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臼井城址近く(千葉県佐倉市)の旧成田街道をゆるポタお散歩していますよ♪今回のお散歩の目的は、下記2点・・・1.臼井城の外城に祀られたアメノミナカヌシ様へお詣り2.千葉県で2位にランキングされた「佐倉タンメン」を食べに行くぞ!では、「右成田道」「左江戸道」という文字が刻まれた道標の別れ道を成田方面へ少し進んで行き、臼井城に向かう脇道へ入ってみましょ♪最初に目指していた神社は、旧街道から約300m外れた場所に鎮座していました。臼井「星神社」この神社は臼井城の
臼井城を後にして印旛沼へ向かって歩くと臼井城の土塁跡の上に太田資忠公のお墓が建っていました😊太田図書助資忠(おおたずしょすけすけただ)は太田道灌の弟(甥とも言われている)で臼井氏対太田氏の戦いにて、城の防御があまりにも堅いので一旦兵を退こうとした時に隙を突かれて討死してしまいます。結果太田軍は勝利したのですが副将が命を落とすという悲しい戦い☹️資忠は臼井軍に討たれたとされていますが一説には味方にやられた説や味方の中に臼井軍が忍んでいたスパイ説などがあり真相はよくわかりません😢ちなみ
先週は千葉県佐倉市の臼井地区で城跡巡りをしてきました🙆京成臼井駅に降りたの初めて!まず訪れたのは謙信一夜城😃決して一夜で建てられたお城ではありません😅京成臼井駅から徒歩5分程、上杉謙信が臼井城攻めの際に建てたというお城😊住宅街の中にある一夜城公園が跡地とされていますが周りは住宅街になっており公園内にでっかい石碑があるのみで他に遺構は全くない。周りは住宅を建てるのに削られてほぼド平坦。掘ってて何かしら出なかったのかな🤔滞在時間5分😅たいした見どころが無いので謙信一夜城を後に
どうも、ブネです。今回は「越後の龍」という異名をもつ上杉謙信が負けた戦い「臼井城の戦い」を書きたく存じます。「臼井城攻城戦」永禄9年(1566年)3月、上杉謙信は武田氏と同盟を組んでいる北条氏の戦力を削ぐべく、房総(千葉県)に侵攻した。攻める城は原胤貞が城主をつとめる臼井城である。上杉謙信は王子台に付城を一夜で築いて本陣とした。上杉謙信は黒い鎧を身に纏い、銀箔押張懸兎耳形兜を被っていた。「走り櫓を組み立てよ」上杉謙信は臼井城を攻めるため、いくつもの車輪のついた櫓を兵達に
城をめぐります。有名無名関係なく、興味があるところならどこへでも!今回のルート:京成臼井駅-印旛沼公園-師戸城(龍ケ谷城)-謙信一夜城今回は師戸城をめぐります。スタートは京成臼井駅です。ここから徒歩45分、レンタサイクルなら15分ほどで印旛沼公園に到着します。印旛沼が見えてきました。沼に突き出した舌状台地の突端が師戸城です。印旛沼公園に到着しました。師戸城は14世紀、臼井城の支城として築城されました。築城者は師戸四郎とも言われています。その後何度か
6/4(火)、大阪からの日帰り弾丸による千葉県内の”千葉氏関連4城(本佐倉城、臼井城、師戸城、千葉城=亥鼻城)”お城巡り、3城目は「師戸(もろと)城」(千葉県印西市)です。「印旛沼」西端の橋を渡って真直ぐ進むと「千葉県立印旛沼公園」の入口があり、坂道をあがっていくと駐車場がありました。「師戸城」の遠景↓私は縄張図を持参していましたが、この駐車場の位置が判らず、当初はそこが「二の郭」だと勘違いをしながら城内を歩いていて、途中で気が付いたという経緯がありました。まず「師戸城
6/4(火)、大阪からの日帰り弾丸による千葉県内の”千葉氏関連4城(本佐倉城、臼井城、師戸城、千葉城=亥鼻城)”お城巡り、2城目は「臼井城」(千葉県佐倉市)です。「本佐倉城」の最寄駅「大佐倉駅」から2駅目で直ぐに「臼井駅」に着きました。駅からは各種アジサイが咲く道沿いを歩き、途中から車通りが多い「千葉臼井印西西線」の道路を北上したら左手にこんもりした丘陵が見えます。約15分くらいで導入路があったので上がって行きました。道沿いの「紫陽花」並木↓着いた場所には「臼井
千葉県佐倉市にある臼井城跡に行った時の記録最寄りの京成臼井駅・北出口臼井城千葉氏の一族である臼井氏、その中興の祖と言われる臼井興胤が基礎を作ったと言われる戦国時代の城主は、千葉氏(北条勢)、原氏(北条勢)、酒井氏(徳川勢)ここで起きた面白そうな戦いとしては、以下2つ①戦国時代初期の、1478年享徳の乱:関東管領上杉氏VS鎌倉公方足利氏(古河公方)②戦国時代中期の、1566年臼井城の戦い:上杉謙信・里見義弘VS後北条氏与力の千葉氏・原氏享徳の乱(
鰻を食べた後は印旛沼をぐるっと回って、臼井城址公園に行ってみました。建物などは、なんにもないんですけどね。早咲きの桜は終わりかけ千葉県にはそんなに高さのある山はありませんが、この急斜面は攻め辛そうですね。眼下に印旛沼が見えます。帰りに臼井城の近くの和菓子屋さんで、道明寺とぼたもちを買いました。和菓子屋さんの駐車スペースのすぐ横に、哀愁を帯びたコリーがいたんです。あまりお世話してもらえないらしく、毛がゴワゴワで元気がなく、声をかけても全く反応しませんでした。お
⭐太田図書⭐と聞いてピ〜ン‼と来る人ってこの日本に何人くらいいるんでしょうね?🤔🤔🤔ってそういう私も太田図書と聞いてもそれを知らなければどこかの太田町の図書館?って思っていたと思います。😅🤔😅まさか人物名とは思いませんよね。🤔🙄🤔図書と書いてトショと読まずズショと読みます。私の大好きな武将太田道灌公の弟or甥にあたる武将です。今まで太田道灌公縁の神社仏閣を廻ってきた私にとって、何回も近くまでは来るのになかなか辿り着けない旧跡のひとつに今回進んでいくことができ
だんだん暖かくなってきて、服装に困る時期ですね。最近、ロンT一枚とかで充分な感じもしてきて、一枚購入しました。yoshika🌛🦌iitoJAPAN3rd@iam_yoshikaSouthCity新作リリースです✨SouthCityのブランドコンセプト「自由」フリーで活動してる私にとって自由は孤独。そんな孤独な自分に居場所をくれたのがSouthCityです。少しでもSouthCityの輪が広がりますように。今回もクーポンコード「Yoshika」でお値引き入ります✊🏼https://t.
謙信一夜城に続いては臼井城を訪問。京成臼井駅から狭い歩道を20分くらい歩きます。ここまで来ればすぐです。臼井城は永禄9年(1566年)に上杉謙信と里見義弘に攻められます。落城寸前になったものの軍師の白井浄三らの働きにより謙信を大敗させています最低の軍師(祥伝社文庫)Amazon(アマゾン)773円土橋二ノ丸縄張り案内板城の入口にある古峯神社石碑の右側のこんもりした土の上に古峯神社はあります。本丸
京成電鉄に乗り臼井の2城を巡りました。京成臼井駅まずは謙信一夜城(別名王子台砦)京成臼井駅から徒歩5分ほどの住宅街にある公園です。石碑謙信一夜城は1566年に臼井城を攻撃する際に上杉謙信が本陣を置いた場所とされています石碑裏の由来の説明特に遺構はなく、今はただの公園です以前に購入した御城印寒いのでさくっと見て、次の臼井城に向かいます。
5月10日(火)久しぶりの晴れ。印旛沼公園までウォーキング6km。県立印旛沼公園は、印旛沼を見下ろす高台にあった師戸(もろと)城跡を県立公園として昭和53年頃整備されたものです。素晴らしい開放感です。昨夜の雨で水がきれい(船戸大橋)公園内の説明碑の記述師戸城は千葉氏の一族であった臼井氏の居城である臼井城の支城として、14世紀に築かれたといわれる。その後、何度か改築され現存するような形となったのは16世紀中頃と推定される。城主については明らかでないが、江戸時代初期に書かれた「臼井家由来
今年のGWは遠出する気もお金もなく、わりと近くにあったが見逃していた師戸城を初訪問。現在は印旛沼公園になっているとのことで大した期待もせずに訪問。しかし実際に訪問してみると思ってた以上に良かったです千葉一族が14世紀に臼井城の支城として築いたとのこと。豊臣秀吉の小田原攻めに伴い、北条氏滅亡と共に本佐倉城、臼井城、師戸城など下総地方における北条配下の諸城は陥落したとのことです空堀曲がりくねった空堀と土塁が特徴的。高さが6mに達する所もあります。上から弓矢
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)245城目は臼井城でございますよぉ微妙過ぎた今年1発目の師戸城からわずか2kmほどに在る臼井城跡戦国時代真っ盛りの1566年に越後の戦国大名・上杉謙信勢と北条氏与力の地元・千葉氏が壮大な戦いを繰り広げた地が、約450年経た現代においては遺構的なモノは皆無( ̄▽ ̄)残ってんのかもしんないケド師戸城跡同様に説明版無ぇモンで「ココ城址跡っぽくね?」と、勝手な思い込みで楽しむスキルを要する事態
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)244城目は師戸城でございますよぉまだ肌寒い日々ですケド長い冬籠り終え2022年旅活を本格的始動すっかり近所専用お買い物車と化した相棒と久々に遠出しようっつうことで前から行ってみたかった柏にあるアウトドアショップへ自宅から53.2kmにもかかわらず高速使わず走って2時間26分改めて首都圏渋滞っぷり痛感で、ストックやら何やら買い込みますと相棒と印旛沼方面へと向かい印旛沼公園駐車場へピットイン20
2022年2月20日梅と河津桜を求めて船橋歩こう会2月度例会に2人組で参加しました。雨が残る朝、雨が止むのを見越して、ギリギリの時間に勝田台駅へ。勝田台駅をスタートし、最初の河津桜スポットの西志津多目的広場、わずかに咲いているのを見つけただけでした。志津からユーカリが丘方面へ。上座総合公園の中を通ります。臼井城址へ。こちらも河津桜、梅とも、数輪咲いているだけでした。印旛沼のほとりに出ます。印旛沼サイクリングロードを歩きます。佐倉ふるさと広場、チューリップは育成
【問題】永禄9年、上杉謙信の侵攻を臼井城で撃退したという逸話を持つのは、次のうち誰か?【選択肢】白井胤治堀喜吽斎非有角隈石宗【正解】白井胤治【解説】永禄9年(1565)、謙信は大軍をもって臼井城(千葉県佐倉市)を攻めた。城主・原胤貞は、当時在城していた白井胤治(入道浄三)に指揮を預け、胤治は見事に謙信を撃退したという。
11月27日(土)は千葉県佐倉市での日本城郭史学会主催の見学会があり、参加しました。6月の見学会以来の五ヶ月ぶりのイベントでした。今回の見学会は史学会委員の大橋健一さんが案内してくれました。臼井城主郭から見る臼井田宿内内砦当日は京成臼井駅に集合して、最初の目的地である上杉謙信の一夜城公園を目指します。市街地を数分歩くと一夜城公園に着きました。公園にはひときわ目立つ一夜城の石碑があります。一夜城公園石碑一夜城公園の周辺は住宅地で、発掘調査では中世城郭の遺構が発見されま
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)初冬の房総暴走ツアー最終目的地235城目は久留里城ですよぉある意味長かった高宕山登山を経て20km弱疾走しまして久留里城跡駐車場ピットイン城跡までは約600m坂を登る必要アリ↓だそうよ( ̄▽ ̄)堀切跡は遺構はコンクリで固められ今が旬の紅葉を愛でつつ先ず曲輪跡へ到着。。そりゃ~安定の原っぱですわよ。。二の丸跡は君津市立城跡博物館へ天神曲輪跡はトイレへとリフォームされ各々第二の人生を全うして
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)234城目は館山城でございますよぉ相棒購入し3ヶ月経過。。。が、四国や北陸遠征ではレンタカーに頼りココ最近はご近所買い物以外出番無く久方ぶりの遠出(言うても千葉ですケド)目指すは初冬の房総半島関東百名山2座登山+2城址巡りの約200km房総暴走帰りのアクアライン渋滞を避けるため6時には家出る予定でしたケドなーんとなく寝過ごし1時間遅延で出発それでも往路は渋滞ハマらず快走し9時前には館山城跡到
千葉県佐倉市にある臼井城(うすいじょう)。現在は、公園として整備されていて、比較的よく残る土塁や堀などの遺構を手軽に堪能することができます。今は平和な雰囲気漂うこの城ですが、永禄9年(1566)に激戦が繰り広げられた歴史を持ちます。しかも、あのまず負けることのない上杉謙信が負けたというから穏やかではありません。謙信は、生涯幾度となく関東へ遠征しています。永禄9年のそれは遠く常陸や下総にまで及ぶもので、その過程で北条方だった下総・臼井城も攻撃対象となりました。当時の城主は原胤
今日は天気予報どおり、午前中晴れ、午後曇り、夜雨となりました。先日の佐倉の歴博にいった時に気になっていた師戸城跡(千葉県立印旛公園)に行きました。高台にあり、印旛沼を見下ろせます。桜や梅園があり、それらの季節はすごそうでした。【師戸城跡】空堀印旛沼を挟んで対岸にある臼井城跡(臼井城址公園)があるのがわかったのでこちらも行ってみました。【臼井城跡】イチョウがきれいに黄色くなっていたので写真を撮ってみました。もみじも紅葉していたので、撮ってみました。高台にあるので、こちらからも印旛
臼井城(千葉県佐倉市)の御城印です。謙信が落とせなかった城臼井、原、酒井氏歴代の居城築城年・12世紀中頃築城主・臼井常康?主な城主・臼井氏、原氏、酒井氏佐倉市指定史跡御城印デザインは、臼井氏、原氏の家紋と、酒井家の家紋。それと縄張図。佐倉ふるさと広場売店、佐蘭花にて購入。
8/2から再び関東に緊急事態宣言が発令されていますが、コロナウイルスの勢いは収まらず全国的に増えてきている状況が続いています。軽費老人ホームは自立した入居者が多く、行動制限や自粛にも限界があり、特別養護老人ホームとはまた違った大変さがあります。当施設では、3月以降毎月職員に対してのPCR検査を実施しており8月も25日に実施し職員全員陰性でしたワクチン接種に関しては入居者、職員共に完了していますが、ここ最近ではブレイクスルー感染というワクチン接種済みの方もコロナウイルスに感染してしまう事例が
ようこそ!つわぶきの宿みづのへ!今回も、この続き!↓↓↓臼井城の戦い…この戦いは、上杉謙信が関東攻略のための足掛かりとして、この地へ進軍。迎え撃つのは、後北条氏の、千葉氏配下の原氏…の軍師と言われた、白井浄三。ま、上杉謙信と北条氏の戦いの一幕ですね!白井浄三は、臼井城に立て込もって知略を持って上杉軍に応戦。味方の北条軍も松田康郷を援軍に差し向ける!コノヒトモゴウノモノナンデス~!そして…上杉軍敗走!軍神と言われた、上杉謙信を敗戦に追い込ん
ようこそ!つわぶきの宿みづのです!今回はここからの続きです!↓↓↓さぁ~散策開始です!まずは、土塁跡です↓↓↓結構な勾配です!ちなみにこの土塁は、ウメが咲いていた場所下にあります!ウメが咲いていた場所は、二ノ丸です!↓↓↓そして…、この先にある、この道を行くと…↓↓↓本丸!到着です!その本丸から臨む景色は…、とてもキレイでした!印旛沼がよく見えます!そして眼下には…臼井の町並が!この臼井城…、戦国時代においては、下総国攻略にはとても重要な土
ようこそ!つわぶきの宿みづのです!と、言っても今回は…、久しぶりの歴史探訪です!先日、嫁さんとドライブに行った時に行った…、↓↓↓臼井城址公園!ウメがキレイでした!がっ!!この看板を発見してから…!🌠↓↓↓千葉氏、原氏、臼井常胤、太田道灌、上杉謙信、後北条氏、酒井家次…、歴史での有名所が名をつらねている…!私の探訪魂?がゆすられました!次回につづく