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庄内藩校旧致道館@山形県鶴岡市馬場町【山形県日帰り観光備忘録】鶴岡・月山・最上川観光プラン日産レンタカー庄内空港店>>鶴岡市役所第2駐車場>>鶴岡アートフォーラム>>鶴岡公園/鶴ヶ岡城跡/庄内神社/大寶館>>庄内藩校旧致道館>>鶴岡市役所第2駐車場>>米の粉の滝ドライブイン(駐車場)>>月の女神像>>月山/地蔵沼>>月山/姥沢駐車場>>寒河江ダム駐車場/月山湖の大噴水>>瑞宝山本山慈恩寺/三重塔>>最上川美術館
鶴岡市役所第2駐車場で撮影した「荘銀タクト鶴岡(鶴岡市文化会館)」@09:00am@山形県鶴岡市馬場町【山形県日帰り観光備忘録】鶴岡・月山・最上川時期・期間2025年10月下旬日帰り旅の目的山形県庄内空港IN/OUTで、まだ行ったことない観光スポットに行ってみる。お天気が良好なエリアに絞って、前日に予約できる往復航空券🛫を片っ端から探して、予約できたのが「羽田-庄内」便。&フライト取れたので山形県月山の紅葉へGO月山は、出
鶴ケ岡城址公園桜の名所なんだね雪の降るまちをのモニュメントお堀で鴨が休んでいました荘内神社大宝館中は撮影不可鶴岡カトリック教会天主堂立派な門構え見学可能なはずですが幼稚園の敷地なので(ほかに誰もいないし)入ってよいものかちょっと迷いました(扉に自由に見学してくださいと札がさがっていました)ステンドグラスが素敵ですね✨もうこんな時間?回りきれるだろうか?もはや駆け足だよ丙申堂致道館ギリギリかな?
10月28日(火)3日目鶴岡(その2)訪ねたところ⑦致道館(旧庄内藩藩校)庭に出てみると裏手に大きな屋根の凄い建物が!これは一体何だ!と思ってMAPを見てみると、鶴岡市文化会館とのこと。訪ねたところ⑧旧風間家住宅丙申堂(↓)この部屋で映画「蝉しぐれ」の撮影がされたのだそう。(↓)金庫蔵(↓)風間家には700人の小作人がいたそうで、この60畳の板間で宴会とか出来たのだそう(今はここでコンサートとか催されるそう)。(↓)耐震構造の梁(↓)2階
雨の降る中、一泊目は鶴岡駅近く鶴岡は30年以上前だったか仕事で2,3回来たことがあります某工場の生産ラインの検査装置の納入とか、でしたその時は上越新幹線で新潟経由で羽越本線ルートでしたが今は山形新幹線で山形か新庄駅からレンタカーの方がはやいかも二日目は、仕事の時は来れなかった鶴岡公園方面へまず、庄内藩の藩校致道館(ちどうかん)一般人が入れる寺子屋と異なり、武士の子供しか入れない、とか下の大広間の他にもたくさんあり、藩主の部屋もあり家康の家来だった藩祖の頃から幕末の
秋の庄内路をのんびりと旅した。まずは鶴岡市内の歴史スポットを巡る。致道館では藩校の空気に触れ、藤沢周平記念館では静かな文学の世界に浸る。どちらも、庄内の誇りが感じられる場所だった。夕暮れが近づく頃、今夜の宿「湯ノ瀬旅館」へ向かう。市内から車で山道を30分ほど走ると、ぽつんと佇む一軒宿が現れる。家族で営むこの宿は、まるで親戚の家に来たような温もりがある。庄内弁でのあいさつに、心がほっとする。一休みして、宿の名物・大露天風呂へ。なんと奥行23m
藩校。その名の通り、藩士の子弟を教育する為に設立された、藩が運営する学校。言わば、士官学校といった感じ?江戸時代前期に政治が"武"から"文"へと変遷していく過程で、藩校が各地に設立されていきました。最盛期にはその数も255校に及びます。因みに、日本三大藩校とされるのは、水戸弘道館・萩明倫館・会津日新館。そんな英才教育機関だった藩校も、明治4年(1871)の廃藩置県で廃止され、以降は中高等学校の前身となり、その建造物の殆どが時代の流れの中で失われていみました。
私の留守中、長女が次女の勉強をみてくれていたのですが、長女曰く「次女には伸びしろがある」「ママが言ったところだけをやらせるつもりでいたんだけど、次女が自分でそれを上回る分量の勉強をやっていた。それでもまだ余力があった。限界突破できれば、まだまだ伸びる」やっぱり私がいない方がいいんじゃ…(;'∀')こちらの続きです。『母の一人旅~鶴岡・酒田3』こちらの続きです。『母の一人旅~鶴岡・酒田2』こちらの続き。『母の一人旅~鶴岡・酒田1』北の大吉方位へ一人旅
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
こんばんは山形の鶴岡に旅した前回の続きです🤗帰りは、鶴岡公園の側にある致道博物館を三度目でしたが、見学しました。致道博物館は、以前訪れたのが、随分と前なので、また、新たな気持ちで見学しました😊郷土文化向上のために、旧庄内藩主酒井家より伝来の土地、建物が寄付され、1950年昭和25年に創設されました。致道の名称は庄内藩校致道館に由来しています。資料より旧庄内藩主御隠殿です。江戸屋敷を移築されました。
2025年5月16日朝に山形城を訪城の後は、鶴ヶ岡城へ移動。鶴ヶ岡城は山形県の日本海側、庄内地方の鶴岡市にあり続日本100名城です。アクセスがやや困難で、県庁所在地の山形駅から電車だと3時間〜3時間半ほどかかります。もしくは、高速バスを利用すると2時間半ほどで到着します。いずれも鶴岡駅から鶴ヶ岡城までは2kmほどあるので、市内のバスの利用が必要となります。今回は山形駅からレンタカーで直接向かうことにしました。車だと約2時間かからず到着。レンタカーが一番コスパ良いかもしれないですね。
2025.5.5今日の午後は鶴岡の致道博物館に行きました。ここは鶴岡の古い建物などを集めた博物館です。旧西田川郡役所。洋風建設のしゃれた建物です。中はドールハウスになっていました。寄贈されたものだそうです。本場モノの想像と再現による精巧なドールハウスです。こちらには江戸時代ごろのお店の模型がいっぱいです。こちらは旧庄内藩主の御陰殿。先ほどの洋館と比べるとやはり年代感を感じさせます。庭もいかにも和風の名庭でした。こっちは旧鶴岡警察署庁舎。ずいぶんおしゃれな警察署だ
今回は、1日で山形県の3名城を巡って帰宅する日帰り旅です。自宅のある新潟市を早朝に出発し、鶴ヶ岡城→山形城→米沢城の順に訪れ、夕方帰宅する計画です。鶴ヶ岡城の起源は古く、もともとは鎌倉時代から戦国期まで庄内地方を治めた武藤氏の居城でした。当時は「大宝寺城」と呼ばれていました。武藤氏が滅びた後は上杉家の支配を経て、1601年に最上義光の支配するところとなります。ところが、「最上騒動」なる内紛により最上家は改易となってしまいます。1622年、譜代である酒井忠勝が入封し、現在の「鶴
大宝館山形ドライブ旅行初日は、鶴ヶ岡城本丸跡にある荘内神社を参拝して、周辺にある観光スポットを歩いて散策。最初に訪れたのは、同じ鶴岡公園内にあるクラシカルな洋館の大宝館。大宝館は大正4年に、大正天皇の即位を記念して建設された洋館。洋館内は作家森敦など、鶴岡ゆかりの人物の資料が展示されていた。致道館次に向かったのは、鶴岡公園の角向かいにある国指定史跡庄内藩校致道館。致道館は、江戸時代末期に創設された、東北地方で唯一現存する貴重な藩校。入館は無料で自由に見学ができて、表門や講堂、孔子
雨女、晴れ女いろんな女がいますが私はどうも雪女らしい。雪女が二月、三月と発動して何度も旅行を振り替えてでも良い景色を見ることができたそんな記録です。日出城址の桜を見て気になっていた櫓をのぞいてみました。この鬼門櫓は鬼門の方向、北東の角が欠けた建物になっています。廃藩置県により日出藩が無くなりお城も他の櫓も取り壊される中鬼門櫓は様々な人の所有となり現在の位置に移築されました。使われていた当時は各地からの来訪者の休憩場所であったと言われています。さてこのすぐそばにかつて
秋遠征「歩き旅」は、予定通り5日間で奥州街道と日光街道をゴールすることが出来た!日程は11日間を確保していたので、余った日程は、予備日2日と、丁度三連休が取れた長男夫婦と山形旅行を計画した☺️前回の記録『番外編①「華厳の滝・中禅寺湖・大谷石採石場」』日光街道・奥州街道踏破後の観光だな!前回の記録『日光街道・奥州街道13「大沢宿〜今市宿〜鉢石宿・神橋」』日光街道13大沢宿〜今市宿〜鉢石宿〜神橋前回の記録…ameblo.jp長男の所から出発したのは、夕食後の夜8時前頃かな
印象的だったのは、日出城が海のすぐ近くにあり、本丸はもっとも海に突き出た部分にあったこと。さぞいい景色が見られたことであろう。その城址に今は小学校(本丸跡)と中学校(一の丸跡)が存在している。9月18日午前、そこを訪問した時ちょうど小学校が学校公開をしていた。<中学校のグラウンドが広い><小学校の校舎はこの後ろに><本丸跡から見える別府湾><これは観光案内所>残念ながらザビエル浜出の地、藩校の致道館、早水台遺跡には行けなかった。https://www
昨夜泊まった旅館は、ご高齢のご夫婦が経営されていました。朝食中に「葬儀に出る」との事で「さっさと」ご夫婦で出かけて行かれた。残された私は、食器等を片付け、部屋を整理して、宿代を置いて出立しましたが、いろんな旅館や民宿に泊まる私も「恐れ入った」経験だった。てな訳で、早朝に旅館を出る事となりました。「五十川」を渡り「県道61号線」で、山中の坂道を登り、五十川集落を離れて行きます。県道の坂道から、五十川集落を振り返りました。山が迫る海に面した僅かな土地に、集落があるのが、良く判ります
3日目はかなり長距離の旅になります。花巻から秋田方面へ横断し、横手、大曲をへて高速を降りて、日本海方向の由利本荘に向かいました。楽しみにしていた霊峰鳥海山がさっそく出迎えてくれます。この画像は仁賀保から見えた鳥海山の雄姿です。まだ秋田県です。山形県に入り吹浦というところに十六羅漢岩がありました。岩に仏様が彫られているのです。当時、地元漁師の供養のために彫られたのだそうです。よく見ないとわからないかもしれません。そして、いよいよ庄内らしい風景が見えてきました。遊佐町付
致道博物館や致道館を見学した流れで急遽、上杉神社&上杉伯爵邸へ行くことになって嫁さんタブレットで米沢で宿泊出来る宿の検索前半GWの中日なので当然ビジネスホテルくらいしか空いてないビジネスホテルなら部屋は同室じゃなく喫煙部屋にして!と私予約が取れたので米沢に向かって鶴岡市を出発山形自動車道に乗ってこの日はとても暑かったので一休み山形・・・っていったらさくらんぼだけどさすがにさくらんぼには早かったのでソフトクリーム
続いて~旧庄内藩校・致道館へこちらは入場無料表御門致道館(ちどうかん)の名称は論語の一節「君子(くんし)学ンデ以テソノ道を致す」に由来聖廟講堂致道館は旧庄内藩主・酒井家9代忠徳(ただあり)が退廃した士風を刷新して藩政の振興を図るため文化2年(1805年)に創設した学校↑↓当時の建物の間取りを平面的に表示長野松代(真田)の文武学校↓みたいなもんだな・・・『城下町・松
前の日曜に鶴岡公園から撮った致道博物館です致道博物館・・山形県鶴岡市にある山形県の登録博物館。名称は旧庄内藩の藩校「致道館」同藩校で使われた文物や用具、庄内地方の民俗資料が収蔵・展示されている(wikiより)桜の写真はまだあるけど、大体葉桜に変わってます(;´▽`A``さて今朝食べたのは・・・「たっぷりバニラ食べたいシフォンケーキ」ですでは早速・・・・開封し・・・少し割って・・・・大半の部分を焼いて比べるこ
山形県鶴岡市に西郷隆盛のレリーフ!!!なぜ???鶴岡市馬場町のタブの木広場にあります。西郷隆盛は薩摩藩の武士であり明治維新の立役者の一人です。庄内藩は奥羽越列藩同盟の中心的な藩の一つであり新政府軍と戦いました。1868年(明治元年)8月に庄内藩は新政府軍に降伏し西郷隆盛が庄内藩の戦後処理を担当しました。西郷は庄内藩を厳しく処罰しようとする強硬派を抑えて領地を減らすなどの軽い処分にとどめました。西郷の寛大な処置は庄内藩の人々から感謝されて西郷は庄内藩の恩人として今でも敬愛されています。
庄内藩校致道館へ行ってきました。致道館の名称は、「君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス」から由来したもの酒井家9代忠徳(ただあり)が退廃した士風を刷新して藩政の振興をはかるために文化2年に創設した学校で駅前通りにあったそうです。文化13年10代忠器(ただかた)によって鶴ヶ岡城三の丸内に位置する現在地に移設されました。致道館の教育目的は、道徳を学び文武に務めて国家の御用に立つ人物を育成すること白梅や紅梅が満開な花を咲かせる。遺構部分(当時の間取りの平面表示)生徒の通用口東御門藩校
名称:致道館創設:1805年創設者:七代目藩主酒井忠徳所在地:鶴岡市馬場町11-45指定文化財:国史跡
城下町カレイにゆかりがあり、穴太積みの石垣が残っている日出城に行きました。『城下カレイゆかりの日出城[大分県日出町](23.12.23)』大分県日出(ひじ)町でハローキティのマンホールカードをいただき、ひと休みしました。『ハローキティのマンホールとカード[大分県日出町]&二の丸館でひと休み(23…ameblo.jpお城を攻城した後は、日出城を築城した豊臣秀吉の正室・ねねの甥にあたる木下延俊ゆかりの場所を巡りました。木下延俊は義兄の細川忠興の支援を受けて日出城を築いたそうです。致道
雑誌の名前で知ったが、藩校の名匠だったことを知った。良く残されている。入場無料なのに貸し切り状態。若侍の気分を味わってきた。
お城巡りnoもう1つ楽しみ城下町さんぽ今なおお殿さまが住み続けている鶴岡の町を歩きますなにやら歴史的な建造物旧致道館東北地方唯一現存する藩校鶴ケ岡城旧本丸跡地にある荘内神社レトロな洋風建築大寶館