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人類は心配性だったがゆえに、こうして生き延びてこられたといいます。たぶん、大胆とか、冒険的ということが、なぜこんなに人をわくわくさせるかといえば人間が大胆でも冒険的でもないからです。火災のなかに飛び込んだり、敵陣にひとり突っ込んでいくようなことを「あたりまえじゃん」と思っている人は、わくわくもドキドキもしません。過剰なくらいに心配性だからこそ、くれぐれも命を失ったり、持っているものを無くさないように、準備したり工夫したりしてきたんで
だれにだって苦手なものはあると思います。トマトが苦手。パクチーは食べられない。食わず嫌いもあればアレルギー体質でどうしても口にできない人もいるでしょう。食材の苦手だけではなく、小説・映画・音楽・ファッションその他諸々苦手なものはだれにだっておそらくきっとあるのだと思います。「あぁ、じぶんはこれ苦手だな……」そんなふうに思ったとき、気をつけていることがあります。それは苦手なものについて、攻撃の態度をとらないようにすること。
三日坊主を自認しているので、どうすれば続けられるかということを長い間ずっと考えてきましたけれど、続けたいことを非日常にしたら続かないのだと思います。日記でも、ダイエットでも、急激に熱を入れてやり出すと景色が変わって非日常になります。それこそが原動力にも思えるけれど、たぶん続けるにはいい状態じゃない。熱がある状態でやっていると、結果が早く見たくなってしまうんですよね。「ゆりもどし」というのもあります。それに、熱はやがて必ず冷める。
コトブキアズレン部航海日誌令和6年2月4日
なにかを決めるとき、「すべて完璧な選択はありえない」と最初に決めてしまうことで、納得できる選択ができるのだと思います。どんなに慎重にどれほど時間をかけて選んだ答えであっても完璧を求めた「正解」」にはかならず不満が残るものなのだと思います。たとえば服を選ぶとき。デザインで選ぶのか、価格、素材、使い勝手と総合的に判断する選び方がまあ一般的だと思うんですけれど、すべてに完璧を求めようと思えば短所は排除されるでしょう。結果、
なにかを頼まれるというのは、とても幸せなことだと思います。だれにもなんにも頼まれなかったら、張り合いがない人生になってしまいます。なにかで、あてにされているということ。だれかに思われているということ。なんなら耐えられる範囲で憎まれていることまでも、人は人との関係があることを望んでいます。仕事ひとすじで生きてきた人が会社をやめたらすっかり元気がなくなった、というような話もよく聞きます。もちろん仕事をしていなくても、なにか
老いた人がいろんなことを忘れたり、できないことが増えていってしまうのは、ある意味で自然なことだと思います。ただ、それまでとちがって、「お風呂に入らなかったりする」というのは、かなり危うい兆候なんだといいます。入浴とか歯を磨くというのは、じぶんの健康のためでもあるけれど、「他人と関わるため」にしているという要素も含んでいます。それらをしなくなるというのは、「社会のなかにいる」という事実を考えられなくなっている兆候かもしれない。失恋
なんの障害も抵抗もなくストレスフリーで気持ちよく取り組める状態というのは、はたして最高なのでしょうか。なにかしようと思うとき、「邪魔するものがなにもない状態」で力を発揮するのはむずかしいです。子どもがまだ小さいとか、兄弟がちょっかい出してくるとか、友だちが誘いにくるとか、上司がダメダメだとか、姑がうるさいとか、高いとか低いとか重いとか軽いとか、そういう邪魔や抵抗があったほうが能力は発揮されやすいのかもしれない。邪魔があるから
禁止されるとかえってやりたくなる心理現象のことを、「カリギュラ効果」といいます。袋とじをのぞきたくなるのも、禁止されている恋愛ほど燃えるのも秘密を知りたくなるのだってカリギュラ効果です。1月がものすごく忙しくて、じぶんの時間がほとんどありませんでした。どこにも行けないと行きたい場所リストが、どんどん増えていきます。どこにも行けないと行きたい場所が明確になります。やりたいことが明確になります。それは同時に、なん
苦手と思っていることのなかには、ほんとうに向いていないこともあるけれど、「やったことの回数が単純に少ない」そういうものもある気がします。苦手意識をなくして、たとえば10回くらいやってみたら、意外とできちゃうなんてこと、結構あるんじゃないかな。できなかったことができるようになって「新しいじぶん」に出会えると、毎日きっとたのしくなると思います。苦手なことに挑戦するんじゃなく、苦手だと思っていることを「やったことの回数がただ少ないだけ」と
「じぶんは世界でいちばん強い」ともしも言っている人がいたとしたら、厄介なことは想像できます。でも逆もまた然りで、「じぶんは世界でいちばん弱い」と言っている人がいたとしたら(言っていなくても思っているなら)それはそれで厄介だと思います。「じぶんには力がないんだから、これくらいやってもいいでしょう?」そうやって言われたら、ある意味で強い人より怖いです。弱いことを理由にして、レッドライン(一線)を越えてきそう。正攻法で太刀打ちで
大人になれば優柔不断は卒業できて、決断は容易になると思っていました。しかし、どの立場の人の気持ちも想像できるようになるから決断は困難になりさらに優柔不断になっていきます。言われた人の気持ちや周囲の反応が分かるようになると、ひとりの人間として口に出すべきかじぶんのなかで咀嚼した結果、「言わない」という判断をする場面も大人になると増えていきます。突き詰めればたぶん、それらすべての根底にあるのは、「なに者も傷つけたくない」というずる
「かたちあるもの」は、いつか必ずなくなります。でも、朽ちる前に、「新しく生まれ変わる仕組み」さえできれば、姿かたちは変わったとしても"概念"として続いていくことは可能だと思います。長く続くものは、それ自体が強固だったから残ったのではなく何度でも再生して新しくはじめられる「しなやかさ」があったからこそ残ったんだと思っています。成功や達成は、日々の小さな積み重ねだからどんな分野でも「続ける」は大切です。でも「続ける」が目的になっ
なにか良くないことがちらっとでも見えたときに、「なにか良くないことが起きるかも…」と身構えてそれにとらわれてしまうと、ひたすら「なにか良くないこと」の対処にエネルギーを使うことになります。そうなってしまうと、「良くないこと」のほかにあったはずの「良いこと」が起こる可能性が見逃されます。あまりに心配が多すぎると、「良くないこと」とつきあう瞬間が増えていき「良いこと」に出会う機会が減っていきます。悲しくなったり、怒ったりの機会が増えていく。
じぶんに近い価値観の人と「わかる、わかる!」と言いながら話をするのはたのしいです。でも、それと同じくらいにじぶんとかけ離れた考えを持っている人と話をするのもおもしろかったりします。言っている意味がわからないような人との遭遇は、知的好奇心を刺激される…こともあります。じぶんとの違いが明確になればなるほど、じぶんの思考や価値観も明確になる。違いこそがじぶんと他者を分かち興味をひく(=愛情を生む)源泉なら未知との遭遇はやっぱり
大人の人間が考えていることやっていることのほとんどが、「未来のための準備」だと思います。未来になにか目的があって、それを実現するために必要なことを「いま」やっているのだと思います。ということは、「いま」やっていることのほとんどは、未来(目的)のために捧げていると表現することもできそうです。目的というのは、(いまより)もっと良くしたいと思うからこそ存在します。すばらしいことだと思います。でも、いくらすばらしいことでも、そのた
子どもが眠たくなったときわんわん愚図ることがあるけれど、さて、大人はほんとうに大丈夫なのだろうか。大人になって眠たくなって愚図ることなんて絶対にないと思い込んでいるけれど、じつはじぶんの機嫌が悪い理由がただ眠いだけということが、意外とある気がします。朝からなにも食べていなくておなかが空いてイライラしているのに、イライラの原因が空腹なのだと気づかずに目の前の人のせいにしてしまうことも意外とあるような気がします。じぶんのこ
さて、今回はやや短い目の乗船でしたが、色々とタイヘンなコトも多く、期間の割にはかなり濃い乗船となりました。コンプライアンス的に詳細を書けないコトやリアルタイムでにはちょっとアップできない内容もあり、ハプニングを全て書き留められてはいないんですが。ってコトで航海日誌・番外編。気象・海象。今回の乗船中、各海で季節的に荒れる傾向にある時期を航行する機会が大きくタイヘンでした。南半球…アルゼンチンから南アフリカへ向かう時、かなりやられました。高緯度を航行する為、低気圧の通り道に近いんですが、
動物は刺激物を口にするとすぐに吐き出してしまいます。毒の可能性があるからです。本能で反射的に吐き出してしまう。でも人間は、刺激物を口にしても、その刺激物を安全だと知っていれば、吐き出すことなく食べられます。わさびや唐辛子のように、明らかに辛いものも「毒かもしれない…」と吐き出すことなく食べ続けることができる。ということは、です。ジェットコースターが苦手な人に、ジェットコースターの仕組みなどを徹底的に教えたらどうなるのか。
いったん極端を考えてみると、本質が見えてくることがあります。移動時間をとにかく無駄に感じて「それならどうぞ、どこでもドアです」と移動の極端をプレゼントされたら、最初はうれしいかもしれないけれど、「失われるもの」のことにも気がついて効率化の最終地点がどんなところかなんとなく想像できる気がします。「あ、移動時間がゼロになると、目的地に着くまでのワクワク感も失われてしまうんだ……」とか。そうやって極端を考えてみると、テクノロジーの最終到達
6月から続いたユーミンツアー千秋楽名古屋ガイシホール行ってきました。最後の航海は名古屋で下船。振り返ると長野6月10日アリーナ静岡6月24日アリーナ25日スタンド名古屋8月20日スタンド10月22日アリーナ12月28日スタンド横浜9月24日アリーナ11月23日スタンド東京10月29
さらけだす。「さらけだす」の意味は、隠すことなくすっかり見せる。「じぶんをさらけだす」であれば、「ありのままのじぶんになる」です。日常ぼくたちは、からだにもこころにも服を着ていますから、「さらけだす」というのは脱ぐイメージです。テレビで芸人さんが脱いでいます。ありのままのじぶんをさらけだして笑いを生んでいます。お盆ひとつ丸裸になって笑わせてくれるような場合もあるけれど、プライベートを赤裸々にさらけだすことで、笑わせてく
2024年度も日記をつけようと・・・なんとなく人生の足跡を残したくて!それも10年・・・(^^ゞ手ごろの大きさのB5サイズ(18x26cm)の紙を束ねてホッチギスで・・・1月は31日なので31枚・・・線を9本引けば出来上がり♪約2センチしかないのであまり書かなくていいので助かる・・・日記と言っても万が一人に見られてまずいものは書かない・・・長い間に身に着けたルールである・・・なので
少しの「めずらしい」と「共感する」があるということが、「おもしろい」の構成要素な気がします。めずらしすぎると「おもしろい」を通り越して「驚き」になってしまう。そして「共感」できないと、「おもしろい」は味わえません。暖冬と言われていたけれど、先日、東京にも雪が降りました。(暖冬のほうが雪が降る説もあるらしい…)「共感する」があった人は、おもしろかったでしょうし、「共感する」がなかった人からすれば迷惑で散々だったかもしれない。立場
命がひとつしかないことや、人生は永遠に続かないということをつくづく感じる日があります。こういう日は、「やりたいことをやって生きよう」と改めて思ったりします。他人とくらべて横ばかり見たり、なにか言われそうなことはしないで間違えないように静かにしている。失敗の可能性のあることは避けてなるべく目立たないようにする。空気を変えないように、やりたいことも我慢して。だれでもそういうことを多かれ少なかれしているはずで、かならず
行動するということは、評価されるということだと思います。「わたしがやります」と手をあげた人に対して他人(ひと)は、評価するんだと思います。批判も、賞賛も、そこからはじまる。だから舞台に立って、「評価される側」として行動する人をこころから尊敬しています。たとえば日常生活のなかでも、「決断する側」の人は舞台に立つ人です。一方でとにかく相手の言っていることを否定して、批判を続けている人は野党になります。すべての主張には、
いま読みたい本があって、「読むといいよ」と薦められた本もあって、「読んでおきなさい」と言われた本もあって、ニュースやSNSまでチェックしていたらなにかを読むだけで1日が終わります。いま困っている人がいて、あっちには泣いている人もいて、向こうには悩んでいる人もいて、それ全部ちゃんと考えろと言われてもそりゃ無理でございまする。人ひとりの一生で、全部を知ることなんてできないし、たとえ知ってもそれ全部やることだってむずかしいと思うんですよね。
あの映画のあの部分のあの描写のあの感じが好き。あの漫画のあの場面のあの描写のあの感じが好き。おたがいに好きなものが細かいところで重なると、もうそれだけでその人とは、かなりの確率で仲良くなれます。ほかの人に理解されなかった「好き」を理解してもらえたときの仲良くなる力ってほんとうに凄いと思うんですよね。「あんなのが好きなの?」「変態なんじゃないの?」「気持ち悪いんですけど……」偏愛(フェチ)をいえば傷くつこともたくさんあ
テレビとか雑誌やネット上で知っているだけの会ったこともない人を嫌っているということがあります。なんだか、その人が言っていることが感じ悪かったり、顔の表情や、声の出し方、ことばづかいなんかが、どうしても好きになれない。いや、それ以上に、好きになろうとしてもいない。これ、よく考えてみると、ずいぶん虚しいことだと思います。会ったこともない人を嫌うためにつかっている時間って、なににもましてろくでもない時間です。嫌いな料
スポーツ観戦のコンテンツの魅力は、「結果が決まっていないこと」だと思います。どうなるかまったく分からないハラハラドキドキのドラマにしても、つくった側にいる人は、その結果を知っています。すべて決められた台本がある場合と、大雑把な流れでやっていく場合と、どちらもあるとは思うけれど、落とし所は決まっているはずです。おおよそ、いまの世の中は、ほとんどが、決まったこと、決められたことに向かって進んでいます。こうしてそうしてああなって、こう