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大学三年生の時、友人に誘われて渋谷のライブハウスで歌っていたところ、レコード会社にスカウトされた。それがきっかけで大手芸能プロダクションに所属が決まり、シンガーソングライターとしてデビュー。家族、友人、恋人にも恵まれて何不自由もない順風満帆な人生だった。彼女は恐怖を覚える。一一私は苦労を知らない。それが私という人間の最大の弱点だ。ある日、書店でニューギニア隊員募集の記事を読む。ヨットで太平洋を渡り、ニューギニア島にあるオセアニア最高峰をロッククライミングするというもの。居ても立ってもいられ
文字数:1488文字(原稿用紙約3枚半)数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。私の略歴はこちらです。『自己紹介』文字数:1146文字(原稿用紙約3枚弱)数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。貴重なお時間をいただきますが、お読みいただけまし…ameblo.jp1987年(昭和62年)9月28日、神奈川県三崎港を出港した父が船長を務める遠洋マグロ漁船、第38光栄丸(374トン)は、大西洋へ向け航行を開始しました。イ
文字数:1771文字(原稿用紙約4枚半)数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。私の略歴はこちらです。『自己紹介』文字数:1146文字(原稿用紙約3枚弱)数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。貴重なお時間をいただきますが、お読みいただけまし…ameblo.jp今回は昨日に続いて、父が約3年半に乗船した鹿児島県串木野市の遠洋マグロ漁船、第8鏡進丸(374トン)での事で、私が印象的だった事の続きを書いていきたいと思います。
文字数:2190文字(原稿用紙約5枚半)※おことわり今回は長いですのでご了承ください。数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。私の略歴はこちらです。『自己紹介』文字数:1146文字(原稿用紙約3枚弱)数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。貴重なお時間をいただきますが、お読みいただけまし…ameblo.jp1983年(昭和58年)2月に、和歌山県那智勝浦町の遠洋マグロ漁船第38宣秋丸(344トン)を下船した父は、
文字数:1834文字(原稿用紙約4枚半)数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。私の略歴はこちらです。『自己紹介』文字数:1146文字(原稿用紙約3枚弱)数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。貴重なお時間をいただきますが、お読みいただけまし…ameblo.jp1982年(昭和57年)3月、父は再び出漁する事となりましたが、今回は約10年ぶりに新造船に乗船する事になりました。乗船する事になったのは和歌山県那智勝浦町
文字数:2252文字(原稿用紙約5枚半)※おことわり今回は長いですのでご了承ください。数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。私の略歴はこちらです。『自己紹介』文字数:1146文字(原稿用紙約3枚弱)数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。貴重なお時間をいただきますが、お読みいただけまし…ameblo.jp前回までは私が遠洋マグロ船に乗る人達を見てきて私が思う事を書いてきましたが、今回からは私の父が遠洋マグロ
「やばい!」と一瞬思った。しかし,不思議と恐怖感は沸いてこない。ふと脳裏に去年フィリピンの小さな街で暴漢に襲われたことがよぎった。<あの時は酒を飲みすぎていたが,今日はしらふなので何とかなるだろう。いざとなれば財布ごとくれてやればいいんだ。>と,強引に自分を納得させて2ブロック先に見えるネオンに向かって進んでいった。強引な開き直りが功を奏したのか,無事ネオンの下までたどり着く,そこがいわゆる“クリストバル銀座”のようで,この時間になってもまだ開いている店が多い。“C
3週目の航海への船出である。さて,今度の航海は,どんな風が吹いてくれるのだろう。散歩コースを彩っていた曼珠沙華の鮮やかな紅も終わりを告げ,街中で金木犀の放香を強く感じるようになったため,ようやく秋の訪れを受け入れる気持ちとなった。タオルケット1枚では,明け方の冷え込みを乗り切るのは辛くなってきたし,Tシャツと短パンで過ごすのも少し厳しくなってきたので,衣替えを行うこととした。クローゼットの奥に収めていた秋・冬物を探していると,船に乗っていた頃の本や資料が入ったダンボール
ゴンチャローフ日本航海記〜読了。図書館で借りたもの。やっと終わったと思ったら付録があった!ゴンチャローフが搭乗していないフレガート艦ディアーナ号の航海誌がまだ続く。下田で安政の大地震に遭い、難破、沈没したディアーナ号に乗っていた修道僧の航海記である。幕末鎖国の日本の様子が分かる。この難破船物語はこれから読むのだが〜〜〜ゴンチャローフ達がアムール河を遡ってペテルブルクに向かう途中の話が興味深い。ロシア領になって初めて小さな汽船で遡って行くのだが〜原住民の記述!!蒙古族の総称が
SUJIです。こんにちは。カリフォルニアは快晴です。もう夜になってしまいましたが、ちょうど、デイライトセイビングで、時間が一時間、遅くなる日でもありました。思えば、先週の日曜は計画停電でした。はー。もう11月。がんばって音読を続けます。今日の範囲で、ウルグアイ川という場所が出てくるんですが、私は実は過去にウルグアイとパラグアイとブラジルが全部いっぺんに体験できる場所に行ったことがあったことを思い出しました。あれはどこだったんだろうか?おそらくイグアスの滝の付近だったと思う
SUJIです。こんにちは。カリフォルニアは夜です。土曜日が新月なんですが、今月は一気に新しい勢いが出てきましたね。特に14日の満月以降がはっきりいろいろなことが終わったり、始まったりしたように思います。先週の金曜日にDarwinの「種の起源」の音読が終わり、(5月下旬からほぼ4ヶ月かかりました。)今日から、それに関連して、「ビーグル号航海記」の音読をはじめました。ビーグル号航海記はアマゾンのキンドルでオンラインで、音読しています。一つのPCの前にドクター(夫、アメリカ人)と並んで
🐬皆さまご機嫌よう🐳〈本日のテーマ〉プチペルル航海記☆☆☆〜☆☆〜☆☆〜☆☆〜☆☆〜☆☆〜🐬プチペルル🐳→『小さなパール』を探す旅へ出発の時が訪れました♡一つ目は、『アリエル・アサリちゃん*』からもらった小さなパールつきの付箋メモからスタート♡高校時代にブラバンで演奏した『宝島🏝』をBGMに、いざ出陣の時❣️音楽用語の『🐞気まぐれに!』を探す旅に出よう🦋とキャプテン・カプリ(カプリチオーソ)氏の発言に従って♡fromLADYFLORA♡Liko
(´(・)`)ノオハコンバンチハネタもないのでキャラクターを紹介してみたりします。キャラ名:イアハート本垢です。冒険。スカーフェイス娘。調理、保管担当。元ネタはアメリア・メアリー・イアハートです。インド藍染チャドリを着ています。船はサンタマリア、沙船キャラ名:リンドバーグサブ垢。商人。メガネっ娘。鋳造担当。元ネタはチャールズ・オーガスタス・リンドバーグです。貝紫染チャドリを着ています。船はクラーモントキャラ名:リヒトホーフェンサブ垢。船大工。アイパッチ
❤❤ドリトル先生航海記(岩波少年文庫(022))ヒュー・ロフティング(著)井伏鱒二(翻訳)出版社:岩波書店(2000-06-16)いつもありがとうございます
精神科医であり、芥川賞作家である北杜夫氏が昭和33年の暮れから約半年間水産庁の漁業調査船に船医として乗船した際の経験が面白おかしく書かれている航海記である。先日近所の古本屋の100円均一ワゴンの中に無造作に置かれていたのを発見して購入した。昔、外航船にはドクターが乗船していた。しかし商船にはドクターが乗船しなくなり、その後ほんの少しの間、ナースが乗船していた期間があったものの、衛生管理者の資格を持った乗組員がドクターの代わりを務める事となった。日本の海運界が元気満々
少女よ君は旗をあげるなぜ潮風に想いをたくしてよびかける彼方きまぐれなカラスたちを相手に少女よ今日も紅と白の紺に囲まれた色の旗は翻る映画「コクリコ坂から」より日本の海運界が元気だった頃、横浜の港を見下ろす洋館に住む少女「海(メル)」は毎日庭先に立てた旗竿に2旗の旗を掲げる。その旗は赤と白、そして紺に縁取られた赤と白の旗だった。この旗は国際信号旗といって、船舶間の通信に使用される世界共通の旗である。赤と白の四角が共に対角に並んでいるのがU旗、中心が赤、その
友人に進められた成分チェッカーとかいう名前診断をやろうとしたらアメーバだか、スライムだかの登録が必要となった。普段ならそこで諦めてしまうのだけれど、今回は登録してみた。結果、私はダイヤモンドより硬い意思の持ち主らしいが、読み進めるとどうやら一本筋が通った男らしさというよりは、融通の利かない岡っ引きみたいな男であるという。アメーバさんは今度はブログを書きませんか?と進めてくれた。特に波瀾万丈な人生を送っているわけではないし、まだ過去を振り返るほど時を重ねたわけではないと思っていたのだけれ
ながーい休暇と、なかなか決まらなかった求職活動を経て、久々に乗船しました。初めての太平洋横断、パナマ運河通峡、アメリカ入国なので、引継ぎや準備で、バタバタと忙しい思いをしています。9か月経って帰ってきたら、また更新します。やっぱり海はいいなぁ。
2014年6月4日、インドからの1か月余りの航海を終え、ウルグアイのモンテビデオ沖、リカラダ錨地に錨を下ろす。荷物のトウモロコシを積むのは、ここからラプラタ川を1日半遡上した所にある、アルゼンチンのサンロレンソという街だ(マップにあるロサリオの少し北)。用船者から、1週間ほど停泊との情報が来ていたが、長期になる事も考慮して、食料はシンガポールで大量に積んであった。黄昏時の錨地。南米は空気が澄んでいるので、空がとても美しい。最初は「きれいだなぁ」と眺めていたのだが、1週間停泊の予定が、日
2013年5月2日、インド、ビシャカパトナム出港。次は、ブラジルで穀物を積め、との指示が用船者より来ていたので、これから南米到着までの一か月間は、毎日貨物倉の掃除作業だ。ソマリア沖の海賊は、大きな漁船を改造した母船に、小型の高速艇を搭載し、インド洋のかなり広い範囲で暴れ回っている。そのため、赤い線で囲ったエリアが危険区域と設定されていて、そこに立ちいって万一襲われたとしても、保険が出ないので、大回りしてそのエリアを避ける。貨物倉の掃除作業。まずは掃き掃除だが、7つある貨物倉(大体25m
インド、ビシャカパトナムの港は、外港と内港に分かれている。内港は浅い為、外港である程度荷物を揚げて船足を軽くしてからシフトする。2013年4月27日02時40分、シフト開始。これは、入口にあるヒンドゥ教の寺院。狭い港の入り口を抜けると、中で少し広くなっている所がある。ここで船を回して、バックで岸壁まで入っていく。両岸共に船が止まっていて、かなり狭い。この中を後進で入っていくのは、容易な作業ではない。途中、何度か船が曲がって、他の船に接近してしまい、ひやひやした。3時35分、岸壁
2014年4月18日、色々な物資を補給し、忙しかったシンガポールを出港。揚げ地のインド、ビシャカパトナムに向かう。船は、常に塩っ気のある環境にあるので、放っておくとすぐに錆てきてしまう。それを防ぐために、定期的に錆びた所は錆を落とし、きれいにペンキを塗っておく。塗装が終わっても、すぐに別の場所が錆びてくるのでイタチごっこだが、メンテナンスは重要な作業だ。荷主さんに買っていただいた、高圧洗浄ガンのテスト。高さ20mの貨物倉を、きれいに掃除するためには、かなりの圧力が必要。ホースの接続
次の港で、個人的に必要な物を頼みたいときは「プライベートオーダー」という事をします。キャプテンが、食料品業者などを代理店に紹介してもらい、メールでカタログを送付してもらいます。複数の業者から、価格が適正な所を選んで、カタログを食堂などに置いておき、乗組員がそれぞれ自分の必要な物を注文して、入港後受け取るというシステムです。今回、オーストラリアからインドまで行く途中に、シンガポールで燃料や潤滑油、食料、掃除道具などを積み込むので、一緒に自分もビールやウイスキー、ワインなどを頼みました。4月
グレートバリアリーフ通過後、ヘリにて下船する水先案内人(ヘリの大きな音が出ます、ご注意ください)。オーストラリアにある巨大サンゴ礁「グレートバリアリーフ」を通過するためには、水先案内人を乗せなくてはなりません。陸地から遠く離れたサンゴ礁で、水先人が乗下船するのには、ヘリコプターを使います。乗り物全般が大好きな自分は、大喜びですが、規則により消火設備や風見の為ののぼり、甲板を上り下りする為の手摺りや階段などを設置しないといけないので、乗組員は大忙しです。2013年3月14日、ダリンプルベイ
広島から、オーストラリアのダリンプルベイまでの概略図。日本出港直後は、まだちょっと時化ていましたが、赤道に近付くにつれ海が穏やかになり、とても快適な航海になってきました。日本を出て一週間後、ビスマルク海北端にある、パプアニューギニアのカニエット諸島に接近しました。カニエット諸島の海図で、サエ島とカニエット島で構成されています。これがサエ島。こっちがカニエット島。ビスマルク海に夕陽が沈む。細野晴臣の「TROPICALDANDY」というアルバムが好きで、航海中も良く聞いているんですが
2014年2月7日に川崎を出港し、翌8日神戸沖に入港。岸壁に移動するのは、10日との事なので、比較的のんびりと過ごす。10日朝、神戸の灘浜にある昭和産業岸壁に移動。本船と陸とを繋ぐロープの下を、はしけが通れるようにとの事で、ロープのエンドを陸にある小屋の屋根に持っていく(赤丸の中)。200トン吊りクレーン船がいきなり接舷したので、何かと思ったら、穀物をかき集めるため5トンのブルドーザーを船内に吊りいれるとの事であった。穀物を吸い上げるアンローダーと呼ばれる機械。通称「象の鼻」と言われ
11月22日、インドネシアのタンジュンバラで石炭を満載して出港。出港して最初の仕事は、甲板を海水で流すデッキウォッシュ。石炭のカスで、ドロドロだったのがすっきり。島の近くを通ると、たまに漁船が寄ってくる。「海賊か!」と緊張するが、魚売りであった。「魚いらんかね~?」と言っているようだ。セレベス海に沈む夕陽。のんびりとした時間が過ぎていく。12月1日、韓国のプサンで燃料を積み、翌2日に隠岐諸島近くに錨を打って停泊。なんでも、2週間ほどここにいるようだ。水深73mと深いので、完全
2013年11月14日、香港を出港し、石炭積み荷のため、インドネシアのTanjungBaraに向かう。写真は、貨物倉の水洗い。前の荷物が穀物できれいなので、ざっと海水で洗い流し、清水でリンスするだけ、と思っていたら床に錆が出てしまい、それを除去するのに結構苦労した。航海中の楽しみ、食事。これは朝食だが、フィリピン人が作ったとは思えないほど思いっきり和食。味も良くて、毎食楽しみ。早めに着いたので、沖合80キロほどで漂流させて時間を潰す。空がきれい。積み荷の順番を待つため、湾内へ移
2013年1月27日、五島列島の福江島沖を通過。ロスアンジェルスに着く一ヶ月後まで、携帯での電話が出来ないので、家に電話。衛星電話は使えるが、1秒近い間があるのでやっぱり携帯の方が話しやすい。26日23時に出港し、その直後の朝4時から当直をとっていたのでさすがに眠かったが、昼寝をして大分回復したので、デッキに出てゴルフの練習をする。プラスチックボールに、ひもをつけて打つが、強い風と船体の動揺があるので、なかなか難しい。甲板部の作業は、アメリカでの厳しい本船搭載クレーンのチェックに備えた