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子曰わく、これを愛して能(よ)く労(ろう)すること勿(な)からんや。忠にして能く誨(おし)うること勿からんや。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「真に(我が子を)愛するからには、どうしてどうして苦労させずにおれようか?真に(友を思うなら)、どうして忠告せずにいられようか?」≪後述≫孔子が人間の愛情や真心の機微について語った一章であり、愛があれば共感が生まれて、真心があれば相手に”正しい知識や情報、方向性を示してあげたい”という思いやりが自然と生まれるというこ
子曰わく、君子にして不仁なる者あらんか。未だ小人にして仁なる者あらざるなり。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「仁者とは、別の形の人格者というのはいるかも知れない。しかし、仁者でありながらつまらない人間というのは一人もいない。」≪後述≫孔子が顔回におっしゃった。「顔回よ、僅か3ケ月でいいから仁徳から心を離さないようにしてみなさい。3ケ月が過ぎれば、残りの徳も自然に身に付くことであろう。」という章も別にある。期間を区切り、更なる仁徳の境地を探求していきたい
南宮括問於孔子曰、羿善射、奡盪舟、倶不得其死然、禹稷躬稼而有天下、夫子不答、南宮括出、子曰、君子哉若人、尚徳哉若人。南宮括(なんきゅうかつ)、孔子に問いて曰わく、羿(げい)は射(しゃ)を善くし、奡(ごう)は舟を盪(うごか)す。倶(とも)に其の死を得ず。禹(う)と稷(しょく)とは躬(みずか)ら稼(か)して天下を有(たも)つ。夫子(ふうし)答えず。南宮括出(い)ず。子曰わく、君子なるかな、若(かくのごと)き人。徳を尚(たっと)べるかな、若き人。≪
子曰わく、邦(くに)に道有れば、言を危(はげ)しくし行いを危しくす。邦に道無ければ、行いを危しくして言は孫(したが)う≪解釈≫孔子はおっしゃいました。『徳のある人は必ず善い言葉を話すが、善い言葉を話す人が必ずしも徳があるというわけではない。仁者は必ず勇気があるのだが、勇者は必ずしも仁徳を備えているとは限らない。』≪後述≫仁者はあらゆる側面において卓越した資質を発揮するのだが、中身のない雄弁家や勇者の場合には、人間を人間足らしめる重要な徳である『仁』が
子曰わく、邦(くに)に道有れば、言を危(はげ)しくし行いを危しくす。邦に道無ければ、行いを危しくして言は孫(したが)う≪解釈≫孔子がおっしゃいました、「国家において道徳に基づいた政治が行われている時には、正直に発言して正直に行動する。しかし、国家において道徳に基づいていない政治が行われている時には、正直に行動すべきだが、発言は控え目にすべきである。」≪後述≫国家において道徳に基づいた政治が行われている時には、正直な発言と行動をしても身に危険は及ぶこ
子曰わく、士にして居を懐(おも)うは、以て士と為すに足らず。≪解釈≫孔子がおっしゃいました、「士人(人の上に立つ立派な人物)とは、役職に伴った、自らの家庭生活の安楽を最優先に考えるようでは、その風上にも置けない。」≪後述≫士の条件として現状にこだわらない”決断力、行動力、実践力の高さ”を非常に重視していたことのあらわれであろう。士たるものは、”個”を超越した公への義務であり、必要とあらば慣れ親しんだ土地を即座に捨てて行動することが出来るだけ覚悟が求め
克(こく)、伐(ばつ)、怨(えん)、欲(よく)、行なわれざる、以(もっ)て仁と為すべし。子曰わく、以て難(かた)しと為すべし。仁は則(すなわ)ち吾(われ)知らざるなり。≪解釈≫(原憲(げんけん)が孔子にお尋ねになりました。)「闘争心、慢心、怨み、欲望、これらを自制できたとしたら、仁者と呼べるでしょうか?」孔子は、「それはとても困難なことである。それで仁者と呼べるかは解らないな。」と答えられました。≪後述≫孔子に”仁の本質”について問うた一章である。克
憲(けん)、恥を問う、子曰わく、邦(くに)に道あれば穀(こく)す。邦に道なきに穀するは、恥なり。≪解釈≫原憲(げんけん)が恥について、孔子にお尋ねになりました。孔子は、「国家に正しい道理があるならば、官吏(役人)になって俸禄(給料)を受け取っても良いだろう。しかし、(国家に正しい道理がなく)国が乱れている時には、国に仕えて俸禄を受け取るのは恥である。」とお答えになりました。≪後述≫孔子の門人で才能があった七十子の一人に数えられる原憲と孔子さんの遣り
子曰わく、教えざる民を以て戦う、是(これ)これを棄(す)つと謂(い)う。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「教育を施していない民衆を戦場に送るという事は、民衆を見捨てるのと同じ事だ。」≪後述≫この言葉の背景として、三桓の専横、魯公のリーダーシップの欠如等、魯国は内政の混乱に振り回されており、挙国一致の国防体制が整っていなかったようです。一貫した軍事訓練体制も整わず、その都度仕立てのにわか軍隊を編成して応戦していたと考えられています。その為、大し
子曰わく、善人、民を教うること七年、亦(また)以て戎(じゅう)に即(つ)かしむべし。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「善き指導者が人民に教育訓練を施せば、七年も経つ頃には、人民を勇敢な兵士に仕立てあげることができるであろう。」≪後述≫「善人」とは普通の庶民の事であり、敢えてそのように述べる理由として、罪を犯した者や敵国の捕虜は、名誉を挽回する為に戦場で危険な任務を負わされる事が多かったのである。人材も有能な人間を集めるだけでは駄目であり、その人達
子路問曰、何如斯可謂之士矣、子曰、切切偲偲怡怡如也、可謂士矣、朋友切切偲偲、兄弟怡怡如也。子路(しろ)問いて曰わく、何如(いか)なるをか斯(こ)れを士と謂(い)うべき。子曰わく、切切偲偲怡怡如(せつせつししいいじょ)たる、士と謂うべし。朋友(ほうゆう)には切切偲偲(せつせつしし)、兄弟には怡怡如(いいじょ)たり。≪解釈≫子路(しろ)は孔子さんにお尋ねになりました。「どの様な人物を士人と呼ぶべきでしょうか?」孔子は、「他者を励まし和やかに接することができるな
子曰わく、剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「剛毅で朴訥な人物は仁者に近いと言える。」剛毅朴訥という言葉の対照的な言葉として、巧言令色鮮し仁。という言葉が用いられます。剛毅とは、意志がしっかりして物事に屈しないの意であり、木訥とは、飾り気がなく無口なことの意ですが、確かにこのような人物は安心して付き合えるのです。あなたの身近に剛毅朴訥の御仁が居られる方は幸せ者ですね。≪後述≫孔子が考える仁徳についての
子曰わく、君子は泰(ゆたか)にして驕(おご)らず、小人は驕りて泰ならず。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「人格者は泰然として落ち着いているが、決して驕り高ぶったりしない。つまらない人間は驕り高ぶってはいるが、落ち着いてゆったり構えるという事ができない。」≪後述≫論語には、孔子さんが、君子と小人を対比して説明されている箇所が数か所あります。「君子は和して同せず。小人は同じて和せず。」⇒君子は人と調和し、仲の良い状態を保つが、何にでも同調はしない。小
子曰、君子易事而難説也、説之不以道、不説也、及其使人也、器之、小人難事而易説也、説之雖不以道、説也、及其使人也、求備焉。子曰わく、君子は事(つか)え易(やす)くして説(よろこ)ばしめ難(がた)し。これを説ばしむるに道を以(もっ)てせざれば、説ばざるなり。其の人を使うに及びては、これを器(うつわ)にす。小人は事え難くして説ばしめ易し。これを説ばしむるに道を以てせずと雖(いえど)も、説ぶなり。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「人格者に仕えるのは簡単だが、喜ばす
子貢問曰、郷人皆好之何如、子曰、未可也、郷人皆惡之何如、子曰、未可也、不如郷人之善者好之、其不善者惡之也。子貢(しこう)問いて曰わく、郷人(きょうじん)皆これを好まば何如。子曰わく、未(いま)だ可ならざるなり。郷人皆これを悪(にく)まば何如。子曰わく、未だ可ならざるなり。郷人の善き者はこれを好み、其の善からざる者はこれを悪くまんには如(し)かざるなり。≪解釈≫子貢(しこう)が尋ねました。「地元の人々全員から称賛される様な人物はいかがでしょうか?」孔
子曰わく、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「君子(出来た人物)は、調和を心掛けるが付和雷同(注)することがない。これに反して小人(下らない人物)は、付和雷同(注)するが調和することがない」(注)自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。≪後述≫君子とは、自分の信念をしっかりと持った上で、他者の考え方などを尊重して譲り合う事の出来る人物であり、信念があっても譲り合いの精神がなければただの頑
子曰、南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫、善夫、不恆其徳、或承之羞、子曰、不占而已矣。子曰わく、南人(なんじん)、言えること有り。曰わく、人にして恒(つね)なくんば、以(もっ)て巫医(ふい)を作(な)すべからずと。善いかな。其の徳を恒にせざれば、或(ある)いはこれに羞(はじ)を承(すす)めん。子曰わく、占(うらな)わざるのみ。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「南方には”恒心を持たぬ者は、巫女や医者にはなれない”という諺があるが、良い言葉である。」
子曰わく、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者(きょうしゃ)は進みて取り、狷者(けんしゃ)は為さざる所あり。≪解釈≫孔子はおっしゃいました。「中庸を心得た人と仲間になりたいものだが、そのような人には中々出会えない。ならば狂者か狷者を探すとしようか。狂者は善いとなればすぐ飛びつくし、狷者は悪いとなれば絶対に手出ししないからなあ」≪後述≫狂者とは、理想主義者であり、狷者とは、頑固者のことを指しています。狂
子貢問曰、何如斯可謂之士矣、子曰、行己有恥、使於四方不辱君命、可謂士矣、曰、敢問其次、曰、宗族稱孝焉、郷黨稱弟焉、曰、敢問其次、曰、言必信、行必果、硜硜然小人也、抑亦可以爲次矣、曰、今之從政者何如、子曰、噫、斗筲之人、何足算也子貢(しこう)問いて曰わく、何如(いか)なるか斯(こ)れこれを士(し)と謂(い)うべき。子曰わく、己を行うに恥あり、四方に使いして君命を辱(はずかし)めざるは、士と謂うべし。曰わく、敢(あ)えて其の次を問う。曰わく、宗族(そ
樊遅(はんち)、仁を問う。子曰わく、居処(きょしょ)は恭(きょう)に、事(こと)を執(と)りて敬に、人に与(まじわ)りて忠なること、夷狄(いてき)に之(ゆ)くと雖(いえど)も、棄(す)つるべからざるなり。≪解釈≫樊遅(はんち)が”仁”について孔子にお尋ねになりました。孔子は、「家では恭(うやうや)しく、仕事では慎重に、人々に対しては誠実に振る舞いなさい。これら三つのことは、たとえ未開の地へ行ったとしても忘れてはならない事である。」とお答えになりました。
葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣。葉公(しょうこう)、孔子に語りて曰わく、吾(わ)が党に直躬(ちょくきゅう)なる者あり。其の父、羊を攘(ぬす)みて。子これを証す。孔子曰わく、吾が党の直(なお)き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の内に在り。≪解釈≫葉県(しょうけん)の長官が孔子に言いました。「私の村にはとても正直な者な躬さんという者がおります。
子夏爲魯筥父宰、問政、子曰、毋欲速、毋見小利、欲速則不達、見小利則大事不成。子夏(しか)、筥父(きょほ)の宰(さい)と為(な)りて、政(まつりごと)を問う。子曰わく、速(すみ)やかならんと欲すること毋(な)かれ。小利(しょうり)を見ること毋かれ。速やかならんと欲すれば則(すなわ)ち達(たっ)せず。小利を見れば則ち大事(だいじ)成らず。≪解釈≫子夏(しか)が筥父(きょほ)の街の長官になった時に政治について尋ねました。孔子は、「事を急いではいけない。
葉公(しょうこう)、政(まつりごと)を問う。子曰わく、近き者説(よろこ)び遠き者来たる。≪解釈≫葉県(しょうけん)の長官が政治について尋ねました。孔子は、「近くの者が喜ぶような政治をすれば、遠くの者であってもその評判を聞きつけて慕ってやって来るものです。」と答えました。≪後述≫葉公(しょうこう)、氏は沈、名は諸梁、字は子高。楚の葉県の長官である。人の口に戸は立てられませんから、人間は思っていることは間違いなく口に出すものです。たとえ行動や言論の自
定公問、一言而可以興邦有諸、孔子對曰、言不可以若是、其幾也、人之言曰、爲君難、爲臣不易、如知爲君之難也、不幾乎一言而興邦乎、曰、一言而可喪邦有諸、孔子對曰、言不可以若是、其幾也、人之言曰、予無樂乎爲君、唯其言而樂莫予違也、如其善而莫之違也、不亦善乎、如不善而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎。定公(ていこう)問う。一言にして以(もっ)て邦(くに)を興こすべきこと諸(こ)れ有りや。孔子対(こた)えて曰わく、言(げん)は以て是(か)くの若(ごと)くなるべからざるも、其れ幾(
冉子(ぜんし)、朝(ちょう)より退く。子曰わく、何ぞ晏(おそ)きや。対(こた)えて曰わく、政(まつりごと)あり。子曰わく、其れ事(こと)ならん。如(も)し政あらば、吾(われ)を以(もち)いずと雖(いえど)も、吾其れこれを与(あずか)り聞かん。≪解釈≫冉子(ぜんし)が朝廷より戻られました。孔子が「随分遅かったな。」と尋ねると、冉子は、「国務上の問題があったのです。」と答えられました。すると孔子は、「それは国務ではなく、お前の仕える季孫氏の私事であろう。もし
子曰わく、苟(いやしく)も其の身を正せば、政(まつりごと)に従うに於(おい)てか何か有らん。其の身を正しくすること能(あた)わざれば、人を正しくすることを如何(いかに)せん。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「もし自分の身(行ない)を正すことができれば、国の政治に従事することくらい何の面倒があろうか。自分の身すら正すことができなくて、どうして人を正し導くことができようか。≪後述≫孔子が何度も何度もお伝えになっていることとして、「まず人の上に立つ人間が(自
子曰わく、如(も)し王者あらば、必ず世にして後に仁ならん。≪解釈≫孔子がおっしゃいました。「もし、天命を拝受した王者が現れれば、一世代(30年)はかかるだろうが、人々に仁風(じんぷう)を根付かせることができるだろう。」≪後述≫たとえ仕事は引退しても、あなたの人生や人や社会との関わりは死ぬまで関わって生きていくことなのですから、人は誰であっても棺桶に入るまでは現役なのだと思います。あなたの人生においては、あなたが死ぬまで現役世代ですから・・・。孔
子曰わく、善人(ぜんにん)、邦(くに)を為(おさ)むること百年、亦(また)以(もっ)て残(ざん)に勝ちて殺を去るべしと。誠(まこと)なるかな、是(こ)の言や。≪解釈≫孔子がおっしゃいました、「普通の善人であったとしても、国を100年も治めれば、犯罪を減らして死刑を無くす事ができるというが、この言葉は本当だと私は思うのである。」≪後述≫前章の「三年あれば理想を叶えられる」を受けての言葉であろう。家には家風、学校には校風、地域社会には気風、会社に
子曰わく、苟(いやしく)も我を用(もち)うる者あらば、期月(きげつ)のみにして可ならん。三年にして成すこと有らん。≪解釈≫孔子は、「もし私を重用してくれる者があったなら、一年で然るべき成果を上げてみせよう。三年もあれば目標を達成してみせるのだが・・・。」とおっしゃった。≪後述≫衛の霊公は孔子を用いようと思ったが、年老いていたことから、結局重用するには至らなかった。この一章の話は、六十(60才)にして耳順(したが)う」(どんな人の話も聞けるようになった)
子適衛、冉有僕、子曰、庶矣哉、冉有曰、既庶矣、叉何加焉、曰富之、曰既富矣、叉何加焉、曰教之。子、衛(えい)に適(ゆ)く。冉有(ぜんゆう)僕(ぼく)たり。子曰わく、庶(おお)きかな。冉有が曰わく、既(すで)に庶し。又た何をか加えん。曰わく、これを富まさん。曰わく、既に富めり。又た何をか加えん。曰わく、これを教えん。≪解釈≫孔子が衛に滞在した時、冉有(ぜんゆう)が御者となり衛見物をした。孔子が、「人口が多いな。」とおっしゃると、冉有が、「人口