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統治体というエホバの証人の最高メンバーの一員だったのに、背教ということで排斥になった人がいます。でも、そのことをエホバの証人組織は信者たちに知らせていなかったと思います。実際、私がそのことを知ったのは、その事件があってから10年後くらいのときでしたね。しかも、食事会でエホバの証人組織に心酔する長老からその長老曰く、「組織は、その兄弟を無一文で放り出すことをせず、それまでの功績に免じてそれなりのお金を渡した」「愛ある組織だ」と。いやいや一般の背教者と見なされた人は、容赦なく追い出す
NHK朝の連ドラ「あんぱん」がそろそろ終了する。みんなが知ってるアニメ「アンパンマン」の作者、やないたかし先生を題材にしたドラマで、通常は短的に言ってしまえば、様々な苦労はあったものの、めでたし、めでたしで、アンパンマンのキャラ自体、ほのぼのとした癒されキャラだから題名にある様に、辛かったなんて穏やかじゃないと思われるかもしれんね。過去に辛かった、苦しかった、貧しかったと言えば?は~い、もうピーンと来た人もおるの違う?新興宗教JWの三拍子の様なもんだよね?笑言うまでもなくその関連て
禁断の書「良心の危機」ですが、11章まで読み終わり、あと残すところ2つの章のみとなりました。今まで借り物で済ませてきたけど、ちゃんと買おうと思います。というのも、しばらく経ってまた読みたくなるかもしれません。最近お話した元JWで5回通読したって人もいました。もし自分は読み返すことがなかったとしても、今回は私が貸していただいたのと同じように、次は私がまた別の人に貸すこともできます。貸すにとどまらず、譲ってもいいなとも思っています。そしてその譲った人が読み終わったら、その人が
「真理の言葉は単純である」古代の詩人はこう語ったそうです。万有引力を発見したアイザック・ニュートンも「諸物の多様さと混乱のうちにではなく、つねに単純さのうちに真理は見出される」という名言を残しています。フランズが休暇を終え、ベテルに戻るといよいよフランズ自身への尋問が始まります。さすがにフランズは統治体メンバーだったので、他の友人たちのような手厳しい扱いはされなかったようです。それでも統治体メンバー17人全員がそろう統治体の会議で質問され、委員会が作成した背教の証拠についての書
数年前に放送大学で心理学の科目を取りました。その中で「認知的不協和」について学びました。社会心理学者レオン・フェスティンガーは、人の信念や行動の変化を広範囲に説明する認知的不協和理論を提唱した。その基本的な枠組みは、人の心の中に、相いれない複数の認知要素(知識や信念、態度、行動など)が生じると、そこには不快な緊張状態(不協和)が引き起こされ、人はそれを低減するように動機づけられるというものである。この理論を分かりやすく表しているのがイソップ寓話の「すっぱいぶどう」の話である。<放送大学印刷
今から十数年前。審理委員会による聴聞会に呼ばれました。その時の様子は映像としては思い出せるのですが、何を聞かれたのか、どんな話があったのかは本当に全く思い出せません。人間の忘れるという能力は素晴らしいものですね。嫌な思い出が蘇らずに、逆に助かっています。その代わり、ちゃんと言語化できるかどうかは別として、その時抱いていた感情、気持ち、考えていたことは、今でもはっきり覚えています。それほど異常な状態に置かれていたのだと思います。例えば、3人の長老に自分1人で対峙しないといけな
久しぶりの「良心の危機」シリーズです。フランズが長期休暇でベテルを不在にしている間に、親しい友人たちは統治体による不自然な面談が行われます。その面談は「尋問」と表現されています。フランズ自身はベテルにはいなかったので、何が起きているのか様子はほとんどわからなかったようです。エドワード・ダンラップからの電話があり、こういう話をしたそうです。ロイド・バリーとジャック・バーがオフィスに来て、3時間ほど尋問していったと切り出した。途中で「この詰問は一体何のためです」と聞いたところ、いや
「良心の危機」ですが、印象に残ったところをブログに抜き出しています。仕事が忙しかったりして、なかなか記事としてまとめる時間が取れてません。少しずつ書いていきます。1979年9月1日号の読者からの質問にこんな記事が載っていました。●イエスは,油そそがれたクリスチャンだけの「仲介者」ですか。(中略)厳密に聖書的な意味では,イエスは油そそがれたクリスチャンのためだけの「仲介者」です。恐らくこの記事に関してですが、会長のフレッド・フランズがベテルの朝の聖書討議でこの見解について疑問
他の方も書かれていますが、最近統治体から「素晴らしい発表」があったそうですね。公式サイトからは自分では見つけきれなかったので、きんたやさんのブログからそのまま引用させていただきます。ニュース速報|野外奉仕報告の調整2023年10月7日,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会の年次総会で素晴らしい発表がありました。2023年11月1日から,会衆の伝道者は奉仕時間を報告する必要がなくなります。配布,ビデオの再生,再訪問の数についても報告の必要はありません。新しい報告用紙には,1カ
長らくの休止状態でしたが、11章の「決心」から再開です。間隔が開きすぎて、どういう感じで書いていたかすっかり忘れてしまっています。なので、さっそく本題に入ります。この章の冒頭で、フランズは「きちんとした仕組み(組織)に反対していたのではない」と言っています。むしろ、その組織の在り方に疑問を持っていたようです。かいつまんで引用すると、クリスチャン会衆の目的と機能は兄弟たちを助けるため。兄弟たちのために仕組みがあるわけで、その逆ではない。みんなを成長させ、他の人間や体制に頼って規則
もう半年以上のことになりますが、泣く子も黙るあの禁断の書「良心の危機」を読んでいました。買えばそれなりの金額するので、隣の市の図書館から取り寄せてもらって借りて読みました。ただ、じっくり読み過ぎて返却期限に間に合わず、延長してもらったけどそれでも半分ほどしか読み切れませんでした。その後、面識のある、ある方が貸してくださり、読もう読もうと思いながら積ん読になって今に至っています。夏も過ぎ、仕事も一段落しそうなところになってきたので、続きを読み進めようと思います。(あと、ブログのネ
「良心の危機」の10章まで読み終えました。残り3章ですが、ページ数でいくと付録を除いて150ページくらいで、3分の1になります。これまで読んだところの概略と感想を投稿しながら読み進めていましたが、このままでは返却期限には間に合いません。かと言って、手元に本があっていつでも読み返せるわけではないので、少なくとも自分の記録としてブログに残しておきたいと思っています。今は先に読み進んで後からまとめて書くというのも、読んだ印象とか細かいことは忘れてしまいます。なので、あきらめました。
また、同時に我々は過去を重く受け止めています。誤った教義理解のため、イエス・キリストの単純明快な良い知らせに目を向けず、誤った結論や聖書的でない方針の数々に至りました。大いに悔やみ、謝罪すべき点があります。我々は独りよがりでした。他のクリスチャンを「いわゆるクリスチャン」と呼び、「だまされている」「サタンの手先」とも言いました。信者たちに対しては、…旧約聖書にあるような規則に従うことを要求したのです。…この旧約的なやり方によって生まれたのは、排他的な優越感であり、新約的な兄弟愛
統治体の成員でもあったフランズが、この本のタイトルを「ものみの塔の危機」や「統治体の危機」、「真理の危機」などではなく、「良心の危機」とした理由がなんとなくわかってきました。統治体の方針はフランズの良心とはかけ離れたところにあったのだと思います。そして、その良心の声に従って、これまで見聞きしたことを語らずにはいられなくなったのでしょう。統治体の会議の中でフランズはなんとか軌道修正しようとしていました。1914年のことが話題になった時は、スウェーデンの長老から以前受け取った年代計算につ
「良心の危機」9章。来ました、「この世代」についてです。あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。<マタイ24:34>あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。<マルコ13:30>あなた方に真実に言いますが,すべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。<ルカ21:32>「真理の光が増し加わりました!」とか言ってコロコロ変わる教理です。なぜこんなにも変わるのか、「良心
「良心の危機」の本を読みながら組織にいろいろツッコミを入れていますが、ときどきフッと関係する聖句が思い浮かぶんです。例えば、統治体の会議で話し合われていたことの多くが排斥に値する行為かどうかってことについて書いたこの記事。その時に思い浮かんだのが、偽善者なる書士とパリサイ人たちあなた方は災いです!あなた方は,はっか・いのんど・クミンの十分の一を納めながら,律法のより重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実を無視しているからです。これらこそ行なうべきことだったのです。もっとも,それら他方
「良心の危機」を書いたフランズ自身も1975年を意識することはあったそうです。でも、聖書を読めば読むほど的外れな気もしていたと書いています。聖書にはこういう記述があります。その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます。<マタイ24:36>それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。<マタイ24:42>このゆえに,あなた方も用意のできていることを示しなさい。あなた方の思わぬ時刻に
「良心の危機」9章です。このあたりでやっと統治体成員も私が現役時代の人たちになってきました。前の8章では1914年、1925年など、どの予言も当たらなかったという歴史を見てきました。そして、それは繰り返されます。今度は1975年です。終わりの日の始まりが1874年から1914年に、キリストの臨在も1874年から1914年という見解になりました。そしてダニエル書の七つの時(1520年間)も、これまで60年以上議論されることもなかったのに、BC606年から数え始めると1914
「良心の危機」8章です。1920年ラッセルは「現存する万民は決して死することなし」という小冊子を出しました。その本にはこう書いてあります。1925年には、古の忠実なる物たちが復活して…神の言葉に約束されていることに基づき、現存する万民は決して死することなし、という確実にして動かぬ結論に至らざるを得ないのである。メシアの王国が立てられ、アブラハムやイサク、ヤコブなどが1925年に復活する、そしてその時生きている人たちは今後もう死ぬことがないと主張しているわけです。しかも、「確実に
ものみの塔は年代計算ひとつ取っても全く根拠のないBC607年を起点としている上、度々予言を外し、その度に信者だけでなく宣べ伝えていた一般の人にもウソを言ってしまったことを謝らずにいます。1914年から終わりの日が始まったと言っていますが、そもそもその年が重要な年になると言っていたのは、忠実で思慮深い奴隷で、統治体の草分け的な存在であるラッセルだったわけではありません。1977年にスウェーデンのジョンソンという長老が年代計算に関する自分の調査の結果を本部に送り、協会の見解が根拠が弱いの
図書館に連絡して返却期限を延ばしてもらえました。あと2週間、じっくり読めます。ちょうど半分を読み切ったところですが、これまではひょっとしたら統治体は本当に神様が用いている地上の経路かもって思ってたのが、すでに完全に打ち砕かれました。所詮、人間の組織だったのです。そして、不可解に思ってたけど従わざるを得なかった制限や理論がなぜ生まれたかが理解できました。吞み込まざるを得なかった矛盾や疑問がなぜ放置されていたかを理解できました。自分たちのことを恥ずかしげもなく「地上で最も善い
ものみの塔誌1996年の記事で「良心的兵役忌避」という言葉を覚えました。良心上の理由で兵役に就かないことです。兵役と言えば最近、某K-POPアイドルの兵役が話題となりました。兵役のある国では兵役を拒否する場合は代替公務が課されることもあります。この代替公務はエホバの証人は、軍務とは直接関係ない場合、受け入れられるでしょうか。それとも、「代わり」ということは兵役と同じことであり、妥協したとみなされ血の罪を負うため、これも拒否すべきでしょうか。「良心の危機」の本によると、第二次世
統治体の会議ではどんなことが話し合われているのだろうか。「良心の危機」の本の5章のはじめにはこう書かれています。普通のエホバの証人であれば、統治体の会議というと、いつも真剣に神の言葉を研究している人たちの会議だと思っている。つまり、自分たちの兄弟によりよく聖書を理解してもらうためにはどうすれば良いかと謙虚に考え、真のクリスチャンの業を支える特質である信仰と愛を教えるための方法を前向きに考え、常に聖書が唯一にして最終的な拠り所として行われる会議である。全くそう思っていました。次のも
4章はノア会長そしてフレッド・フランズ会長時代の出来事です。フレッド・フランズは、「良心の危機」の著者レイモンド・フランズのおじです。このころ、組織のイニシアティブを握るのはものみの塔聖書冊子協会なのか、統治体なのかという権力の綱引きがあっていたようです。それまでは世界中のエホバの証人の活動を束ねて「統治」するという意味では統治体は機能しておらず、協会のトップの会長の意向が強かったようです。ちょっと驚きでした。時代は1970年代半ば。末端信者が終わりが来る!と希望に燃えていた
「良心の危機」の3章まで読み終えました。統治体についての章です。1993年「エホバの証人ー神の王国をふれ告げる人々」という本が発行されました。「ふれ告げる」の本です。年代から逆算すると、私がまだバプテスマを受ける前のころで、大会での発表の記憶はありません。でも、神権宣教学校の第一の話か何かで扱われていたので、その予習のために読んでいたのは覚えています。。「ふれ告げる」の本は、序文にあるようにエホバの証人の歴史書です。一部を引用します。エホバの証人の現代の歴史を一番よく知っ
初めにおことわりしますが、下ネタです。でも真面目なお話です。「良心の危機」の3章では統治体で扱われた夫婦関での性行為についてのことが書かれていました。率直、かつ真面目に書かれています。ある夫婦の寝室に、いささか普通ではない性行為を扱った本や写真があるのを誰かが見たのである。地元の長老の調査と尋問によって、この夫婦は確かに単なる生殖器の結合にとどまらない性的行為も行なっていたことがわかった。そこで長老たちはブルックリン本部に手紙を書き、統治体ではこれについて話し合うことになった。この夫
「良心の危機」を3章まで読み進んでいます。ここまでではフランズがこの本を書く動機や統治体での物事の扱い方が具体的な例を挙げて書かれていました。印象的だったのが、統治体では投票によって物事が決定されていたことです。どこかで読んで知っていたのでショックはそれほど大きくありませんでしたが、何とも言えない気持ちです。「良心の危機」の3章には統治体での会議についてこのように書かれていました。あちこちの国で旅行する代表者に推薦された人のリストを吟味するだけの会議が何週間も続いたこともあ
かの有名な「良心の危機」。内容が内容なだけに小説のようにスラスラ読めません。やっと2章の中盤までたどり着けました。ここまで読んできての感想ですが、もっと早く読んでおけばよかったと思います。今は完全覚醒してしまって、どちらかというとアンチ組織(エホバの証人の人個々人にではなく、あくまでもJW組織に対するアンチ)みたいになっている状態です。なので、言ってしまえば「組織憎し」みたいな先入観から読んでしまっていますが、もっとフラットな気持ちで読みたかったなと思いました。ただ、そうなると組
やっと、そしてとうとう手元に届きました。かの有名な「良心の危機」。地元の図書館を通して隣の市の図書館から取り寄せてもらっていて、先日地元の図書館より届いたとの連絡がありました。そして、昨日受け取りに行ってきました。思ったよりボリュームがあって読み応えありそうです。貸出期間が2週間しかないので、気合を入れてじっくりと読んでみます。
厚労省の宗教2世に対する虐待ガイドラインが公表されました。とても大きな1歩だと思います。私なりに思うところがあるので、もう少し頭の中を整理して改めて書きたいと思います。最近気になっているのが、「良心の危機」です。もう現役ではないので何を読もうと自由なのですが、背教者の本と言われ続けた後遺症なのか禁断の書としてなかなか手が出ませんでした。でも組織の中で何が起こっていたのか、隠されていたことを知りたいと思うようになりました。もちろん買ってもいいんですが、自分から積極的にだれかを覚