに『若きドン・ジャンの冒険』というエロ本がある。少年の性の目覚めから、その後の性的体験を楽しく綴った一編だが、本書はその舞台を1970年前後の日本に移して、様々な性の風俗をドタバタ喜劇風に描いたもの。解説に金井美恵子、カバー画に宇野亜喜良を起用した最先端の構えだ。しかし、こうした読み物の悲しさで、半世紀たった今読めばもはやなんの発見もない退屈な代物。後半は飛ばし読みと相成った。★『乱歩とモダン東京通俗長編の戦略
いねむり先生の本を読んでたら読んだことのあるエピソードのものが同じエピソードのものなのにえらく違った印象を受けて僕としては面白い店主はもう酒が飲みたくて店じまいしたいのに客人である先生たちは長居するそれは帰りたくないほど飯が旨いからだ練馬の東亭というお店いまは在った場所すらわからず17:40くらいやったと思うがらがらと開けるとまだ客人はひとり照れ屋のマスターと珍しく眼が合ったので僕も照れ隠しで会釈するライスにバウンバウンしながらピーマンはそでに置いといて今日も味噌汁の旨い
眠くなったので、、、いねむり先生の小説をとりあえず開いてみて先生は、仕事ができるのは還暦くらいまでが限度で自分にはもう五六年しか時間がないと書かれていた"いずれ我が身も"という小説ずばりというか仕事だけでなく御命まで、、我が身も難病に罹患していると残りの日々を逆算しがちでそれが果たしてええのか悪いのかアジに始まり鉄火に終わるいつもと違って蕎麦を後にしてみたんだけど蕎麦は蕎麦でしかないのでどうなんやろう回転寿司なら1貫単位で調整できるのでお腹一杯になるかどうかの調整だっ
ブログにお越しいただきありがとうございます。図書館で借りた色川武大著『ばれてもともと』エッセイ集である。そのなかの(いずれ我が身も)でこう述べている。稀代の殺人鬼が捕まった。それを我が事に感じてしまう。このときも、あっ、しまった!と痛恨の思いがしたという。犯罪の記事がでるたび覚悟のようなものをする。いつか目つきの鋭い刑事がやってきて尋問されたら、いつの場合でも、私は涙声をあげて自白してしまったかもしれない。
小茶や呉竹のママは、四十年もの間、ほとんど毎日、夜明け近くまでやっていた。「無形文化財だね。どこからか勲章を貰ってもいい」「思い出が勲章よ」とママがシャレたことをいった。(色川武大「新宿のママたち」徳間書店)
「プロたるものは継続を旨とすべし」先生はそう仰ったのだけど勝ちすぎてもいけないと勝ちすぎると誰も相手がいなくなって賭場が成立しなくなるからだと僕はいぶし銀のような選手が好きエンゼルスではレンドーン選手、アーシェラ選手が好きそうそう、フレッチャー選手も大谷選手はもう絶対的な選手で相手はもう自分自身だけではなかろうか大谷選手がホームラン打つといつも鳥肌が立つんだけど、今日の2本目のホームランはさにあらずもう鳥肌というか少し泣きそうになってしまった小さい僕も頑張らなければと無
毎朝、自転車で人通りのない道を散歩するが、その折りにどうしても寄ってしまう。拙宅の側のミスタードーナツは何時でも開いているようで、私は夜明け方に腹がへる体質だから誠に好都合だ。但し私の好むドーナツは一種のみ。ココナッツと命名されている奴でなぜか他のには手が出ない。(色川武大「ドーナツ中毒」中公文庫)
昨日、温かいそばを食べてたら、もりそばもいいなぁと思ってそういえば、お店が広々するなんか感覚的なもんやけどよくみたら仕切りがなくなったんだね凄く放埒な気分先生は蕎麦はウドン粉に限ると仰ったけど私もそんな気がするもう、ずっとまえから蕎麦を持ち上げしたっぱのほうをちろちろつけてちんまり食べてたらつゆがたくさん残ってしまったこんなに残ってしまっては蕎麦湯には立ちにくい
色川武大の本~📘「引越貧乏」1/3ページ読んだが面白くないのでにここまてに~😓
私は転々と居所を変えた。そうして、気がついてみると、、、⇒続きはこちらへ
いずれにしても、若い頃はこうじゃなかった。だいいち食欲がないなんてことがありえなかった。ラーメン一本、チャーハンの一粒一粒までが、残らず栄養になって身体にしみとおっていくような気がした。食堂のドンブリというものは、なぜこんなに小さいのだろう、と思った記憶がある。(色川武大「徹夜交歓」潮出版社)
色川さんは、目白、荻窪に住居があった頃も、豆腐が欲しくなると鍋をぶらさげて明け方、タクシーで牛込納戸町まで買いにいき、運転手に怪訝な眼で見られたそうだ。色川さんは、豆腐は「辻村」でないとおさまらない人なのである。(山本容朗「文壇食物誌」鎌倉書房)