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「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といいます。たしかに、ほとんどの人が、じぶんが嫌いだと思っている人について、あらゆるところに"嫌いのネタ"を探しまくっている気がします。脳のしくみでも、そういうところがあるようだし、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とは、ほんとうに見事な決まり文句だと思います。ただ、あまりに見事すぎて、そこで思考停止してしまっている節が、若干あるようにも感じています。この見事な決まり文句がなかったら、「坊主憎くても袈裟はい
じぶんを変える方法として、よく知られていることばがあります。・時間配分を変えること。・住む場所を変えること。・つきあう人を変えること。人間が変わる方法は、この3つだけだという話です。つまり、環境を変えずに人が変わることはないのだと。できると思うこと。あたりまえだと思うこと。挑戦したいと感じること。それらは、じぶんの内側から湧き起こってくるものじゃなくて、周囲との関係のなかで育まれ、形づくられていくものなのだと思
コミュニティというのは、それが永遠に続くと錯覚した瞬間に腐敗がはじまるのかもしれません。発酵と腐敗を分けるものの差は、ほんのわずかだと思います。いつか話せばいい。いつか仲良くなればいい。その「いつか」のなかで、関係は少しずつ惰性になっていき、熱量は徐々に下がってしまう。学生時代を思い出すと、それがとてもよく分かります。文化祭や修学旅行などが、なぜあれほど輝きを持つのかといえば、卒業(終わり)があるからでしょう。
ほんとに20歳になるのは25歳、ほんとに30歳になるのは35歳、ほんとに40歳になるのは45歳、50歳は55歳、60歳は65歳70歳は75歳、80歳は85歳…などという、いい加減な法則があります。40歳の誕生日を迎えた人は、それまでの10年間ずうっーと、じぶんは30代だと思って生きてきました。それがある日から急に40代だと思おうとしても、かんたんじゃありません。これは元号もそうですよね。ここ最近はけっこう令和ですけ
ひとりでいる時間を、なにもしていない時間だというのは、ちょっと誤解があると思います。予定がなく、だれとも話していないと、なにもしていないように見えます。でも実際には、ひとりでいるときほど、頭のなかは動いていると思うんです。さっきのできごとや会話が、内側でゆっくり再生されはじめます。あのときは流してしまった違和感だったり、ことばにしなかった本音なんかが、もういちど再生されはじめる。会話しているときって、思考が深まって
「将来のことを決める」という行為は、どこか安心をくれる気がします。先の見えない毎日のなかで、「ここは決めてある」という場所があると、少しだけ落ちつけるからです。結婚というのも、その安心のひとつなのかもしれません。「この人と生きていく」という約束は、人生の土台だとか軸のように感じらます。でも、ちょっと考えると、ぼくたちは「変わる存在」です。好きなもの、暮らし方、ものの見え方も静かに変わっていきます。環境もまた容赦なく変わります
ファミリーコンピューター(ファミコン)を1983年に任天堂が発売したとき、「ファミリー」という冠を嫌がった人がじつは結構いたのだそうです。でも、いまならその「ファミリー」というコンセプトこそが、あの会社やあの市場を支える強い土台になったということを、みんなが理解するでしょう。ただ、あの時代からさらに40年以上が過ぎて、「ファミリー」という単位の考え方は、すっかり変わってしまいました。家族は減少し、人はもっと単独化したとみんな
「今日もいいお天気でした」と、それだけ伝える天気予報というものを、ほとんど聞いたことがありません。いい天気だったけれど、明日からは雨が降りますとか、すごく寒くなりますよとか、この時期にしてはあたたかすぎるとか、花粉が大量に飛んでくるだとか、なにかしらよくない話が付け足されます。ただの「いいお天気でした」だけでは、わざわざ言う意味がないからだと思います。めずらしいことや、困ったこと、注意したほうがよさそうなことがあって、はじめて"
「人の何倍も」だとか、「寝食を忘れて」だとか、「我が身を省みず」だとか、過剰なまでの努力をする人が成功する…そういう物語がみんな大好きです。もちろん、ぼくも好きです。努力をする選手の話などを知っては、こころから尊敬しています。異常だと思われるくらいにやることや、別世界にいるかのように夢中になることが、なにかを成し遂げるためには、とても大事だと思います。ただ、そういう人のそういう物語が、どうしてこころに響くのかといえば、それは
斥候(せっこう)とは、敵陣に先乗りして状況を調べる兵士です。斥候の情報を元にして、本隊が敵陣に入ってくるわけです。最小限の人数で、なにがあるか分からない敵地に侵入していくわけですから、ほんとうに危ない仕事だと思います。見つかってしまったら、当然、命の危険もあるでしょう。仮に斥候が命を落としたとしても、弔ってもらえるかどうかも分かりません。失敗したら、存在さえなかったものとされるそういう可能性だってあると思います。斥候は
🛡️JEM_Pushke's航海日誌:MINT朝晩の急所分析「実は…」の裏側への鋭い言及ブログ内で触れられた「見かけ上の安定」と「裏で起きている異変」、そして最高裁のIEEPA判決後のシナリオ。大衆がぬか喜びしている間に、JEM_Pushkeさんは**「為替のフリーフォール」と「プランB(より狡猾な関税)」**という霧の向こう側を、読者にしっかりと提示されました。これが「情報武装」の真髄ですね。「卵(ロボット)をカートへ」という英断「籠(かご)からカートへ」という比喩、非常にJEM_
「あれは、おれがやったんだ」と言う人が、いっぱいあらわれるような仕事というのは、つまり大成功なんだと思います。ほとんど関わってない人が、「あれは、おれがやったんだ」と言う。「あれおれ詐欺」とかとも言いますが、ま、被害さえなければいい話です。お菓子や料理に、「元祖」「本家」「発祥」とかの「あれおれ」がよくありますね。ハヤシライスは林さんがつくった説だとか、カツカレーを最初につくったのはどこだとかいちご大福はどこのだれが最初だとか。温泉
出る前に負けること考えるバカがいるかよ!(withビンタ)アントニオ猪木さんの名台詞です。試合前のロッカールームで、アナウンサーが訊いたんだそうです。「もし負けることがあるとすれば…」そこで猪木さんは、鬼の形相で言い返した。決戦前の強がりだったり、士気を上げるための発言だったと受け止めた人も多かったみたいですが、いまオリンピックの真剣勝負を観て、その舞台に立つ人たちのことばを何度も、何度も、聞いていると、だんだん分かってきます。
スポーツがおもしろいのは、結果が決まっていないからだと思います。ドラマでも映画でも、つくった側にいる人は結末を知っています。どんなにハラハラさせられても、どんなに意外な展開でも、どこに着地するかは決まっている。台本がある場合もあれば、大雑把な流れだけ決めている場合もある。でも、いずれにしろ落としどころは、だいたい決まっているはずです。しかし、スポーツにはそれがありません。戦術も分析もあります。勝率だって計算できるでしょ
なにかを上達したいと思うときは、いまできていることより、ちょっとだけむずかしいことをやるのが、大事なことだと思っています。身体を鍛えるとか、スポーツを上達したいと思うとき、いまの実力でできることだけをやってもなかなか上達しないと思うんです。しかし、その一方で、じぶんの本来の実力以上のことをやってやろうと企むとろくなことがない…そのことも重々承知しています。じぶんがやすやすできることをする。これもまた大事なことだと思うんです。
オリンピックもそうですが、野球・サッカー・バスケ・ボクシング…世界で活躍する若いスポーツ選手が、昔にくらべて激増しましたよね。その理由として、経済学者の成田悠輔さんの分析が、個人的にはいちばん腹落ちしています。「子どもの数が減って、辛抱強く"なくなった"から」だと。昔は子どもが無尽蔵にいて、みんなスポーツをやりたかったから、部活やクラブにも人があふれていました。だから、スパルタみたいな「数打てば当たる」という構造が、成立し
いいサービス(接客)を受けたかったら、いい客であれと言われます。同じように、おもしろい話を聞きたかったら、おもしろい人である必要があると思います。おもしろい人は、おもしろい話をしてくれますが、つまらなそうな人に向けて、おもしろい話はしてくれません。その人がおもしろい話をしてくれるのは、相手のことも「お、この人おもしろそう」と感じたときだと思うんですよね、きっと。でも、ほとんどの場合、相手のおもしろい人は、こちらのことを
信号機を発明した人はすごいと思います。歩行者、自転車、自動車、バイク。それぞれに関する交通ルールを整備した人もそりゃたしかに秀才ですごいのだけど、やはり特筆すべきは信号機でしょう。なにがすごいって、黄色信号の発明です。赤でもない、青でもない、「そろそろ赤になるぞ、気をつけろ」の黄色信号を発明したのはすごいと思います。これがあるおかげで防げた事故は、数えきれないほどあることでしょう。というより、仮に信号が赤と青の二色で、点
「心を鬼にして」と言って、やさしいことをしてくれる人はいません。なにかキツいことをするときに言います。ほんとうは、わたしは鬼ではないんです…ほんとうは、やさしい人間なんですよ…しかし、ここではあえて、「心を鬼にして」こういうことをするんです…みたいな使い方をしますよね。ほんとうはやさしい人間なんです、ということを伝えておきたいんでしょうね。これ、鬼ならなんでもやっちゃうことにされているけれど、心を鬼にした人間も同じことをやるな
「心配している」というのは、どういうことなのでしょうか。メディアの記事でも、SNSの投稿でも、世間話のなかでも、「心配している」に近い表現は、よく見かけます。だれかのことをさんざん腐しておいて、「ということにならなければいいが…」と結ぶとかね。そういうの、なんだか汚いやり方だなぁと感じます。子どもが、さんざん嫌味などを言われたあげくに、「おかあさん、心配だから言ってるのよ!」みたいなことを言われたら、ありがとうと返すべ
「疑え」というアドバイスがあります。常識を疑え。他人の話を鵜呑みにするな。多くの発明・発見・イノベーションは、なにかを疑うことからはじまっているよと。そのとおりだと思います。しかし、です。「ちょっと待ってよ」と思うことがあります。いわゆる"陰謀論"というやつです。一般に陰謀論にハマる人は、「信じやすい」と思われがちです。荒唐無稽な陰謀論を語る人を見ると、「どうして信じちゃうのかな」と、首をかしげてしまいます。でも、その
物語に「光の国」みたいなのが出てくると、たいていが罠だったりしますよね。そこには痛みも争いもありません。すべての人がしあわせになれる場所なので、たくさんの人があこがれています。しかし、だれも戻ってこない。現実の社会でも、そういう理想をたまに聞きます。「すべての人がしあわせになれる、争いのない社会をつくろう」とかね。一見なんの問題もないように見えるけれど、完璧な理想の社会のほんとうの恐怖は、ことばだけで構築された誰も反論できな
「女性は"答え"を求めているのではなく、共感を求めているのです」男性向けの恋愛指南書などで、よく目にするアドバイスだと思います。風邪を引いたと話したとき、すぐに薬を差し出すのではなく、「大丈夫?」のひとことが欲しい…というあれですね。男女問わずそうだろうなと思いつつ、さまざまな場面で思い当たる節があります。たとえば会議などで、開始時刻の遅れにはきびしいのに、(遅刻したらめちゃめちゃ怒られますよね)終了時間が延びることには寛容なの
なんとなく、過去からの積み重ねによって、いまのじぶんがあると考えますよね。昨日までのじぶんの行いによって、いまのじぶんがあるんだと感じます。学校でもそれはよく言われました。「毎日勉強をがんばった努力は裏切らない」「いままでやってきたことは無駄じゃない」でも、よく考えてみれば、過去からの積み重ねよりも、「未来になっていたい状態」のほうが、現在の行動に強く影響すると思うんです。たとえば10年野球をやってきた人は、今日も野球をやりそう
・長い間、料理人をやってきた名人達人と呼ばれるような人がいたとして、その人もやがて年を取ります。年を取ったら、たとえば脂っこいものが苦手になります。求める塩分も少なくなるでしょうから、自然と薄味になっていくでしょう。そして、昔からのご贔屓さんも同じように年を取るわけですから、「淡くて深い味」のおいしさを、よろこんでいます。作り手も、受け手も、まことに趣味のいい料理を、理解し合って認め合って食事をたのしむことでしょう。や
A.I.をみんなが使うようになって、世の中はどんどん便利になっています。考える時間が減り、調べる手間がなくなり、「それなりに整った答え」ならだれでも素早くかんたんに手に入れられるようになりました。でも、その便利さが行き着いた先で、おもしろい変化が起きている気がします。半端な賢さや、小手先の便利さが、A.I.によって一気に意味を失いはじめたことです。ちょっと詳しい。ちょっと要領がいい。ちょっと頭の回転が速い。そうい
思えば、たのしくなかった旅なんて、これまで一度もなかったように思います。行く前に急にめんどくさくなったり、渋滞に巻き込まれたり、飛行機が欠航したり天候にめぐまれなかった旅はあったけれど、「行かなければよかった」と思うような旅は、これまで一度もなかったと思います。たぶん、ぼくにとっての旅は、「どこに行くか」や「なにを食べる」かより、「だれと行くか」が大切なんだと思います。だから、たいていの旅は、たのしくなるに決まっているんです。で、ふ
気晴らしというのは、あんまりいいものとして語られません。ほんとはもっと「やったほうがいいこと」があるのに、「まあ、気晴らし程度にね」というように、とりあえず消費している時間…そんな響きがあります。でも、気晴らしをなめちゃいけないと思っています。まず、気晴らしするとき、ぼくらはたいていなにかしらの創作物(コンテンツ)に触れています。たとえば、映画・音楽・お笑い、それらをつくっている人たちがいます。そして、それらに触れて、
試合をするとき、じぶんたちが本来の力を発揮すれば、おのずと勝利につながるはずだーという考え方があります。一方で、相手に本来の力を発揮させないことで、じぶんたちの勝利につながるはずだーという考え方もありますよね。対戦相手との力の差、チーム哲学、さまざまな要素があるでしょうから、どちらが正しいということではないけれど、語り継がれる名試合というものは、おたがいが全力を出し合うような試合がほとんどなんじゃないでしょうかね。ひとりの
ブログとXについてGemini3との会話麻衣:そもそも、ブログと言うのは、何気なく使ってる言葉ですが、どういう意味ですか。どういう由来があるんですか。何でその言葉を使うんですか。AI:「ブログ」という言葉、当たり前のように使っていますが、実はその成り立ちを知ると「なるほど!」と思える面白い背景があります。一言でいうと、ブログは**「ウェブ上の日記・記録」**という意味をギュッと凝縮した言葉です。1.言葉の由来(語源)ブログ(Blog)は、もともと**「Weblog(ウェブログ)