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前回は、半導体産業のうちDRAM(ディーラム;DynamicRandomAccessMemory)に係る部分についての話をしました。今回は、同じ記録用半導体の中でも東芝を半導体メーカーとして長らく生き延びさせたフラッシュメモリについての話です。もう少し正確にいうと、NAND型フラッシュメモリについてです。USBメモリの内部-左側のチップがフラッシュメモリ【画像出展:WikipediaFile:USBflashdrive.JPG;UploadedbyUser:Nrbelex
アメリカでは、1920年代にGMのアルフレッド・スローンが“多品種大量生産方式”を完成した後、技術革新や業態の大改革、つまりイノベーション、が起こらなくなり、一種の停滞状況に陥ってしまっていた、という話を以前にしました。しかしアメリカの産業がそれでは何もしないでいたのか、というと、もちろんそうではありません。例えば、生産工程を合理的に効率化した“スーパーマーケット方式”の開発です。これは、第2次世界大戦中に第2次大戦中、アメリカの航空機エンジン製造工場で考察された生産量管理方式です。後工
今回は、日本の半導体産業が通産省→経産省官僚と日本の大企業経営者たちによって発展の芽を摘まれてしまったという話をしようとして、その元気をなくしかけているという嘆きの発言です。半導体産業技術について、日本には3人の英雄がいると私は考えています。記憶に新しい順から言うと、舛岡富士雄、嶋正利、西沢潤一です。舛岡はフラッシュメモリの発明者、嶋はインテルのCPU開発の基礎をつくった技術者、そして西沢は日本の半導体開発の先駆者です。これら3人のうち1人として、日本の半導体産業史の中で評価され
小塩丙九郎は、このブログで延べ13回にわたる連載『東芝の破綻に立ち向かう』で、東芝の破綻の基本原因が技術軽視にあることを明らかにしたうえで、そのことを理解せず、だから反省もしない東芝と日本の政府官僚及び業界代表と自称する企業経営者たちが自由市場を犯して余計な介入を行い問題を混乱させる一方であることを予言してきました。結末はまだ見えていませんが、事態は予測通りに混乱を極めています。今後、東芝の半導体部門が自立して、再度復興の道に戻ることはないであろうことを改めて予測しておきます(東芝半導体部