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国際法を破り放題の中国軍に対して、松井石根司令官と上海派遣軍は国際法に忠実に戦った。■転送歓迎■R05.12.10■69,832Copies■8,293,929Views■ブログ(過去号閲覧):http://jog-memo.seesaa.net/無料受講:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776__________日本志塾で多くの受講生が、日本人としての志を育てています。今、ご登録いただけると、1/1公開の「31号
日本人なら一度は手を合わせに訪れていただきたい場所です英霊シリーズ第八弾興亜観音こんにちは。YouTubeチャンネル"大和の心"の音楽と動画担当のRyouです。2023年5月21日(日)熱海に昼から用事があったので兼ねてから手を合わせに行かせていただきたかった松井石根陸軍大将はじめ七士の英霊、他多数の大東亜戦争殉職の英霊を供養されている興亜観音に早朝に行かせていただきました。御殉職の地、巣鴨...youtu.be
大和の会の漢会のメンバーで熱海の興亜観音に戦後A級戦犯という勝手な名を連合国側に付けられた皆さんご存知のあの方達興亜観音では「七士」としてその遺骨が眠る場所です今回も僧侶の方から遺骨を奪取することの難しさ今の若い方達が大東亜戦争という意味も含めて歴史の史実を如何に知らないでいるかそんなことを講和の中で拝聴しました観音堂の中にはパール判事の写真また、日本の戦没者と共に中国の戦没者の方もご供養されていますこの辺りに日本人の精神が垣間見えますよね奇しくも今回は漢会
熱海と湯河原の間の小高い山に、興亜観音があります。リゾートマンションから直ぐそばです。興亜観音ホームページ�����ω������z�[���y�[�Wwww.koakannon.org満州事変でお亡くなりにかられた日本側、中国側の英霊の方が、眠られてます。そして、大東亜戦争のA級戦犯の遺灰が、一時期、祀られていたと言われています。現在は、他のところに移されて祀られているようです。GHQに、海に散骨を命じられるも、現場にいた日本人がこ
19日ぶりの休日でした。今日の外出はテーマがあります。「カレーが結ぶインドと日本」です。お昼ご飯を食べに新宿に向かいました。新宿中村屋です。カレーで有名なお店でレトルトカレーはどこでも手に入れる事が出来ると思います。実は本店でカレーを食べるのは初めてかもしれません。カレーは地下2階で食せますビル自体が中村屋で、カレー以外にも洋食のレストランなどが入っているビルでした。お店の名前はMannaマンナです。昼時なので少し入店まで待たされました。お勧めのビーフカレー定番のチキンカ
興亜観音(熱海市)へ、維新政党新風神奈川の方々と参詣。昭和15年松井石根陸軍大将が、支那事変における日支両軍将兵を祀る為に、聖観音を建立した。いわゆるA級戦犯として処刑された、松井大将ら7名のご遺骨も、七士の碑の下に埋葬されている。伊丹妙浄ご住職より、有難いご講話を拝聴する。
熱海の伊豆山にある観音様です。新型コロナワクチンを2回接種したので、少し気が大きくなって遠出してみました。初めての参拝です。元々は支那事変(日中戦争)の戦没者(日本側、中国側とも)を慰霊供養する目的で陸軍大将の松井石根の発願で昭和15年2月に建立されました。昭和15年2月はまだアメリカと開戦する前になります。敗戦後、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)の判決が実行されて昭和23年12月23日に刑死した7名の戦犯(A級戦犯は6名、松井石根自身はA級戦犯ではなくB級戦犯として7名に含まれて
熱海の「興亜観音」に連れて行って貰いました。以前から行ってみたかった所で、どういった場所かは、知らない人の方が多いと思います。(※是非、検索してみて下さいね)戦争は2度と起こしてはならない。世界が平和であって欲しいと願う気持ちにもなります。ただ、知覧合宿にご参加された方は、「殉国七士廟」と共に、絶対に来て貰いたい場所です。今、ここをお守りしているご住職にもお話が聞けました。支那事変での日中両軍の戦没者を「怨親平等」に慰霊供養する為の場所だそうで、そこにも日本人の想
12月23日は、立派さ御最後を遂げた陸軍大将土肥原賢二、同松井石根、同東条英機、陸軍中将武藤章、陸軍大将板垣征四郎、同木村兵太郎、第32代内閣総理大臣広田弘毅ら七名の命日である。極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判は、「平和に対する罪」という今まで誰も聞いたことのない罪を作り上げ(事後法)、我が国の戦争指導者を断罪するという復讐であった。それは、次のように始まり、次のように終結した。昭和二十一年四月二十九日、昭和天皇誕生日に起訴状公開同五月三日、開廷(一年後のこ
https://gekiokoobachan.jp/blog-entry-706.htmlこちらは上記のミラーサイトです。結局お盆は何やかんやと用事があって、記事をアップできませんでした、すみません。8月15日正午の黙祷は、家の中でしました。天皇陛下も安倍ちゃんも、皆さん暑い中、ホンマに大変やなあ。あ、全国戦没者追悼式のことです。私は日本武道館には行ったことはないんですが、昭和40(1965)年以降はずっとここで実施されてるそうです。私の子供の頃からの記憶もありますが、高校野球甲子
今日は大東亜戦争の戦没者の供養へ行って参りました。【興亜観音】の方へ行ってくださった方は、いらっしゃったでしょうか?
神社・仏閣を参詣する事が好きな方々は、大概その神様・仏様に何度でもお会いしたいと思うのが普通だと思います。【お詣り】というのは、叶えて欲しい願いが多いから何度も神社・仏閣へ行くわけではありません。「お陰様で・・・」という気持ちがあるからこそ「また御礼詣りに来る事が出来ました!ありがとうございます。」と、何度でも報告に行きたくなるのです。この世の中の大概の神社・仏閣は、お金さえ払えば普段参拝出来ないような特別な場所へも案内される事がありますが、世の中にはお金など全く通用しない所もあり
http://gekiokoobachan.jp/blog-entry-436.htmlこちらは上記のミラーサイトです。毎日書いてるように、5年以上前の私はホンマに残念なアホでした。あ、今でもそうかも知れませんけど(笑)少しはましになったかな、と。恥を忍んで無知やったころのことを毎日のように書き続けています。さて今日は、たまたまツイッターで出ていた話題に触発されて、ふと思い出したこと。東條英機はヒットラーと並ぶ極悪人、とホンマに思てたことです。東條英機さんは大東亜戦争時、米英に
伊豆半島へ<4月21日(金)>熱海伊豆山にある「興亜観音」にお参りに行きました。この観音様は、大東亜戦争と深いかかわりがあり、“第二の靖国”と言われています。建立は、松井石根大将の発願です。松井大将は支那事変で司令官を命ぜられ、南京攻略までの指揮に当たった方です。日支の激戦で多くの兵の血が流れたことを悼み、日支両国の戦没者を供養するためでした。建立は昭和15年2月です。一人、観音様の前でお参りしていました。終わると、「ようこそ」と声がしました。住職様です。
熱海で嬉しい再会がありました伊豆山にある興亜観音を守る伊丹妙浄さん。ちょうど1年ほど前、静岡県の平和遺産をたどる旅をして自著『平和(いま)を見つめる』の取材でお世話になりました。裏表紙には去年訪れた際の興亜観音像との写真が載っています。そうそうまだ↑この頃は参議院選挙に出馬するとは夢にも思っていなかったなぁ(笑)本堂の見晴台からは相変わらずキラキラと光る熱海の海が開かれていました再会を本当に喜んでくださった妙浄さん。『ここが平和の祈りの原点です。参議院議員と