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最後に国領神社の千年の藤を追記してます新潟国上山この前とんぼ返りで江戸時代晩期の禅僧ででも世間一般の枠組みにはまったく囚われずお寺などもたず内なる声にしたがって仏の道を精進し目の前のひとりに寄り添い仏の心を生きた良寛さん観る・学ぶ|新潟県燕市の観光スポット情報なら燕市観光協会燕市観光協会TSUBAMETRIP(ツバメトリップ)では、新潟県燕市の観光情報を紹介します。工場見学や体験スポット、良寛の芸術、桜まつりおいらん道中をはじめとしたイベントなど、
先月、新潟県燕市の長善館という所に行ってきたよ〜長善館長善館について|燕市1833年(天保4年)、鈴木文臺によって粟生津村に創設された私塾である。文臺、惕軒、柿園、彦嶽の三館主四人の先生が、1912年(明治45年)の閉鎖に至るまで約八十年間、子弟を教育してきた。塾生は千人を超えると推定されている。文臺は良寛とも親交があり、中国の古典を中心に教え、惕軒の頃になると数字・英語も加えてきた。1889年(明治22年)、県内160余りの私…www.city.tsubame.niigata.jp2
吾北むささび温泉手前西条よりの道の駅にてワサビ苗発見150円ならお買得ネットでしか中々お目にかからないしかも、しっかりしてるきっとワサビ畑があるのだろう教えてくれなさそうだがさて、虎に翼朝ドラの題名だが、第一感主人公の虎子とかいてトモコと読むああ、虎子に翼が着くんだと韓非子の言葉虎はそれだけでも強いのに更に翼まであれば将に無双そう云えばタイガーマスクの虎の穴虎に翼が着いてたなあ中学高校の道徳の時間男らしく女らしく、というテーマウーマンリブという言葉が流行り戦
2018年4月18日のリブログ。--ずいぶんと年月が経過しましたが、ようやく、本当にようやく、やっとのことで、あらすじと読後感を電子書籍化しました。前のブログで書いたとおり、「庭の草花」フォルダの、2012年から今月の7年と4か月分のデジカメ写真1000枚前後を失って、絶望の淵に突き落とされたと思いましたら、電子書籍の出版に漕ぎつけたという幸福の絶頂を味わいました。お金儲けのためではないので、無料にしたかったのですが、無料化の手続き方法がわからず、最低価格106円(0.99USド
それもまた良し江戸時代のお坊さん良寛さんは「災難に遭うときは災難に遭うがよく、死ぬときは死ぬがいい」と言ってます。すげー開き直り。究極の受容ですね。なかなか、こういう境地には至れないでしょう。しかし、この良寛さん、こうしたポジティブな開き直りの呪文をみんなに与えています。それが、「それもまたよし」せっかくの旅行なのに雨天になった。あ〜、運が悪い・・・と嘆くのではなく、それもまたよし雨の旅を楽しもうじゃないの。と考える。この「それもまた良し」は神道
「散る桜残る桜も散る桜」(良寛和尚)江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われている歌である。歌の意味は、「今どんなに美しくきれいに咲いている桜でもいつかは必ず散っていく」である。桜並木を眺めたり、桜の下で花見をしたり、桜は春の風物詩である。美しい桜を愛で、気分もいいが、その桜の命は短い。時間が経つと、また、雨が降ると、散っていく。また出会うことかできるのは1年後である。今、美しい桜のように輝いていても、いつか必ず輝
あちこちで桜が咲いていますね😊いい季節です✨🐶天ちゃんは今日もお散歩へ🐾いつものベンチで休憩😋ぎゅーぎゅーのんだししゅっぱつやお花見客で賑やかな公園を抜けてお山のハイキングロードへ向かいます🐾お得意の端っこ歩き😄(動画32秒)花吹雪、花吹雪🌸途中、画像がびゅーんと動きます😣気持ち悪くなったら、ごめんなさい🙏(動画55秒)ママちゃんぼくはこっちや
「裏を見せ、表を見せて、散るもみじ」良寛さんの名言である。この言葉には、自然の摂理を感じる。もみじが散るとき、ひらひらと舞いながら、地面に落ちる。裏を見せる。表を見せる。すべてを見せる。隠すことはしない。隠すことはない。ありのまま、なるがまま、の姿である。もみじのようにありたい。小さな1枚の葉。私も同じである。小さいけど、心は豊かでありたい。辛いときもあれば、嬉しいときもある。一喜一憂するだろうが、それも感情に任せた
こんにちはたねすきです😎姫路城を出て予約していたお店へこの時期まだまだ明るい5:30姫路良寛さんこんなに明るい時間の来店は初めて?いや、初めての来店時も明るかったな😅今回私は3回目の来店でした5:30に入店して一番乗り〜と思ったら既に二組の方がいらしたその後次々にお客さんが入って来るどうやら別の部屋で女子会らしい……20名以上の女性が集まっていた結構賑やか〜🌸コチラのフロアにも20名弱💦こんなに混んでいるのは流石に初めて先ずは乾杯から❗あ、写メ撮ってない…
子どものころ、伝記を読んでお馴染みだった良寛さんは、私の記憶の中では、村の子どもたちと、かくれんぼをしたり、手鞠をついて遊ぶという優しくてかなり変わったお坊さんのイメージ。そんな良寛さんは、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶であり、書家・歌人でもありました。良寛さんは新潟県出身で終焉の地も新潟。その良寛さんが、岡山のお寺で修行していたとは、移住するまでは、知らなかったわー(@@)備中国(岡山県)玉島の円通寺は曹洞宗。良寛さんは国仙和尚の元で、22歳から38歳ころまでの長い期間修行
「陽気は美徳」陽気にしていれば運も良くなる。これ大事ですね◆「陽気発する処金石(きんせき)亦透(またとお)る」(朱子語録)陽気が満ち満ちて発すれば、固い石や金属でさえも突き破ってしまう。陽気に、積極的に行動すれば、どんな困難も突破できる。安岡正篤師は「徳とは無類の明るさのことである」といった。陽気もまた、無類の明るさのこと。「陽気は美徳」。まわりに陽気を発すれば、それが徳積みとなる。◆「富士山に登る道はいくつもある」それなのに、登るに
ありがとうありがとうありがとう全てに感謝します
この銅像が懐かしくこの丸い背中覚えてる良寛さんの生家の跡地に日本海とお母上の故郷佐渡を眺めるように座ってる銅像。二十数年前来たときわたしは上娘がお腹にいてお腹をなでながらこの銅像と写真を撮ったのものでした。良寛さんに安産を祈ってたのカモ(笑)反対からみるとこんなです清貧とも言われ托鉢で生きておられた良寛さんはこんな小さな素朴なお住まいで寒い越後の山の中で暮らしながら日本美の極地とも絶賛される書や詩歌を遺されました(お写真お借りしております)
人は生きていると、病気や災難に遭遇することがあります。私も、過去を振り返って、よく生きてこれたなぁ💕と感じることもしばしば。辛くて、自殺したい😢と思ったことも何度かありますよ。でもね、その時、残された家族のことを思ったら、そんなことできない…😢と思ったり、私の苦悩を知って、自殺したいという思いを察してくれた人から、「死んだらだめだよ」の一言で思いとどまったり…そんな経験をしながら、人生を歩んでいると、「下り坂」から「平坦な道」になって、「上り坂」になる時もあるんですね。もし、あの時、自
どうしても良寛さんに逢いたくて懐かしく出雲に行ったと思ったら次は出雲崎へ行くことにしました。むしょうに逢いたい。だから素直に会いに行く。極めてシンプルw酒井大阿闍梨のなさった千日回峰行というのが法華経の常不軽菩薩の礼拝行なのだと聴いて法華経と常不軽菩薩がわたしのなかに残り調べてみたら宮沢賢治さんもとても影響を受けたのだとか。常不軽菩薩品そしてわたしが若い頃日本画に興味を持って敬愛していた日本画家の安田靫彦さんが日本の美の極致だとリスペク
五合庵を後にして車を止めていたビジターセンターへ向かう途中で千眼堂吊り橋これを渡りここにも良寛様が村の子ども達に囲まれる良寛様私が子どもの頃に憧れた良寛様の姿ビジターセンターの中に展示がありました。管理人さんから「もう数冊しかないから、どうしてもと言うならば」と、粘られながらいただきました嬉しい大切にします五合庵からの下り道の途中に五合庵を降りて、乙子神社に良寛様は住まわれたのだから、もっと下にあるかと思っていたが、この参道は中腹から。こんな階段が続いていました。
目覚めたら真っ白私は気づきませんでしたが、夜中は雷もなったもよう。本日は私の「行きたい」を旦那が理解してくれて良寛様ツアーまず、長岡へ出てレンタカー(長岡は雪でなく、雨でしたほっと)そして、目指す出雲崎荒波の日本海を眺めながらドライブ40年以上ぶりの良寛堂お会いしたかった良寛様これ、雪囲いと思われます良寛様にならって日本海を眺めました。晴れていれば佐渡ヶ島が見えます今回、行きたい、と思った石井神社水上勉の「良寛を歩く」にでてくる神社ここからの眺めが幼少の良寛
こんばんは。今日も風が強くて寒かったです。こういう日は、体高が低くて4本足のワンコ先輩の方が安定しているような気がします。ニンゲンの方が横風に弱いような。ところで、江戸時代に生きた僧の良寛さんは、大地震を経験した時に、次のような言葉を手紙に書いたそうです。災難に逢う時節には災難に逢うがよく候死ぬ時節には死ぬがよく候これはこれ災難をのがるる妙法にて候良寛さんは若い頃からこんな風に考えていたのでしょうか、それとも、いろいろ不安を経験して、このような考えに行き着いたのでしょうか。
『リアルタイムな家族の話⑨じぃじの最期』『リアルタイムな家族の話⑧じぃじの最後の願い』『リアルタイムな家族の話⑦じぃじ再入院』『リアルタイムな家族の話⑥じぃじの執念』『リアルタイムな家…ameblo.jp<SKYの家族>長男:ASD多動性障害支援学校高等部1年二男:ASD情緒障害書字障害地元の中学1年一般級長女:定型発達地元の小学3年私:3人のシングルマザー40代しばらく、じぃじのブログが続きます。
2015年2月23日のリブログ。--今でこそ、辞書読みを楽しんでいる私ですが、私のブログの原点「良寛さん」の読後感の一篇です。--ここから植野明磧先生の名著『良寛さん』の「川に落ちる」の読後感を書きます。あらすじは次のとおりです。原書で傍点付きの文言は「」で囲み、原書の平仮名書きの一部を漢字に直し、難読漢字には適宜、振仮名を付けました。--ここから地蔵堂町の近くを流れる狭川(せばがわ)の渡し場に権三(ごんぞう)という「ならず者」の船頭がいた。大酒は飲む、喧嘩はする、博打は
2017年2月11日のリブログ。--賭け碁(あらすじ)秋、親しい関川万助の家に托鉢に出た。万助は柿の木に登り、柿もぎをしていた。良寛さんの書画が欲しい万助は賭け碁を提案して良寛さんが承諾したが負けてしまった。3回とも万助が勝って書画を書いてもらうことになった。良寛さんは3回とも「柿もぎのきんたま寒し秋の風」という短歌を書いた。万助は文句を言ったが、「お前も碁で3回も勝った」と言われた。(読後感)とんち勝負である。俳句の内容もおかしいが、無欲の良寛さんは碁に負けても絶対王者と
いつもありがとうございます。さて本日は、小林正観著、「ただしい人から、たのしい人へ」より、ご紹介します。………………………………………………………………………………………………………………仙桂和尚は30年間、来る日も来る日も野菜を作り続け、それを村人たちに配って歩いたそうです。だだ、それだけをやり続けた僧侶でした。のちに、仙桂和尚のこと書いた記述の中で、「この仙桂和尚こそ、真の道者である」と良寛さんは書き記しています。ただ、「自分は仙桂和尚とともに過ごしている時に、この
(一部抜粋)・・・「愛語(あいご)」という言葉は、良寛和尚が好んで使っていたと言われています。良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。それならいくらでもあげることができるから」良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を・あたたかい言葉・やさしい言葉・思いやりに満ちた言葉
地震、天災の未来予測を聞いてしまうと不安になりますそんな今、有り難いことに良寛さんの言葉を目にする機会があり、気持ちが少し落ち着いたのでした。「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。」究極の言葉です♢♢♢プリムラジュリアン
【最高のしあわせ法則】人生もっと楽しくなる!たった1つのことショーゲンxベストセラー作家ひすいこたろう待望の書籍発売!「今日、誰のために生きる?アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の話」https://amzn.to/3QaNpdBアフリカの村が教えてくれた、衝撃の日本人の役割とは?━━━━━━━━━━━━━━━SHOGENの活動をいち早くお届け...www.youtube.com「ペンキ画家」ショーゲンさんの動画ふたつ。内容がユニークで、ほっこり優しい気持ちにな
一切のものはすべてが己の内にあるものであるそのすべての内のものを彼岸へ渡してしまえ般若心経の解説~良寛さんの事教えて正観さん~般若心経の解説~良寛さんの事教えて正観さん~広島中区にて収録。広島講演会です。ゲバントホールで開催されたものです。テーマ「良寛さんの事教えて正観さん」広島での笑い声いっぱいの講演会です。般若心経をとても解りやすくお話ししています。正観さんの40年の日常現象の観察結果として、世の中には幸も不幸も存在しない、そう思う...youtu.be要点解説1〜般若心経は簡
1人で学ぶ。自分の中にあるものだけ。人と出逢う。自分にはないことを持つ方たちと出逢う。無いものを得。そして、人とコミュニケーションを取ることで自分自身を知る。私は、学んだことをシェアしたい。教えたいらしい。で、そこを掘ると分かってきたことは、誰かに役に立つ情報を持つことが自分の安心要素なのかもしれない。さらにそこを掘ると、何も役に立つ情報も、物も無い状態で自分は人に愛される自信がないのかもしれない。不安を消すために、私は情報を貪るのか?好きで欲して、得ているので
明治十一年九月十六日新潟巡行中の明治天皇の小休所に指定された髙島翁平邸現在は髙志の宿髙島屋という料亭旅館となっている江戸時代の末期庄屋も務めた髙島家にはかの良寛さんも足を運んでいる話は変わり、以前「開運!なんでも鑑定団」を見ていたらあら?どこかで見たお顔髙島屋の女将さんがご登場してました
花無心にして蝶を招く蝶無心にして花を尋ぬ花開く時、蝶来り蝶来る時、花開く吾れも亦人を知らず人も亦吾れを知らず知らずして帝の則に従う花は、無心であって蝶を招こうとして咲いているわけでもない。蝶もまた無心であって花を訪れようとしているわけでは無い。花が咲いてる時に蝶が飛んできて蝶が飛んでくる時には、花が咲いてる。私は他人の事など知りはしないが、他人もまた自分の事など知りもしない。互いに知らないながらに、自然の摂理に従って動いている。フリッツ・パ
(一部抜粋)私たちが相手の方の内に神様(良いところ)を見ることができれば、まさに自分の宇宙(自分の住む世界、周りの環境)においては、全てが調和し、全てが幸せで笑って暮らせる平和な世の中になることでしょう。そして生きながら、天国に住めるでしょう。。「相手の内に神様(良いところ)を見ること」って?以前書いたのですが、良寛さんが溺れた時のお話でご説明します。・・・