ブログ記事16件
16時過ぎに…ようやく除雪車が来てくれた。ようやっと来てくれた。他の地域はどうなってるんだろうと県の道路カメラのサイトに行ってみた。富山の街の方はアスファルトが見えている。そうなんだ。今回の雪はこちらの方…山沿いだったようだ。と言うことは…除雪の判断は街の状況で判断してたってことか。なんだよなぁ〜。市も県も…県庁や市役所のある街なかで判断してるんだ。ちなみにさっきの道路状況のカメラには船峅はもちろん大沢野が無かった。状況把握の必要もない、田舎は引っ込んでろの世界観が表示され
これは昨日、私が撮った立山です。やはり私も何度も東に目が向かいました。大日岳を中心に向かって右に雄山、左に剱岳。雄山のさらに右に鍬崎山、さらに薬師岳が連なって居ます。剱岳のさらに左に毛勝三山、白馬の山々が連なります。この見え方は八尾の人も同じでしょう。同じような角度で撮ってらっしゃいます。しかし、富山の街中からは剱岳が真ん中になってきます。彼女の視線は剱岳です。さらに富山駅方向からは正面、剱岳です。どうも…富山空港辺りから私の見ている立山になってるようです。なかなかしつこく
今日は、種蒔きの準備のため苗箱を作業場所に持っていかねばならないのだが…風がゴーゴー、ヒュルヒュル吹いている。これじゃ、苗箱が飛ばされてしまう。昔、無理したことがあって、風下に飛ばされた苗箱を集めるのにひと苦労した。風が止むのを待とう。これは近所に咲く桜。昨日、船峅大地に桜前線はやってきたようだ。寺家公園は今日だろうか、明日だろうか。上の撮影場所から数歩動くと立山が姿を、見せてくれる。海側に数歩…山側に数歩…ここは昔大きな谷があった。その谷を彫ったのは「早滝川」と名付けられていた。
以前、こんな記事を書いたことがあった。この中で関西のお米屋さんで評判が上がっている旨を書いたが、その根拠を載せてはいない。『船峅米』『船峅米(ふなくらまい)』と呼ばれていたお米があった。平成に入った頃は53の農業協同組合が有ったという。統合が進み現在15組合となっている。53組合の中に船峅…ameblo.jpある富山の商店が「船峅米」を探していると私の耳に入ってきた。店主がそう呟いているのを店員が私に伝えたのだ。その頃は農業からは手を引いていた時代だったと思う。20年位前の話だ。「船
今日は八月十三日。お盆の始まりの日である。集落としては、観音様や地蔵さんのお祀り日であり、今朝は6時からその準備。テントを立て飾付けをし14時のお祀りを待つ。この地蔵さんは、かつて「奥山村」で祀られていたもの。廃村時に、当時森林管理署に勤めていた二口さんに今後の面倒を依頼された。二口さんは村にはかったのだろう…我が村で安置することになった。以降、毎年お祀りをしている。14時のお祀り後、テントや飾付けを片付け、今度は旧「沢」集落に安置されている阿弥陀三尊の準備にかかる。なんせ集落にはひとつ
以前、姉倉姫神社の奥の院が拝殿方向から90度折れていることを話し、奥の院の向う方向(姉倉比売の視線の先)はどこなのだろうと疑問に思っていたことを書いた、ことがあった(だいぶ昔)。その際、奥の院は猿倉山と御前山の間にあるコブのような膨らみを向いていると地図上では確認できた。(単純に参道の延長に線をまっすぐ伸ばしてみた。ちょっと角度が違えばズレの出てくる危ない方法)『姉倉姫神社考』以前、姉倉姫神社の拝殿と本殿のことを話したことがあった。拝殿から拝んでも、神は正面にはいない。神の右頬を拝むことにな
現在の船峅の中心は坂本集落と言えるのだろう。船峅小学校があり、船峅地区公民館(市から職員が派遣され、住民票等も発行する。)がある。この大きな集落なのに寺は無い。代わりに伝説付きの大きな神明社がある。(法華供養塔、法華の三十番神、阿弥陀来迎地蔵堂などが宗教施設としてある。)ただ、かつて坂本集落には寺が在ったという。そしてそれは細入村に移ったとも聞く。そこで、先に細入村史を借りてきたのは、そのことが少しでもわからないかと思ったのだ。このような記事があった。片掛にある曹洞宗のお寺だ。1
今日はいい天気。そんな中で「ふなくら祭り」は開催された。たまに障害者施設への反対運動が報道される。地域移行支援や地域定着支援を行うグループホームへの「そんなモノは来るな!」と言う反対運動である。船峅の地には自然にそのようなグループホームがあったりする。たぶんそれは僕が小学4年(昭和41年)の時に精神薄弱者施設?の「セーナ苑」が船峅の地にやってきたからだろう。セーナ苑は地域の人々との繋がりを大切にされ、地域もそれに応じてきた。だから、他の地域の人々のように、障害者と供に居ることに違和感を
立山町にある『弥勒塚』に行ってきた。ここへ行きたくなったのは、三鍋久雄著「立山御案内」に紹介されていたからだ。以前から何故、岩峅寺の雄山神社は立山(雄山)ではなく、魚津の方向に向かってお参りするのか不思議だった。また、社地も洪水で削り取られるなど危うい場所に立っているのか、やはり不思議だった。「立山御案内」には、元々は弥勒塚の位置にあったと書かれている。そして雄山がよく見える位置だとも書かれていた。確かめたくなった。赤丸の所に弥勒塚はある。現在の雄山神社は左上に前立社壇とある神社マークの
ホタル報告。私の住む旧船峅村の21:45頃の状況です。坂本地区、万願寺地区のポイントで各1匹づつ確認しました。時間帯によって波があり、ピークを過ぎた時間帯だと思うのですが、確認出来ました。「出始め」と云うところでしょうか。毎年、家の後ろの用水にも出るのですが、先日草を刈ってしまい生息環境としては、今は良い状況では無いので確認してません。①月明かりの無い、②蒸し暖かく、③風のない④20:15~21:30頃。と言う条件を中心に忙しくなりそう。ホタル達の恋のお祭り。なんだか、八
昨日は、姉倉姫神社に行ったことを話した。姉倉姫神社は2つあり、船峅にある姉倉姫神社を主に話した。この神社には別当寺が今も残っており、帝龍寺と言う。この寺の山号はせんべんざんと読ませるが、『船峅山(ふなくらやま)』と書く。僕には「ふなくら」と言う言葉が先にあり、「船峅」と言う漢字を当て、中国風の「せんべんざん」と読ませたのではないかと考える。では、この「ふなくら」とは何なのだろう?この寺の周囲には「直坂(すんざか)遺跡」、「大野遺跡」などの縄文遺跡が出土している。この地に棲んでいた人々の
今日、姉倉姫神社へ行ってきた。この神社は延喜式に婦負郡7社の筆頭に載っている。ただ、旧船峅村と旧呉羽町に同名を名乗る社があり、2社の内ありどちらが延喜式の社なのか、はっきりしていない。越中の歴史を纏めた「肯構泉達録(こうこうせんたつろく)」や「喚起泉達録(かんきせんたつろく)」には、姉倉姫と石動彦の戦いから書き起こされている。『姉倉姫』はその主人公のひとりである。つまり、姉倉姫神社と言うのは、この女神を祀った神社なのだ。この話を簡単に記すと船峅にいた姉倉姫と石川との県境にいた石動彦は夫
〈船峅〉と言う地名について『《ふなくら》と言う地名について』僕の住んでいるところは、昔「船峅村」と呼ばれていた。昭和の大合併の時に大沢野町と合併し、その大きくなった大沢野町も平成大合併で富山市と合併した。この漢字「船峅…ameblo.jp昨日の記事で「広く開かれた場から谷になる、狭くなる場所として、この地を〈futnekurーフッナクラ〉と呼んでいたのかもしれない。」と書いたが、だとしたら他の地域でも似た使い方が有るのではと思った。「地名辞典」と言うサイトで調べたのだが、「船」を含
僕の住んでいるところは、昔「船峅村」と呼ばれていた。昭和の大合併の時に大沢野町と合併し、その大きくなった大沢野町も平成大合併で富山市と合併した。この漢字「船峅」は「フナクラ」と呼ぶ。漢字は姉倉姫の本地である虚空蔵菩薩を祀る帝竜寺の山号『船峅山』からきたのだろう。山号としての読み方は『センベンザン』だ。山号を訓読みで「ふなくら」と呼んだのだろうか?逆じゃないかと僕は考えてみたい。「ふなくら」と言う音が先にあり、その地の「帝立寺」(一番先の名は帝が作ったと言う意味で帝立寺だったという。)
昨日、今日は田んぼの秋起こし。起こし方を少し変更して、一枚の田んぼを「の」の字を書くように周囲から中央へとぐるぐる回転する方法で行った。すると、↑最後にピタッと治まった。やった!つまんないことなのだが、嬉しい。右手に薬師岳、真ん中に雄山らが見える。立山に向かって走る道は、隣集落との境。手前の山の麓に「市場」集落がある。突き当たった山の右手の頂上部分に昔、城があり、その下に「市場」が出来たのが、由来と聞く。(富山県教育委員会の出した「富山のお城」より)38番の栂尾城です。(
クマの夢を見た。家の前の50mほどの木戸道の先には7m道路が走っている。江戸期には、富山から飛騨へ結ぶ旧飛騨街道だ。そこに、のそのそとクマが歩いてきた。南から北の方へ、つまりは猿倉山の方から富山の方へ向かって。クマは僕に近づくも、襲ってくるそぶりも見せず、怖い感じはしなかった。「あぁ、腹すかせてるんだなぁ」と感じた。「ここにいるんだよ」と言って、僕は、家に入り、リンゴの実を一つ掴んだ。さて、家の窓から外を見ると、さっきのクマが窓の下を歩いている。「道にいろ」と言ったのに・・・
今朝は風が吹きました。放送では最近『地吹雪』と呼ばれています。ここ船峅では南(山)から海に向かって吹きます。ここ船峅では、『たてる』と呼ばれてきました。「今日はたてとるから、早く行かれぇ。」「(着とるもんの)隙間、開けられんじゃ。」冷たい風は服の隙間から身体中入り込みます。『たてる』という言葉は古語の『たつ』からきたのでしょう。「霞たつ(かすみたつ)」の『たつ』です。神が姿を表す様を、そのように言ったそうです。『たつ』が動きを伴い『たてる』。立山(たてやま)とは、『た