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ホビーフォーラムツボな展示。くるま村さんの展示の中に今年限定上映されたマイナーな映画ヘヤピンサーカスの中に出て来たクルマを再現した展示がありました。ヘヤピンサーカスは50年以上前の映画で、当時トヨタのワークスドライバーだった見崎清志選手がちゃんと役名を貰って出演した映画でした。今見るとだいぶ無茶な映画でしたがトヨタ2000GTが主役で最後本当にクラッシュしてしまうという今では考えられない設定でした。最後スクラップになってしまった2000GTですが、どうやらアルミボディのレース用スペシャルボディ
トムスのガレージ内で製作途中の84Cを前に語り合う舘信秀、大岩湛矣両氏。「いや、その後ろにある黒いのは何なのよ?」って思われるでしょうけど、これは84C製作時に作られたモックアップ(木製の試作品)ですね。以前はずいぶん長くトムスの御殿場テクニカルセンター(旧称:トムス御殿場第一工場)の屋根に乗せられていたので、見たことがある方も…そんなにいないか。いま見ればフロント周りに83Cの面影があったり、全体的に後の88C-Vっぽく見えなくもない(88C-Vの製作はTRDがしており、トムスは関
鈴木亜久里選手。今や監督さんだったりチームオーナーだったりしますが、おっさんにとって「鈴木亜久里」といえば日産からF3に出てたイメージ(古すぎるやろそんな鈴木亜久里選手、レーシングカートを卒業したあと資金集めのために柳田春人選手(当時)の紹介でトムスにアルバイトで入っていたんですよね。余談ですが、その柳田選手がショップ「セントラル20」を立ち上げる際に屋号を「中央高速(セントラル)と20号線の交わるところだからセントラル20でいいだろ」と命名したのが、トムスの舘信秀選手(当時)だったのは有
生沢徹。言わずと知れた、式場壮吉駆るポルシェとの死闘で知られていますよね。その時はスカイラインに乗っていたものの、以後ポルシェの魅力に傾倒するわけですが、一時トヨタと手を組んだことがありました。1983年のWECinJAPAN。颯爽と登場したのはトムスの…ではなくチームイクザワの83C。ただ、練習走行中に燃料系ラインから出火して全焼してしまいました。こうやって見ると燃えたのはカウルが中心で、モノコックは大丈夫そう?みたい…ということで、現存している兄弟車の童夢RC83iがこのモノコ
と、まあ小学校の図書室にあるような本のタイトルみたくなっていますが、今回触れるのはゼッケンです。モータースポーツも他のスポーツと同じように「げんかつぎ」だとか、ダジャレなどでつける場合の多いゼッケン。多いのは、他車よりも先に「行く」との語呂合わせでの19番。しかし、トムスはあっさりとその年のWECinJAPANで36番へと変更。その後現在までずっとエースナンバーとして使っています。これは舘信秀社長(現会長)がサブロクのカブから取ったそうです。ちなみにトムスが2台体制になるときは続
こちらはトムスから耐久レースに出ていたマーチ75S。1978年に4バルブヘッド搭載の18R-Gが市販されるやいなや、GCに参戦したりRクラスとして耐久レースに出たりしていました。エンジンはそのままF2に使われたり、A60セリカに載せられてIMSAを戦ったのちに日本にやってきたりしましたね。70年代半ばにオイルショックによるワークスが軒並み解体され、耐久レースもワークス放出のツーリングカー主体になりましたが、後半になるとGC用の2リッター複座スポーツカーが数を増やしていきました。長谷見昌弘/
スーパーシルエットの後継カテゴリーとして始まったJSS(ジャパンスーパースポーツセダン)レース。R30/31スカイライン、S12シルビア、SA22C/FC3Sがいるなか、唯一?テンロクNAで走っていたトムスレビン。当時の映像をみるとビックリするのが、富士の直線でターボ車に付いていける速さ。もちろん「それ用」のギヤ比なりファイナルギヤを選択しているんでしょうが、とんでもなく速い。時代をさかのぼると、前後黒の素地バンパーに黒のリアスポ(作成はマッドハウスと思われる)と、ストリートカーのようない
2024スーパーGT鈴鹿GT300Kmグランドファイナル優勝:シリーズチャンピオンauTOM'SGRSupra/坪井翔/山下健太組奇しくも決勝で優勝する2台をフリー走行で撮影開幕前に今季のauTOM'Sのドライバーを見たら「(トヨタが)チャンピオン獲らせる布陣だな」と思わされるほど現状ベストなコンビだった。スーパーフォーミュラでも開幕前テストを観て坪井選手のチャンピオン獲得を予想していたので、Wタイトル獲得するかもしれないと期待していた。ポイントを大きくリード
10/11、三栄書房より、『トムスのすべて』が発売されます。トムスのすべてサンエイムックAmazon(アマゾン)概要は、2023年のスーパーフォーミュラとSUPERGT、双方で王座を獲得し国内2冠を達成した「トムス」。現在もトップ戦線をひた走る名門中の名門にして最強のトヨタ系レーシングチームである彼らの歴史に迫る記念ムックです。彼らの創業は1974年。そこからの50年間、その道程と足跡を一冊にまとめたのがこの『トムスのすべて』です。彼らの半世紀もの歴史を紡いだ足
昨日は、ボーナス支給日でした。結構、浪費してるので、今回は特に何も買いません。(笑)カメラ関係は、現在落ち着いてますので、投資ストップです。暑い日々が続いてます。今日は、午後の暑い時間に、撮影会に行くかな?それでは、写真を掲載します。菅生スーパーフォーミュラより、TEAMTOM'Sです。ピットウオークより。TEAMTOM′Sバンテリンビューティーの、辻門アネラさん、阿比留あんなさんTOM'STeamAttendantの、雨音ましろさん。グリッドより。
グループAのときの70スープラさん。盛大に火を吹いてますが…おケツは熱くないんかな?ほら、ちゃんと右側から排気してるでしょ?7Mはもとより1JZも同じように右排気なんですよね。まあ…断熱材とかが進化しているとはいえ、熱いモノは熱いんでしょうね。こいつの頃からくらべると火を吹いてる時間も短いし、断熱材とかが進化してるんだろうけど。画像はトラスト譲渡後ですが、もともと乗っていた舘信秀現トムス会長は富士の1コーナーで盛大にアフターファイアを吹くと「あちち!」っておケツを浮かせていたものの
レーシングオンの次号は「マイナーツーリング特集」。奇しくも先日鬼籍に入られた「トッペイさん」こと都平健二選手も、マイナーツーリングの名手でした。星野薫さんも…※このマシンには舘信秀選手が乗っていたこともありましたが、シーズンごとに交代で乗っていたようですね。高橋健二さんも…みんな「あちら側」に行かれてしまって。寂しいですね。追悼記事とかも…締切まぎわだろうけど、お願いしたかったりするんですよね。
燦然と輝くエースナンバー36。トムスの主要マシンには必ず「36」のゼッケンが貼られてきました。ずっとずっと憧れの的だった。ハコもプロトもフォーミュラも。同い年のレーシングチームに、おめでとう!今年、トムスは創立50周年だそうですよ。
みんな大好きトムスのグループBセリカ(なぬ?)1983年のマレーシアGPとペナンGP(F1などのサポートレースではなく、様々なカテゴリーが開催された独自のイベント)で舘信秀選手(現トムス会長)が乗ったものです。そもそも右ハンドルでのTA64セリカ(GT-TS)の車両公認が取られていたのか?取られていたから、こうして走ってるんでしょうけど…これ以外では見たことないんですよねぇ。18R-G搭載のRA61なら全日本ラリーとかで走ってそうですけど。右ハンドルの60セリカといえばセリカCですけど…
F1日本GPの際、平川亮が来シーズンからマクラーレンF1のリザーブドライバーを務めることが電撃的に発表された。このグランプリのパドックを訪れていたトムスの会長である舘信秀は「ワールドチャンピオンを目指して欲しい」とエールを送った。スーパーフォーミュラやスーパーGTで活躍し、今はスーパーフォーミュラと並行してWEC(世界耐久選手権)に参戦している平川。そこでの好成績が、F1という自身が以前から「目標」として公言していた世界最高峰カテゴリーに繋がることになった。その平川は、スーパーフォ
WEC(世界耐久選手権)でトヨタチームから出場しているマイク・コンウェイ選手。小林可夢偉選手のチームメイトでもありますよね。気になったのが、このヘルメットのカラーリング。もしかしてトムスの舘信秀会長の現役時代のヘルメットを参考にしてる?いや~、それは無いか?
最近はミニカーです価格が高沸してきて私がメインで集めていた1/43サイズのミニカーは私の守備範囲のル・マン24時間レースモノや古の日本のレースモノは1台10000円を越える様になって来ました。まして1/18スケールになると20000円台後半になって来ましたね。マニアックなクルマとなるとやはり1/43サイズが圧倒的に多いのですが、昔の様に好き放題買える状況では無くなって来ました。たかだかミニカーですのでやはり1台10000円越えになるとよほど金持ちでないとそうそう買えるモノではありません。昔
1983年のペナングランプリで走る、舘信秀選手の駆るカローラG5。現地ディーラーからの依頼でもう一台持ち込み、現地のドライバーを乗せ(右側のマシン)て参戦するスタイル。右側はH.J.シュトゥックのBMWM1じゃないでしょうかね?元々はRAYSカラーのマシンでして、1981年から参戦していたんですが、リアフェンダーに「TEAMTOYOTAMALAYSIA」って入ってますね。ただ、使い終わってそのまま現地ディーラーに放出され、しばらくレースに使われたあとに山奥に放置されて草ヒロに…。
トムスで70年代から90年代にかけて、ツーリングカーを中心にグループCなどでも活躍された星野薫さんが亡くなられたそうです。享年75。早過ぎる。早過ぎる旅立ちでした。星野薫さんといえばセリカCにも乗り、トヨタのグループC活動の先鞭をつけてくれたんですよね。シートに座ってるのが薫さん、話しかけてるのが舘信秀トムス現会長。そんな星野薫さんといえば、舘信秀選手(当時)から受け継いだ3K-R搭載のKP47スターレット。クワハラ自動車のスターレットと同じように思われてますが、トムスの方が数段速か
ドイツDRMで走っていた頃はロルフ・シュトメレンが主に乗っていた、シュニッツァーのセリカターボ。ドイツトヨタの依頼によりドイツ(当時は西ドイツ)で製作されたマシンのために、左ハンドルなんですよね。でも、エンジンの吸排気系の取り回しは変更しようが無く、ドライバーのケツの下側を排気が通るためコーナー進入でシフトダウンしてるとアフターファイヤーが…。((((;゜Д゜))))日本にやってきてから乗っていた舘信秀選手(当時)は「富士のストレートが終わって1コーナーに向けてヒール&トゥでシフトダウン
トムス。別に落ちぶれたりはしてないんだけど、1999年のル・マンで取りこぼしたあとの舘信秀総監督(当時)の「ウチにはまだ忘れもの(ル・マンでの優勝)がある。」の言葉が印象的でした。あれからトヨタのル・マン参戦からはトムスは外されたまま。仮にスペック落ちのマシンを供給される程度の待遇だとしても、トムスを帯同させてもいいんじゃなかったのか?と。もしかして、この場にいるのがトムスだったりしたらイヤな連中がトヨタワークスの中にいるのかも?
REAL-XTOYOTACELICA1600GTS=1/72【実車】初代セリカ。1972年の日本グランプリTS-aクラス出場車。このゼッケン68号車は竹下憲一さんがドライブし、結果2位。【ミニカー】リアルX製。1/72という小スケールながら、実車の雰囲気をうまく凝縮して再現しています。リサ店にて、68号車を、というか水色カラーリングを発見し、「これは待っていないな~」と色ですぐに分かり捕獲した次第。因みに、以前から持っていたミ
舘信吾。彼の名前を覚えている人も少なくなってきたんでしょうか。もう、あれから23年ですからね。その名前から薄々気づくでしょうけど、彼の父親はトムス創設者であり会長の舘信秀さん。父・信秀氏がおそらく「引き留めた」であろう、レーシングドライバーへの道へ。順調にステップアップし、1997年のGTオールスター戦でGTデビュー。翌98年から「つちやMR2」に親子ほど年の離れた師匠・鈴木恵一選手と組み、6戦中5勝(こぼしたのはピーキーな雨でのもてぎ戦、インプレッサに負けただけ)という圧倒的な強さをみ
今回のネタはトムスの88Cでございます。というのも、こちらのレーシングオンにて舘信秀トムス会長の発言が、かなり興味深いんです。あのデザインを気に入っていたそうで。問題なのはココ。トヨタ本隊による「C-Vシリーズ」への方針転換へは、現場も含めて反対だった。熟成の進む88Cを使うべきだった…そうで。実際、翌89年のル・マンには2台の89C-Vとともに1台88Cを持ち込んでいるんですよね。さてさて、そんなトムス88C。そのまま進化を続けていたら…こんな感じになっていたんでしょうか?いや
コレは1976年、マレーシアGPの時でしたっけね。一緒に写っているのがミス・マレーシアだかだそうで、レースクイーン的な感じだったようですね。73年にオイルショックが起き、各ワークスは活動を停止。環境問題への関心などから、軒並みレース自体の開催も中止へ追い込まれていきました。その時期にトヨタワークスを離脱したドライバー・舘信秀と開発者・大岩湛矣により創設されたトムス。「萎縮している国内よりも海外でレースに出よう!」とアジア諸国のレースに参戦を始め、主にマカオGPで成績を挙げたことから「マカオ
トムスの井桁ホイールの広告。ヘルメット片手にたたずむのは舘信秀選手(当時・現会長)ていうか、このシルエット…何なんすかね?見たことないカラーリングです。車自体はこのrenomaセリカなんですけど…。IMSAGTXからグループ5に改修されて、スーパーシルエットレースに出ていた頃のカラーリングとも違うし。それにしても、この井桁ホイール。カッコいいなぁ。83Cで色々ありましたが()
《MerryChristmas》『自分の生まれた西暦の年と年齢を足すと世界中の人がみんな2020になるそうです。』↑↑↑と【ミニミニ三重県人会】の鈴鹿出身の舘信秀さん(トムス取締役会長)が教えてくれました。早速~♪1951(年)+69(才)=「あっ!!!」2020~♪v(´∀`*v)ピースふふふなんだか得した気分で楽しい~♪※ちなみに今年でも私だったら11月28日のお誕生日前だと。。。1951(年)+68(才)=2019。
【ミニミニ三重県人会】の友人*舘#信秀さんが少し前に私に送ってくれたアニメーション動画!!これは本当に大変大事なことをまとめてくれていました。常に常に自分自身気を付けていないと心を…気付かぬうちに壊されます。。。自分じゃない自分になることは誰も望んでないのに…知らぬ間に。。。恐ろしいヤツです…。人は誰も悪くない。。。世界がひとつになって人類がひとつになって戦っているのは新型コロナウイルスですッ♪そして…次に↓私達を襲ってきているのはht
10日(水)の夜【ミニミニ三重県人会】を終えてから舘信秀さん奥様の、みさおちゃん奈良谷弘さんセツちゃんとかつて、ヴェルファーレで社長をしていた友人の緒方仁子ちゃんのお店〔Jシャンパンバー〕が6周年を迎えたというので乾杯に~\(^-^)/最近の私は…やっぱりシャンパンが好きかも~♪↓が〔Jシャンパンバー〕https://www.facebook.com/pages/J-%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%B