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京都花月昭和53年6月上席のポスター。看板にコメディ№1、林家小染、桂きん枝の三組。トップにのりお・よしお。ショート・ショートの枠で、笑福亭松之助を筆頭に若手噺家が6人出ており、弟子の明石家さんま、明石家小禄も出演。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「リズムボックス」でザ・ダッシュが主演。吉本新喜劇は谷茂が座長で、中村進作・演出の「お茶の子さいさい」。専科から船場太郎が出演。上方芸能(1981年10月号)によると、「天麩羅屋をほそぼそとやっているおやじ(谷
うめだ花月昭和56年3月中席のポスター。漫才・落語はうめだらしい番組編成で、トリは幸朗・幸子のベテランに、桂文珍、コメディ№1、明石家さんまとバランスが良いです。由紀子・幸司は由紀子・たか志のことで、人生幸朗の紹介で吉本入りしたことから、この時期は生恵由紀子・羽田幸司と名乗っていた頃。奇術の松旭斉天正・小天正は親子ですが、とも子って誰?後見ですかね?ポケット・ミュージカルスは噺家ユニット「ひっと・えんど・らん」(構成/三原和人)で、笑福亭仁幹、笑福亭仁喬、桂小つぶ、桂三馬
京都花月昭和53年5月上席、ゴールデンウィーク興行のポスター。さすがはゴールデンウィークで、京都花月もそこそこのメンバーを揃えてます。看板はカウス・ボタン、桂小文枝、桂文珍。小文枝さんの横に小さい文字で書いてあるのは「日中友好に一役買って帰国」で、チャンバラトリオ共に国際交流で中国に行ったようです。よく小文枝さんが枕で中国ネタをやってました。笑ボックスの枠に小づえ・みどり、明石家さんま、B&B。ポケット・ミュージカルスは第13回上方漫才大賞を受賞したWヤングが主演。大河
京都花月昭和53年4月上席のポスター。看板は三人奴と桂きん枝。朝日丸・日出丸に笑福亭松之助って、春休みですが漫才・落語は子供向けではない番組編成です。「笑ボックス」の枠にはこづえ・みどり、B&B、明石家さんま。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成「春眠暁を覚えず」で、ジャズ漫画の木川かえるが出演。吉本新喜劇は「私の宝物」(作・演出三原和人)。谷しげるが座長で、専科は桑原和男、船場太郎。2月に伴大吾が失踪し、先月から谷しげるが一枚看板になりました。
漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」のおかゆうた(本名・井元保則=いのもと・やすのり)さんが22日、脳内出血で死去した。61歳だった。鹿児島県出身で、1981(昭和56)年11月に吉本新喜劇の岡八郎(岡八朗)に弟子入り。しばらくは新喜劇に出演していたが、1983(昭和58)年3月にNSC1期生でうめだ花月の進行係をしていた穐山(おかけんた)とコンビを結成。当初は本名だったが、「きつね・たぬき」「きつね・うどん」などを経て、岡八郎の息子と娘の名前から「岡けん太・ゆう太」と命名。その後は地道に花
京都花月昭和53年3月中席のポスター。看板は3組でカウス・ボタン、露乃五郎、阪神・巨人。トップにのりお・よしお。他にも翠みち代、由紀子・たか志、ザ・ダッシュなど後年も花月で活躍した面々。ポケット・ミュージカルスは朝日丸・日出丸主演の「朝日丸・日出丸の兄弟船」。構成は橋本収。新爆笑軍団は海生宏彦構成の「ガラクタの日々」。由利謙、池乃めだか、藤里美他。吉本新喜劇は中村進作・演出で「見せたいところ」。本来は寛平組ですが、船場太郎が座長代行で専科は平参平。
京都花月昭和53年2月上席のポスター。演芸は桂三枝が9・10日だけ出て、あとはチャンバラトリオが看板ぐらいで、三枝が出てないといつもの京都よりもかなり貧相なメンバー。三枝も含めて落語が笑福亭松之助、露の新五、明石家小禄、桂文福と5人も噺家が出てます。ポケット・ミュージカルスは谷しげるショウで、松本俊介構成の「もう!いいかい」。吉本新喜劇は演芸とは打って変わっての豪華メンバーで、谷しげる・伴大吾を座長に専科から原哲男、桑原和男、船場太郎で「UFOの男ども」(作・演出中村進)。
2月20日月曜日〜その9HDDに録画した、BSよしもと『プレミアムアワー〜花月爆笑劇場』〜「花婿物語」を見る。(写真)劇中の背景に何度も映り込む、うめだ花月のポスターに私の名前を発見!!。(写真)地下資料室のコレクションを調べますと、S60年3月中席(11日〜20日)のポスターでした。私は22歳。まだまだ出番が浅い時代。後に五代桂文枝を襲名される小文枝師匠。Wヤングの平川幸男師匠、大平シロー兄さん、桂福團治師匠の奥様翠みち代師匠、松旭斎天正師匠、滝あきら師匠。吉本新喜劇の木村進兄さん、井
昔の吉本新喜劇がこのBSよしもとで観ることができます。今現在放送されている昔の新喜劇は昭和59年頃のものです。座長が船場太郎木村進間寛平室谷信雄。専科が花紀京岡八郎原哲男平参平桑原和男という布陣です。女性は中山美保藤里美南喜代子など。副座長クラスに池乃めだか井上竜夫高石太など。吉本新喜劇の全盛期はもっと前なのですが、そのうち放送されるでしょう。もうこの頃になると漫才ブームを体験したお笑いの客層が新喜劇の笑いでは物足りなくなっており花月の劇場内はしらけまくってい
京都花月昭和53年正月興行のポスター。カウス・ボタン、桂小文枝、桂きん枝、チャンバラトリオといつもの京都の番組に比べると、若干いい番組ですが、やはりなんばやうめだとは少し格落ち感がありますね。しかし当時の京都なら正月は満員だったでしょう。トップにはコンビを組んで3年目の、のりお・よしお。林正之助会長お気に入りで、正月やお盆お馴染みの天津竜子舞踊劇団。ポケット・ミュージカルスは伴大吾主演で、松本俊介構成の「伴大吾ショウ年のはじめに」。他に丘光二、津島ひろ子が出演。吉本
うめだ花月、昭和53年7月下席のチラシ。夏休みながらも看板は渋い面々で、幸朗・幸子、桂小文枝、Wヤング。「ワイド50」というのは4組で50分という意味ですかね?ザ・ローラーズ、由紀子・たか志、ザ・パンチャーズに、コンビ結成1年目の紳助・竜介。屋号が逆になってますね。パンチャーズのナンバ四郎は今のMr.オクレ。番組の案内役として、滝あきら。ポケット・ミュージカルスは海生宏彦構成の「南南西の風」。新爆笑軍団も海生宏彦構成で、由利謙主演で「サマーウォーズ」。他にやなぎ浩
昭和57年3月の花月三館の予告です。●なんば花月上席は桂三枝が珍しく日にち限定でない出番。朝日丸・日出丸が大文字なのに、ダイマル・ラケットが小文字扱い。ポケットは笑福亭松之助、由紀子・幸司で時代劇コントですかね?吉本新喜劇は木村進、平参平、船場太郎、末成由美で「恋の確定申告」(作・演出中村進)。中席はザ・ぼんち、明石家さんま、サブロー・シローなど。吉本新喜劇はこちらへ。『吉本新喜劇「峠の軍造」』なんば花月昭和57年3月中席吉本新喜劇「峠の軍造」作・演出檀上茂『
京都花月昭和52年11月上席のポスター。演芸は全体的に若い番組編成で、看板はカウス・ボタン、桂文珍、月亭八方の三組。演芸ワイド版「笑ボックス」の枠に、明石家さんま、桂文福、礼子・恵太。こづえ・みどりの「つ」の点々が抜けてますね(笑)ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「イミテイション」。ちょうど山口百恵の「イミテイション・ゴールド」が流行った頃ですね。吉本新喜劇は三原和人作・演出で「秋深し・・・・」で、谷しげる・伴大吾の二枚看板に、専科は原哲男と船場太郎。
前回のチラシの裏面で、うめだ花月昭和48年1月中席二の替り興行の予告です。やはり正月中席は豪華メンバー継続で、幸朗・幸子、笑福亭仁鶴、カウス・ボタン、Wヤングが揃います。コント110の三田マサルは鳳啓介の実弟で、京唄子の三人目の夫。B&Bは初代で、洋七がまだ洋一と名乗っており、団順一は現在放送作家の萩原芳樹。吉本新喜劇は中村進作・演出で「気軽な人生」。船場太郎が座長で、専科から花紀京、桑原和男。マドンナに山田スミ子。
子供の頃土曜の昼は学校からダッシュで家に帰ってお昼を食べながら12時からの5チャンネル13時からは11チャンネルで吉本新喜劇を見るのが定番でした今朝何かの番組の「ピンポン」ってワードに引っかかり動画を探しました八っちゃんのピンポン&空手ネタこれは新喜劇の歴史に残るギャグ私も今でも時々使っています隣の京やんも味あり過ぎ立ってるだけでも笑えてしまう存在感この時代の新喜劇は本当に面白かった後に微かに映ってる事務員さんは若かりし頃の末成由美さんですね私の推しメンは
昭和52年10月上席京都花月のポスター。トリはベテランのダイマル・ラケット。落語は露乃五郎、そこに並ぶのはコンビ結成2年目の阪神・巨人。演芸ワイド版「笑ボックス」には、いくよ・くるよ、明石家小禄(後の五所の家小禄)、西川きよしと島田洋之介の弟子の啓二・洋司。新企画として「ショート・ショート」には笑福亭松之助とのりお・よしお。この三人で何をやったんでしょうね?ポケット・ミュージカルスは松本俊介構成の「古都の秋」で、前席に続いてこづえ・みどりが主演。吉本新喜劇は三原和
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前回のチラシの裏面で、次席(うめだ花月昭和53年9月上席)の予告。全体的に若い番組編成で、ベテランはダイラケぐらい。看板は漫才3組で、コメディ№1、カウス・ボタン、ダイマル・ラケット。前田五郎と中田カウスが同じ出番ってのも、今となれば恐ろしい・・・。その他の演芸メンバーは「ワイド50」でくくられてまして、8月下席に続いていくよ・くるよと紳助・竜介。そして噺家が桂文福、明石家小禄、笑福亭仁扇。番組の案内役として滝あきらの弟子の滝シードで、現在の九十九一。ポケット・ミュージカル
前回のチラシの裏面で、次席(4月上席)の予告。なかなか渋い面々の編成で、トリはタイヘイトリオで、モタレがダイマル・ラケットです。アクロバットの内田ファミリーは、ザ・ローラーズの前身。Aスケ・Bスケも結構看板が下がってますね。落語が三本で、露の五郎にデビュー3年目の月亭八方、そして露の団平は2018年に死去した露の慎悟。吉本新喜劇は新座長船場太郎で、マドンナは山田スミ子、専科は原哲男。
昭和56年12月の花月三館の予告。吉本新喜劇はチーム制で動いているので、メンバーにあまり変化はありませんが、別格副座長だった室谷信雄が昭和57年1月から座長に昇格するので、それぞれの座員の組替えがあり、船場太郎が座長から専科に戻ります。●なんば花月上席は桂小文枝を筆頭に文珍、文太、文喬、文福と一門会のような出番。中席では幸朗・幸子が載ってますが、11月下席から休演。なので明石家さんまと紳助・竜介が看板。この席も噺家が多く出ており、噺家団地ならぬはなしかマンション。吉本新喜劇は間
船場太郎帯谷孝史ポットネタよしもと新喜劇1988年花月爆笑劇場「いもうと」船場太郎帯谷孝史今岡まき子内場勝則未知やすえ井上竜夫youtu.be船場太郎のネタでこの帯やんのボットが一番好きでした。これ吉本新喜劇末期の昭和63年なんですが、滅茶苦茶面白いのに会場の笑いが寂しいですね。
昭和56年11月、花月三館の予告。吉本新喜劇はチーム制で動いているので、各劇場各席同じメンバーしか載ってませんが、池乃めだかや専科クラスを載せず、当時まだ副座長にもなってない(島田一の介は一応副座長格の位置)高石太や佐藤武司、帯谷孝史を推してるのが不思議な感じ。●なんば花月さすが各席豪華なメンバーを揃えてます。上席は阪神・巨人、紳助・竜介の看板と、ショートショートのアラン・ドロンや村上ショージ、片山理子など若いメンバー。ポケット・ミュージカルスは末成由美ワンマンショーに木村進、室
昭和55年10月中席、うめだ花月のチラシ。トリは笑福亭仁鶴、そしてカウス・ボタン、桂文珍と数年前のNGKと変わらぬ看板さん。いくよ・くるよは漫才ブームでブレイク寸前。その師匠である今喜多代ははなあい花とのコンビを解散し、新喜劇にいた阿吾寿朗とコンビを結成し、平成2年のうめだ花月閉館までコンビを組んでいました。ショート・ショートの桂枝織は今の小枝。ポケット・ミュージカルスは藤井賢構成の「おいら大将」。当時暴れまくってた帯谷孝史と佐藤武司。吉本新喜劇は「おまえと俺」で、作・演出は松本
なんば花月、昭和56年1月の予告チラシ。いよいよ漫才ブームが本格的となり、正月は花月三館人気者の出番でフル回転です。●上席凄いメンバーですよね。もう劇場は超満員だったことでしょう。トップの一球・写楽以外は売れっ子ばかりで、いくよ・くるよ、のりお・よしおがこんな位置になってます。やすし・きよし、仁鶴、カウス・ボタン、阪神・巨人・・・もうお腹いっぱいになりそうです(笑)ポケット・ミュージカルスは「ハッピー・バラエティ」と題し藤井賢の構成で、「あっちこっち丁稚」の伝次郎や仁智が出演
今年も私にとって懐かしい上方芸人の訃報だけを取りあげる。だから、志村けん、内海桂子、小松政夫は取りあげない。子どものころに笑わせてもらったことへの感謝を込めて、雑感を記すことにする。だから、野村克也も取り上げない。笑福亭鶴志2020年5月8日逝去。享年64歳。死因:心不全、腎不全繁盛亭で見たかなあと思って過去記事検索してみたけど、ヒットせず。となると、大阪にいたころにテレビで見たのが最後になるのかと。DVDもあるし、ようつべでも動画が結構出てるし、見直してもい
なんば花月、昭和55年12月の予告チラシ。いよいよ漫才ブームが始まり、看板に古参芸人が多かった中に、若い人気漫才師がのし上がって来ます。●上席トリはカウス・ボタン。寿朗・喜多代もまだまだ看板扱いで、その後ろに弟子の紳助・竜介がいます。まだトップにサブロー・シロー。半年後には看板スターに成長します。ポケット・ミュージカルスは季節柄お馴染みの「ザ・忠臣蔵」。木村進・室谷信雄で、ここに間寛平も加わり豪華メンバー。吉本新喜劇は中村進作・演出の「あい・らぶ・ゆう」で、超豪華メンバーの木村進